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かまくら

2017-06-23 11:18:42 | 日記
 
 今回江の島鎌倉を歩いた、江ノ島は頂上の展望台までは、エスカレーターを3回ばかり乗り継いで行かれるので楽だが、下りエスカレーターはなく階段を徒歩で降りる、坂道や階段は下りの方が膝に応える、江の島の下り階段は比較的緩やかでらくだった、島の裏側の遊覧船乗り場まで下りても足は何ともなかった。

 問題は鎌倉の神社巡りだ、今回は「鎌倉宮」「荏柄天神」「頼朝の墓」「白幡神社」「鶴岡八幡宮」と回った、、山に囲まれた各社、御多分に漏れず、高い階段を控えていた、鎌倉駅から鎌倉宮までバスで行く、鎌倉宮は高い階段で、昇り降りがきつい、
荏柄天神を参拝して下る時には、右脚に筋肉痛を起こしていた、頼朝の墓は50段ほどで比較的緩やかだったが、痛みを起こしたら緩やかも何もない痛い。  

 白旗神社では階段の下で待とうとしたが、白旗神社は初めてだし、皆に負けてたまるかと我慢して登り参拝した、白旗神社を降りたらあと鶴岡八幡宮まで坂はない、鶴岡八幡宮の階段が嫌だと思って居たら、誰も本殿へ行こうと云わず助かる、右太ももはかなり悲鳴を上げていた、若宮大路から小町通りへ入り鎌倉駅に着く、鎌倉駅から直通池袋へ乗れてほっとした。 
 

鎌倉宮(大塔宮)
元弘3年(1333)吉野城落城の折り、大塔宮護良親王の危機に、村上義光が親王の鎧に着替え、敵前で「我こそ護良親王なり」と称し割腹自殺した、その間に親王は落ち延びた。
 元弘3年と云えば、新田義貞が鎌倉攻めをした年でもある。

 
正面屋根の下に、樹齢1030年の大欅で彫った「撫で身代わり」が祀られている
 
荏柄天神は 太宰府天満宮 京都の北野天満宮と並び称され、3代天満宮と云われる、鎌倉幕府の鬼門の方角に当たり、厄除けの意味もある
 
厄除けの為か高さ1m以上ある大きな獅子頭
 

 源頼朝の死亡原因は諸説あり、糖尿病 脳卒中 暗殺 など言われているが、比較的信憑性も高く云われているのが落馬により死亡説だ。
 1198年12月27日、家臣の慶事に出席した帰り、稲村ヶ崎で落馬、それが原因で1199年1月13日に死亡した。

 
 墓までの階段は50段程、踏み代も広いがこの時は筋肉痛が響いた
 
 源頼朝を祭神とする社、源氏の旗印 白旗神社、黒漆塗り 極彩色 唐破風が大きく前の迫り出し威容を誇る、本殿は武衛殿と云われ、そこ掛かるる扁額は、島津藩主 島津久光の書と云われる、頼朝没後島津藩が大きく関る
 
歴史ある建造物の案内板、矢張りかまくらならでは
 
普段の日でも賑わう小町通り