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東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

今の吉原、昔の吉原

2018-01-21 | 散歩
  当時の家並は変わったけど街並みは残っている吉原、
  建物を復活すればそのまま吉原が復活しそう。
  仲之町通りを歩いてみましょう、
  そこここに吉原がいっぱい残っています。


  

     前回歩いた路地から仲之町通りへ、出たところに吉原交番。
     昔「四郎兵衛会所」と言われる郭内だけの警察組織みたいな番所があった、
     その跡がそのまま交番となって今に続いている、ここは吉原大門があったところ。




          

          道は大きくカーブしてさらにもう一回カーブして吉原入り口の「見返り柳」へ向かいます、
          これはわざと道路を曲げて外から郭の中が見えないようにと配慮した街づくりとか。




          

          見返り柳。
          左の道路は「土手通り」、さらに左に「山谷掘」、ともに吉原へ通う道筋、
          吉原からの帰りに未練が残り郭を振り返りながら帰ったというので「見返り柳」。
          当時は山谷堀の脇にあったが何代にもわたって植え替えられ今の位置に。




  

     見返り柳で折り返し仲之町通りを逆方向へ。
     直交する江戸町通りだったかな、人通りはないけど車はたくさん通るのでちょっと危ない。




  

     さらに進むと道は急に落ち込みタクシーがつんのめっているように見える、
     ここは吉原を取り囲んでいた「お歯黒ドブ」の跡。
     遊女たちがしないよう逃げないように堀で囲っていた、
     水はほとんど流れなく汚れていたのでお歯黒ドブと。




          

          吉原も中ほど、右にも左にもお店が並んでいるけど
          怖そうなお兄さんがいるので下手にカメラを向けられない。




  

     出勤前にコンビニに寄って、
     見ていたらこの後近くのお店に入っていった。




  

     吉原はお歯黒ドブに囲まれ大門以外に出入りできないと言われているが
     実は裏門があって火事など非常時と酉の市のときは門が開けられる。
     鷲神社はすぐ裏にあって酉の市の日は女子供も吉原を抜けてお参りに行った、
     その門への道、やっぱり曲がっていて外から中は見えない。
     左の台東病院は昔の吉原病院、手前はかつて花園池があった花園公園。




  


     江戸初期のこの辺りは湿地帯で池がいっぱいあった、
     日本橋の「元吉原」が明暦の大火で焼け「新吉原」をこの地に作るにあたって
     たくさんの池が埋め立てられたが残った池は「花園池」として残った。
     さらに池のほとりに弁天様が祀られいつしか弁天池と呼ばれるようになった、

     関東大震災の折この池に逃れた遊女たち490人が溺死するという事故が起き
     慰霊のため道を挟んだ反対側に吉原弁天堂が作られた。
     昭和34年、残っていた池が埋められNTT吉原ビルが出来て
     花園池、弁天池は吉原弁天堂にわずかにその姿を残すのみとなった。

     いきなり昭和なんて言葉が出てきてびっくりするけど
     まあ今でも非合法ながら昔の商売が続いているとか。
     吉原というとはるか昔のことと思うけど今でも現役なんですね、
     私の職場はここから5分、一度顔を出してから帰ることにしましょうか。

                                          11月16日 いまの吉原を歩く
          

コメント (2)
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