東十条探偵団2

明日は何を撮りに行こうかな?

吉原弁天に咲く曼珠沙華

2017-09-25 | 風景
  百花園に行くときチラと見たら
  吉原弁天も曼珠沙華で赤くなっていた。
  やっぱり野山に咲く曼珠沙華と違って
  特別な目で見る自分がいた。


  

     吉原弁財天の碑に寄り添う曼珠沙華は何思う。




  

     鳥居をくぐった先に建つ白い弁天堂、
     色鮮やかな天女は芸大生たちが描いたもの。




  

     外壁に沿って大きなパネルがあっていろいろな資料が展示されている、
     屋根も何もないので傷むのだろうからちゃんと撮っておかなくてはね。




          

          ここにはいろいろなものがある。
          震災慰霊塔、戦災慰霊碑、石仏も数えきれないくらい。




  

     足の踏み場もないほど狭い境内には
     手を合わせる対象がひしめいている。




  

     そしてそれらの世話をする人たちも絶えない。




  

     昔からここには花園池という大きな池があって跡地の一部は今でも花園公園として残っている。
     関東大震災のおり遊女たちは火災から逃れようとこの池に飛び込み大勢の犠牲者が出た。
     その慰霊のためにもここに弁天様が祀られている。




  

     そして花園池(弁天池)はこんなに小さくなって弁天様の足元にその姿を留めていた。




  

     弁財天(市杵嶋姫命)は、遊郭の土地造成でできた弁天池に祀られ、
     関東大震災の後に遊郭の守護神に加えられた。
     童女のようなそのお顔は清純さと優しく美しい面立ちの座像で、
     女性の愛と苦しみを清めて包み込む救いの姿です。




  

     花の吉原名残の碑、昭和35年地元有志が建立したもの。

     「二神出世この方 男女相聞の道開け日本国は常に世の春となれり」、、、
     と始まる碑文は吉原の歴史に触れ「吉原を知らぬもの人に非ず」と
     豪語しつつ「昭和33年の売防法により一夜にして消滅」と嘆く。
     「2万余坪ことごとく分散、一半を残すのみ。有志等この池畔に
     一基の碑を建つるは 麗人吉原が悲しき墓標の営みなりけり」と結んでいる。

                                              9月15日 吉原弁財天
          

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする