新古今和歌集の部屋

湖月抄 藤袴 夕霧のナンパ失敗2 蔵書

のびやかにうつくしういとなつかしきに、猶え
しのぶまじく、御ぶくもこの月にはぬがせ
給べきを、日ついでなんよろしからざりける。
十三日にかはらへいでさせ給べきよしの
源氏の也    夕霧も也
給はせつ。なにがしも御ともにさぶらふべ
                          かづらの詞也
くなん、思給ふるときこえ給へば、たぐひあ
夕霧の同●あらば事々しかるんと也。
まはんもこと/"\しきやうにや侍らん。しの
びやかにてこそよく侍らめとの給ふ。この
                        只今源の娘分なれば也
御ぶくなどのくはしきさまを、人にあまね
くしらせじと、おもむけ給へるけしきいと
ほめたる詞也   夕霧の詞也
らうあり。中将もらさじとつゝませ給らん
こそ心うけれしのびがたく思ひ給へらるゝか
 
頭注
御ぶくもこの月 玉鬘
物の給ふけはひみまほし
くてかくいひかけ給ふ也。
八月也。三月廿日大宮の御
忌月也。八月廿日迄俓服
の日也。に四月とある
は誤りなり。此月は八月
也。三月廿日にうせ給ふよ
し藤のうらばの巻にみ
ゆ。祖母の服は五ヶ月なれ
ば、八月廿日比百五十日に
あたる也。但除服は日を
えらびてはやくする事
也と云々。
十三日にかはらへ 山河原
解除する事也。除服の
祓の事也。服をぬ
ぎて祓をする也。十三日
吉日なるにや。
此御ぶくなど 細今内大
臣実子の事は此三条の
宮の御服をき給へるに
頭注
よりて人あまたしるべきなり。
いとらうあり 遠慮をめぐらす功労のある也。
もらさじと 中将は忍びがたき物をと也。秀能が哥√露をだに今はかたみ
の藤衣あだにも袖を吹嵐かな。此語勢也。
たみなれば、ぬぎ捨侍らんこともいと物う
く侍るものを、さてもあやしうもてはな
れぬことの、又こゝろえがたきにこそ侍れ。此御
       ゴロモ
あらはし衣の色なくは、えこそ思給へわくま
                    玉鬘の返答夕霧さへ分別
じかりけれとの給へば、何事も思ひわかぬ
なきなればよしていかゞ分別すべきぞと也
心には、ましてともかくも思ふ給へたどら
れ侍らねど、かゝるいろこそあやしく物哀な
るわざに侍りけれとて、例よりもしめり
    玉かづらの躰也                抄夕霧の
たる御氣色いとあるたげにおかし。かゝる
よき次手と思ふ也             蘭也。花一本しらにとあり。
ついでにとや思ひよりけん、らにの花のいと
                        紫蘭
頭注
さてもあやしう 兄弟
かと思へば径服
は同じやうにきたるは心
得ざる事と也。此衣なく
てはと也。花内大臣の御女
ならば源氏君は何とて又
もてはなれぬやうにし
給ふぞと心得がたく思ひ
給ふ也。夕がほのむかしをい
まだ夕霧は知給はぬ故な
るべし。
此御あらはし衣の 此祖母
の着服なくては致仕のお
とゞの子とも思ひわくま
じきと思ふ也。源氏の子
ならば不可有着服故也
たどられ侍らねど
あどるとは物の心を思ひ
頭注
わかんとする心也。まよふと云詞にはかはるべし。迷ふは一向にまよふ心ばかり也
 
 
 

(忍)びやかに美しういと懐かしきに、猶え忍ぶまじく、

「御服も、この月には脱がせ給ふべきを、日ついでなんよろしから

ざりける。十三日に、河原へ出でさせ給べきよしの給はせつ。某も

御供に侍ふべくなん思し給ふる」と聞こえ給へば、

「類給はんもことごとしきやうにや侍らん。忍びやかにてこそよく

侍らめ」と宣ふ。この御服などの詳しき樣を、人に周く知らせじと、

おもむけ給へる氣色、いと労あり。中将

「漏らさじと、つつませ給らんこそ心憂けれ。忍び難く思ひ給へら

るる形見なれば、脱ぎ捨て侍らんことも、いと物憂く侍るものを、

さてもあやしうもて離れぬ事の、又心得難きにこそ侍れ。この御あ

らはし衣の色無くは、えこそ思ひ給へ分くまじかりけれ」と宣へば、

「何事も思ひ分かぬ心には、ましてともかくも思ふ給へ辿られ侍ら

ねど、かかる色こそあやしく物哀なるわざに侍りけれ」とて、例よ

りも湿りたる御氣色、いとあるたげにおかし。かかる次いでにとや

思ひよりけん、蘭(らに)の花のいと

 

※。秀能が哥√露をだに今はかたみの藤衣
新古今和歌集巻第八 哀傷歌
 父秀宗身まかりての秋寄風懷舊ということをよめる
                  藤原秀能
露をだに今はかたみの藤ごろもあだにも袖を吹くあらしかな

よみ:つゆをだにいまはかたみのふじごろもあだにもそでをふくあらしかな 撰者無 隠

意味:私の涙だけが今の父への形見となっている喪服姿で、その涙を心なく吹く嵐が散らしてしまいました。

作者:ふじわらのひでよし1184~1240秀宗の子。後鳥羽院の北面の武士。和歌所寄人。承久の変後出家。

備考:建永元年七月二十八日当座歌合。時代不同歌合、八代抄、新三十六人歌合、定家十体有心様、自讃歌、美濃の家づと、新古今注、九代抄、九代集抄、新古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)

略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄  九条禅閣植通
※河 河海抄  四辻左大臣善成
※細 細流抄  西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄  牡丹花肖柏
※和 和秘抄  一条禅閣兼良
※明 明星抄  西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺
 
 
湖月抄  藤ばかま


 



 
 
 
源氏物語 三十帖 藤袴
 
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