新古今和歌集の部屋

歌論 正徹物語 下 103



家隆は四十以降始めて作者の名を得たり。其より前もいか程か哥を讀みしかども、名譽せらるゝ事は、四十以後成りし也。噸阿は六十已後此道に名を得たる也。か樣に昔の先達も初心から名譽はなかりし也。稽古數寄劫積りて、名望有りける也。今の時分の人、いまだ哥ならば一二首讀みてやがて定家、家隆の哥を似せんと思ひ侍る事、おかしき事也。定家も、行かずして長途に至る事なしと書きたる。板東、鎮西のかたへは、日をへてこそ至るべきに、たゞ思ひ立つ一足に至らんとするがごとしと云々。只數奇の心深くして、晝夜の修行怠らず先々なび/\と口がろに讀みつけなば、自然と求めざるに有興所へ行きつくべき也。後京極攝政殿は卅七にて薨じ給ひしが、生德の上手にておはしまして、殊勝の物共あそばしき。もし八十九十の老年までおはしましたらば、いかに猶重寶ともあそばされんずらんと申し侍りし。宮内卿は廿よりうちになくなりしかば、いつの程に稽古も修行も有るべきなれども、名譽有りしは生得の上手にて有る故也。生得堪能に至りては、初發心の時、便成正覺なれば修行を待つ所にあらず。しからざらん輩は、只不斷の修行を勵まして年月を送りなば、終に自得發明の期あるべき也。只數奇に越えたる重寶も肝要もなき也。上代にも數奇の人々は古今の大事をも許し勅撰にも入れられ侍り。誠の數奇だにあらば、などか發明の期なからむ。

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