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『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家  筑摩書房

2017年05月29日 | 幕末・明治維新

                        ▲『終末から』 1974年 8月号  筑摩書房

 

『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家  筑摩書房

益田勝実 「天皇史の一面 天皇と人々の「つきあい」を、さまざまな生活の場面を通してつづる現代史」

 

『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家  筑摩書房

 

 ▲ 『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家  筑摩書房 当時定価380円

 

益田勝実 「天皇史の一面」 が、鬼塚英昭の著書『日本の本当の黒幕』下巻の23頁で一部を引用していたので、この文章の前後を読みたいと思っていた。幸いこの雑誌を入手したので、早速読んで見た。これはすごい!

過激なことばこそないが、幕末の陰謀の構造を活写していた。

益田は古代国文学に詳しいのだが、長州藩家老につながる益田家の系譜の人であるから、また、縁者に明治維新、萩の乱の死者も出していることから、それ相当の研究蓄積も持っていたことが分かった。

益田家には孝明天皇の使った茶碗と皿があったそうなのだが、子供の頃、益田勝実は底の茶渋をきれいに洗ってしまい、親に叱られたというエピソードを書いている。孝明天皇が飲み残した茶碗だからこそ、歴代の親たちは洗わずに残していたのだろうから。

急激に攘夷・佐幕・尊皇攘夷・公武合体・倒幕と政治思想が転変する幕末・明治の史実をよそ事ごとではない立場で益田は生きていたようだ。

筑摩書房から出していた雑誌の『展望』は文学色の視点もある総合雑誌なのだが、『終末から』の雑誌で書く前から、筑摩書房の編集部とは交流があったに違いない。

『終末から』は専門雑誌ではないが、益田勝実の著作『火山列島の思想』を筑摩書房から出版していることもあり、執筆依頼があったものだろうか。

益田の「天皇史の一断面・・・・・・・天皇と人々のつきあいを様々な場面を通してつづる現代史とタイトルがまたこの論考のよって立つところ示して素晴らしいが、その本文のほんの一部を掲げる。

文字が読める程度に画像を圧縮したので、小さなタブレットでは厳しいが、画像を複写して、拡大すれば読めるはず。

▲  『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家 筑摩書房  87頁

益田勝実 「天皇史の一面」 より

▲『終末から』 1974年 8月号 筑摩書房  88頁 上段

「天皇様をお作り申したのはわれわれだとは、明治以前に生まれた長州の老人からよく聞かされたことだったが、近代天皇制以前には、京都に天皇家はあったが、天皇の国家はなかった。」

「尊皇派が考えていた天皇の国家の考えは思想として獲得されたもので、現実に京都にいる天皇と実在の人物に合わせて作られたものではなかった。かれらが求めている天皇と現実の天皇といくらか融和できるうちはよいとして、その矛盾が激化すると・・・・・・・・・・・天皇を取り換えてしまうほかなくなる。」

わが家に空襲で焼けるまであった孝明天皇使用の皿は、おそらくまだ長州と天皇との間がうまくいっていた、蜜月時代にもたらされたものだろう。奇兵隊挙兵の翌年、1866年(慶応2)の暮れには、孝明天皇は謀殺されてしまった。もちろん、仕組んだのは江戸幕府ではない。志士側で、天皇が倒幕の障害になりはじめたからである。今日ではもう公々然の秘密になっている。」

「天皇制を悠久の昔からのものと考えることはできない。天皇家天皇制はひとつにして見るべきではなかろう。」

「天皇制は近代百年の政治的創作で、新しいわれわれと同時代のものである。」

「わたしの子どもの頃には、昼間の銭湯には伊藤博文がはじめて臣博文とやらかした時のことを覚えている老人たちが集まっていた。」

「一代の成り上がり者明治天皇を偉いとほめ、息子の大正天皇の精神異常のエピソードをさまざまに公言する老人たちの寄合は、もう数年後には銭湯からも姿を消した。安政・万延・文久生まれが急速にいなくなったからである。」

『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家  益田勝実 「天皇史の一面」より 87頁ー88頁)

 

鬼塚英昭の著作『日本の本当の黒幕』に引用してあったおかげで、私は益田勝実の近代化に対する、複雑な心境の一端に触れることができた。益田勝美の古代史・文学論ももう一度読み返したくなってきた。

益田勝実が子供だった頃、現在の床屋政治談義のように

銭湯では孝明天皇謀殺、明治成り上がり天皇の話安政・万延・文久生まれの老人たちは話していたのだ。

湯船の中のひそひそ話には、真実のひとかけらがあるのかも知れない。

湯にどっぷりとつかり、やがてほろ酔いのように上機嫌になると、人は黙ってはいられず真実を語りたくなるのだな。

長州で幕末に生きた人々の記憶の中では、強弱の差はあれ、ここに記されたようなことを機会あるごとにつぶやいていたようだ。

これは、言えないことを言う、今のSNSで「ツイート」する、「ツイッター」と同じ機能だった。

銭湯の風の便り 恐るべし。

今や世界の権力集団は、最後の悪あがきをしていて、そこら中で、工作の破綻を露出させているが、やはり、洗脳された教科書、洗脳されたメディアで世界を読むと、「寡頭層の思うつぼ」。

 

日本近代史150年は、苦心惨憺の・人々の賢明な努力であると同時に、表には花のある「美味しい華族制度」をこしらえたが、一方、元勲たちの私利私欲に満ちた陰惨な暴力システムの構築でもあった。

日本で今、「共謀罪」がどうしても必要で創設したいのは、自らの近代日本が、「革命」による明治政府なのではなく、「共謀によるクーデター国家」だったからであろう。

今元文科次官が、「黒を白と言われても」 ということばを口にしているが、表層の日本近代史を一皮剥くと、とんでもない謀略とテロリズムの陰惨な姿が噴出してくる。およそ私たちが学校で学んだ日本近代史ではないものが事実なのだ。

益田勝実は、日本近代史を専門とする研究者ではなかったが、「日本近代史専門の学者」よりももっと深い水脈を掘り当てていたように思う。

表通りを駆け上がっていく長州の動きの中で、影になっていく藩家老たちの没落と生を家族と共に生きて、また市井の人々のつぶやきを、記憶にとどめて陰影のある歴史エッセイになっている。

「天皇史の一断面・・・・・・・天皇と人々のつきあいを様々な場面を通してつづる現代史」 というタイトルは、編集部がつけたものかもしれないが、エッセイの内容によく合致している。編集部がよく読んでいると思われる。

久しぶりに、文学的香り漂う作品に出会った。このエッセイを含む本はあるのだろうか。

日本古代文学についての本は、西郷信綱さんのものを読んできたのだが、改めて、益田勝実の本を探してみたい誘惑に駆られた。雑誌『国文学』や、『歴史公論』にも西郷信綱さんとともに、古事記や、万葉集の特集とともによく益田勝実は常連で寄稿していた。

なお、この『終末』を出していた1970年代中頃の時代の雰囲気、同代の作家もわかると思われるので、この雑誌の目次を追加して置きたい。

 ▲『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家 目次1

 ▲ 『終末から』 1974年 8月号 特別企画 天皇の国家 目次 2

 

この特集を1970年代の若い時代に読んでおくのだったと思うが、やはり、発見するのには、内発するエネルギーが欠けるていると何も見えてこない。

「長州で長州の成り上がり志士に敗れた人々」 のことを今にして想う。

名声と権力欲の政治劇の裏から聞こえてくる人々の声に注意を傾ける私は1970年前半にはいなかったのだ。

 

つづく



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