つれづれなるまま映画を観て過ごす「ベッチーの映画三昧日記」

映画検定1級のベッチーのベッチーによるベッチーのための映画館鑑賞記録gooブログ。
コンテンツ:ベッチーの映画三昧日記

『SP 革命篇』 75点

2011-03-22 20:41:40 | goo映画レビュー

SP 革命篇

2011年/日本

「野望篇」での辛口コメントは本作「革命篇」で相殺。のっけから二時間ノンストップのクライマックス映画にもう脱帽するしかない

総合★★★★☆ 75

ストーリー ★★★☆☆70点

キャスト ★★★★☆80点

演出 ★★★★☆75点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★★☆75点

●べッチー的映画三昧日記
「SP-革命篇」

本作は、まるで祇園の料亭のような映画だ。
完全に一見さんお断りの作りになっている。
しかも、フジTVさんは革命的な興行スタイルをやってくれた。今までも2部作の映画の場合、前作を観なければよくわからないといった作品はよくあったが、「SP」の場合、映画版第1作「野望篇」を観た人も、「革命篇」1週間前にTV放映されたSPスペシャル版の「革名前夜」を観ていないと映画版「革命篇」を理解するのに困るという仕掛けになっている。ここまで、観客に媚びずにやりたい放題をやってくれると、その潔さはもう文句をつける気も起きなくなる。

私も3月4日、5日に放映されたTVスペシャル版はよくある今までのダイジャストだと思い、観るのをどうしようかなと考えていた。1日目は案の上、TVシリーズと映画「野望篇」の総集編のような作りだった。2日目は観るのを止めようかなと思ったが、「革命前夜」という言葉にひかれ、観てしまった。これが「ビンゴ!」大正解。ほぼ、新作で映画版「革命篇」の前日の各々の行動を描いたものだった。しかも第四係SPたちのそれぞれの私生活まで描かれているファン垂涎の作品となっていた。
 
「野望篇」の時も述べたが、本作は2007年11月から2008年1月までフジTV系列で放送され、深夜枠ながらカルト的人気を博した「SP 警視庁警備部警護課第四係」の映画版だ。政治家や要人などの警護にあたるSP(セキュリティ・ポリス)たちの活躍を描いたこの番組は企画当初から主演の岡田准一と脚本を担当した直木賞作家金城一紀が、従来の刑事ドラマあと一線を画したリアル感のあるストーリーとアクションを追求したものだ。

 「野望篇」を観たときは、ビジネス上かわざわざ2部作にしたあざとさが、好きになられずに辛口のコメントをしたが、前後の脈絡は説明してあると言った大前提のもとに作られている「革命篇」はのっけからクライマックス突入でそのままエンディングまで持って行く今までの映画の常識を破った画期的な作品でサスペンス、アクション等の完成度は結構高い。2時間がほとんど国会議事堂の中なのだが、このセットがなかなか良く出来ている。最も本作の場合、国会本会議場のセットとCG以外にお金をかけたところはないように思えるが。

 話の展開としては、天下の国会議事堂があんなに容易い警備体制とは思えないし、尾形の「大義」に第四係以外のSPたちが同調してしまうのも?という感じだが、それを割り引いても作品全体の力技で引っ張っていく手法は新鮮だ。

 特に本作のために格闘技師範代まで取ってしまった岡田准一の関節技はまるでUFCの試合を見ているようにリアルでその迫力は脱帽ものだ。

 彼は本作がSP最後のエピソードだと答えているが、結局のところ多くの謎を残した終わり方は府に落ちない。
 国会ジャックまでして、国民にあれだけのアジテーションをしたのに、その後何も変わらないような日常が描かれるラストも府に落ちない。
 
 きっと何か有りそうな気がするのだが…。でも、このまま、終わった方が良いような…。
 非常に後を引く最後に、しばらく悩みそうな…「革命篇」である。


『英国王のスピーチ』 80点

2011-03-09 06:52:57 | goo映画レビュー

英国王のスピーチ

2010年/イギリス=オーストラリア

国家高揚をストレートに煽るのでなく、さりげなく一人の男の物語として描いた点がいい。

総合★★★★☆ 80

ストーリー ★★★★☆85点

キャスト ★★★★☆85点

演出 ★★★★☆80点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★★☆75点

●ベッチー的映画三昧日記
「英国王のスピーチ」
 
 日本公開2週目というドンピシャリのタイミングで第83回アカデミー賞の作品、監督、主演男優、脚本賞の4部門に輝いた「英国王のスピーチ」。アカデミー効果か私が観に行った平日も映画館はかなりの混雑であった。昨年末にアメリカ在住の友人から今年のアカデミーは「King’s Speech」で決まりと聞いていたが、実際にその通りになった。「英国王のスピーチ」は王室を舞台にしながらもウィットにあふれた笑い話にしてしまう所と、それでいて全体的には威厳と格調のある歴史ドラマにまとめる所がいかにも英国映画らしい。

本作の主人公は、現イギリス女王エリザベス2世の父ジョージ6世。この時代の英国王室というとスポットを浴びたのはジョージ6世より、王位の座まで捨ててまで離婚経験のあるアメリカ人のシンプソン夫人との世紀の恋に生きたエドワード8世が有名だ。しかし、その陰で内気で吃音というコンプレックスを抱えていたため、王になりたくなかった弟ジョージ6世が王位に就いてしまったという所に着目し練られた脚本が秀逸だ。

映画は、吃音に悩む内気なジョージ6世が、言語療法士の助けを借りて障害を克服し、第2次世界大戦開戦にあたって国民を勇気づける見事なスピーチを披露して人心を得るまでを描く。

一見地味な素材を王と療法士との二人のやり取りをじっくり描くことで、仕事を越えてお互いの人間性を認め合う間柄になるまで昇華させた点がドラマ性を高めた。そして、それは、最後のスピーチで最高潮となる。クライマックスが第2次世界大戦開戦のスピーチというのが多少気になったが、歴史的事実と見ればこれも仕方がないか。
現在のような混沌とした時代、ストレートに国家高揚をあおりたいところだが、本作はさりげなく一人の男の物語として描いた点がいい。

 ヨーク公ジョージ6世を演じるのは昨年の「シングルマン」に続く話題作出演で絶好調のコリン・ファース、彼の吃音を矯正する言語療法士にジェフリー・ラッシュ、そしてジョージの妻エリザベスにヘレナ・ボナム・カーターと演技派3人を配している。 これだけの脚本と主演陣が揃えば監督経験の少ないトム・フーパーも、やり易かっただろう。結果、数々の映画賞を制覇し、見事にアカデミー監督賞までさらってしまった。アカデミーの受賞スピーチでこの原作の映画化を勧めたのは母親ということで「母親の言うことは聞くものです」と隠れたエピソードを語り笑いが起こっていたのが記憶に新しい。


『あしたのジョー』 75点

2011-03-06 10:38:47 | goo映画レビュー

あしたのジョー

2011年/日本

「あしたのジョー」原作ファンを恐れずに映像化した曽利文彦監督と主演した俳優陣の勇気に素直に敬意を表したい。

総合★★★★☆ 75

ストーリー ★★★☆☆70点

キャスト ★★★★☆85点

演出 ★★★☆☆70点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★☆☆70点

●ベッチー的映画三昧日記
「あしたのジョー」

 全共闘世代を興奮させ、漫画史上に燦然と輝く名作「あしたのジョー」の実写映画化となれば、作品に色々なクレームがつくのは宿命と言える。昭和という時代を経てきた多くの人たちの心に深く刻まれた各人各様の思い入れの強い原作を平成の世に完成させた曽利文彦監督の采配ぶりと主演した俳優陣の勇気にまず敬意を表する。

 最初にこの企画を聞いた時の私の率直な気持ちは「やめてくれ!」。

 それは、少年マガジン連載中の1970年に日活が作った実写版「あしたのジョー」(ジョー=石橋正次、力石=亀石征一郎、段平=辰巳柳太郎)を思い出したからだ。私の映画鑑賞史の中でもあれほど失望した作品はなく(作った製作陣は懸命だったかもしれないので申し訳ないが、私の描く「あしたのジョー」とのイメージが全く違ったということ)

 なぜ、何故40年たって、あの悪夢が再現されなければならないのか?

でも、当初の抱いた気持ちは鑑賞後には変わっていた。

 それは、平成版「あしたのジョー」を作り上げた曽利監督、主演の山下、伊勢谷、香川らのチャレンジに素直に拍手を送りたい、というものに。

 当然今回の「あしたのジョー」についても、ネット上で賛否色々な見方が出ている。原作にないマンモス西や白木葉子の設定など辛口コメントの言い分も最もである。

しかしながら、それらを差し引いても、私は2時間20分を十分に楽しんだ。確かに入れてほしいエピソードはほかに数々あったけど、漫画のコマをそのまま再現した画面作り、特に涙橋からドヤ街のセットや力石とクロスカウンター相打ちシーンなどマンガチックであるが私のイメージどおりで涙物の出来、単純に興奮した。
 また、前後のストリー運びはちょっと思うが、力石との因縁の試合については十分合格点をあげられる。演劇とは役者の肉体表現、肉体を限界まで使ったパーファーマンスと言われる。だとすると、伊勢谷友介、山下智久、香川照之の3人が見せた肉体パーファーマンスは凄い。評価の多くは、伊勢谷の極限まで絞った肉体と香川の段平なり切りメイクに集約されるが、山下のジョーにしても、巷であれほど酷評されるものではないのでないか。山下の演技ではジョーの一面性しか見えてこないという意見もあるが、ジョーの複雑な性格設定は時代と多くの漫画読者の中で構築されていったもので、万人が納得出来るような実写表現は難しい。だって、それでは今、誰がジョーを演じられるの?私にはすぐ思い浮かぶ俳優はいない。

 多くの批判があるラストの扱いも、私は否定しない。力石との一戦をクライマックスとして、映画を作るならその後のジョーをどこまで描くがポイントである。その点ではアニメ映画版の「あしたのジョー」では最初から2本に分ける前提の編集だったが、本作は一応、この映画の中で「あしたのジョー」の話を完結させようと考えたのだと思う。

  映画のエンディングは、どうあろうと、絶望のまま終わらずに原作で描かれるその後に続くような「ジョーのあした」を示唆しなければならない。したがって、試合後のジョーの悩み、苦しむ姿を一切見せずに、強引に1年経過後にしたのだろう。
 それはラストシーンがそれまでドヤ街をメインにした結構暗い色調の画面から、一転真っ青な空のもと明るい色調の画面に良く表れている。

 これだけ、突っ込みどころの多い本作を好意的に観たのだから、制作陣にはまちがっても本作の続編「あしたのジョー2」を作ろうだなんてことを考えないでもらいたいね。


『白いリボン』 85点

2011-03-04 06:59:54 | goo映画レビュー

白いリボン

2009年/オーストリア=フランス=イタリア=ドイツ

不快な気持ちにさせるハネク監督は好みではなかったが、「白いリボン」の完成度は認めます

総合★★★★☆ 85

ストーリー ★★★★☆85点

キャスト ★★★★☆80点

演出 ★★★★☆90点

ビジュアル ★★★★☆90点

音楽 ★★★★☆80点

●ベッチー的映画三昧日記
「白いリボン」

 地方都市静岡に2週間限定で「白いリボン」がやってきた。

 今までミヒャエル・ハネケ監督の作品を観てよい気分で劇場を後にしたことがなかったので私好みでなかったが、‘09年のカンヌ映画祭パルムドール大賞受賞にひかれて観に出掛けた。最も書評によると、冷徹に人間を観察し奥底を描き、結果、人を不快にさせることがハネケ監督の意図するところらしいから、自分は完全に彼の意のまま、そこに乗ってしまった人間の一人なのだと思う。

 1913年、第一次世界大戦前夜のドイツ北部のある村。ドクターが自宅前に張られた針金のせいで落馬し、入院する。牧師の家では帰宅が遅くなった姉弟が牧師から怒られ“白いリボン”の儀式を言い渡される。ひとつの出来事をきっかけに次々に不可解な事故、事件が村人に襲いかかる。誰が何のために?小さな村は不穏な空気に包まれ、村人は疑心暗鬼に陥り、子どもたちは苦悩を感じ始め、大人以上の残虐さを見せ始めていく…。

 「白いリボン」においてもミヒャエル・ハネケ監督の人間に対する基本的な観方は変わっていない。なぜ、こんなに人間の嫌な部分を描くのかと思えるほどだ。しかし、本作は今までになく解り易く、人間の心の中に潜む残酷な部分を浮き彫りにした感じがして、観終わった後、素直に彼の鬼才ぶりを認めざるを得ないという感想を持った。

 本作で特出すべきは、まず、綿密に近代世界史の背景を読み取った舞台設定による。荘園制度のもと、村を納めているのは男爵家となっているが、その実、村を支配しているのはプロテスタントの教えで牧師が一番力を持っている。その牧師の教えは厳格で、子どもたちに体罰をも辞さない。それらの体罰からか子どもたちの心の中に教義は歪んだ形で植えつけられていく。

 次に最近珍しい白黒画面。題名の「白いリボン」は罰の印としてこどもたちに付けられるリボンのことだ。カラ―撮影したデジタル映像を、あえてモノクロにしたというが、これが陰影のコントラストをはっきりさせている。リボンを強く印象づけるとともに、緊迫感と恐怖感を強調させ、人間の悪意や憎しみを表すのに非常に効果的になった。

 結局、映画は最後まで、誰が犯人なのかは明確に提示することなく終わる。
それはそれで、有りなのかなと思う。これは単純な謎解き映画ではないのだから、と妙に納得させられてしまう。

 この感覚は以前あったな?と思ったら、デビッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」が浮かんだ。人間の不条理を描き続ける二人の監督の共通項を少し垣間見た感じ。


『海炭市叙景』 80点

2011-03-01 07:03:09 | goo映画レビュー

海炭市叙景

2010年/日本

作為と無作為、絶望と希望が入り混じった余韻が残る市民映画「海炭市叙景」

総合★★★★☆ 80

ストーリー ★★★★☆80点

キャスト ★★★★☆80点

演出 ★★★★☆80点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★★☆85点

●ベッチー的映画三昧日記
「海炭市叙景」
 市民有志による実行委員会組織で、自分たちの街を舞台とした映画が作られることがよくある。それらの多くは、映画をツールとして街の観光PRに役立て地域振興を図ろうという部分が強くなり過ぎて、観ている方が辟易してしまうことがよくある。

 本作「海炭市叙景」はそれらと一線を画する市民映画となっている点で称賛に値する。原作は芥川賞に5度も候補になりながら取れないまま、'90年に自ら命を絶った不遇の小説家・佐藤泰志の故郷、函館をモデルに執筆した18の連作短編小説『海炭市叙景』。映画はその中から5つの話を選んでオムニバス形式で描いている。

 架空の都市、海炭市の冬。不況のあおりで街の大きな産業である造船所を解雇されたふたりの兄妹が、なけなしの小銭を握りしめ、初日の出を見るために山に登った。開発のための立ち退きを頑なに拒む老婆、その家から突然愛猫が姿を消した。妻の裏切りに傷つくプラネタリウム勤務の男。家業を継いだ男は新事業も家庭もうまく行かない。帰郷しても父と会わない息子。そんな人々の間を路面電車は走り、静かに雪が降り積もっていく…。

 市民団体から依頼されメガホンをとったのは北海道帯広出身の熊切和喜監督。私は彼のデビュー作「鬼畜大宴会」がダメで、それ以降彼の作品は観ていなかった。しかし「海炭市叙景」を観て驚いた。過激な暴力描写で推し進める作風は影を潜め、まるでドキュメンタリーのように淡々と市井の人々の日常を綴っていく。彼は監督を引き受けたとき「観光映画ではなく、人生の喜び、悲しみを丸ごとフィルムに焼きつけたい。誰もが撮ったことのない函館を撮りたい」と抱負を語ったというが、それは見事に具現化され今の函館を刻み込んでいる。

 函館での実質撮影期間は昨年2月16日から3月20日までの約1か月間だったという。制作予算の厳しさを逆手に取ったアマチュアの市民俳優たちの登用や、全編ロケがかえって映画をよりリアルした感がある。

 画面に谷村美月、加瀬亮、小林薫、南果歩ら有名な俳優も出てくるので「映画なんだ」と認識できるが、素人俳優たちとの自然な絡みのショットや間に描かれる何気ない街の風景を観ていると、時折この映画は無作為ではないか?という錯覚に陥る。全体のトーンとしては、ジャ・ジャンクー監督の「長江哀歌」に似ているが、主要部分にはプロの俳優を配し、映画的編集がされていている分、私には監督のメッセージがより伝わり、映画として余韻の残る結果となった。鑑賞後、しばらく頭に残ってしまう本作のようなエンディングの映画もたまにはいい。