因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

詠み芝居 山本周五郎『おたふく』

2006-02-26 | 舞台

*演劇倶楽部『座』第十六回新春公演  山本周五郎原作 構成・演出 壌晴彦 シアターVアカサカ
 山本周五郎の原作「妹の縁談」「湯治」「おたふく」から構成された物語。上原まり、内山森彦(以上客演)、山下晃彦、金子あい、森一馬ほかが出演。
「文学を見る、聴く。感じる 『詠み芝居』」と銘打った、この劇団独自の上演形式である。
 すなわち小説の地の文は壌晴彦が語り、台詞の部分を俳優が演じる。見る側にすると、小説を読みながら心に浮かぶ情景がまさに目の前に繰り広げられているという状態だ。
 この形式のよかった点は、第一に壌晴彦の語りが実に素晴らしいことだ。決して感情過多にならず淡々と、しかし言葉のひとつひとつが粒だって伝わってくる。最近時代劇のナレーションで自己主張の強い語りを聞くことがあるが、壌にはそれがない。惚れ惚れするくらいである。第二に物語の内容がとてもわかりやすく伝わることだ。それプラス、語られる内容が目の前で行われること自体に妙なおかしみが生まれる効果もあった。たとえば貞二郎がおかみから縁談がまとまったことを立て板に水という具合に滔々と告げられる場面である。あそこはおかしかった。
 逆に疑問に感じた点は、全てが話されて演じられているから、観客が想像する余地が極めて少なくなるということだ。演じる俳優が逐一地の文通りの演技をしないで控えめにしていたことには好感が持てるが、もっと観客に感じさせてほしい、想像させてほしい、こんな複雑で微妙な心のうちを俳優がどう表現するのかをみてみたいという気持ちが沸き起こってくるのである。また登場人物が心の中で思ったことや、その場にいない人物の台詞を録音した音声によって聞かせる箇所もあって、いささか興ざめに。地の文と芝居部分のバランスをうまく保つのは難しいのだろうと察する。また作品の選択も難しい。同じ周五郎でもたとえば『さぶ』。あの終幕の場、栄二とおすえの愁嘆場を語りと芝居で見せられたら非常に説明的になって、かえって興をそぐことになるのではないか。

 朝から冷たい雨がずっと降り続いていたが、終演後その雨がこころなし少し温かく穏やかに感じられた。周五郎をしみじみと読み直してみたくなった。「詠み芝居」効果であろう。これからもいろいろと試みを重ね、もっと豊かで細やかな舞台を生み出す可能性を秘めている「詠み芝居」。晩冬の収穫であった。

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1 コメント

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私の排ブログに、コメントありがとうございました... (のっぱラです。)
2006-03-02 07:49:35
私の排ブログに、コメントありがとうございました。 TBの件は、なにが原因か良く分かりません。 (操作音痴なもので・・)
周五郎の世界は素晴らしいですね。
また、よろしくお願いいたします。
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