*石原燃作 キタモトマサヤ演出 公式サイトはこちら 梅ヶ丘BOX 30日で終了
劇作家の石原燃の作品はいくつかみたことがあるが、(1,2,3,4,5)、2012年に石原を主宰として大阪で旗上げした演劇ユニット燈座(あかりざ)の公演は今回がはじめてである。本作は第24回テアトロ新人戯曲賞佳作受賞作品で、先に地元の大阪で幕を開け、つづいて東京公演を行った。ぎっしり満員の盛況が嬉しい初日の観劇だ(プロフィールには燈座以前の上演記録も掲載あり)。
アパートの一室と思われる空間には、正面に窓らしき枠、奥側には少し大きめの枠があり、中央にテーブルが置かれ、ごくわずかに小物類があるのみ。公演チラシには「東日本大震災の東京。ある日、娘のもとに父の訃報が届いた」とある。当日リーフレットの配役表には父、娘、そして太郎と記されており、震災が深くかかわった父と娘の物語であることは明らかだ。
残念ながら困惑と疑問が消えない観劇となり、いまの段階ではその理由も明確に記せない状況なのだが、ともかく書いてみよう。
芝居がはじまってすぐ、これは井上ひさしの『父と暮らせば』と同じつくりであると多くの人が気づくはずだ。『父と暮らせば』は、広島の原爆で生き残った娘のもとに、亡くなった父親が幽霊となって現れる。父を助けられなかった罪悪感に苦しみ、原爆症への恐怖から新しい恋に踏み切れない娘を父は懸命に励まし、背中を押してやる。
死んでいるはずの父が、生きている娘と会話をする。その生き生きしたやりとりから、父の亡くなったいきさつや娘のいまの暮らしぶり、それぞれの思いなどが決して説明台詞ではなく、あるときはゆっくりと、あるときは堰を切ったように示される。観客はそれを聴きながら自然に劇世界に導かれ、いつのまにかしっかりと包み込まれているのである。
本作は2011年3月の大震災の後、ある劇団から「井上ひさしの『父と暮らせば』のような父と娘の芝居を書いてほしい」との依頼によって執筆された由。劇作家は『父と~』の構造を踏襲して311以降を生きる娘を励ます父を描こうとしたという(当日リーフレット挨拶文より)。
この成り立ちをどう捉えるかで、本作の受けとめ方は大きく変わってくると考える。構造を踏襲するのは劇作家と作品への表敬であるが、「そのまますぎる」というのが率直な印象であった。つくりをそのままではなく、べつの形をとりながら、もっと深い部分において『父と暮らせば』を想起させる物語。
非常にむずかしいことだが、石原燃さんならできるのではないだろうか。
『父を葬る』の父はのっけから酒を飲んでおり、娘と終始ぎすぎすした諍いを繰りかえす。この親子がどのような年月を過ごしてきたのか、いつ、どのようにして父は亡くなったのか、母親はどうしているのか、娘はこれまでどのような人生を送り、いまはどんな状態なのか。
・・・というあれこれを、観客は何とかして知りたいと身を乗り出して台詞を聞き、人物の表情や動作から読み取ろうとする。目の前に提示されたものだけではわからないことを必死で探す。それが緊張感のある観劇の楽しさだ。少しずつ芝居の世界に近づきながら、終幕に確かな手ごたえを得たいのである。
それが今回の場合、あまりうまく運ばなかった。高度成長期の思い出が語られたり、阪神大震災の話もあったようで、しかし311の話もあって、ならばいったいこの娘は何歳なのかということすら、実に情けないのだが自分は把握できなかったのだ。あのころに4歳くらいだったということは・・・という具合に何とか計算しようとはしたのだが、物語ぜんたいとして時間軸の整合性はどのようになっていたのだろうか。このつまづきは大きい。
また細かいことであるが、物語後半で太郎という第三の人物がアパートの窓ガラスを割る。部屋のなかはガラスの破片が飛び散っているはず。部屋に侵入してきた太郎は最初こそ足の裏に破片が刺さって痛がってはいるが、娘に同様の演技はない。しかしそのあとで父親が丹念にガラスを拾っている場面もあったり、このあたりも何となくしっくりこない。父と娘ははっきりと特定できる地方のことばを話してはいなかった。ふたりのやりとりから各地を転々としていたらしいが、そのあたりの流れもわかりにくい。こういうところが散見しているために、いまひとつ父と娘の心象の変化をじっくりと味わうことができなかったのだ。
死んだはずの父親が娘のところに現れたという劇的な構造を活かすためには、さまざまな面を細部にわたって場面や台詞を整え、慎重に筆を運ぶ必要がある。また3人の俳優の演技にもう少し緩急があれば、台詞のひとつひとつが粒立ち、確実に客席に届いたのではないか。
厳しいことばかりを挙げてしまったが、これまでみた石原燃の作品の印象があるだけに、どうしても求めるものが大きく高くなるのである。観劇日はミナモザ主宰の瀬戸山美咲氏とのアフタートークがあった。お二人とも311以降の劇作の苦悩を語っておられたが、トーク後半になって、最近起こったベビーシッター幼児殺害事件の話から、広島の被爆患者の治療にあたった肥田舜太郎医師のことば、「狂ってしまった一人ひとりの人生を掬い取らねばならない」(記憶があいまいだが)に共感し、「これこそががわたしたち劇作家の仕事だ」と決意したという発言には、まさにわが意を得たりと嬉しく思った。
『父を葬る』はまだまだ変容の余地がある作品だと思う。それは客席の自分にとっても同じであり、劇作家の思いをじゅうぶんに感じとれなかった反省を忘れず、どこかでもう一度、しっかりと受けとめる機会があることを願っている。
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