因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

ミュージカル『マリー・アントワネット』

2006-11-14 | 舞台
*ミヒャエル・クンツェ脚本&歌詞 シルヴェスター・リーヴァイ音楽 栗山民也演出 帝国劇場 12月25日まで 公式サイトはこちら

 みにいくことを決めたのは、井上芳雄くんがみたくて、いや彼の歌声が聴きたいという実に単純な理由である。ところが3時間あまりの上演後、わたしは予想もしなかった感覚に戸惑うことになる。

 原作は遠藤周作原作の長編小説で、それを東宝が『エリザベート』、『モーツァルト!』のクンツェ、リーヴァイのコンビにミュージカル制作を依頼し、栗山民也の演出で「世界初演」という、ほとんどわけのわからないほどのスケールで作られた舞台なのだった。こういう企画を考えつき、実現してしまう人々がいることにまず驚く。映画やドラマになる、というのならまだわかるのだが。

 いい歌を聞きたい、豪華な舞台を楽しみたいという期待はあまり叶えられない。ブロードウェイやロンドンミュージカルのように、いくつかのくっきりしたメロディがさまざまな場面で繰り返し歌われて観客の耳に親しみを生むようなタイプの作品ではなく、演出の栗山いわく「何度もリフレインして盛り上げるような方法じゃなく、ちょっとジプシーっぽい雰囲気」(シアターガイド掲載)に、耳も心もなかなか馴染めない。印象的なナンバーはいくつかあるが、すぐに口ずさめるようなものではなかった。たまたまイニシャルが同じである時の女王マリー・アントワネットと孤児のマルグリット・アルトーの人生が交錯していく様子を縦軸に、政治や陰謀、思想、恋愛や家族の情愛を横軸に、「ほんとうの自由とは何か」「人はどう生きていくべきか」が問いかけられるのである。いい気分に浸れるどころか、ずっしり重たい気分になってしまった。帝劇ミュージカルでこんな気持ちになるとは。

 キャストについて少し。マルグリット役の笹本玲奈の頑張りは大変なもので、本作の主役はアントワネットの涼風真世というより、マルグリットと言ってもよいのではないか。実に堂々たるものである。ルイ16世の石川禅が終盤囚われの身になって歌う『もしも鍛冶屋なら』はしみじみと情のこもったいい歌であった。狂言回し役の山路和弘はしなやかで魅力的。カーテンコールでも「進行役」のようなお役目があって、これほど暗く重たい終幕の作品では、相当に力のある俳優でなければできないだろう。お見事でした。

 さて女王の恋人フェルゼン公爵の井上芳雄くんであるが、「大人になった貴公子」の印象。これまでで最も大人っぽい役柄であろう。しかもただまっすぐ愛に走るのではなく、成就の希望のもてない不倫の恋であり、愚かな女王を諌める聡明さも持ち合わせ、なおも彼女を愛してやまないという複雑な役どころである。にもかかわらず彼の出番は少なく、よって歌も少ない(泣)。しかし演技の部分では複雑で微妙な心のうちを、たとえば女王の前から姿を消す前、ほんの少し躊躇する後ろ姿など、歌や台詞ではない部分で表現していて、彼の気持ちがこちらにもきちんと伝わってきた。「ああ、もう退場するの。もったいない。もっと歌って」という残念な気持ちの一方で、彼の新しい面、成長を実感できて嬉しかった。

 終演後の戸惑いは、いい意味での不完全燃焼感である。もっと知りたい。マリー・アントワネットやマルグリットのほんとうの気持ちを。もっと考えたい、なぜ人は対立し、争うのかを。

 

 

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