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因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

モナカ興業第9回公演『理解』

2011-01-12 | 舞台

*フジノサツコ作 森新太郎演出 公式サイトはこちら 下北沢OFFOFFシアター 16日まで(1,2,3,4) 
 通いなれたOFFOFFシアター、だいたいの様子がわかっているモナカ興業の舞台・・・のはずだった。しかし新作の『理解』は、年末年始に吹き荒れた大雪のごとく、自分の「慣れ感」を凍りつくほど冷たく打ち砕いた。

 当日リーフレットに物語の概要が簡略に記されている。ある病院の入院病棟が舞台、3人の看護師と入院患者の家族たち4人が登場し、看護師のひとり千葉さんに、家族たちからのクレームや、同僚看護師の不手際のしわ寄せが次々に押し寄せ、追い詰めていく。公演チラシには、「次にやられるのは自分かもしれない。だから、今は観察しよう。できるだけ多くを理解し、できるだけ多くを回避するために」などと、穏やかでないことばが書き連ねられ、何もみえない開演前のステージから、早くも不穏な空気が漂う。

 明るくなると、舞台前面が白く細長い廊下のようになっており、看護師千葉が立っている。上手にやや狭く看護師の控室らしき部屋が作られ、中央から下手には何もない。リーフレットに「入院患者はひとりも登場しない。ただし声のみ聞こえてくる」と書かれているが、それを単純に受けとめると痛い目にあう。初日が明けたばかりなので詳細を書けないが、この「声のみ聞こえてくる」というのが大変な曲者であり、これが今回の舞台を緊張感漲るものにしている。ひとりも登場しない」のに、迫りくる入院患者たち。これはほとんど恐怖に近い。

 重たいこと、やりきれないことを描いても、これまでみたモナカ興業の舞台にはどこか謎めいてとぼけたような味わいが救いを感じさせたが、今回はうっかり笑える箇所はほぼ皆無で、ちょっとした誤解やすれ違い、勘違いが積み重なって、互いの関係が修復不可能になり、ただごとではない事態に陥っていくさまが容赦なく描かれる。

 人は生きていく限り、誰かと関わっていかなければならない。しかしいちばん身近な家族ですら完全な理解者ではなく、それどころか最も神経を苛立たせ、心を傷つけられる存在になり得る。病いを得ると、日ごろはどうにか収まっている棘が剥き出しになり、病院は病む本人のからだだけでなく、関わる家族の心身の痛み、積年の恨みつらみまで露呈させてしまう場所だ。それらに向き合う看護師もまた生身の人間であり、すべてを受け入れることはむずかしい。

 劇作家に心境の変化(そんな軽いものではなさそうだが)があったのだろうか。激しく乱れながら、ギリギリと追い迫りくる劇作家の心をがっちりと受け止め、俳優の演技や舞台美術、照明、音響すべてを冷静に制御して舞台を構築した演出の懐の深さ、強さを感じた。劇作家フジノサツコと演出家の森新太郎。このコンビには互いへの確かな信頼と尊敬があるのだろうと推察する。

 先日観劇したJACROW#14『冬に舞う蚊(モスキート)』は、自分が過去にいた職場の、それも上層部の方々にみてもらいたいと思った。今夜のモナカ興業『理解』は、終演後の重苦しい気分を分かち合える人がいれば多少楽になれるかもしれないが、家族友人知人を気軽に誘うのはためらいがある。むしろたまたまこの日に客席に居合わせた見知らぬ方々と共有した時間と空間をまずはひとりで受け止めようと思う。『理解』とは、何と悲しく絶望的なことばだろう。それでも自分を理解してほしい、相手を理解したいという気持ちを取り戻すには、もう少し時間がかかりそうだ。

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