因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

味わい堂々 隠し味公演『毒見』

2011-04-05 | 舞台

*名嘉友美 作 岸野聡子 演出 公式サイトはこちら 下北沢OFF・OFFシアター 10日まで
 今回は「隠し味公演」と銘打ってあり、公演チラシには、エロス劇団として巷で話題!シンクロ少女×ブラひもすら見せません!味わい堂々 と控えめにアピールしてある。シンクロ少女は昨秋に名嘉友美作・演出・出演の『性的敗北』をみているが、味わい堂々は「隠し味」のこれがはじめてである。

 9人の登場人物は中学や高校がいっしょだったり、同じ地域で育ったもの同士のようである。みんな友だちらしいが、そのなかで男女がくっついたり離れたり浮気したりされたり何となく関係をもってしまったりのはっきりしないつき合いが続いている。ひとりひとり性格の違いはあるにせよ、精神的に幼稚で、失礼ながらあまり頭のよくなさげなところは似たりよったりだ。
 殺人罪で服役していたナオミ(渡部ラム/チェリーブロッサムハイスクール)が出所したところから、彼らのだらだらした緩い関係が、さらにやっかいなものになっていく。

  3つのスペースでそれぞれ男女ひと組ずつの会話が同時進行する手法は『性的敗北』でも使われており、作者の得意技なのであろう。彼らの年齢は30代にはいったあたりと思われる。いくつになっても恋愛を謳歌して一向に構わないし、結婚という社会的制度に縛られる必要もない。しかし彼らをみていると、一心にひとりの相手に向かうひたむきなところがなく、自分の気持ちは好き放題に言い散らしても相手に配慮せず、その場その場の気持ちに流されるのを繰り返すばかりだ。いったいほかにすることはないのかとだんだん腹立たしくなる。

  「あたしたち、友達だから」この台詞が女どうしで交わされるときと、男女のあいだで交わされるのは意味が大きく違う。前者には「友達なんだから何でも理解して受け入れてくれるはず」という甘えやあつかましさがあり、後者には「恋人ではない、ただの友達」と一見きっぱりしているようで、「たまにはいいでしょ」とずるずるの関係に陥る割り切れなさがあり、みていてどちらもあまり気持ちのよいものではない。
 彼らのなかでナオミは異質な存在だ。いつどんな罪を犯したのかは明かされないが、おそらく10代から20代のほとんどを刑務所で過ごし、恋愛や仕事や社会で人と交わる体験なしに30代になって突然おもてに出てきたのだ。出所して友達と会うたびに、皆が嫌々ながらナオミに5000円カンパさせられたり、仲間のひとりをナオミとつきあわせてみたり、前述のように彼らの関係はやっかいなものになっていくものの、そこから劇的な何かが動き出すわけではなく、「うじゃらうじゃらしている」ような印象である。

 タイトルの「毒見」の「毒」をナオミとしてみよう。友達と称する彼らはゲームのようにナオミに男をあてがったり、友達としてふるまったかと思えば「人殺し」とはねつけたり、「毒見」というよりはおもしろ半分の「味見」である。いや「毒」はむしろナオミ以外の彼らであり、刑務所という特殊な環境において、ある意味で無菌状態の青春時代を過ごしたナオミが、世間の毒をひとつ、またひとつと「毒見」しながら自らが毒となって周囲の関係を次第に壊していくことが、作者の描きたいことだったのだろうか。
 エロスが大きく出るシンクロ少女とは対極にある(という触れ込みである。自分は味わい堂々の本公演をみたことがないので、それはまだわからない)味わい堂々がぶつかりあってまじりあう様相、「隠し味」のおもしろさをもっと味わいたかったのだが。

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