*公式サイトはこちら 浅草公会堂 26日まで
何とか戦隊の何とかレンジャーのような公演ポスターはじめ、公演パンフレットも写真がふんだんに使われて、アイドルグループのイベントの趣だ。また毎年恒例、開幕前のお年玉挨拶は、これまでは出演者ひとりずつ行っていたものを、今年はふたりひと組になった。観劇日は中村米吉と中村歌昇だ。いかにも歌舞伎の口上のように古めかしく挨拶するのは最初と最後だけで、あとはマイクを使い、ミニトークショー風に。公会堂楽屋口近くのお菓子屋のおばさんに励まされ、ご主人からはお菓子をいただいたという米吉が、おばさんの口調をリアルに再現したりなど、サービス精神たっぷりでお客さんも喜んでいる。ふたりとも堂々としているなあ。
みな梨園の御曹司とはいえ、今回座頭的存在の尾上松也はすでに父親の松助を亡くしており、中村児太郎は、父親の福助が病のために中村歌右衛門襲名も、自身の福助襲名もいつになるのかわからない。坂東巳之助も父・三津五郎が病気療養で休演している。どれだけ心細く、不安なことだろうか。しかしみな明るく元気に舞台をつとめているのはまことに喜ばしく、「がんばれ」と応援せずにはいられない。そんな清々しさが新春浅草歌舞伎のいちばんの魅力であり、お正月の心持ちをいっそう晴れやかにしてくれる。
第一部の1本めは、『仮名手本忠臣蔵』五段目、六段目である。この段の主人公早野勘平(松也)は、主君一大事のおりに腰元のおかる(児太郎)と逢引していた。悔やんで切腹しようとしたが、おかるに止められて彼女の実家である山崎に身をひそめる。五段目の山崎街道鉄砲渡しの場では、巳之助の斧定九郎が凄みと色気をみせ、たったひと言の台詞「五十両」を不気味に響かせる。
お年玉挨拶のおふたりも話していたが、この段における勘平の悲劇は、客席が真相をすべて知っていて進行する。なので「真犯人は誰か」というサスペンスのぞくぞく感ではなく、「ほんとうは〇◎なのに」とじれったい思いをしながら、それでも舞台に惹きつけられるかが見どころである。
舅を殺してしまったというのは思いちがいであるが、それが舅とわからなかったとはいえ、亡骸から金を盗み取ったことに勘平の後ろめたさがある。さらに「色に耽ったばっかりに大事の場所に居り合わさず」の過去が勘平の運命を徹底的についてない、残念なものにしてしまった。あと少しコミュニケーションがうまく行っていれば、ちゃんと事情を説明し、姑も納得してくれるはずなのに、彼はとことんついていない。ここまで姑になじられることもなく、腹を切ることはなかったのに。
しかし勘平のこの痛恨の場があってこそ、つづく七段目の一力茶屋の場の華やぎに救われ、おかると兄平右衛門のやりとりを楽しむことができるのだ。それもおかるが勘平の切腹を知らされて一転愁嘆場となり、五段目の勘平の壮絶な最期が蘇ってこちらの胸も痛むのである。
休憩の後は舞踊劇『猩々』と『俄獅子』で締めくくる。とくに『俄獅子』では、粋でいなせな松也の鳶頭を中心に、同じく鳶頭の巳之助、歌昇、あでやかな芸者すがたの児太郎と米吉が舞台に勢ぞろいし、晴れやかで浮き立つようであった。狂言がひとつに舞踊劇ふたつでは若干もの足りないが、「もっとみていたいなあ」という気分で小屋をあとにするのもいいものだ。
今年大幅に世代交代した新春浅草歌舞伎。千秋楽まで、みんながんばれ!
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