因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

新劇交流プロジェクト公演『その人を知らず』

2017-06-29 | 舞台

*三好十郎作 鵜山仁演出 公式サイトはこちら あうるすぽっと 7月10日まで 
 2008年12月、翌年から三好十郎作品の著作権保護期間が終了するというときに、多田淳之介演出による東京デスロック公演の舞台をみた。さまざまに斬新な趣向が凝らされた舞台であったが、演出の意図を受けとめきれず、かと言って「本作がいわゆる新劇系の劇団のきっちりリアリズムの手法で作られていたら、それはそれで辛いところがあるだろう」と記している。それから10年近く経た2017年の6月、日本の新劇系の5つの劇団文学座、文化座、民藝、青年座、東演が結集し、まさに新劇の底力を示す舞台を作り上げたのである。途中15分の休憩を挟んで3時間30分。辛くはなかった。長い芝居は作り手と受け手それぞれの立場で楽なものではない。しかしこの作品にはそれだけの時間が必要であり、作り手が思いの丈を精いっぱい注ぎ込んだものを、客席もしかと受け止めようとした。長時間の観劇をためらっておられる方もあると思う。だいじょうぶです。

 天井には2本の巨大な柱が交差した形に置かれている。歪んだ十字架のようにも見え、地上の人々を威圧するものの象徴だろうか。中央は牢獄や取調室、教会や主人公の家など、場面に応じてさまざまに変わる。その周囲には空襲による瓦礫がそのまま放置されており、戦争によるこの世、人の心の荒廃したさまを示す。

 太平洋戦争末期、キリスト者である主人公の片倉友吉(木野雄大/東演)はキリストの「汝殺すなかれ。おのれの如く隣人を愛せよ」の教えを愚直なまでに守ろうと召集を拒んだために憲兵に捉えられ、拷問を受ける。災いは友吉本人にとどまらず、両親や弟、妹もまた周囲から迫害を受け、生活は困窮する。友吉に洗礼を授けた人見牧師(大家仁志/青年座)でさえ、頑なとも言える彼の純朴な信仰心に、逆に傷つく。敗戦後、かつて友吉を追い立てた職場の人々は労働者運動に明け暮れ、友吉を英雄として称える。

 気高い人格者が、何があっても志を通すすがたはわたしたちを勇気づけ、励ます。しかしあまりに疲弊しているとき、こういう人の存在やふるまいは、ときにこちらを傷つける。立派過ぎてついていけない。自分があまりに情けない人間に思われてやりきれなくなることは、誰しも覚えがある感情であろう。どんなに痛めつけられ、嘲笑されようと友吉は戦争に加わることを拒む。そのために家族が犠牲になることに苦しみながら、それでも弱々しく、子どものように「戦争はいけないことです」「お互い話し合って、許しあって」とつぶやき続けるすがたを見ると、称賛よりも苛立ちや嫌悪に近い気持ちすら湧いてくる。

 友吉との面会を終えた人見牧師が、妹の治子(森田咲子/民藝)に心情を吐露する場面は痛ましい。本来なら道に迷う人を導き、どんなときにも神の愛は揺るぎないと励ます立場の牧師が自信をなくし、打ちひしがれているのだ。「キリストに出会わなかったら、ユダは善人でいられたかもしれない」(台詞は記憶によるもの)という人見のつぶやきは、信仰を揺るがすのは無信仰の敵ではなく、さらに強い信仰であることの矛盾を言い当てている。

 題名の「その人を知らず」とは、イエスの仲間と疑われた使徒のペトロが「そんな人は知らない」と3度にわたって否認するときの台詞である。イエスは逮捕される前に「あなたは鶏が鳴く前に、3度わたしを知らないと言うであろう」と予言しており、それを思いだしたペトロは外へ出て激しく泣く。新約聖書のハイライトシーンである。友吉は「その人のことは知らない」と最後まで言わなかったのであり、たとえ遠藤周作の小説『沈黙』の時代にあっても踏絵を踏まないキリシタンなのだろうと想像する。

 戦後もなお困窮する暮らしのなかで、友吉は夜の街の与太者たちといっしょくたに私服刑事に連行されそうになる。牢獄にいた時分に友吉を「エスさん」と呼んで親しく接し、戦後も何かと世話を焼くスリの貴島(山本龍二/青年座)は「そんな人知らねえ」と友吉を逃がそうとする。しかし嘘のつけない友吉は「(貴島を)知っています」と言って、いっしょに逮捕されるのである。

 ペトロの否認は、おのれを守るためであった。貴島の否認は友吉とその家族を守ろうとしたためであり、エゴではない。なのに友吉はその好意を無にしてしまう。それはある意味でエゴではないのか。

 この澄んだ目をした弱々しい青年に、登場人物だけでなく、観客もまた振り回され、単純に「純粋な人だ」と称え、こういう人こそ愛したいという気持ちと、「とんでもないやつだ」と嫌悪し、そのような自分に嫌気がさすという矛盾に悩まされるのだ。こうした感情の右往左往や、自分の心の奥底を覗きこまざるを得ないところへ追い込むのが『その人を知らず』のもつ力である。しかしそれは見る者を悩ませるためではない。この作品と出会い、ともに呼吸する3時間30分は、自分にとって大切で、必要な時間であった。友吉を愛せるかどうかは答が出ないが、わたしは今夜見たこの舞台を愛する。

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