*青木豪作 坂口芳貞演出 信濃町 文学座アトリエ
日常生活の裏側を切り取ったかのような、青木豪の新作書き下ろし。
東京の私立高校の修学旅行の最後の夜、東北の鄙びた旅館のロビーを行き来する教師たちの物語。
この物語の重要なモチーフはエスペラント語と将棋である。
エスペラント語は世界中の人々が等しく話せることを夢見て作られた国際共通語である。人間が意志の疎通を充分にできないのは、話す言葉が違うことだけが理由ではない。同じ言葉を使っていても誤解やすれ違いがあり、悲しい思いもするし、場合によっては取り返しのつかないことも起こりうる。
もしかすると将棋は人生の縮図かもしれない。始まりがあり、終わりがある。教師たちはひまつぶしに将棋をさす。指し方にはその人の性格が色濃く反映されるし、向かい合って対局するのは、ときに言葉による会話以上のコミュニケーションになる。得意な人はどんどん先が読めるそうだが、それでも勝負はわからないし、「待った」もできるし、駒をもとの状態に戻して勝負をやり直すこともできる。しかし人生はそうはいかない。
一生懸命話しても伝わらない気持ち、やりなおしのできない人生。
エスペラント語と将棋が、この舞台を導いていく。
登場人物とエピソードがやや盛り込まれ過ぎの印象があるが、幅広い年齢層の観客がともにこの舞台をみたことが何やら嬉しい。
日常生活の裏側を切り取ったかのような、青木豪の新作書き下ろし。
東京の私立高校の修学旅行の最後の夜、東北の鄙びた旅館のロビーを行き来する教師たちの物語。
この物語の重要なモチーフはエスペラント語と将棋である。
エスペラント語は世界中の人々が等しく話せることを夢見て作られた国際共通語である。人間が意志の疎通を充分にできないのは、話す言葉が違うことだけが理由ではない。同じ言葉を使っていても誤解やすれ違いがあり、悲しい思いもするし、場合によっては取り返しのつかないことも起こりうる。
もしかすると将棋は人生の縮図かもしれない。始まりがあり、終わりがある。教師たちはひまつぶしに将棋をさす。指し方にはその人の性格が色濃く反映されるし、向かい合って対局するのは、ときに言葉による会話以上のコミュニケーションになる。得意な人はどんどん先が読めるそうだが、それでも勝負はわからないし、「待った」もできるし、駒をもとの状態に戻して勝負をやり直すこともできる。しかし人生はそうはいかない。
一生懸命話しても伝わらない気持ち、やりなおしのできない人生。
エスペラント語と将棋が、この舞台を導いていく。
登場人物とエピソードがやや盛り込まれ過ぎの印象があるが、幅広い年齢層の観客がともにこの舞台をみたことが何やら嬉しい。
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