因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

久保田万太郎の世界 第四回

2006-08-05 | 舞台
*文学座有志による自主企画公演  
   サイスタジオコモネ Aスタジオ
 久保田万太郎作
 鵜澤秀行演出『あぶらでり』 
 黒木仁演出『片絲』
 1本めの『あぶらでり』。長男の新盆を迎えた家で、長男の母親(藤堂陽子)と弟の民治(鈴木弘秋)、後家となった妻おみつ(山本郁子)と幼い息子が暮らす。周囲は民治とおみつを一緒にしようと心を砕く。互いに憎からず思っているのはわかるし、息子は叔父である民治によくなついている。ことによると亡くなった長男とよりも幸せになれるのではないか。しかしおみつは頑に拒絶する。息子が熱を出し、医者だ氷だとわさわさするうち、息子が飼っていた松虫が死んでいることがわかる。あの家族はこれからどうなるのか、死んだ松虫は何を暗示しているのか。

 2本めの『片絲』。相場師の丈吉(中村彰男)、おいよ(石井麗子)のうちには、丈吉の妹のおくみ(上田桃子)が預けられている。丈吉の父親(川辺久造)が丈吉の弟徳次(鈴木弘秋)を連れて訪ねてきて、深刻な相談事をしたあと、おくみを連れてうちへ帰る。気まずい雰囲気で夕餉を取る夫婦。雨音が聞こえたと思ったが、空耳だったらしい。丈吉は「降らないでよかった。あれで雨に降られては(父親たちが)可哀想だ」とつぶやく。
 
 2本とも思わず「こ、これでほんとうに終わりなの?!」と困惑した。小説ならば、台詞に出てこない登場人物の心情を詳細に描くことができる。映像なら過去の出来事を挟み込んだりして、状況を示すことができる。しかし舞台の場合、目の前で起こっていることだけで理解しなければならない。そもそもなぜこの話を舞台で描こうとしたのか、どんなことを観客に伝えようとしたのか、考えてもわからないのである。しかしわたしは久保田万太郎作品に心惹かれる。理解しよう、読みとろうというがつがつした気持ちから解放されて、舞台で示されたままを静かに受け取ることを教わっているように思う。

 終演は午後4時過ぎ。体力も時間もまだ余裕がある。これからもう1本芝居でも映画でも大丈夫だ。けれど思い直してそのまま家路に着いた。万太郎をみた日は万太郎だけにしておこう。せめて今日一晩くらいはほかのことは置いて、『あぶらでり』のおみつや民治、『片絲』の丈吉やおいよの、あの人たちの気持ちを考えてあげたい。あまりたくさんのことを話さない人たちの、心の奥底の声に耳を傾けたい。

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