私のイメージめも

対人コミュニケーションアドバイザーの聖子です。日頃、感じた事をめもしています。よろしくお願いします(^_-)-☆

大粒の涙

2016年08月10日 | 日記
大粒の涙がこぼれるのを必死でこらえながら、その人は言いました。

「あなたは、勇気を持って戦って来たから、この権利を勝ち取ったんだと思います」
「私は、もっと頑張らなくてはいけない」


この様な事を人に言われる事は、あまりない事だと思いました。

(確かに私は、ある人の言葉に感銘を受け、その言葉を自分なりに解釈して前に向かって行こう!)

と心に決め、歩いて来ました。
でも、それは、単純に自分の気持ちに従ったに過ぎません。
争い事や揉め事が苦手な私ですが今よりも、もっと良くなる事を心から望む事があれば声をあげます。

(そうね。ただ、それだけね)
(損得勘定や義理人情は、一つもなかったね)


でもね、こうゆう時って正直言うと結構、孤独なんですよね。

(こんな事を言ったら、どう思われるだろう)
(キツイ人だと思われやしないだろうか・・・)
(生意気な奴だな)


とエゴに全身を支配されかけちゃうし。。。。

エゴと闘った方が楽なのか、誰かと闘った方が楽なのか・・・。

自分がどうしたらいいかわからなくなる時は、決まってエゴが優位になっていました。
エゴが優位に立った時は、

”我慢””犠牲””空虚感”などが大きな波となって押し寄せてきます。

エゴにウンザリした後、次に自分の気持ちを優先させると、

”孤独””孤独”””孤独”・・・・・。

と私の場合は、なりますが今までに何度もチャレンジして得た答えは、

”どちらを選択しても結局、楽ではない”

って事です。笑
何かを変えようと思ったり、新しい事を始める時は、多少の痛みや疲労、我慢や孤独は、ある程度ついてくるって事なのでしょうね。

「あと、1年我慢するしかないのかもしれない」
「チャンスがあれば、私もあなたの様に勇気を持って戦いたい。。。」


その人がそう言った瞬間、大粒の涙が頬を伝っていました。
その様子を見た時、本来なら優しい言葉をかけるべきなのかもしれません。

(チャンスは、きっとくると思うよ)
(今までの我慢が報われる時がきっと訪れる)
(いつも応援しているよ)


と。
しかし、私には、それが出ませんでした。
その人の苦しい胸の内が伝わった時、思わず、

「今まで散々、我慢してきたんじゃないの?」
「それなのにまだ、この先、1年待つの?」
「待ってるだけじゃチャンスは来ない」
「もし、来たとしても逃すに決まってる」
「変化させたいのなら、まず自分から先に変わらなきゃ!」


と、言っていました。
どうしてこんな事を言ってしまったのでしょう・・・・・。
それは、孤独と向き合い続けていた時間から、私を解き放ってくれたその人に

(もう、待つ必要はない)
(今までの分を取り返す時が来た)
(だから、堂々と自分の気持ちを表現して欲しい)


との思いからでした。

直感的にこの時は、優しい言い方では伝わらないと思いました。
だから、敢えて大袈裟に表現したのだと思います。

結局、私の思いがどこまで伝わったかは、わかりませんがその人は、うっすらと笑いながら静かにうなずいてくれていました。

(あなたが流した大粒の涙は、いつかきっと、喜びの涙に変わる日がくるよ)
(これからも、一緒に頑張って行きましょう)
(私達は、仲間ですからね)


(フレーフレー、そーのーひと~)
((フレ、フレ、そのひとぉー))
((フレ、フレ、そのひとぉー))


(その言い方、ちょっと変ですから!)