優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

連休は、アウトリート的な日々を送ってます

2012年05月04日 | Weblog
 連休中は、いろいろ大変だったりする。
 学校へ行ったり、通所施設に通ってる障がいのある子たちは、この長い休みの間、行き場所や居場所を失くすことになったりする。なので一緒に動いてくれる人がいるのなら、1回でも「遊べる機会」や「何かをする機会」を設けるように、ちょっとだけ日程調整をする。うまい具合にプログラムを組めれば、本人にとっても意義があり、家族にとっても一息つける時間を作れることになる・・・まぁ、些細なことだけど、些細ながらも「できること」があれば、そこに当たる。

 時々、修羅場のようなものも目にする。
 例えば、親と子が大喧嘩しており、それが暴力的な行動として表れていたとする。しかし、「これは虐待なのか」というと、どう考えても虐待とは思えない・・・それじゃ判断がダメなのかもしれないが、家庭の中では、現段階では、一段落して収まるための唯一の手段がそれだとしたら、そのことを否と言うことはできない。手段や方法は、きっとあるのだろうが、いま目の前の困難をクリアするために、できることを考え、ちょっとだけ動く。本当なら問題解決に繋がるようにできればいいのだが、そこまで力が及ばないし、時間が足りない。
 このGWで目にしたものは、そういう一コマだった。

 「どっちが良いか悪いか」などという短絡的なものでは判断することができないような壮絶な場に立ち会う時、「我々にできることは何か」を自問自答するが、どうにも次の一手を見つけることができずに撃沈せざるをえないようなことも多い。
 でも、そういう場は、言うまでもなく目にした人は壮絶だと思うものの、それが毎日のように続いている本人たちにとって、あるいはそこに日常的に関わっている人たちにとっては、「あえて対応するほどのことではない」一場面になっているかもしれず、かといってそんな状況が常態化してるのが良いわけでもなく・・・というループ状態になっていたりする。
 できることは、いつも限られている。世界はスーパーマンの神の手で一変することはない。そんな幻想を抱く暇があれば、一回の機会を如何に設け、如何にその機会を有意義なものにするのかに尽力すべきなのだ。

 その場に来れなかった人の姿も含め、少しでも多くのアクションを起こせればいいなと思う。失敗しても、途中でダメになっても、難しいことが起こったとしても、いろんなことが起こるからこその人生であるのだから。

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