優厳 × 赤鬼通信

社会参加活動の支援を目指す「なんちゃって社会貢献チーム」の、「優しく厳しい遊び場づくり」の迷走過程を記して行きます。

その後・・・

2016年04月09日 | Weblog
 最近、気に入ってるもの。
 笹川美和の歌声。これは最近ってわけじゃなく、夜の車の中で延々と流れている。
 女優の松岡茉優。「そこはNTTでしょう、社長」のCM以外、すべてが素晴らしい(笑) というか、それ以外に外れがない仕事ぶりは尋常じゃないとしか言いようがない。
 吉田鋼太郎のドラマ、『東京センチメンタル』。コメントの必要が無いくらいの好いドラマ。


 さて、裁判に証人として出廷して、おおよそ10日が経つ。言いたいことは山ほどあるのだが、言えないことも山のくらいあるので・・・
 でも、どうしても気になることが幾つか。日本の裁判というか、犯罪をどのように裁くのか、ということに拠るのだと思うんだけど、「事実」を積み上げて犯罪を捉えることによって導き出されるものは、真実からは案外離れたものになってしまうこともあり得るんだということを、裁判官、検事、そして弁護士の3者の中で、どれくらい共通理解があるのだろうか? 正直、甚だ疑問を感じてしまう。確かに「証拠」を積み上げた先に事実があり、起こされた犯罪があるのだが、犯罪を事実として捉えただけでは、その背景や環境が、本当に明確には浮かび上がって来ない。いや、捜査はちゃんとされてるんだろうけど、それがどれほどの「事実」であるかを示すことができたとしても、果たして「真実」であるかを示しているかは分からないのではないか・・・という気持ちになったのだった。事実と真実は、似て非なるものである。
 その境目に自分が立っている。でも、自分が求められている証言は「事実」を告げることであって、「真実」を説明してくれとは言われていない。いや、証言の中で幾許かの意思表示を行ったものの、それは「その程度」のものでしかない。自分が言いたいこと(つまり、「特に伝えたいと思うこと」)は、裁判上では「言う必要のないもの」であり、必要とされる事実についての言葉は、事実には違いないのだけれど、全然真実味を帯びていない。
 分かっている。裁判官も検事も、おそらく被告の弁護士も、彼が有罪であることは証拠が証明している。でも、彼が否認しているから起訴され、裁判になり、証人尋問がなされるような事態になっているのだ。
 しかし、事件が起こった背景や環境要因は、その事件の判決と一切関係ないまま、存続する。事件は一過性のものでしかないが、その環境要因は脈々と続いているものだとしたら、いずれ同じようなことが起きないとも限らないので、関係する全ての人が何らかの変化が必要だと思うのだけれど、それが必ずしもそうではなかったりする・・・
 ホント、正直笑えないことばかりだ。


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