烏有亭日乗

烏の塒に帰るを眺めつつ気ままに綴る読書日記

哲学、脳を揺さぶる

2007-02-27 11:05:31 | 本:哲学

 『哲学、脳を揺さぶる』(河本英夫著、日経BP社刊)を読む。
 オートポイエーシスについて学際的に研究している著者の哲学入門といった本であるが、通常の哲学入門とは異なり、使う脳の領域が違うという印象を受ける。「読む」という経験よりは、題名どおり「脳が揺さぶられ」、ウォーミングアップをしながら体操をするような感覚に陥る。脳の凝りがほぐされる感じに近い。
 面白かったのは、Exercise 8すなわち第8章の注意を向けるということと分かるということの違いを述べた部分で、暗闇の経験から始まる。

 真っ暗闇のなかで足先に何かがあると感じられることがある。このなにかがあるという場面は、既に現実の「個体化」が起きているが、その個体がなんであるかはまったくわかっていない。しかし、これは現実だと感じられるものは、既に個体化している。この個体の内容がなんであるかは決まっていないし、個体といっても個物のようなまとまりである必要はない。この現実、このものという特定さえできていればよい。そうした経験の局面がある。

 知覚と注意の違いとして、「知覚は見るべきものが既に決まっている」のに対して、「注意は、見るということが出現する働きであり、見るという行為が起動する場面を指定している」。見方を教わった上で、既に分かっているものを見て、分析するというのは、「焦点的意識」であり、「注目すること」である。これは学校教育で教わる。黒板に書かれたものを教わったとおりによく注意してみれば、教わったことは「見える」ようになる。しかし自力で何かを見出すためには、この知覚(焦点的意識)ではなく、「注意が向く」かどうかが重要であると著者は言う。
 ここからこの注意を向ける達人として寺田寅彦が登場し、彼が俳句とスケッチで日常の中に注意を向けており、そこに彼の天性の素質が光っていることを著者は指摘する。身近な動物である猫について書かれた文章を引用して、谷崎潤一郎、内田百?、寺田寅彦の文章を比較し、彼の文章が猫という個体にいかに注意を向けているのかを示している。
 俳句については、漱石の「落ちざまに虻を伏せたる椿かな」という句について寅彦が書いた解釈(「思い出草」)が取り上げられている。これは俳句に限ったことではないだろうが、著者が言うには現象を捉えて、理解へと進むところが難しいらしい。すなわち「注意から理解へと進むさいに、筋の良し悪しが出てくる」というのだ。

 理解は、どこかに理由付けを含む。その場かぎりの偶然を指摘するような場合には、ある種の物語を形成し、「逃げ遅れたドンくさい虻」の物語ができ上がる。エピソードをつくり上げて前後関係を指定し、それによって物事や出来事の意味を確定する。起きている現実が、1回かぎりの2度と起きないようなものであれば、物語で語るよりない。これに対して、物理学の発想は、他にも応用可能な問いの一事例として事象を捉えることである。理解は、問いからでてくるが、物語はむしろ問いを停止させる。それに対して、自然科学的な理解は、問いをさらに開くように条件を設定する。

 ここでは物語による理解と自然科学的な理解ということで対比されているが、物語がすべて問いに対して閉じるように作用するわけではないだろう。むしろ問いに対して開かれた部分のある物語ほど豊かな内容をもつ物語だといえるだろう。俳句や詩、小説など現象の切り取り方や説明の仕方はさまざまだが、卓抜な作品は常に新しい解釈を許容する能力を備えている。
 ある対象を与えられたものという枠組みの中で解釈するのではなく、対象を生み出す形で理解することが創造的に生きるためには必要なのだ。


時間の民族史

2007-02-25 16:23:38 | 本:歴史

 『時間の民族史 教会改革とノルマン征服の神学』(瀬戸一夫著、勁草書房刊)を読む。
 ヨーロッパ中世の封建時代におけるローマ教会とノルマン王権の主導権争いに注目して、国家という幻想的運命共同体がいかに形成されていったか。そしてその形成においてキリスト教的時間概念がどのように関わっていたかを考究した本である。
 11世紀教皇グレゴリウス七世による「グレゴリウス改革」と呼ばれる教会改革のシモニア(聖職売買)とニコライスム(聖職者妻帯・蓄妾)に対する糾弾の背景には、教権による中央集権的支配を構想があった。ヘブライ・キリスト教的思想にある「約束の地」へ向かうという構図には、一方に外的時間を超越した「到達できない」神があり、もう一方にはそれを目指す自分たちの民族がいる。両者を結びつける存在として預言者がいる。預言者は、「外的時間をつうじて継おき、続する民族の歴史を、宗教的な意味に満たされた内的時間へと回収する」。過去から現在に至る出来事の連鎖としての時間(クロノジカルな外的時間の継続)と、その外的な時間を突然打破する「そのつどの現在」、神の啓示としての時の緊張関係の上になりたつ時間観念は、われわれにはない故に理解の難しい時間感覚である。両者が全面的に宥和うする「永遠の現在」となるとき、民族の固有の歴史はその中に回収されるがゆえに固有な時であるとともに、それを超えた時でもある。それを導いていくものが牧人である聖職者というわけである。
 かつて「約束の地」を目指して空間的に移動していた牧畜民は、定住農耕民へと転身した。このときその農業社会は、「約束の地」を空間の果てではなく時間の彼方、「来世に約束された天上のイェルサレム」として表象するようになった。

遊牧に代わる農業の時間的な旅は、シャルルマーニュの戴冠を大きなターニングポイントとして、司牧者と牧羊犬との明確な職務分担と協働による、群れ(=民衆!)全体の新たな統治態勢を緒につかせた。それは教会の「国家化 Einstaatung」がイデオロギー的に完成された、歴史上最大規模の結節点であったといってよい。聖職者と俗人権力者による支配機構の二元性はこのように、遊牧集団の農業社会版として成立したのである。

こうした歴史的背景からくる価値観による教会改革は、したがって通常の倫理的道徳的糾弾というよりは、ヘブライ的統治モデルに基づいたものであったという。

 こうした中イギリスではノルマン征服の後、当初はローマの改革教皇座と歩調を合わせつつ王国統治の基盤整備を進めた。この中心的役割を果たしたのがカンタベリー大司教のランフランクスという人物であったが、彼は改革の原則を保持しつつ(すなわち来世を保証するという権能についてはローマ教会と結びつきつつ)、イングランドへの干渉を排除して一つの「運命共同体=民族」を形成していったのである。
 この部分についてのランフランクスの論法は現在の私たちからするとはなはだ理解が困難なところである。現在の論理的矛盾を、救済される未来というものに依拠して止揚する。
 聖職位という「永遠の権威に留まる」ものは、世俗的な王権では裁くことができないが、「聖職位から切断された時間的(世俗的)な諸権利がなければ、ローマ教会を頂点として営まれる永遠の聖務に一瞬たりとも従事できない」。この論理を巧みに利用してランフランクスはイングランド<王国=教会>を確乎なものとしていく。

ノルマン征服により歴史のなかに忽然と登場したイングランドの新態勢は、人種の単一性にもとづくのでもなければ、血縁や地縁による人的な結びつきによるのでもなく、また文化や歴史の共通性、さらには単純な意味でも宗教的一体性にもとづくのでもない、ある特異な共同体へと転生して、すなわち救済を約束された「民族」へと転生して、地上における現世的=時間的な「国家」をかたどることになった。

 信仰の問題として考えるとなかなか理解するのが難しいのだが、著者も述べているように未来の時間を拘束するものとして、現代の我々が負っている経済的負債とその返済、その経済システムを支えているものとしての国家という枠組みでとらえてみれば、ぐっと身近に感じることができる。
 教会史も中世史にも疎い私としては、もう少しよく理解するためには読み直してみなければならない本であった。

 


おもちゃの国

2007-02-21 00:05:25 | 本:哲学

 『幼児期と歴史』所収の論文「おもちゃの国」を読む。クロード・レヴィ=ストロースの古希に敬意を表して献じられている論文で、冒頭に『ピノッキオの冒険』の「おもちゃの国」を描写した文章から話は始まる。要するにおもちゃの国は、混乱のきわみであり、そこでは暦が麻痺し、破壊されている。ここで暦というものを確定するものとして儀礼があるという話からレヴィ=ストロースの「儀礼は暦の諸階梯を確定し、場所は旅の諸階梯を確定する」という引用がされている。時間の流れに刻みをいれる暦を固定し構造化するものとして儀礼があり、その対極に遊戯があるというわけだ。儀礼の背後には神話があるわけだから、儀礼と対立する遊戯というものは、それを否定するというよりも形式だけを残し、内容を無化するものであるといった方がより正確である。
 『野生の思考』の中には、アメリカン・インディアンのフォックス族の養子縁組儀礼を論じたところに、儀礼と遊戯の関係を論じた一節があり、それによると「儀礼は出来事を構造に変形するのにたいして、遊戯は構造を出来事に変形する」という。だから、

儀礼の任務は神話的過去と現在とを隔てている間隔を廃棄し、すべての出来事を共時的構造のなかに再吸収することによって、神話的過去と現在のあいだの矛盾を解消することであるということができる。これにたいして、遊戯のほうは、対照的で正反対の操作を提供する。それは過去と現在のあいだのつながりを裁ち切り、構造をまるごと出来事に粉砕してしまおうとするのだ。

しかしこの遂行は完成することがない、すなわち純粋な儀礼もなければ純粋な遊戯というものはない。純粋な通時態、純粋な共時態が存在しないように、純粋な遊戯、純粋な儀礼はないのである。この二つの態のあいだの「ずれ」が歴史、人間的時間なのだというのがアガンベンの見方である。ここで著者は図式的な理解として互いに直行する二つの軸の一方を共時態、他方を通時態とし、両軸に漸近する双曲線として表現している(本には放物線と訳されているが、文章の意味からすれば双曲線だろう。図では両軸に漸近する形になっていないのが不正確で瑣末なことながら気になる)。
 ここでレヴィ=ストロースの「熱い社会」と「冷たい社会」が引用され、前者は遊戯の領域が儀礼の領域を犠牲にして拡大していこうとする社会であり、後者はその逆であるという解釈がなされる。先の双曲線をy=xの直線で区切った際に一方が冷たい社会、他方が熱い社会になる。二つの様態へ相互に変形する操作functionが儀礼と遊戯というわけだ。そしてこの操作は完遂されることなく必ず残余を遺す。
 ここから葬送儀礼に話は移る。死者を「葬る」という儀式は、「亡霊」としての死者を完全に葬ること、すなわち通時態と共時態が混在する現世から共時態の領域へと置き固定化することである。この固定化がうまくなされないときに私たちの世界に亡霊は起ち顕れるのである。ラカンでいえば現実界の象徴化が失敗したときに亡霊が顕れる。この固定化がきちんとされたときに亡霊は祖先となる。これと反対の誕生という出来事、幼児という死んでいる生者、半分生きている者を生み出す出来事も亡霊同様不安定な指示記号であり、中和されなければならない。

 亡霊と幼児は、いずれもが通時態の指示記号にも共時態の指示記号にも属しておらず、社会システムの可能性を構成している二つの世界の指示記号のあいだに存在する対立そのものを指示した記号として出現する。すなわち、それらは、それがなくては人間的な時間も歴史も存在しないだろう、当の指示記号的機能そのものを指示する記号なのだ。

 ここでアガンベンは重要な点を指摘している。

 ある文化があまりにも自分の過去の指示記号に取り憑かれすぎていて、それらを埋葬するよりはむしろ、それらを「ファンタスマ」として際限なく維持しながら祓い清めをおこなうのは、また、現在の不安定な指示記号を極端に怖れていて、それらのうちに無秩序と転覆の担い手しか見いだすことができないでいるのは、健康の徴候ではないからである。

 わが国でいえば、靖国の英霊(すなわち亡霊)を巡る議論はまさにこの二つの態度を表したものではないかと思うからである。


幼児期と歴史

2007-02-20 07:07:16 | 本:哲学

 『幼児期と歴史』(ジョルジョ・アガンベン著、上村忠男訳、岩波書店刊)を読む。
 人間はどうして歴史を必然的にもつ存在であるのかという問いは、さまざまに答えることが可能であろう。言葉を操る存在であるからというのはそれに対するひとつの解答である。言葉を使うことにより私たちは(たとえそれが存在しないとしても-これはデリダが好んで指摘したことであるが-)起源を語ることができ、過去・現在・未来を語ることができる。アンガンベンはこれに対して、言語をもつこととともに言語活動をもたない状態(題名にある「幼児期infanzia」)があること、そしてこの二つの層の不連続性(断-層)による差異を産み出す活動(軋み)こそが歴史を産み出すものであると指摘する。これはラングとパロール差異、すなわち記号の体系と言述との分裂といってもよい。人間というものが、言語という記号にその基礎が置かれるのでもなく、反対に言語以前の意識の流れというものに求められるものでもないこと、まさに二つの「あいだ」、「閾」に顕れるものであるということである。
 その意味で、題名にある「幼児期」というのは、少々不適切な訳語である(ここはきちんと訳者あとがきと解説のところでも断りがされている。インファンティアとそのまま題名にしたのではあまりにも分かりにくいという当然の配慮からであろう。アガンベン自身がこの言葉を拡張した意味で使用しているので仕方がないが、ここのところは非常に大事なポイントである)。インファンティアをクロノロジー的に言語活動に先行しているようなものと捉えてはいけない。

 この差異、この不連続にこそ、人間存在の歴史性はその基礎を見出すのである。人間のイファンティアが存在するからこそ、言語活動は人間的なものとは同一化されえず、ラングとディスクール、記号論的なものと意味論的なものとのあいだには差異がみられるからこし、このためにこそ歴史は存在するのであり、このためにこそ人間は歴史的存在なのである。

というのが、アガンベンの解答である。
 ラングとパロールの埋めようもない差異という点には、ラカンに通じるところがあるが、アガンベンは、これも無意識の主体エスをひとつの「人称」としてとらえているところからインファンティアとは違うとしてとらえているようだ。
 また、語ることのできないこととして、ウィトゲンシュタインに関連して著者はこう述べる。

 ウィトゲンシュタインが、『論理哲学論考』の最後において、言語活動の「神秘的」限界として立てているものは、言語活動の此岸または彼岸にあっていわゆる「神秘的経験」の霧のなかに位置している心理的現実ではないのであって、言語活動の超越的起源そのものであり、単純に人間のインファンティアそのものなのである。語りえないものとは、現実には、インファンティアなのだ。経験とは、あらゆる人間がインファンティアをもrつという事実によってうち立てるミュステーリオン[神秘]のことである。この神秘は沈黙および神秘的な語りえないことの誓いではない。そうではなくて、人間を強いて、言語と真理へと向かわせる誓いである。こうして、インファンティアが言語活動を真理へと差し向けるように、言語活動は真理を経験の宛先として構成する。

 言葉をしゃべることが、「真理を経験の宛先」とすることであるという表現は、非常に正鵠を得たものであるように感じた。


お雇い外国人

2007-02-17 19:19:04 | 本:歴史

 『お雇い外国人』(梅渓昇著、講談社学術文庫)を読む。
 1965年に発行された本の文庫化だからもう四十余年前の本である。江戸末期欧米列強からの外圧が高まりつつあった頃からそれに対処する一つの方法として、欧米から技術者や軍人を招き順応する態勢をとったことは今から考えると正解であった。そのための招聘料として支払った金額は破格のものであったが、西洋化へ向けての軟着陸の投資としては安いものであったといえよう。しかしそうした技術を受け容れる教育と富の蓄積がなければ、おそらくは簡単に植民地化されていたであろう。
 本書では、フルベッキ、ボアソナード、モース、フェノロサなど有名なお雇い外国人の業績を紹介し、中には報酬に見合わない者もいたが、総じて日本への資本主義的生産技術の早急な移植に役立ったと評価している。もちろん西洋の技術的果実のみを輸入したものであるから、その基礎にある歴史や文化的背景や思想・哲学は二の次にされている。しかし技術導入の期間の短さを思えば、この爆発的ともいえる受容力の凄さには驚かざるを得ない。
 本書の中で紹介されている人物で重要な人物にフルベッキがいる。彼はオランダ系アメリカ人で、オランダ語、英語、仏語、独語に精通していたため政府に重用された。最初就職のために渡米し、エンジニアとして働いたが病気のため牧師を目指し、神学校に入学。卒業時に日本への布教のための宣教師として1859年に来日、布教するかたわら長崎英語伝習所の後身である済美館と佐賀藩が長崎に設けた致遠館で教鞭をとり、大隈重信、副島種臣、江藤新平、大木喬任、伊藤博文、大久保利通、加藤弘之などの門下生を輩出させている。その後東京に招聘され、教育に携わった後、政府の顧問として活躍している。彼は1869年に欧米への遣外使節派遣を進言している。この使節の派遣はわが国の近代化に大きな影響を与えているから、この進言は非常に重要であった。
 当時まだ過激な攘夷思想を持つ者がおり、外出には警護の者が必要で、常に拳銃をコートの右ポケットに入れて出歩いていたという。
 法制面ではフランスから来日したボアソナードがいる。パリ大学で古典学、法律学を修め、駐仏公使鮫島尚信の依頼により日本人留学生のために法律学を講義したのをきっかけに、司法省雇として来日している。彼のエピソードとして条約改正のおける貢献がある。井上馨外相が、条約改正のために「内地を開放し、法権については外国人司法官を任用して外国人も日本の法権に服するという案をもって、列国の同意を得るところまでこぎつけていた」ところを彼は、法律顧問として堂々たる反対意見を述べる。

 外国人司法官を任用するときは、日本人は外国人の裁判官によって裁判を受け、外国語で訴訟しなければならず、そうなれば天皇の名において行う日本の裁判所でなくなり、不当である。維新後日本は多くの外国人を雇っているが、それは陸軍、海軍、行政、教育のいずれの方面でも、雇い外国人または教師、顧問であって、官職につき官権の行使を許していないのに、最も重大な官権である司法権を委任するのは不当である。こうした日本の利益、面目を損じる井上案は、かえって国民の反対を受け、外国の干渉を招くであろう。

 これがきっかけで井上は引責辞職することになるのだが、日本人以上に日本のことを考え正論を立て、外交的失策を回避したというのは特筆されるべきだろう。

 また、憲法起草に寄与したドイツ人ロエスレルは、駐独公使青木周蔵の推挙により日本に招聘され、1878年に来日している(当時44歳)。彼は27歳の若さでローシュトック大学の国家学正教授になっている。伊藤博文の別邸で極秘に起草されていた憲法草案であったが、彼はその作業に呼ばれている。ロエスレルの草案は、「伊藤博文がとくに熱心に参照し、井上毅案の修正にさいしてこれに拠り、いわゆる夏島修正案を作った」。この草案作成段階で、ロエスレルは、明治憲法の第一条文の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇コレヲ統治ス」という神話的表現に強行に反対したという。彼の意見は長らく公開されなかったということであるが、

 言少ク不祥ニ渉ルノ憚ナキニアラスト雖モ今後幾百千年ノ後マデ皇統ノ連綿タルベキヤハ何人モ予知シ能ハザル所ナリ。然ルニ此ノ如ク漠然万世一系ト云フハ頗ル過大ノ称タルヲ免レス(中略)唯ダ漠然タル文字ヲ憲法ノ首条ニ置キ以テ天下ノ論難ヲ招クハ万々得策ニアラザルコトヲ忠告セント欲ス

と述べた。この意見は不採用となったのだが、これも特筆すべきことであると思う。

 


塩の博物誌

2007-02-16 22:38:52 | 本:歴史

 『塩の博物誌』(ピエール・ラズロ著、神田順子訳、東京書籍刊)を読む。著者はハンガリー系フランス人の有機化学専門の科学者である。さまざまな文化圏での塩にまつわる話を集めた本であるが、自然科学が専門だけに歴史や社会に関することに加えて、自然科学における塩の話題が多い。
 塩の安定供給は世界各地で重要な案件であり、北アフリカでは隊商がさまざまな物資とともに塩を運搬していた。人や家畜の生存に欠かせない塩は、それが採れない地域では金と同様の価値があったらしく、十二世紀のモロッコ南部のシジルマサ産の塩はガーナに運ばれると同じ重量の金と交換されたそうだ。この交易ルートが「塩の道」である。

 あらゆる塩の道の第一義は貴重な塩の供給であった。人はどこに住もうと、いつも塩を必要としているからである。塩がどこでも安価に手に入るようになったのは二○世紀になってからである。それ以前、塩は高価な希少品であり「白い黄金」と呼ばれていた。「塩があるときには油がない」というのは一六世紀はじめにプロバンス地方で流布していた諺である。塩とオリーブオイルという南仏料理にとって重要な食材が容易に手に入らなかった状況を物語っている。

 塩の運搬については、先日読んだ『チェコスロヴァキアめぐり』でも書かれていた。たとえばヴルダヴァ川上流にあるプラハツェという町については、

 プラハツェは、議論の余地なく忘れ去られつつある町である。黄金の小径を通ってパッサウから塩がはこばれなくなってからは、どうしてか、思い出されずにいる。

と紹介されているし、シュマヴァという村のはずれの道にふれた箇所では、

 何時間も樺の木と、ななかまどのあいだの道を歩き、さらに何時間も森の中を歩くことができるが、誰ひとりとして顔を合わせることはない。ただ、ずっと前方に、森の中へ逃げ込む密輸人がいる。その人物は、バヴァリアから、半ダースの緑の帽子を頭にのせ、背中に塩の荷を背負ってくるのだ。

と書かれてある。
 生産地が限られていながら誰もが必要とする物産は、利潤を生み出す商品として重視されるし、国家から見れば課税対象としてはうってつけである。中世では塩田造りの技術をもっていたベネチアやジェノバ、ポルトガル、ブルターニュなどが海運国として繁栄し、塩漬けによる保存食品を船に搭載して世界の海へと進出して行った。塩田をもったところが必ずしも海運国ではなかったのではあるが、現代ではさしずめ油田をもった国家がそれを取引して莫大な利潤を獲得している状況と類似している。課税対象としての塩としては、十七世紀フランスではガベルという塩税が国民に重くのしかかり怨嗟の対象となっていたということだ。時の宰相リシュリューは1624年以降徐々に塩税を上げ、10年間の間にほぼ2倍に引き上げたという。この税金はかなりの不公平税制であったようで、フランス革命の一因でもあったようだ。このことは、今読んでいる『旧体制と大革命』(アレクシス・ド・トクヴィル著、小山勉訳、ちくま学芸文庫)にも触れられており、税の不満を書いた部分で、州議会の議員は、

「ほとんどの税、とくに塩税とタイユ税は、農民に悲惨な結果をもたらしている。これは、おおむねわれわれの心得ていることだが、さらにそれぞれの弊害についても個別的に知りたいと思っている」

と述べている。タイユ税というのはフランスの賦課租の一種で王室の重要な財源であり、聖職者と貴族は免除され平民にのみ課せられていた。
 続けて読んだ本が、塩にまつわる話題で結ばれていたことになる。


チェコスロヴァキアめぐり

2007-02-14 23:08:51 | 本:文学

 『チェコスロヴァキアめぐり』(カレル・チャペック著、飯島周編訳、ちくま文庫)を読む。前回同文庫より『イギリスめぐり』が出ていたが、今回はチャペックの母国であるチェコスロヴァキアについての文章を編んだもので、読んでいると前回のイギリスを見る目とは違って母国への愛情に満ちた感触がよくわかる。
 チャペックは1890年に生まれ、1938年に亡くなっているので、1920年に独立運動の結果としてチェコスロヴァキア共和国が誕生したときは、30歳だったことになる。本に集められた文章は1920年代に書かれたものが多いので、まさに「チェコスロヴァキア」についての紀行文であった。彼が亡くなった翌年に、スロヴァキア共和国が独立し、チェコはドイツ保護領となっている。1945年にはもとのチェコスロヴァキア共人民和国が誕生し、その後同社会主義共和国となる。1989年にビロード革命により共産政権が倒れ、翌年チェコおよびスロヴァキア連邦共和国となる。93年にはスロヴァキア共和国とチェコに分離している。
 ついたり離れたりという複雑な国家であり、チェコとスロヴァキアは隣接しているが結局は他人のような関係なのだろうか。この本でもチャペックの生まれたチェコについて割かれている文章の方が多い。この文章を読んでいると、チェコの自然を曲にしたスメタナ(1824-1884)の『わが祖国』を連想してしまう。特にその『モルダウ』が頭の中で響いてくる。ドイツ語読みの「モルダウ」は、現在では現地の呼称に近い「ヴルタヴァ」と呼ばれていることが多く、この本でも後者の表記にしたがっている。チャペックは「たそがれどきのプラハへそそぎ込む、限りなく青く明るい誇らしげなプラハの灯の列を映して、繻子のような、ブロケード織りのような、燃えるような輝きを見せるその姿を」文字や絵に忠実に写した人は未だかつていないとその筆舌に尽くしがたい佇まいを述べている。
 それにしてもこの地方の地名は、フラデツ・ルラーロヴェーだとかカルロヴィ・ヴァリ、プラハチチェ、ムリニャニなど想像力をかきたてられる地名ばかりである。


トクヴィル-2

2007-02-12 12:21:51 | 本:社会

 『トクヴィル』を続けて読書中。中央集権を批判し、地方自治が自由の維持に必要であり、そのためにはアソシアシオンによる私的世界から公的世界へ赴くことが重要であることをトクヴィルは説いており、その主旨はJ・S・ミルの『自由論』とも一致していることが紹介されている。

 多くの場合に個人は、標準的に見て、特定の仕事を政府官吏のように巧みに処理することはできないが、それにもかかわらず、その仕事が、個人自らの一手段として、個人によってなされることが、政府によってなされるよりも望ましいのである。-それは個人の積極的諸能力を強化し、彼の判断を練磨し、また彼の処理に委ねられた問題に彼を精通させる一つのやり方である。これこそ、陪審裁判(政治的でない事件に関わる)や、自由で民主的な地方・都市の諸制度や、自発的な団体による工場および慈善事業の経営などの、たとえ唯一ではないにしても、主要な長所なのである。(中略)・・彼らに公共的な動機または半ば公共的な動機から行動する習慣を与え、また、彼らの一人ひとりを孤立させるのではなく、互いに結合させるような目的に向かって行動する習慣を与えるものなのである。このような習慣と能力がなければ、自由な憲法は運用されることも維持されることもできない。

 社会的結合をいかにして達成するかというのは難しい問題であると思うが、彼は、自由と相反するところもある社会的結合がないと「自由は無力であり、自由のない社会的結合はあらゆる精神力の喪失だ」と述べる。個性をのばせと一方的に叫んだだけでは、孤立した個人はできても独立した個人はできないだろう。自分で考えて行動する個人は、社会の中で練成されることで、本当の自立した個人となる。この練成課程は、中央集権的な政体ではなく地方自治の場こそが必要であると彼は考えていた。だから

 自由な人民の力は地方自治体のなかにこそある。小学校が学問に不可欠なように、地方自治制度は自由に不可欠である。地方自治制度は、自由を人民の手に届くところに置き、人民に自由の平和な行使を体験させ、その行使を習慣づけるのである。国民は、地方自治制度がなくても、自由な政府をもつことはできるかもしれないが、自由の精神はもてない。

 学校という比喩は面白いが、今その学校という自分で考える習慣を練成する場であるべきところがこの国ではますますその力を失い、責任を中央政府に丸投げ(すなわち放棄)しつつあるように思われる。教育を再生させるといわれているが、教育の管理統制がさらに強まるだけだろう。自立と自治の精神を失えば、学校は学校でなくなるだろう。これは小学校から大学に至るまで共通した現象である。

 トクヴィルは、また個人主義が両刃の刃であることも認識していた。個人主義は人間の尊厳と自律を強く主張する一方で、それが満たされると公共の場から個人を孤立させ、狭い関係(家族や友人)だけに引きこもらせる病的な力があることに注意を喚起していた。個人主義が民主主義には必要でありながら、公共精神を枯渇させてしまう恐れがあり、節度のない自己愛しかない利己主義に堕してしまう。それは市民的無関心を広め、民主的専制化を生む。
 この病気に対する彼の処方箋は、アソシアシオンであり、これにより「権力濫用に対する最善の防備策である責任の経験と、社会的相互依存の意識とを身につけさせる社会化された実践」がなされると診断する。重要なことはこのアソシアシオンがあくまで自発的になされることであり、上から強制されたり促されて行うものではないということである。これを生み出す土壌としてトクヴィルは社会の習俗ということに注目していたのではないだろうか。
 


トクヴィル

2007-02-11 19:56:47 | 本:社会

 『トクヴィル』(小山勉著、ちくま学芸文庫)を読む。アレクシス・ド・トクヴィル(1805-1859)の政治哲学を解説した書物で、『旧体制と大革命』(小山勉訳、ちくま学芸文庫)も買ったので、解説書の方から手をつける。
 巻末の年譜を見ると、母国のフランスでの民主政治の激動期に生きたことが分かる。その中で母国と大西洋を隔てたアメリカのデモクラシーを比較検討しつつ怜悧な分析を生み出した彼の洞察力には驚きを禁じえない。民主主義の激動期にもかかわらずこれほど本質をついた分析ができたといっていいのか、激動期だからこそできたといっていいのかわからないが、自由と平等という共に民主主義の理想でありながら、同時に満足させることはできない条件を実にバランスよく考察している。

 ヒトは完全に自由であることなしに絶対的な平等に達しえない。したがって、最も極限的な段階では、平等は自由と一致するにしても、両者を分かつのは理由のあることである。人間が自由を好む気持ちと平等に惹かれる気持ちとは、実は二つのもので、別なのである。それどころか、私は、民主的な国民においては、それらは釣り合わない二つのものだと言うことさえ憚らない。

という冷静な発言や、政治社会体制における習俗の重要性を見抜いていたこと、権力の絶対性、無限性、無謬性を悪であると断じる彼の姿勢の根柢にはフランスのモラリストの系譜が息づいていることが分かる。

 全能はそれ自体悪であり、危険なものと思われる。その行使は、行使者がだれであろうと、人力を超えるもののようにみえる。なんらかの危険なしに全能たりうるのは神のみである。神の叡智と正しさとがつねにその力に等しいからである。それゆえに、地上には、なんらの抑制もなく行動させ、なんの障害もなく支配させてよい、と私が思うほど、それ自体が尊敬に値し、あるいは神聖な権利をもった権威など存在してはいない。

とくに彼の洞察で現在にまで通じる重要なことは、民主的な社会状態での危機を暴力などのアナーキーな状態は「一時の兆候」であり、恐れるべきものではないが、安定した状態から派生する次のような状態と指摘していることである。

 今日の人々は情熱に燃えず、その習俗は柔弱であるが、教育が普及し、純真な宗教心と穏やかな道徳をもち、堅実で勤勉な習性を身につけている。善行をなすにしても、非行をなすにしても、彼らはほとんどすべてに慎重である。これらのことを考えると、彼らが暴君を頭にいただくにいたる危惧はないが、恐ろしいのはむしろ後見人が彼らの指導者となることである。

 彼が指摘した「後見人」による穏和な「包括的抑圧」こそは、「「人間の尊厳」を失わせ、「個人の意志・思考・イニシアティブ」と責任の精神を弱め、他方で依存精神を病状化する」ものだという。外に向かう関心を萎えさせ、ひきこもらせると同時に無関心を引き起こさせるこの後見人は、個人を尊重するふりをしながら個人を骨抜きにしてしまう権力なのだ。
 トクヴィルは公共精神を尊重していながら、盲目的な愛国心は排している。彼は愛国心を「本能的愛国心」と「理性的愛国心」の二つにわけ、前者は、

 思慮を欠いた、無私無欲の、名状しがたい感情に発し、人の心を出生の地に結びつける。この本能的な愛は、旧習好み、祖先崇拝、過去の記憶と溶け合っている。(中略)このような祖国愛はそれ自体まさに一種の宗教であり、理性を排し、信念・感情・行動に訴える。

 これに対して理性的愛国心は、

 知性から生まれ、法律に助けられて発展し、権利の行使によって高まり、ついには、いわば個人的利益とも融合するようになる。

前者は「臣民」としての愛国であり、後者は「市民」としての愛国である。現代の私たちが国を愛するとすれば当然後者としての愛でなければならないが、これがややもすると前者になりがちであることをすでにトクヴィルは見抜いていたのである。建国記念の日に読むにふさわしい本だった。


美のバロキスム

2007-02-09 23:07:59 | 本:芸術

 『美のバロキスム』(谷川渥著、武蔵野美術大学出版局)を読む。著者の講義・講演をまとめたもので、全部で五章あるが、どこからでも読める。
 古典時代からバロックにかけての西洋絵画の様式の変遷が分かりやすく解説されているが、「バロック」に対してどういう態度で臨むのかということから美学の問題が発生しているという点が興味深かった。

 反バロックとしての美学というかたちで近代が始まったということに注意しておかなければいけません。

 ブルクハルトの弟子ヴェルフリンが視覚形式という視点からルネサンスとバロックを対置させ提示した五つの概念(線的/絵画的、平面的/深奥的、閉じられた形式/開かれた形式、多数的統一/単一的統一性、絶対的明瞭性/相対的明瞭性)はいささか形式的にすぎるが、様式が歴史の中で展開していくなかでその中に潜む普遍的な美を剔出しようとする営みが美学の欲望なのである。ここにカントの『判断力批判』の美の無関心性の問題が交差する。美に普遍性があるのか否か、この問いは狭く藝術についての問題ではなく、人間の啓蒙とも大きく関係する問題であると思う。これは藝術を「理解する」ということにも関係する。藝術を理解することと、感得することはどう関係するのか。これは他者に対する理解と共感の問題でもある。
 これほど多様な生物が繁栄していなければ生物とは何かという基本的な問いが問われなかったかもしれないように、過剰な物質性を示すバロックが発展しなければ美とは純粋に何かという問いは問われなかったかもしれない。