島原半島博物日誌

島原にある某施設のスタッフが綴る非公認・非公式の個人ブログです。

金山(結城)城址

2017-04-08 10:18:59 | 歴史・史跡
少し余裕が出来たので、更新しておく。
3月末に行ってきたキリシタン関係の実地研修のお話です。
と言っても、初めて訪れた場所はここのみですし、内容もうろ覚えです。
その時は「ほぉ〜」とか「へぇ〜」とか感心しているのですが、さっぱり覚えられないものですね。(笑)
ここは国見町の金山(結城)城址です。(表紙写真)

「築城の時期は戦国期のはじめ島原半島における北辺の守りとして、この地に金山城を築城したと伝えられている。永禄の頃、有馬氏から土豪古賀越後は金山城・東古閑城(有明上町)の二城を与えられたが、天正二年(1579年)には龍造寺氏の侵攻にあい、一族ことごとく戦死したという記録が古賀氏末裔系譜に記されている。」
※上の写真は敷地内にある石碑だが、それとは何ら関係ないらしい。たぶん土地造成時の記念碑かと・・・。
「慶長七年(1602年)に切支丹武士結城弥平次(ゆうき やへいじ)が肥後の愛藤寺城(あいとうじじょう;矢部町)から有馬晴信の招聘で知行三千石を与えられて入城しキリスト教の布教活動が続けられた。
 その後、慶長十四年(1609年)には、突如晴信の命を受け、マカオ船マードレ・デ・デウス号攻撃に参戦し勝利を得たが、晴信は慶長十七年(1612年)、岡本大八事件で処刑された。
 晴信の子直純の時代になってから切支丹信徒一掃が激しくなり、結城弥平次も慶長十八年(1613年)2月には金山教会の鐘を聞きながら数名の家来と共に城を後にして消息を絶った。その後、廃城となっている。」(国見町教育委員会)
キリシタンゆかりの地ということで、地内には十字架が建っています。
コメント
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