安全問題研究会~鉄道を中心に公共交通と安全を考える~(旧「人生チャレンジ20000km」)

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

文科省は子どもを殺す実験がしたいのか

2011-05-23 21:55:11 | 原発問題/一般
屋外プール 注意事項を提示へ(NHK)

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東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島市など福島県内の小中学校で、屋外プールを使った水泳の授業を自粛する動きが広がっていることに対し、文部科学省は、子どもが屋外のプールを利用する際の注意事項をまとめ、福島県に対して示すことになりました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて、福島市の教育委員会は、子どもが受ける放射線量をできるだけ減らすため、ことしはすべての公立の小中学校で屋外のプールを使った水泳の授業を行わないことを決めました。福島県内では、福島市以外の自治体でも屋外プールの使用をやめたり、やめることを検討したりしていて、影響が広がっています。これについて文部科学省では、屋外で活動をする際の放射線量の目安である1時間当たり3.8マイクロシーベルトを下回っている学校では、肌をさらした水着で水泳の授業を行うことについて特に制限する必要はないとしています。また、プールの水については、現在たまっている水を排出したうえで、水質基準を満たした水道水を使用している場合は基本的に問題はないということです。そのうえで文部科学省は、保護者などの不安に配慮して、プールを利用する際の注意事項をまとめることになりました。注意事項は今後、専門家の意見などを聞いたうえで正式に取りまとめる予定で、プールを使ったあとはきちんと目を洗ったり、うがいをすることや、プールの水はできるだけ飲まないこと、それにタオルで水分をよくふき取ることなど、子どもが受ける放射線量をなるべく抑える具体的な対応策が中心になるということです。
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当ブログは、福島市の放射線量の水準から見て、ここで教育活動を行うこと自体、無理と考えている。現在、年間20ミリシーベルト未満であれば、教育活動を制限しなくてよいとの見解を文部科学省が示しているが、この基準自体、労働安全衛生行政を所管する厚労省にも一切の相談なく決められた、非科学的なものであることがわかっている。

原発で働く労働者が年間5ミリシーベルト以上被ばくして白血病を発症した場合、労災認定が受けられる。文部科学省の基準は、この4倍もの量を、大人の何倍も放射線への感受性が鋭い子どもに浴びせて問題なしとするものであり、狂っているとしか言いようがない。

「基準値が定められておらず、危険性の疑いが消えないなら水泳を再開すべきでない」という福島市の方針は間違っていない(その前に教育活動の継続を決めた福島市の姿勢は許し難いが)。それを、基準値を決めてやるから水泳を再開しろという文部科学省を、もはや私は人間として全く容認できない。むしろ文部科学省は、何ミリシーベルトなら子どもが死ぬか、積極的に実験してみたがっているとしか思えない。

なぜこんなことが起きるのか、答えを出すのは簡単だ。文部科学省には2011年度で2000億円を超える原子力予算が投じられており、この額は電力業界を管轄し、原発推進の立場に立つ経産省(予算額は2000億円未満)さえ上回る。文部科学省を腐らせているのはこの原子力マネーである。この予算を文部科学省から引き離し、文部科学省には真摯な自己批判を求める。それができないなら、文部科学省は解体・再編しかない。

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【早速今日から開始します】白河地域放射能測定値

2011-05-23 19:23:51 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
早速今日から、放射能測定値の観測を開始したので、結果を公表する。なお、発表の基準は以下の通りとする。

・計測年月日・時間
原則として計測を開始した時間。

・計測時の気象条件
 ●風向・風速
 気象庁ホームページに掲載されている白河市のデータとする。

 ●天気
 雨/雪/みぞれが目視で観測できる場合は雨/雪/みぞれとする。それ以外は気象学上の基準に従い、雲量(空全体に占める雲の割合で、空全体を10とした場合の比率)が0~1の場合は快晴、2~8は晴、9~10は曇とする。

・計測方法
 測定地点は大気中(高さ150cm程度)、舗装路面と土壌(いずれも高さ5~10cm程度)とする。測定値は気流等によって小刻みに変動し、一定しないことがわかったので、30秒程度、ガイガーカウンターを固定し、その間に計測された最も高い数値をもってその時間のその場所、その条件下における計測値とする。

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<本日の計測結果>

・計測年月日、時間
 2011年5月23日 午後7時05分

・計測場所
 計測場所 福島県西白河郡西郷村 山神裏交差点(地図

・計測時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:雨
 風向・風速:北北東 3.9m

・計測結果(単位:マイクロシーベルト/時)
 大気中(高さ150cm)   0.43
 舗装路面上(高さ10cm) 0.52
 土壌(高さ10cm)    0.73

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【管理人より】放射能測定の開始について、等

2011-05-22 22:46:13 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

1.カテゴリ再編を行いました。

(1)追加したカテゴリ
・「原発問題」
福島第1原発事故は、福島県(白河地域)在住の当ブログ管理人にとってもきわめて深刻な事態です。原発問題全般を取り扱うため、「社会・時事」カテゴリから分離させ、このカテゴリを設けることにしました。

・「福島原発事故に伴う放射能測定値」
当ブログでは、知人のご厚意により、ガイガーカウンターを一時借り受けられることになりました。このカテゴリでは、当ブログが実施する放射能測定の結果を報告するための専用カテゴリとして設置しました。

(2)廃止したカテゴリ
・「鉄道(尼崎事故裁判)」
JR西日本歴代社長の公判を追うための専用カテゴリとして設置しましたが、現時点で機能していない上、当ブログ管理人は原発問題もあり、しばらくこの裁判には関われない見通しなので、後日、その見通しが立つまで廃止します。

この結果、当ブログのカテゴリ数は新設2、廃止1となり、トータルでは1つ増えて16となります。

2.放射能定点観測を開始します。

知人のご厚意によりしばらくの間、ガイガーカウンターを借り受けできることになりました(使用するガイガーカウンターは、こちら)。このため、当ブログでは、できるだけ毎日、定点観測を行い、その結果を公表したいと思います。

地震と津波だけであれば、阪神大震災の時がそうであったように、人々はその惨禍を乗り越え復興に励むのですが、原発事故は日本の国際的信用を傷つけ、復興の阻害要因となっています。原発に関する限り、政府・東電は国民に真実を全く伝えず、ごまかしと過小評価(事故をできるだけ小さく見せようとする情報操作)を一貫して続けています。政府・東電に任せていたら、福島県民は捨てられ、確実に殺されます。

当ブログがみずからの手で放射能計測を行い、結果を公表する決意を固めた背景にはこのような理由があります。すでに、試験的に放射能計測を行った結果、福島県が発表する放射能計測値に対する重大な疑問が生まれています。それは数値云々ではなく「県は本当に計測を行っているのか。計測せず適当に数値を発表しているのではないか」とさえ思えるほどの根本的な疑問です。

この計測と発表は、できるだけ早く開始したいと思います。当ブログで発表の際は、

・計測年月日、時間
・計測場所、条件(大気中、舗装路面、土壌の別など)
・計測時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)

を発表することにします。

・当ブログでの計測方法
当ブログが放射能を計測するに当たっては、事故の影響を小さく見せるため、意図的に高い場所で計測を行うようなごまかしは行わず、真摯にやりたいと思っています。測定地点は大気中(高さ150cm程度)、舗装路面と土壌(いずれも高さ5~10cm程度)での実施を考えています。すでに試験的な測定によって、小数第2位(100分の1マイクロシーベルト/時)は気流によって小刻みに変動し、一定しないことがわかったので、小数第2位については、小数第1位までの数値が安定した後10秒間、ガイガーカウンターを固定し、その間に計測された最も高い数値をもってその時間のその場所、その条件下における計測値とします。

なお、発表は上でも触れたとおり、「福島原発事故に伴う放射能測定値」カテゴリで発表します。

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【鉄ちゃんのつぶや記 第42号】信楽高原鉄道事故から20年

2011-05-14 15:33:30 | 鉄道・公共交通/安全問題
 乗客42人が死亡した信楽高原鉄道事故から早いもので20年経った。事故の日である5月14日、追悼法要が甲賀市信楽町黄瀬の事故現場で営まれ、節目の年として、遺族が建立した「安全の鐘」が除幕された。鉄道関係者のほか、尼崎事故遺族、日航ジャンボ機墜落事故や2001年の明石花火大会事故の遺族ら約300人が参列し、犠牲者の冥福を祈りながら、悲劇を繰り返さないことを誓った。参列したJR西日本の佐々木隆之社長は、「信楽の事故を教訓に、安全対策を誓ったにもかかわらず、その後も大事故を起こしてしまったことをおわびします」とさすがに神妙な表情だったという。

 保安装置が正常に機能していれば決してあり得ない正面衝突という事態、くの字に折れ曲がったレールバスとJRディーゼル車(キハ58形)、そしていつまでも増え続ける犠牲者の名前に、当時、鉄道ファンとして再出発を始めたばかりの私は強い衝撃を受けた。同時に、当時、崩壊から再生への象徴と見られた第三セクター鉄道のレールバスの耐久性・安全性に、私が最初の疑問を抱いたのもこの事故だった。

 当時、1編成の列車が始発駅と終着駅を行き来するだけの全線1閉塞だった信楽高原鉄道に、行き違いのため小野谷信号場が設けられ、JRからの直通列車が運転された。それらはすべて、沿線で開催された世界陶芸祭のためだった。事故直後、救出された乗客から「小野谷信号場の出口にあった信号機が黄色(注意現示)だった」という、この事故の原因を探る上で決定的な証言が出たことを報道で知った。

 私はこの証言を聞いたとき、すぐにあり得ない事態だと思い、信号故障が事故原因ではないかとの直感を持った。駅の出口にある信号、つまり出発信号機が正常に作動しているのであれば、黄色(注意)が現示されるのは、次の2つの場合に限られる。

1.複線区間又はすれ違いのできる停車場間の線路が複数の閉塞区間に分割されている単線区間では、2つ先の閉塞区間に列車がいるとき

2.1以外の単線区間(つまり、すれ違いのできる停車場間の線路が1閉塞である単線区間)では、すぐ先のすれ違いが可能な停車場の場内信号機が赤(停止現示)であるとき

 全線が2閉塞しかなかった当時の信楽高原鉄道で1はどう考えてもあり得なかったし、衝突した2列車以外に走行中の列車がなかった当日の状況では、終点・信楽駅の場内信号機が赤、つまり2本ある信楽駅の線路が2本とも埋まった状態で信楽駅に向けて列車が走るという事態もあり得なかった。2の可能性も事実上なかったのである。

 この時点で、小野谷信号場の出発信号機が黄色(注意現示)であるべき2つの可能性は2つとも否定されたのだから、救出された乗客の証言が正しければ、信号故障を疑わざるを得ない状況だった。

 予想通り、事故原因は信号故障とされた。特定地方交通線(=赤字線)として信楽線を一度は切り捨てておきながら、世界陶芸祭で集客が見込まれるとなると、信号システムを改変させてまで信楽線への乗り入れを強行したJR西日本は厳しい批判にさらされた。乗客の感情、切り捨てられた信楽線沿線の住民感情、国鉄分割民営化から4年目で、まだ日本中に特定地方交通線廃止の記憶が生々しく残されていた当時の国民感情からすれば、そのような批判は当然だった。バブル経済による「地上げ」の進行などを背景に、儲けのためなら何をしてもいいという堕落した企業が厳しい批判にさらされていた時期でもあった。

 しかし、今から考えれば、JR西日本がこのとき取った事故への対応は、20年後の今日、まさに進行している福島原発事故で東京電力が取っている対応と同じお粗末なものであった。ひたすら情報隠し、ごまかしを続け、批判されると責任転嫁と形だけの謝罪を行うことで目の前の嵐をやり過ごし、そして嵐が過ぎたらすべてを忘却の彼方へと追いやって何ら改善への手を打つこともない。そしてそのツケは、2002年の東海道本線消防隊員ひき殺し事故、2005年に最悪の結末となった尼崎事故として現れるのだ。

 この事故から私たちは重要な教訓を読み取ることができる。企業であれ国家であれ、過ちを見つめる目を閉ざした者が輝かしい未来を約束される例はないということだ。東京電力も今のような対応を続けるなら、何年か後、さらに悲劇的結末によって迎えられるだろう。

 鉄道事故の犠牲者を自分たちで最後にしてほしいと願った犠牲者遺族の思いはかなえられなかった。だが、この事故が産み落としたものは悲劇だけではない。遺族たちの献身的活動によって鉄道安全推進会議(TASK)が結成され、その活動は航空事故調査委員会が航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)に改組されるきっかけとなった。今では当たり前のようになっている常設の鉄道事故調査機関の裏には、輝かしい未来を一瞬にして打ち砕かれ、人生を強制的に打ち切られた犠牲者たちの悲劇がたくさん詰まっている。

 あれから20年後の今日、私たちはこの事故から学び、成長することができただろうか。福島原発の事故を見ていると、残念ながら否定的回答をせざるを得ない。むしろ、自己保身のためにその場その場をやり過ごす能力しか持ち合わせていない官僚主義的企業に社会運営を委ねるなら命がいくつあっても足りないという、深刻な社会崩壊の危機に瀕しているのが実態だ。

 問われているのは私たち自身ではないか――そんな思いを強くする。誰かに任せて事足れりとする態度ではもはや未来への扉を開くことはできない。遺族たちと同じ立場に私たち全員が立ち、20年間、彼らが歩んできたように歩む必要がある。「自己保身野郎どもは直ちに引っ込め! 今こそ我々にすべてを委ねよ!」と要求することが、今、私たちが進むべき唯一の道であることを、信楽の20年は教えている。

(2011/5/31・黒鉄 好)

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杞憂であるといいのだが…念のため警告

2011-05-12 23:23:51 | 気象・地震
この記事を投稿することは、ある意味、当ブログにとって「賭け」である。しかし、東日本大震災の凄まじい被害を経験した直後とあっては、やはり「あの時警告を発していればよかった」と後悔するよりは、「警告が外れてよかったね」と言われるような形でありたい。だから、狼少年になるかもしれないという自戒を込めつつも、こうして警告を発したいと思う。もちろん、この警告を信じるかどうかは読者の皆さまのご判断に委ねたい。

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カツオ捕れない 紀南の漁師ら悲鳴(紀伊民報)

 和歌山県紀南地方でカツオ漁が本番を迎えているが、過去最悪の不漁ペースで推移している。「すさみケンケン鰹(かつお)」のブランドで売り出している和歌山南漁協すさみ支所(すさみ町)では、今年に入って昨年同期の15%ほどの約40トンしか水揚げしておらず「これまで経験したことのないほどの不漁」と悲鳴を上げている。

 和歌山南漁協すさみ支所によると、漁は例年、1月ごろに始まり、5月中旬まで続く。水揚げは、1月が333キロ(昨年同期5・5トン)、2月が10・52トン(同19・6トン)と少なく、例年水揚げが増え始める3月でも19・3トン(同124トン)だった。4月も20日までで10・2トンしかなく、昨年4月の122・7トンを大きく下回りそうだ。1~4月の水揚げは2008年203トン、09年160トン、10年272トン、今年は4月20日までで40・3トンと大幅に少ない。

 大きさは平均2キロほどで1キロ1300円程度で取引されている。例年より300~500円高いが、漁協関係者は「割に合わない」と話している。漁船の燃料費も高騰し、不漁に追い打ちを掛けているという。

 漁師歴50年ほどという赤木勝さん(71)=すさみ町周参見=は「これほど捕れない年は知らん。魚はどこにいるのだろうか」と嘆く。和歌山南漁協すさみ支所の岸正嗣さん(58)も「すさみの漁協に勤務して40年になるが、これほど少ないのは初めて。この時期のカツオは漁協の売り上げの中心で、年間の7~8割ほどになるので、このまま続けば非常に厳しい。ただ、21日に四国で釣れ始めたようなので、これからに期待したい」と話している。

 県水産試験場(串本町)によると、田辺、すさみ、串本の3漁港の合計漁獲量も少なく、2月は20・3トンで1993年以降3番目に少なかった。3月は49・1トンで、平年の2割程度しかなく過去最低となった。最盛期の4月も21日までにわずか22トンしか水揚げされておらず、最低だった1999年の120・8トンを大きく下回りそうだ。

 今年のカツオ漁は、ひき縄漁で有名な高知や千葉、八丈島なども不漁となっている。紀南沿岸の潮の流れや海水温などは良好であることから、日本沿岸へのカツオの回遊自体が少ないとみられている。
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紀伊半島沖で、カツオがベテラン漁師も経験したことがないほどの記録的な不漁になった。記事にあるように潮の流れや海水温に異常は見られず、原因は不明のままである。

明確な原因がわからないのに、今まで生息していた生物が急に姿を消したり、逆に生息していなかった生物が急に大量発生するのは大地震の前兆のことがある。人間にはわからない小さな地殻変動を捉えた動物が、危険を察知して住み慣れた場所を離れるということが実際によくあるからだ。

そう言えば、昨年の夏から秋にかけても東北沿岸でサンマが記録的な不漁だった一方、イワシは記録的な豊漁といわれた。関係者の多くは昨年の記録的な猛暑が原因だとして深く原因を追究しなかったが、今思えば、こうした生物の異変は、東日本大震災の予兆だったかもしれないのだ。

我が家でも昨年夏、生物を巡るひとつの異変が起きていたことを今さらながら思い出した。過去3年間、屋内で数匹も見つかれば「珍しいね」と言っていた蟻が、昨年夏、我が家では何十匹もの群れとして室内で見つかったのだ。追い出しても追い出してもまた室内に群れではい上がってくるので、業を煮やした妻が蟻の進入口となっている壁と床の間の隙間をガムテープでふさいだほどである。このガムテープの跡は、今もそのまま残っている。

一方、私たちが住んでいる集合住宅の別の棟で、以前、蟻の被害に悩まされていた人がいたことを思い出し、「お宅では今年も部屋に蟻は出ていますか」と尋ねたところ、「そう言えば今年はあまり出ていない」と、驚くべき答えが返ってきたのである。

こうした生物の異常は、宏観(こうかん)異常現象と呼ばれる。「ナマズが暴れると地震」という民間伝承と同じレベルで、いまだこうした宏観異常現象と地震との関係は明らかになっていないが、NPO法人大気イオン地震予測研究会(e-PISCO)を中心に、こうした宏観異常現象をデータベース化して、地震予知に役立てようとする研究が行われている。

もし、昨年秋のサンマ大不漁、イワシ大豊漁、そして我が家での蟻の突然の大発生が東日本大震災の到来を告げる明らかな予兆だったとするなら、今回、紀伊半島沖で起きているこの「カツオ大不漁」は何を意味するのだろうか?

当ブログのこの心配は杞憂ではない。過去1000件分の地震データが保存されているYahoo!地震情報を見ると、これまで地震がほとんど起きていなかった「和歌山県北部」で、5月5日以降だけで8回も有感地震が発生している。東北各地と比べればたいした頻度ではないといえるが、過去、この地域が全く静かだったことからすれば、不気味な変化といえる。

2~3ヶ月から半年後に紀伊半島付近を震源とする大地震が起き、「あの時の微弱地震とカツオの大不漁は、今思えばこの地震の前兆だったんだね」などと振り返られる日が来なければいいのだが…。

いずれにしても、紀伊半島周辺の人たちは、ここ数ヶ月から半年程度は念のため注意してほしいと思う。

ちなみに、中国に古くから伝わる「地震予知の歌」がある。ご紹介しよう。

『地震の前、動物には予兆がある みんなで観察し、被害を防ごう
 ウシ、ヒツジ、ラバは囲いに入らない
 ブタは餌を食べず、犬がやたら吠え回る
 アヒルは水に入らずに岸で騒ぎ
 ニワトリは木の上に飛び上がって声高く鳴く

 氷がはり、雪が降るころヘビがねぐらを這い出し
 親ネコは小ネコをくわえて走る
 ウサギは耳を立てて跳ね、ものにぶつかる
 魚は水面でバチャバチャ跳ねる
 ミツバチの群れがぶんぶん飛び回り
 ハトは怯えて飛び、巣に戻らない

 家ごとみんなで観察し 異常をまとめて報告しよう』

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大震災から2ヶ月~被害を最小限に抑える地震対策とは?

2011-05-10 22:35:54 | 気象・地震
東日本大震災から、早いもので2ヶ月が経過した。

この間、当ブログ管理人は精神面で危機的状態にあり、誰からどのような反応があるかわからないネット媒体での執筆活動は全面的に休止していた(メーリングリストにすら全く投稿しなかった)。当ブログの更新も、鉄道ネタ、紙媒体へ投稿した記事の転載、地震の解説を除いて休ませていただくことにした。

しかし、体調も(精神面を含め)一時よりはかなり復調してきた。地震や原発の問題については、後世のためにもここで発信しておかなければならないことがたくさんある。今日は、更新再開の宣言とともに、我が家で取り組んできた地震対策をご紹介する。今日取り上げる地震対策は、自信を持って皆さまにお勧めできるものばかりである。今後のためにぜひ実行してほしいし、そうすることが人的・物的被害を防ぐ大きな力になるに違いない。

●震度6強の揺れでも我が家の食器棚は倒れなかった

3月11日、我が家のある地域でも震度6強の激しい揺れに見舞われた。激しい横揺れは3分近くは続き、非常に長く感じられた。地震発生時は私は職場で仕事中、妻は近くのスーパーに買い物に行っている最中で、2人とも自宅にはいなかった。我が家は鉄筋コンクリートの集合住宅なので、倒壊や火災の心配はあまりしていなかった。最も心配したのは食器棚が倒れているのではないかということだったが、帰宅してみると倒れておらず、中の食器類はただの1枚も割れていなかった。本棚からは本が大量に飛び出し床に散乱していたが、被害はせいぜいその程度のものだった。

震度6強の激しい揺れにもかかわらず、どうして食器棚の倒壊を食い止めることができたのか。それをご紹介すると、下の写真のとおりである。



食器棚と天井を2本の器具で固定している。この写真は地震後のものだ。地震前はまっすぐだったものが地震後、2本ともずれて角度が変わっているものの、折れる、外れる等の現象は起こらず、食器棚を守ってくれた。

当ブログ管理人がこの家具固定を実施しようと思い立ったのは、過去ログでご紹介した地震シンポジウム(2002年)に参加した経験からだ。このとき、パネリストとして参加していた鈴木計夫・福井工業大教授(工学博士)に、当ブログ管理人が「阪神大震災後、集中的に実施された家具等への耐震工事(タンス等を壁面等にボルト等で固定する工事)は家具の倒壊による家庭内での圧死を防ぐための手法として効果はどの程度あるのか」と質問したところ、鈴木教授から「犬釘程度の固定ではさしたる効果は認められないが、強固なボルト等による固定になると相当の効果がある。一般に、大地震の際の家具倒壊は、ほとんどが地震の揺れに対して家具が反対向きに揺れようとして起こるものであり、地震と同じ方向への揺れであれば、家具が倒壊する確率は非常に小さくなる。壁面等への家具の固定は、ボルト等の強度が十分であれば非常に効果がある」との回答が得られたからである。

このことを踏まえ、我が家では、福島県沖のプレート境界付近で相次いで中規模の地震が起きた2008年に、プレート境界型地震(特に1978年以来発生していない宮城県沖地震)の到来は近いと判断し、この家具固定を実施した。鈴木教授の回答にあるように、家具の倒壊はほとんどの場合、地震の揺れに対して家具が逆方向に揺れたときに起きる。こうして家具を天井に固定しておけば、地震の揺れに対して家具が逆方向に揺れるのを防止でき、倒壊も防げることが今回の震災で証明された。

この家具固定用器具は、例えばネット通販だと2本1組5千円程度で入手できる。この価格をどう見るかは個人の価値観だと思うが、当ブログ管理人はこれなら安いと思う。高齢者や子どものいる家庭、家が狭く、タンスや食器棚のある部屋で就寝せざるを得ない家庭などは、ぜひ実行をお勧めする(ただし、家具が建物と一体化したいわゆる「作り付け」の場合、家具が地震の揺れと逆方向に揺れるという事態は考えにくいので、この固定策は不要だと思う)。

ただ、食器棚については、器具による天井との固定を行ったとしてもそれだけでは十分ではない。扉を固定しておかないと、地震の揺れで扉が開き、中の食器類が大量に飛び出して結局は割れてしまうからだ。そこで、我が家では下の写真のように食器棚の扉も、太い輪ゴムで固定するようにしていた。



結果として、このときの対策が、私たち夫婦の生命と財産を守るために大きな役割を果たしたと思っている。本来ならタンスも固定した方がよいことは言うまでもないが、我が家では、タンスのある部屋を寝室として使用していないため、就寝中の地震でタンスの下敷きになる事態は起こりようがない。このため、タンスについては割り切って固定をしない方針とした。もちろん、タンスのある部屋を家族が寝室として使っているという場合はぜひタンスもこのように固定してほしい。あなたの大切な家族を家具倒壊による圧死から守ることができる可能性は、飛躍的に高まるだろう。

この他、我が家では地震対策として、

1.非常持ち出し品の取りまとめ
2.非常食の整備、懐中電灯・携帯ラジオの電池残量の確認と電池の備蓄
3.原発破壊による放射能飛散に備えた「とろろ昆布」の備蓄

も実施した。(過去ログとしてこちらこちらも参照)

3のとろろ昆布の備蓄は、原発事故によって放射性ヨウ素が大気中に大量放出された場合、放射性ヨウ素の摂取による甲状腺ガンを防ぐための対策であるが、まさかこの対策が本当に役に立つ事態が来るとは夢にも思っていなかった。準備を始めた2008年当時は、準備をしながらも、そんな事態が来るはずがないとどこかで信じていた。しかし今、福島第1原発の事故が現実のものとなり、改めて危機管理の大切さを痛感している。

原発事故については、また改めて書きたい。

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