WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

コペルニクス的転回

2009年01月29日 | 今日の一枚(G-H)

◎今日の一枚 225◎

George Shearing & Mel Torme'

An Evening With George Shearing & Mel Torme'

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「歳をとっていいことってそんなにないと思うんだけど、若いときには見えなかったものが見えてくるとか、わからなかったものがわかってくるとか、そういうのって嬉しいですよね。一歩後ろに引けるようになって、前よりも全体像が明確に把握できるようになる。あるいは一歩前に出られるようになって、これまで気がつかなかった細部にはっと気づくことになる。それこそが年齢を重ねる喜びかもしれないですね。」(「村上春樹ロングインタビュー・音楽を聴くということ」『Sound & Life』2005-9)

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 ジョージ・シアリングとメル・トーメの1982年録音作品、『An Evening With George Shearing & Mel Torme'』。グラミー賞受賞作だ。この作品を購入したのは、もう20年以上も前の1980年代の後半だったように思う。発表されてほんの数年後だったわけだ。以前記したことがあるが、私にジャズボーカルの面白さを教えてくれた《恩人》から薦められたのだ。メル・トーメは彼が最も愛した男性ボーカリストだった。しかし、正直に言えば、このアルバムが胸に沁みるようになったのは、比較的最近のことである。当時は、何となく刺激が弱く、古い世代が聴く退屈な音楽のように感じたものだった。例えば、このアルバムの最後を飾る「バードランドの子守唄」にしても、もっと粘っこく、重いドライブ感があるサラ・ヴォーンのものの方が好みだった。ロックを聴いてきた若造には、より直截的な刺激のあるサラ・ヴォーンのものの方がフィットしたのだ。こんないい曲をメル・トーメはなぜあのように歌うのかわからなかった。自分の大好きなこの曲に感動できなかったことで、私はこの作品に対する興味を失ってしまった。

 しっくりきたのはほんの数年前だ。どういう理由か忘れたが、十数年ぶりにターンテーブルにのせたそのアルバムからは、このアルバムこんなだっけ、と思うような、魅力的な音が流れてきた。細胞のすみずみまでしみわたるような音楽だった。トーメのいわゆる《崩し》のタイム感覚が私の生理的リズムに合致して気持ち良かった。音と音との空白が心に沁みわたるようだった。肩の力を抜いたリラックスした感じが、何ともいえず落ち着きがあっていい。軽い感じのスウィング感も爽快である。ロンドン生まれの盲目のピアニスト、ジョージ・シアリングの奇をてらわない正統的なピアノも、気品が漂い好ましいではないか。端正でデリカシーのあるピアノだ。「バードランドの子守唄」にしても、サラ・ヴォーンとはまったく違う種類の名演であると思った。「バードランドの子守唄。それはあなたがため息をつく時にいつも聞こえる。……」という歌詞を考えると、この作品のほうが原曲の意を汲んでいるといえるだろう。

 そういう目でもう一度このアルバム全体を見渡すと、大好きな名曲がずらりと並んでいる。一転してこのアルバムが魅力的な作品に変わってしまった。カントのいう「コペルニクス的転回」とは、こういうことをいうのだろう。これは、私の聴く耳が深まったためだろうか、あるいはただたんに歳をとり「ディフェンスの人生」に入ったことによるものだろうか。どちらでもいい。間違いなくいえるのは、村上春樹氏もいうように、「人生でひとつ得をしたようなホクホクした気持ち」だということだ。いいものに出会える、いいものを発見できるということは、それだけで素晴らしいことだ。