犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

岩田隆信著 『医者が末期がん患者になってわかったこと』

2010-01-17 23:10:18 | 読書感想文
p.144~

 午前中、昨日のMRIの結果を河瀬教授より聞く。Ope(手術)はほぼパーフェクトに近いが、hippocampus(海馬)内側に沿った部分にGd enhance(造影剤で濃く強調)される部分あり。血管のsacrifice(犠牲)のためのinfarction(梗塞)であろうと思われる。術中のpatho(病理検査)ではGrad(悪性度)Ⅲということだったが、術後の検査で、恐れていたとおり、glioblastoma(神経膠細胞腫)であった。死刑の宣告と同じである。残された時間は1年しかない。今後の不安が一気に突き上げ、頭の中を駆けめぐる。

 もはや決定的な状況でした。この日の検査結果で、怖れていたとおり、最悪のグレードⅣ。平均余命わずか1年のglioblastomaという脳腫瘍の一種であることが判明しました。まだいくらが余裕がある、ひょっとすると治せるかもしれない、という私のかすかな期待も、この日、見事に打ち砕かれてしまったのです。

 私自身、ほとんどうつの状態で、何も手につかない状態に追い込まれることになりました。とにかく、同じ思考が頭の中をグルグル回るのです。回復の希望をもてない患者がこうした気持ちになりうることは、医学の知識としてわかっていても、自分自身ではなかなか止めることができません。


p.10~ 河野浩一氏の「編者ノート」より

 彼もまた、これまで患者のために最善の医療を行い、幾多の命を救うと同時に、その一方では努力の甲斐もなく、多くの患者の最期を看取ってきたに違いない。人間の生と死の狭間で常に闘ってきた人間なのだ。だが、そんな医師とはいえ、自分自身が患者の立場に立ったとき、生と死の狭間という現実を平然と見据えながら生きていけるものなのだろうか? しかも、自分の病気の専門医である彼は、自分の置かれた現実を隅々まで《不幸なほどの正確さ》で見抜く能力をもっている。

 この世に何が地獄といって、我が身の不幸がありありと正確に《見える》こと以上の地獄があるだろうか。見えすぎること、それはまごうことなき地獄の世界である。そんなこの世の地獄に、はたして人間は直面できるものなのだろうか?


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 現代医療の落とし穴を示すものとして、「病を見て人を見ず」という言い回しがあります。そして、現代医療が科学的客観性を前提としている限り、常に落とし穴の存在を注意することはできても、これを埋めることは難しいと思います。例えば、脳腫瘍1つ取ってみても、その個別的な脳腫瘍だけを見ていては治療など不可能であり、「人を見ずに病を見る」ことなしには、病気の治療はできないからです。すでに、多数の人々に生じてきた現象を「脳腫瘍」という言語で一般化したことが、すでに概念に侵されていると言ったほうが正確であるとも思います。

 医師が「病を見て人を見ず」という状態を完全に脱却するためには、自らが末期がん患者になってみるしかないのだろうと思います。そして、この状態に追い込まれた岩田医師は、河野氏の述べるとおり、その専門的知識によって地獄の世界を見ざるを得なくなりました。ここには、医師ではない素人にはその地獄の世界が見えないという点において、科学的客観性を前提とする現代医療の限界が、非常に正確な形で表れているように感じます。この本の帯には「マスコミ騒然! 医療の現実がわかる」「日記とテープで綴った執念の同時進行ドキュメント!」などと書かれていますが、その軽さには辟易します。

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