40代で迎える「こころの定年」

2014年11月03日 | 独り言



新社会人になり、いざ社会人!!
意気揚々と会社の歯車となり1日でも早く仕事に慣れ会社に、人として認められるようになりたい。と思った時期が誰しもあった。

時は流れ、とりあえず責任あるポジションになった人、リストラや一身上の都合で職を転々とする人。
でも「働かなければ生活出来ない」家族を養い、親にも今までの感謝を形として見せ、安心して老後を過ごして欲しいと思うだろう。

しかし、毎日毎日同じような仕事の連続。自分は成長しているのか?まだポテンシャルがあるのか?このまま定年を迎え年金だけでやっていけるのか?
健康は?家族の成長は?いろいろ考えさせることが山積している。

ある人は「仕事があることに感謝しろ」「そんなの昔に比べたら贅沢な悩みだ」「自分さえ心がブレなければそんなことは問題ではない」「今を生きろ!!」と思われる方もきっと多いだろう。ただそれは分かっているのだ。

分かっているなら何故しない。何故そのようなことに陥らないようにしろと言う人もいるだろうが、問題は所詮他人の集まりなんですよ。寂しいかもしれないが表向きは仲間、ゴールや目標を共有している仲間だがその人間が会社から居なくなっても明日も平常通り仕事は進むのだ。

総理大臣が辞任しても、大臣が辞任しても政治、経済は待ってくれない。一流のスポーツの選手が移籍、引退してもチームは「勝つ」ことだけを目指す。「去る者は追わないものだ」

40代ってそれなりに経験し会社の良し悪しも分かっている立場故に、上司に言われた事をまとめる責任もありつつ「私は本当はこうしたい、こうしてみたらどうか?」ということが頭に何時も過る。言っても伝わらない「良いから言われたことだけやってくれ!!」と私も経験したことがある。

自分は溜めこみたくないから言って駄目ならの主義だがそれを恐れる40代も多いはずだ。
今さら会社と喧嘩もしたくないし、意気盛んに主張したらクビも覚悟だ。そんな勇気があるのか?

ここで俺的に大事なのは基本結果を出すのは言うまでもないが結果を出すならまず言われた事は雇用されている以上やらなければならない。
その空いている時間をうまくタイムマネジメントして単調だと思う世界からうまくシフトしたり「彼なら新たな案件を任して見よう」と思わせる努力は必要だと思う。これでも幸せな考えだろう。自然災害や家族の思わぬ(予期せぬ)問題で仕事を辞めなければならない。東京で働いている人なら故郷に帰らなければならない方もいる。

しかし、40代の心の定年を感じる人が半数以上いると聞いている。実際はもっといるはずたろう。
天職に就ける人なんてそもそもいないが、この年代は「まだ勝負の年代だ!!」と思っている人も少なくない。

ハロウィンで盛り上がり不景気と言いつつ各高速道路は最大40km前後渋滞している。
満足しているんじゃないの?

いや、それは普段の生活を日本人は真面目に働き摂生しているに違いない。
真面目に働くのは良いが「生き甲斐」や「多少の苦労をしても俺のしたいことはこれなんだ」「こうなんだ」と思う40代の底力が心身を病むことなければ苦境を苦境と思わず立ちはだかる壁を越え「冒険」しても良いのかもしれない。

いきなり180度の方向転換をするのではなくシフトレバーを少し変えて見ると仕事はきっと楽しくなるかもしれない。
そうなるときっと真の「仲間達」が応援し、家族に対しても世間に対しても今まで以上に優しく慣れるのかもしれない。