おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

春は花月か河よ志か

2017-03-28 | Weblog
ほろ酔い気分の天侯を思わせる春霞の週末、わが輩は長崎は丸山の史跡料亭花月へ。丸山公園そばの舗道から細長い石畳が花月の世界へと続いている。表門に一歩を踏み入れると、左手に玄関が見える。近づいて行くと、おもむろに障子が左右に開かれて和服姿の女性2人が出迎えてくれた。名前を告げて黒靴を脱いで上がる。日本最古の洋間と言われる「春雨の間」に通される。タイル張りの床に格天井、椅子席がある部屋と、畳に朱塗の円卓が置かれ、座椅子がある和室の2間を同時に味わえる部屋である。由緒と風格を感じさせる。


まずは椅子席に座り、部屋の隅々までをじっくりと眺め回す。バブル経済華やかりし頃、多くのお大尽がこの部屋で芸者さんを侍らせてわが世の春を謳歌したことだろう。満潮だった景気はそのうち引き潮、干潮となり、多くの成り上がりたちが干上がって消えて行った。満つれば欠けるは世のならい。今、春雨の間は祭りの後の静けさの中にある。会食の前にお茶をどうぞ。玄関から部屋まで案内してくれた仲居さんが花月の紋入り茶碗を運んで来た。一服しよう。



緑茶を喫し、口砂香(こうさこ)と呼ばれる長崎伝統の上品な砂糖菓子を口元に運ぶ。文字通り、口の中で砂のように溶けて、妙なる味覚がいい香りを思わせるように広がっていく。



ビ―ドロと呼ばれる古いガラスがはめられた窓からは、新緑には少しばかり早いものの、よく手入れされた庭園を眺めることができる。そこには、長崎一の歓楽街・銅座の一角にいるとは思えないような豊かな緑の世界が広がっている。


茶を味わっていると、おやおや、上階の方から三味線の伴奏とともに、なにやら唄が聞こえてきた。ぶらぶら節だ。

♪長崎名物 紙鳶(はた)揚げ 盆まつり

秋はお諏訪のシャギリで 氏子がぶうらぶら

ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう♪

いいねえ。なんの演出なの? 仲居さんに尋ねる。なんでも結婚披露宴があっているという。御目出度いねえ。福のおすそ分けが上階からこぼれ落ちて来る。芸者さんの生演奏、肉声がいい塩梅に部屋を包み込む。

この唄、2番がいいんだよね。

♪遊びに行くなら 花月か 中の茶屋

梅園表門たたいて 丸山ぶうらぶら

ぶらりぶらりと 云うたもんだいちゅう♪

遊びをせんとや生まれけんだなあ、長崎人は。そんで、わが輩は花月にいるのである。

さあ、洋装の綺麗どころ2人、背広にネクタイ姿の男衆がそろった。会食に入ろうか。もちろん卓袱料理だ。

円卓の向かいには床の間がある。鶏年にちなんだ掛け軸が掛っている。


淡い緑色の和服をめした品のいい女将が姿を現し、両手の三つ指を畳について「お鰭(吸い物)をどうぞ」の言葉で会食が始まった。運んできた料理を仲居さんが解説し、取り分けてくれる。合間にいろんな雑談をする。史跡料亭ゆえに建物や建具の改変が難しく、古いガラス戸からは隙間風が入ってきたり、夏場には小虫が入ってきてお客様の前ながら両手でぴしゃりとたたくことなどもあるのだそうだ。上階の披露宴の話題から宴会芸の話となった。野球拳ではじゃんけんに強い芸者さんがいて、男どもはすっぽんぽんにされて御盆を手に逸物を隠す羽目になるそうだ。美形の仲居さんが艶笑譚めいた話をさらりと語って艶然とほほ笑む姿は会食に彩りを添えてくれる。披露宴もとうに済んで、花月にいる客はわたしたちだけである。2時間ほど春雨の間で過ごし会食を終えた4人を仲居さんが上階の大広間に案内してくれた。坂本龍馬が床柱に付けたといわれる刀傷がある広間である。ここから800坪はあるという庭園を見せていただく。ゆるりとした心持ちで庭園を観賞する。花月でいい時間が流れていく。



朋輩は週末、京都・宮川町にいたみたいだ。わが輩が花月で過ごした日の夜遅くメールが届いた。題名は春宵一刻値千金。お茶屋「河よ志」の舞妓さんとのツーショットの写真付き。当人はゆるりとした穏やかな面持ちとなっている。「かんざし揺れて裳裾に春」なんて言葉も添えられている。粋だなあ。庭園を眺めているだけでは粋にはなれない。「次は京都で(飲食を)やりましょう」と上機嫌である。上洛する前にじゃんけんの練習をしておかなくてはいけないなあ。





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