おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

わが谷は白銀なりき

2010-12-31 | Weblog
明け方に1度目が覚めたとき、部屋の中はまだ暗かった。夜明けはまだだと思い、2度寝する。再び目を開けると、窓のレースのカーテン越しに大晦日の光が室内に入り込み広がっていた。曇り空だったが、晴れた日よりも光の存在を感じさせた。カーテンを開けると白銀の世界が広がっていた。積もった雪が室内を静かな光で浮かび上がらせていたのだ。

おっー、雪! 心中に雄叫びがこだまする。雪の世界を歩こう! いざ、いざ、いざ! 長靴を履き、手製のポールを両手に持ってウオーキングだ。


地域の道祖神も雪化粧で本尊が浮かび上がった。




A・ワイエスの世界だ。ミカンも雪の冠を被っている。




こどもは雪だるまに雪合戦だが、大人は違うんだな。




ハートの形が漢字ではこうなる。




英語ではこうだね。




未踏の世界に踏み出そう! Farewell to 2010!
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年越しの天気が荒れるなら007三昧だ

2010-12-30 | Weblog
天気予報では年末年始は荒れるという。ならば007のDVDを見て過ごそう。それもショーン・コネリーが主役をやった作品を集めたBOX版だ。やはり007は初代コネリーで始まり、コネリーで終わるのである。31日から私的に上映開始の予定。

30日夜、一部の友人に「明けましておめでとう」と野太い声で電話を入れる。「早すぎるだろう」と笑い声で反応された。こちらも言い分を丁寧に説明した。しめ飾りも取り付けたし、おせちも注文済みで31日に受け取りに行くだけだし(雑煮は元旦につくる)、屠蘇も清酒に浸したし、お年玉のポチ袋も銀行からもらったアンパンマンの漫画入りでチビッ子に受けそうだし、体調も毎日呑む赤ワインで快調だし、室内の掃除も済んでいるし、朝風呂には入ったし、柔軟体操もじっくりやったし、庭の剪定も終わっているし、ラッセル・クロウの「ロビン・フッド」も映画館で見たし、もう元旦に向けて準備万端の状態となっていた。「こういうことなので年賀挨拶を繰り上げてみたんだよ。分かってくれるかな。TO DO LISTの項目に早く横線を入れて消していきたいんよ」

食材の買いだしでスーパーに出掛けて目移りする。ナマコかあ、旨そうだ。買おう! 生食用牡蠣かあ、ぽん酢に付けてツルリと行きたいね。買おう! ブリの切り身かあ、雑煮の具じゃないか。買おう! 姿勢正しく一本気に伸びた白ネギかあ、白い茎と緑の葉の対照がいい。今夜は鍋だ。買おう! 生食の湯かけ鯨かあ、酢味噌に付けると旨いぞ。買おう! 刺身盛り合わせかあ、清酒によし、ワインによしだ。買おう! マシュマロかあ、あのフワフワ感が緑茶にも珈琲にも合いそうだ。買おう! 正月と関係なく食欲があらゆる理由を付けて食べ尽くそうとしている。

夜が深まるにつれて冷えてきた。もう一度お風呂に入ろうとするか。湯上りには生しぼりしょうが湯でも呑むか。国産のショウガを生のまま絞って濃縮し、黒糖で風味付けて粉末にしました、とさ。ショウガ:熊本産、砂糖:北海道産、馬鈴薯澱粉:北海道産、黒糖:沖縄県波照間島産。産地を信じながら呑んで体を温めよう。
 






 
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ショコリキサーを呑みながら

2010-12-27 | Weblog
バースデープレゼントでゴディバのグランプラスを買った際、ショコリキサーの新発売銘柄に目が行った。ホット・ショコリキサー・キナコ。どんな味だい? 「持ち帰りでこれを頂戴」と注文すると、黒い帽子を被った女性店員が目の前でてきぱきと動いてつくってくれた。

店の近くに止めていた車に戻り、運転席に座って蓋を開けた。まずは一口。ショコラの柔らかい香りと味が鼻腔と口腔をゆるやかに通っていった。キナコの味わいも加わって、舌がうにゅにゅとうごめいた。水を得た魚と言うが、まさにショコラを得た舌とも言うべきか。

口腔内が祝祭の空間となる。舌はもちろん、上下の歯、唇・頬の内側、上顎・下顎の粘膜のすべてがショコラの官能に浸っている。おいしいところ全部を口腔で味わい尽くし、残心のみを胃袋に送り込もうとしているかのようだ。肉体も部位によって役得と言うか、いいとこ取りをして他を顧みることがないのだ。ということをショコリキサーははからずも示してくれた。

考えてみれば、この舌ってやつはいつもは口の中に隠れていてすましているが、なかなかどうして本心・本能・下心の塊だ。いつもおいしいものを一番に味わっている。それがビフテキであれ、ワインであれ、マンゴーであれ、トリュフであれ、女性であれ、全部そうだ。もし肉体の各部位が参加したバトルロワイヤルがあれば、真っ先にやり玉に挙げられ袋叩きの目に遭うはずだ。それぐらい、いつもいい思いばっかりしている。

それに比べて足なんかどうだ。重たい頭と内臓が詰まった胴体を毎日支え、なにかおいしいものにありつきたいと思っても両手に先を越されて食いはぐれてしまう。捻挫したり、水虫になったり、踵にひび割れができたり、揚げ句に雪隠に踏みいれたりと、ろくな思い出ばかりしかない。ひねてO脚になるのも故なしではないと言うものだ。一生、ショコリキサーを味わうことなく、一生、胴体の下の力持ちで終わる運命にある。

機会があれば、この両足をショコリキサーの足湯に浸からせてあげたいものだ。どうしようもない悲哀にくれる足を眺めて気まぐれにそう思いながら、その機会は多分、ほとんど、絶対に来ないだろうという言葉を口腔内の舌の下でぐぐっと押さえ込んでいる。舌の下心というものは、われながら本当に恐ろしいと思う。

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聖夜まで72時間

2010-12-21 | Weblog
歌声スナックならぬ歌声ブログへ、ようこそ。
近所迷惑にならない程度に、パソコンの前で大きな声を出して歌おう!
心も体もすがすがしくなるように
希望がわいてくるように
願いが叶うように
そんな気持で歌いましょう。
レッツ、シンガ ソング!


♪夢で逢いましょう 夢で逢いましょう
 夜があなたを 抱きしめ
 夜があなたに ささやく
 嬉しげに 悲しげに
 楽しげに 淋しげに
 夢で夢で 君も僕も
 夢で逢いましょう





♪いのち短し 恋せよ乙女
 紅き唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の月日はないものを





♪もろびとこぞりて
 むかえまつれ
 久しく待ちにし
 主は来ませり
 主は来ませり
 主は主は来ませり





♪北風小僧の寒太郎
 今年も町までやってきた
 ヒューン ヒューン
 ヒュルルンルンルンルン
 冬でござんす
 ヒュルルルルルルン





♪いつか君と行った映画がまた来る
 授業を抜け出して二人で出かけた
 哀しい場面では涙ぐんでた
 素直な横顔が今も恋しい
 雨に破れかけた街角のポスターに
 過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
 君もみるだろうか「いちご白書」を
 二人だけのメモリィー
 どこかでもう一度





♪いま船出が近づくこの時に ふとたたずみ私は振り返る
 遠く旅して歩いた若い日よ すべて心の決めたままに
 愛と涙とほほえみに溢れ  いま思えば楽しい思い出を
 君に告げよう迷わずに行くことを 君の心の決めたままに
 私には愛する歌があるから 信じたこの道を私は行くだけ
 すべては心の決めたままに

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女占い師

2010-12-20 | Weblog
目の前のテーブルの上にはアールグレイのシフォンケーキと珈琲があった。ケーキを切り分けて口に運ぶ。元の形がふんわりと膨らんで2倍ぐらいの大きさになったようだ。魔術の始まりのように、男のこころの中に占い師の声がすっと入り込んだ。

両手を組んでみて。

言われた通りに左手と右手を組む。祈りのときの仕草を想わせた。

左の親指が一番上になっているわね。それじゃ、左手を観ましょう。

手の平を上にして差し出した。手相には生命線や運命線が描き込まれていた。

肉付きがいい手ね。これは仏さまの手だ。生命線も長い。運命線もくっきりと出ている。

占い師は与願印に見入り、自らの指で男の手相の線をなぞっていく。

占い師は男の過去を読んでいく。続柄を当て、兄弟の数をそらんじた。幼い時に亡くなっている長兄のことも指摘した。

珈琲を半分ほど呑んだところで、男が占い師の過去を読みだした。

あなたは山登りをし、ジャズに関心があったが、今はその時間がない。

占い師はおやっ?という顔つきを見せた。

それに昔、器械体操をしていた。それは学生時代だった。

占い師の顔からおやおやという感情が四方に飛び散った。

あなたも読めるの?

器械体操をしていたならば、開脚前屈ができる?

男は占い師の質問に答えずに、異なった質問をした。

今はできなくなったわ。

男は自慢げに言った。見かけと違ってけっこう体は柔軟ですよ。おなかが床にぺったんこと付きますよ。

どれくらいでそこまでになったの?

毎日15分ぐらいやり続けて3年はかかりましたね。今は前後開脚に挑戦中。多分、数か月で成就できると思う。

なぜ、柔軟体操をやるの?

いつでも、どこでも、道具なしで体1つでできるから。自らの体の中に発見をする歓び、というやつですね。肉体はアートである。これがわたしが発見した真理です。

占い師は男の言葉に乗らず、話を飛躍させた。

わたしは2キロダイエットしたけど、もう少し痩せなくちゃ。

そのままで十分だと思いますけどもね。

上半身はそうだけど、下半身は安産型でどっかりとしているの。

じっくり見るわけにはいかないので、そうですかとしか言えません。痩せ過ぎよりは安産型の方がいいと思いますけどもね。

あなたの口癖って面白いわ。話したことの最後に、ねっという言葉を付けている。

ねっ? それは気付かなかった。

気にしなくていいわ。自分の顔は自分で見ることができないから。

鏡で見ることができるのでは?

それは鏡に映っている顔じゃないの。わたしが見ているあなたの顔を、あなた自身は見ることができないのよ。

それは残念だ。

見なくても大丈夫。いい男よ。






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号とは何ぞや?

2010-12-14 | Weblog
朝方、寝床で意識半分、朦朧半分の中で内耳から声がした。

号とは何ぞや?

問い掛けているのは誰? と思ったが、どうも声の感じがわたし自身のようでもあり、肉体に宿る精神の声というもののようでもあった。

いきなり尋ねられてもなあ。と思いつつ、二の句の問いはなかった。号とは何ぞや? 発句のみだ。

号。550番地1号の号。鉄人28号の号。号令の号。絵画の百号の号。内耳からの問い合わせから号にかかわる言葉が浮かんでくる。わたしも尋ねてみたくなった。号自身に聞きたい。きみ、なんやねん?

書架にある広辞苑(第四版)を引く。847ページ、3段目の中ほどにある。

1、大声で呼び、叫ぶこと。

2、さしずすること。あいずすること。また、そのしるし。

3、名称。呼び名。また、列車・航空機・艦船などの名の下に添えて用いる語。
 
4、学者・文人・画家などが、本名・字(あざな)のほかに用いる雅名。

5、番号・順序を表す語。

これらは号の使用を分類しただけやないの。号そのものの意味合いを知りたいのだけれども。号の神髄、号の誕生を教えてほしいのだ。白川静に聞かんといかんやったろうか。

号の正体がわからないまま日が経過した。賀状のあて名を確認していると、地番で号が出てきた。またまみえたな、号よ。連想で飛躍する。鉄人28号は、号を抜いて鉄人ニッパチと呼称したらどうなるだろう。「正太郎くん、ニッパを呼んでくれ」。ニッパチが短縮されてニッパではしまらないか。

わたしが大学生時代に住んでいた賃貸アパートはライト荘3号だった。角部屋で日当たりがよかった。隣の2号からは時折、女性のよがり声が漏れてきて悩ましかったが。ライト荘の部屋番号は当時はもちろん、つい最近まで何も感じなかった。内耳からの問い掛けがあって以来、ふと記憶に蘇えってきた。号はわが青春時代からわたしに憑依していた。やっと、あの朝方の問い掛けに自信を持って答えることができるようになった。曰く、わたしは号である。
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私家版十二支

2010-12-07 | Weblog
十二支は子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥である。12年周期で同じ顔ぶれが回ってくるのを何回か経験すると、時には入れ替えがあってもいいのではないかと思ったりする。人心一新や人事異動、世代交代など人の世にならって新しい面々を考えてみよう。なんと言ってもお気に入り優先だ。

まずは子こと鼠から。ちょろちょろするのは、もういいだろう。わたしが好きな猫に代わってもらう。飼っている猫を十二支に押し込む。えこひいきだが、愛猫家だから仕方がない。鼠よ、トムとジェリーでも見て溜飲を下げてよ。

次は丑こと牛。黒毛和牛は好きだな。フィレステーキなんか旨いし、まだまだ頑張ってもらおう。そのまま据え置きだ。

寅こと虎の扱いは難しい。猫の拡大版みたいな存在だが、同じような動物が入るのは他の動物に申し訳ない。宝石のタイガーアイなど捨てがたいのだが、ここはぐっとこらえて割愛する。百獣の王ライオンこと獅子に交代してもらう。

そんで卯こと兎だ。ウサギ年のいい女を知っているので、これは一も二もなく残すことにする。

お次は辰こと龍か。風水では風穴に潜む黄色い龍がいるな。まあ、縁起ものでもあるし、外すと見識を疑われるだろう。そのまま残留決定。

巳こと蛇。外れてもらう。理由は開示しない。蛇のために一つだけ弁明させてもらえば、悪意があっての措置ではないことだけを分かってもらいたい。代わりは君たちが好物の蛙にする。それもアオガエル。これで文句があると言うならば牛蛙を連れてくる。

午こと馬だ。優駿なるサラブレットも逞しい農耕馬も大好きだ。乗馬なんかも最高だしね。外すことなんて論外中の論外。

未こと羊か。セーターではかつてお世話になった。フリースで防寒もできるし時代は変わった。ここらで海からの代表として海豚ことイルカに飛び入りしてもらおう。カモーン! わんぱくフリッパー!

申こと猿はどうしようか。ゴリラかオランウータンに代わってもらおう。さて、どちらにお願いしようか。キングコングの力強さの連想からゴリラで決まり。

酉こと鶏。卵はコレステロールの塊だから(正確には黄身部分)という理由で鶏にはお引き取り願って、雉に鳥類からの代表として参加してもらおう。孔雀なんかより質実剛健にして、その渋みのあるあでやかさは大人の男が好むものだ。ケン、ケンと鳴いて高倉健!

戌こと犬は新春花形歌舞伎役者勢ぞろいみたいな存在だ。アフガンハウンド、セントバーナード、シェパード、コリー、テリア、ダックスフント、秋田犬、柴犬、紀州犬、土佐犬、などなど芝居が何幕もできる。犬だけは毎年交代でいろんな種類に登場願いたいね。十二支のナンバーワン!

最後は亥こと猪。ここはありえないようなのがいいな。ペンギン、ムササビ、キリン、白熊、アザラシ、狼、土竜(モグラ)。もっと奇をてらったのはいないか。エチゼンクラゲ、ラッコ、カンガルー、ピラニア、ナマケモノ。収拾がつきそうにないので、猪から豚に選手交代してもらうかな。イベリコ豚の生ハムはおいしいしね。通販でお取り寄せしなくては。


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反時計まわりで振り返る12月5日の食べ物

2010-12-05 | Weblog
夜9時過ぎ、ノートパソコンを開きながらMAXIMちょっと贅沢な珈琲店を非漂泊の紙製フィルターに入れて、Nationalのマイコン沸とうジャーポットから98度のお湯を注ぐ。フィルターを通して肥えた畑の土と同じ色の珈琲が碗に充たされていく。このMAXIMはパッケージのデザインをほぼ無視し、表も裏も売り文句を獅子吼している。表には「期間限定+40g増量」「爽やかな味わいのキリマンジャロ・ブレンド」「360g+40g」「豆を挽いたもの レギュラー・コーヒー」「ドリップしたての味わいを」「点線に沿ってまっすぐ切り落として下さい」「+40g増量」「Kilimanjaro Blend」「Coffee Please  AGF」「コク ШШШ・・」「酸味 Ш・・・・」「苦味 ШШШШШ」(※Шのマークは現物は王冠マークだが、Шで代用する)。とまあ、こんな具合だ。裏は細かい文字でびっしりと埋められているので、無理やり割愛。

珈琲のお友はCRUNKY(CRUNCH CHOCOLATE)。サクサク感がギッシリ!だとさ。メーカーの言いなりにはならない。真ん中でサバ折りにして塊ごと口中にほうり込む。永久歯28本、親知らず4本でザックリと粉々に噛み砕く。

珈琲を入れる前には口慣らしとしてピュレグミPure GUMMY。巨峰果汁のおいしさが売り文句。袋に「コラーゲン ビタミンC入り グレープ味」と刷り込んである。グミキャンディーはガムでもない、キャラメルでもない、ゴムのようなプチプチ、ヤワヤワな歯ごたえがいい。お口と歯の柔軟体操にもってこい。

夕食はカレーライスと冬瓜のスープ。ホームシェフことわたしの手作り。カレーライスは野菜中心で肉はなし。昨夜、トンカツ(ロース)をいただいたので今宵は肉食はお休み。カレーの具はタマネギ、ジャガイモ、ニンジン、ニンニク、トマト、溶ろけるチーズ。スパイスはブラックペッパーを使用。冬瓜(自家製)は種を庭に蒔いていたら勝手に育っていた。手間いらずの逞しい野菜だ。スープのだしには中華料理用の顆粒ガラスープを入れ込んだ。灰汁を貝杓子で取り除いて味を見る。やや薄味だが、いいだろう。冬瓜もよく煮えている。大ぶりの碗に入れた後、食べる直前に胡椒を振り掛けた。いい味だしてると周りにも好評だった。

朝食がブランチだったので、昼食は午後2時半から3時にかけてぜんざいを食す。1口タイプのこもちが入っている。国内産水稲もち米100%と銘打っている。製造元は越後製菓。いろいろつくっているのだなあと感心する。あずきは、ゆであずきの缶詰を活用した。低甘味仕上げで調法している。


朝食は午前10時から11時の間。溶ろけるチーズを乗せて焼いた食パンにオリーブオイルをたっぷりしみ込ませてパクリ。温めた豆乳に、胡麻豆腐、黒豆(煮豆、北海道産黒豆100%使用、低糖・糖分30%カット、化学調味料不使用)、銀杏(むき実、電子レンジで温める)、キュウリ、ミニトマト(自家製)、青リンゴに富有柿(福岡県杷木産)。食前酒は養命酒。銀杏と富有柿で秋を満喫する。

日曜日の朝。猫がニャーオと鳴きながら起こしにやってくる。僕に朝ご飯を頂戴なというサインである。そんじゃ、起きるか。時計は7時半を回っている。洗面、手洗い、猫の食事を配膳して温かい白湯を体の中に入れる。さてさて、トレッキングシューズを履いて散歩だ。途中、朝陽を浴びながら柔軟体操と深呼吸。散歩から戻ると、朝風呂で体をほぐす。緑茶とマシュマロを味わいながら、朝刊2紙にじっくりと目を通す。きょうの読書欄は面白くないなあ。そう思いながら書評を読み進んでいく。

食事の総評:もっともおいしかったのは、むき実の銀杏。小粒ながら柔らかな秋の世界が口中に広がり、食べるのが止まらない。
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牡蠣と檸檬

2010-12-01 | Weblog
「牡蠣が食べたいねえ」。この一言で帰路を寄り道することにした。かき焼きののぼりがいくつもはためく方向に車を向かわせる。案内図に従って大きな道路から小道に入った。右に左へと曲がり道を進み、行きどまりの地にかき焼き小屋はあった。湾沿いの岩陰に掘っ建てられた長屋風でもある。夕暮れまでまだ時間があったが、初冬の寂寥がひたひたと押し寄せてくる感があった。

「やってますかあ」。声を掛けながら中に入ると、先客の若者4人の相手をしていたおばあさんが振り向いた。毛糸の帽子も顔立ちも服装と同じく地味で印象に残らないような存在の薄さだった。にこりともせずにわたしたちの方へ歩み寄り、「はい、はい。ここへ」と席を案内してくれた。薄暗い中で裸電球だけが、ドラム缶を縦に切ったものを横にしたかき焼き台を照らしている。おばあさんはかき焼き台の中に木切れを入れて火を起こした。

炎を見ていると、焚き火をしていた子どものころを思いだした。火遊び。紙がねじれて焼けて灰となり、木が燃え盛った後に赤い炭火のような塊となっていく。マッチ1本火事の元。火の用心。こんな文句が刷り込まれた子ども時代だった。連れの2人もじっと炎に見入り、両手を炎の方にかざしている。「あったかいねえ」。室内の薄暗さが炎の明るさを際立たせた。

殻付きの牡蠣がボールに盛られて運ばれてきた。殻をこじ開ける鉄製の用具と軍手、温められた貝から汁が飛び散るために手作りのかっぽう着もそばに置いていった。2枚の貝を頑なに閉じた牡蠣を網の上に置いていく。炎が貝を突つき、包み込み、熱していく。牡蠣はたまらず口を薄く開けて末期の水を吹きだす。「口を開けたら食べごろだよ」。おばあさんの言にならって軍手をした手で取り寄せる。鉄製用具で貝の口を大きく開くと、牡蠣の本体が現れた。貝底にたまった汁をすする。潮と牡蠣の具汁が混じった天然のだしの味が口中に広がる。「好きな人はこの汁を飲み干すのよ」。好きになれそうな味わいだ。焼けた牡蠣が口に入り、喉元をするりと落ちていく。

「生牡蠣がいいと言う人もいるよ」。おばあさんの言う通りに従う。ボールに入った牡蠣を取り出してマイナスドライバーのような用具で手際良く口を開けていく。唇を突き出して牡蠣を吸い取る。とろりとした牡蠣の身が舌の上を滑っていく。艶めかしさが後味となり、病みつきとなる食べ方。「もっと生牡蠣が欲しいな」。要望に応えて口が開けられていく。焼き半分、生半分が腹の中に収まった。素のままで食べたり、ぽん酢をかけたり、檸檬汁をそそいだりした。牡蠣を味わい尽くした頃にはすっかり夕暮れとなっていた。

檸檬汁が入った黄色い容器を手にしながら、檸檬をもらったことを思い出す。山荘隣地の草地を耕していた元教諭がくれた。「昨年、学校を退職してからは畑仕事が愉しみでね。こうやって檸檬やブルーベリー、梅を植えてるんだけど、実がなったのは檸檬だけ」。元教諭と草地で立ち話をしていた際、檸檬がいくつも実を付けた木から1個をもぎとってきた。「今年は先約があって分けられないんだが、来年はなってるのを好きなだけ取っていいですよ」。こう言いながら先約の中から1個を分けてくれた。テニスボールのように丸く、水彩具の黄色のように人工的な色合いをしていた。「無農薬でここまで育った。市販のものはワックスが掛けてあって買えないよね」

檸檬。梶井基次郎の檸檬。智恵子抄の檸檬。PPMのLEMON TREE。少年時代、あの黄色い色合いはそんなにいいとは思わなかったが、歳月を経た今となっては、その単純な明るさがお気に入りの1つとなった。世界や社会、人生の複雑さとはまったく無縁に思えるような、あの色合い。それゆえにか、なにゆえにか、檸檬は無慈悲な爆弾の役目を負ったり、智恵子の綺麗な歯にかじられたり、切ない恋の歌になったりする。

元教諭にいただいた檸檬を輪切りにして檸檬ティーをつくる。アールグレイの紅茶に入れ、蜂蜜を少しばかり垂らす。檸檬汁を味わうためにスプーンを押し当てる。1杯を飲み干し、2杯目をつくる。輪切りの檸檬をつまんで口に入れて、チュッとしゃぶる。酸味が口中の粘膜に滲みいっていく。酸味の後で広がる思い。単純にして明快な黄色とは、こんな味だったのだ。
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