おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

エピローグ ワイキキの気品 ハワイにて 15

2024-09-16 | Weblog

朝方、ワイキキビーチに出かけ、波間を観ているうちに、泳いでみたくなった。Tシャツを脱ぎ、ハーフパンツのまま波打ち際へ歩き、静かに押し寄せる波を足首に感じながら、海の中へ。冷たくもなく、熱くもない。波間の中を少しばかり泳いでみた。海底の砂地に足を着き、首から下をワイキキの海に浸ける。肉体が海水と絡み合い、たゆとう波の中で戯れている。この目には見えない感覚が、ワイキキの旅の想い出の中に浸み込んでいく。その味わいのここち良さと共に。滞在中のエピソードを集めて、エピローグとしよう。

 

パールハーバーにある航空博物館のお土産店にて 1

パールハーバーの名称を打ち出したキャップとTシャツである。Tシャツには日本軍が奇襲した1941年12月7日(米時間)が記され、太平洋戦争が始まったことを表している。図柄も奇襲された当時のアリゾナなど戦艦名と配置が描かれている。日本人には被ることも、着ることもできないお土産である。

 

パールハーバーにある航空博物館のお土産店にて 2

第2次世界大戦で米国での戦意高揚を図るための当時のポスターや写真がトートバッグの図柄となっている。女性たちが登場することで総力戦であることが伝わってくる。敗戦国ではまずありえない、戦勝国ならではのトートバッグである。

 

パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館にて

1945年9月2日、東京湾で調印された降伏文書がミズーリの艦上で展示されている。ガラスケースに納められ、天皇と政府の代理となる重光葵外務大臣、日本軍の大本営代表の梅津美治郎参謀総長、連合国軍代表のダグラス・マッカーサー元帥の名前が記されている。ただし文書は複製。文書調印に至るまでに日本では太平洋戦争で軍人軍属と民間人合わせて約310万人が亡くなっている(出典・厚労省)。

 

ワイキキビーチにて 1

ひと泳ぎした後、浜辺でくつろいでいると、いろんな人たちのビーチでの過ごし方が視線に入ってくる。高齢の男性がパラソル2本と折り畳み椅子を持って来て、ひとりで組み立てて、椅子に腰かけて海をぼんやりと眺め出した。なぜ、パラソル2本? そう想って、しばらく眺めていると、折り畳み椅子を持った高齢女性がやって来て、相合パラソルではなく愛愛パラソルとなった。奥さんだろうか。2人して静かに沖合を眺めて時間を過ごしていた。語らずとも、相手を思いやる気持ちが伝わってくる。

 

ワイキキビーチにて 2

黒いワンピースの水着姿の女性が視線の先に現れて、バッグを置いて波打ち際へ向かった。しばし沖合を眺めた後、海に入っていき、腰高の深さのところから前方へクロールでゆっくりと泳ぎ出した。10mほど泳ぐと、Uターンして泳ぎ始めの場所へ戻った。泳いでは戻り、戻っては泳ぐことを4、5回繰り返してから浜辺へ。バッグの傍らに立つと、濡れた長い黒髪を右肩の前方で束ね、両こぶしを上から下へ動かして髪から海水を絞り出した。丁寧な所作に美しさを感じていると、女性はバッグから大ぶりの白いタオルを取り出して、体に巻き付けた。お風呂上りにワードローブをまとうような優美さが漂った。タオルを巻いた女性はゆっくりと歩いて側を通り過ぎ、後方にあるホテルへ向かった。タオルをまとっただけなのに、ハワイで見られる白い花プルメリアを想わせる気品を感じた。所作の美しさと大人の女の風情が芳香となって印象に残った。こんなにも爽やかな印象は、ハワイ滞在中では彼女が最初にして最後の人であった。

 

ワイキキビーチにて 3

ミストシャワーに遭った。しばらくすると、沖合に虹が出ているのに気付いた。大きな虹だった。いい気分になった。いい日になりそうだ。そう想えた。虹はいつも希望のオーラを放っている。幸を運んでくれるかな。

 

ホテルにて

イルカのモニュメントは海沿いのリゾートホテルならではである。レイを首にかけて、うきうきして愉しそうにしている様子が、観る人たちへの愉しさのおすそ分けにもなっている。

 

SEE YOU、WIKIKI

帰国便の窓から眺めたワイキキ界隈。登頂したダイヤモンドヘッドも見える。知人が言っていた。「ワイキキで虹を観た人はまた戻ってくるそうですよ」。なるほど、そうありたいねえ。

 

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ワードビレッジ ハワイにて 14

2024-09-14 | Weblog

ワイキキの賑わいに並ぶ、もう一つの名所つくる―。

そんな巨大土地開発がアラモアナショッピングセンターに隣接する地域で進められている。敷地の広さ7万3千坪、東京ドーム5・5個分となる。その名はワードビレッジ。ワードの名称は、マイクロソフトの文書作成ソフトのワード(WORD)ではもちろんなく、かつて一帯の土地を所有し開発した米国人のビクトリアと夫のカーティス・ペリー夫妻の苗字のワード(WARD)から採られている。

今後10数年で14棟の高層コンドミニアムの建設をはじめ、ショッピングセンターやレストラン、グルメなど130店以上、リラクゼーションスペースなどを揃え、ひとつの街を造り上げようという構想だ。既にコンドミニアムは9棟が完成し販売され、残り5棟が建設中や計画中となっている。そんな都市形成の現場を現地居住の日本人不動産業者に案内してもらった。ハワイ諸島を代表するオアフ島の過去をパールハーバーで、現在をワイキキビーチのホテル群などで観てきたが、未来をワードビレッジで垣間見ることにした。

開発主は、伝説の大富豪の名前を冠した不動産会社、ハワード・ヒューズ・コーポレーションである。映画通ならば、レオナルド・ディカプリオが破天荒で風変りな富豪のヒューズを演じた作品アビエイターをご存じだろう。コンドミニアム毎に建設する業者がそれぞれおり、一方で完成前から先行販売する事業主があり、その事業主の販売代理を営む不動産エージェントがかかわる。

ワードビレッジ内で買収された土地の中にあるIBMのビル。歴史的に価値のある建物として保存されることになり、現在はワードビレッジのショールームとして使われている。

 

立ち並ぶ高層コンドミニアム群。ロケーションを味わうためか、全面ガラス張りとなっている。

 

高層階の居室からの眺め。右手奥にダイヤモンドヘッドが見える。絶景である。

 

デッキスペースではゆったりとした雰囲気でおしゃべりが弾みそうだ。

 

見上げて眺めるだけでも未来を感じさせるデザインの高層コンドミニアムばかりである。

 

コンドミニアムによってはパットゴルフ場も設置されている。ワインでも吞みながら終日、仲間と愉しめそうだ。痒い所には孫の手ではなく、ゴルフクラブがそのまま使える。

 

路上から見上げて眺める。なに、これ? コンドミニアムにある空中プールである。

 

プール突端の側面と底の一部が透明になっている。泳いでみませんか? そう勧められたが、あいにく水着を持参していなかった。銭湯だったら、水着なしで入ったかも。

 

広く、すっきりとした居室からの眺め。毎日をいい気分で過ごせそうだ。

 

コンドミニアムの周辺にはショッピングセンターなどがあり、食と住を満喫できる環境にある。ワインコーナーに足を止めて見入る。どれもおいしそうだ。

 

ワードビレッジの夜景である。手前は自走式の駐車場。駐車場でさえ、おしゃれな建物に見えてくる。

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ハレクラニ ハワイにて 13

2024-09-12 | Weblog
ワイキキビーチ沿いにあるリゾートホテルはいずれも高級という言葉が頭に付くものばかりである。グーグルで検索する。「ハワイのホテル御三家はどこですか?」。こんな問い掛けへの回答が掲載されていた。
 
ワイキキで歴史があるホテルといえば、1901年創業のモアナサーフライダー・ウエスティンリゾート、1907年創業のハレクラニホテル、1927年創業のロイヤルハワイアンホテル、この3つが御三家ホテルとして君臨しています。
 
なるほどねえ。ホテルを現地で見て、パブリックスペースとも言えるロビーの風景や、ビーチへ抜ける庭園などを歩いてみると、風格とホテルのステイタスというものが自ずと感じられる。ハワイに何度も訪れている人に尋ねてみると、「ハレクラニが最高でしょうね」と返ってくる。
 
世界標準の高級ホテルは欧米系資本(米英仏)の独壇場である。ヒルトンやマリオット系列のリッツ・カールトンなどは日本国内でもお馴染みだ。現地居住の知人と話す中で、ハレクラニの話題となった。
 
いいホテルだよなあ。俺も泊まってみたいよ。ここはねえ、日本の企業が所有しているホテルなんだよ。三井不動産さ。日本人ならではのきめ細かさで経営しているんだ。すごいねえ。
 
ワイキキを代表するホテルを日本企業が経営し、風格とステイタスを維持し、世界からの富裕なリゾート客を受け入れている。この話を聞いて、わたしは頼もしさというものを感じた。バブル経済絶頂の頃、ジャパン・アズ・ナンバー1として経済活動を世界に大きく広げた日本。金融機関が堰を切ったように貸し出しにしのぎを削った。日本の金融史上、ジャパンマネーが世界を席巻した黄金の日々が到来した。
 
円高のジャパンマネーを威力に欧米の企業や土地の買い占めなどで「経済的脅威」をもたらした日本。米資本が米政府と組んで巻き返しを図り―なんだかパールハーバーへの日本の急襲と米国の逆襲みたいな構図にも似ている―、以後の日本経済は右肩下がり、為替でも円安など経済力の減退が今日に至っている。そんな元気がない時代が続く中で、ハレクラニの経営権を握って運営していることに経済的な逞しさを感じた。欧米資本への挑戦者にも想えた。
 
調べてみると、三井不動産がハレクラニを買収したのは1981年。ジャパンマネーが威力を発揮する遥か前の先行投資となる。以後、今日に至るまで40年以上にわたって評価を落とすことなく経営を続けてきている。老舗ホテルにしろ、新興ホテルにしろ、買収や売却の栄枯盛衰が繰り広げられるホテル業界で生き残っている。なにやら誇らしげな気持ちの中で、ハレクラニの名前は忘れがたいワイキキの想い出となった。
 
ワイキキビーチに面した御三家ホテルを逍遙したひと時を振り返ろう。
 
モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ。観ればいつでも、いつでも観れば、リゾート気分を高めてくれる表玄関である。資格試験の勉強をしっかりしようとか、仕事をばりばりしようとか、民事訴訟の訴状を仕上げようとか、そんな前向きな気分を根こそぎ吹っ飛ばしてくれる。呑んで、食べて、思いっきり遊んじゃえ~、となる。
 
 
雲間からの月光、街灯の輝き、ホテル室内からの明かりがワイキキの夜を彩る。ムーンライトセレナーデの音色が景観から流れてきそうだ。
 
 
ハレクラニホテルの中庭に広がるビーチパラソルと長椅子。眼前にはワイキキの海が広がっている。佇むだけでリゾート気分に浸ることができる。いつもとは違う時間が流れ、ハレクラニ(ハワイ語で天国にふさわしい館の意)の主となる。長椅子でのうたた寝を人生の1ページに書き込むなんて最高だ。
 
 
ハレクラニ直営のパン屋。朝6時開店、11時には売り切れ閉店となる。おいしいという評判を聞きつけ、開店と同時に訪れた。デニッシュとクロワッサンなど3点を買って、宿泊しているホテルの自室で食してみた。旨~い! 日本で食べる職人技のおいしいパンと同じ味わいだった。いい仕事しているねえ。ハレクラニのパン職人たち。
 
 
ロイヤル・ハワイアン・ラグジュアリー・コレクション・リゾート。いやあ、カタカナの行列が強い印象を与える。名前に負けないほどに外観の色合いも脳裏にしっかりと焼き付く。名前も建物もラグジュアリー感がいっぱいである。
 
 
太平洋のピンクパレスの愛称を持つとか。1度観たら忘れられない建物だ。老舗、新興のリゾートホテル群の中で異彩を放ち、存在感のオーラが漂っている。
 
 
ピンクパレスのビーチに面した舞台上では、フラダンスショーや甘い声での歌などがあるルアナ(ディナーショー)催されていた。ハワイ気分にどっぷりと浸かり、ワイキキにいることを実感するひと時となる。
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ディーン&デルーカ ハワイにて 12

2024-09-10 | Weblog

ハワイへ出発する前日、知人からラインでメッセージが届いた。

―今日まで仕事で明日から休み。ハワイ、愉しんできてね。エルメスには行かないよね。

ワイキキのエルメスに行く?(注・まったく想定になし) 知り合いでもいるのかな?(注・店の誰かに伝言かなと連想)

―いませ~ん。(注・な~んだと想いつつ、変なことを聞くなあと思案する)

こんなやり取りから始まって、ディーン&デルーカのバッグの話に流れていった。

(注・ブランドショップの名前なのだろうが、全く初耳、知らないな、そんな店。ディーンと聞けば、映画エデンの東に主演したジェームズ・ディーンしから知らないからね。世代の違いがありありだ)

ハワイ限定のバッグ(注・ラインで画像が送信されてきた。トートバッグのことらしい)が欲しいということだった。日本で購入しようとすると高いのだという。支払いをするので買ってきてくれないというお願いだった。

(注・お安い御用と返信する。メッシュのバッグの表にDEAN&DELUCA  HAWAIIという文字が入った限定品が人気らしい)

ワイキキに着いて数日後、ラインミッションを実行する。まずは店舗の場所を探さなくては。ワイキキの店舗などが細かく記入されている地図を持参していたので、調べてみる。ワイキキビーチ近くにある店と、やや遠い店の2店舗があるのが分かった。

宿泊しているホテルからも近いワイキキビーチ寄りの店へまずは出向く。ロイヤル・ハワイアンセンターというショッピングセンターの1階にあった。高級食品などのセレクトショップが表看板の店だが、バッグなども扱っている。想っていたよりはこじんまりとした店だった。バッグが人気らしく、日本人らしい人たちが店内で商品に見入っていた。

ミッションを再確認する。

メッシュのバッグ。水色が1番の好みだが、他の色でもいい。大と小の2種類あり。両方を買ってきて。

メッシュのバッグがない。水色がない。売り切れたのか。指定された品以外の物はいろいろあるのだが。バッグコーナーには日本語で注意書きのカードが置かれていた。「お1人様、1種類につき1品だけの販売となります」。1人で数種類、数多く購入するのを防ぐためだろうか。購入制限は転売防止の意味合いもあるのかな。

ワイキキビーチからやや離れた店へ赴くことにした。ザ・リッツ・カールトン・レジデンス・ワイキキビーチの1階にある。こちらもこじんまりとした店舗だった。目的のバッグが水色をはじめ、各種の色合いのものがたくさんあった。購入制限のカードもなし。ラインで送られた画像よりは色合いが鮮やかで、おしゃれな雰囲気が漂っていた。

ここで想う。バッグの表にDEAN&DELUCA  HAWAIIの文字があるか、ないかで印象は大きく異なる。文字が入っていると、ブランド品としての威光が香り立つのだ。文字がないと、それほど見向きもされない感じだが、あると俄然見向きされそうだ。ブランドが商品に付加価値をもたらすということだ。

ミッションを完了し、友人に購入までの顛末を話すと、「ふ~ん」。それほど関心を持つ様子ではなかった。ブランド名を聞いて、ジェームズ・デーンを連想する世代だからねえ。

(注・後日、ロイヤル・ハワイアンセンターのディーン&デルーカの前を通ったら、開店前なのに約50人ほどの男女が並んでいた。日本人? 年代にして30代前後だろうか。お目当てはメッシュの限定品かな。そう想いつつ、行列に温かい眼差しを向けて通り過ぎた)

 

ミッション実行日。ロイヤル・ハワイアンセンターのディーン&デルーカへ。ハイビスカスの花をデザインしたトートバッグが店頭にあった。日本語で購入可能です、などと日本人向けの案内が書かれている。

 

あった! 目指すトートだ! いや違う、メッシュじゃない!

 

あった! トートバッグだ! またもメッシュじゃない!

 

リッツ・カールトンのお店で購入したメッシュのトートバッグ。実物は画像とは違って、エメラルドグリーンに近い鮮やかな色合いである。HAWAIIの文字が入っているのが人気なんだな。間を置いて呟く。ふ~ん。

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アロハシャツでイタリアン ハワイにて 11

2024-09-08 | Weblog

ハワイならではの郷土料理を味わうのもいいが、ハワイであえてお気に入りの洋食を愉しむのも一興である。オアフ島周遊の相方となった知人とともにワイキキの中心地区にあるイタリアンに出かけた。予約を知人が事前に取り、わたしが運転・案内役の知人をねぎらう夕食。宝石店ティファニーのお店を曲がった先に今宵の宴の場があった。ティファニーで朝食ならば、イタリアンで夕食となる。

お目当ての店はタオルミーナ・シチリアン・キュイジーヌ。総料理長は日本人で、ワイキキで人気のあるイタリアンだという。夕方5時の開店と同時に入店、2階にある席に案内された。細身で長身、愛嬌のいい黒人女性がわたしたちの席の担当となり、英語と日本語が併記されたメニューを手渡された。日本人が「ここのイタリアンは旨い!」としてたくさん訪れる店だと分かる。

知人はビール、わたしは赤ワインを頼み、愉しい周遊を想い巡らしながら乾杯。コースではなく、アラカルトで好きな料理を選ぶ。料理が主役ではなく、会話が主役となる宴なのだ。旨いイタリアンは滑舌をよくする盛り上げ役である。大盛のサラダを2人で取り分け、メーンディッシュのパスタを話の合間にフォークで巻き上げて食べていく。

予約客たちらが三々五々、来店して全席が埋まったようだ。それぞれの客たちは料理とアルコールを味わいながら歓談の時間を過ごしている。隣りの席には日本人の男女が座った。30代後半ぐらいで、現地勤務風で落ち着きを感じさせる2人だった。注文した料理がわたしたちと同じだった。おいしそうに食べていたわたしたちに触発されたのか、たまたま同じ嗜好だったのか。締めは珈琲に加え、イタリアンと言えば、やっぱりジェラート。今宵は大食ではなく、程よく食べるイタリアンだ。店を出たわたしたちはワイキキビーチへ出かけ、夕涼みを味わった。これもまた、目には見えないながら、おいしいデザートとなった。

イタリアンの開店前のひと時をギャラリーで過ごす。モダンアートは多様で描き手自身がキャンバスを舞台にめいっぱい愉しんでいる。巧拙はともかく、絵画を観る時間って素敵なひと時でもある。題材、色使い、独自性など、感性を刺激される。気さくなスタッフの了承を得て撮影させてもらう。

 

開店と同時に入ったタオルミーナ・シチリアン・キュイジーヌ。1番乗りだった。エレガントでスタイリッシュな雰囲気である。

 

注文した料理が出てくる合間、グラスワインを吞みながら自席から階下の店内を眺める。ハワイと言うよりは、ヨーロッパの風情が漂っている。パリの裏通りの小粋な料理店という感じか。

 

食後はワイキキビーチで夕涼み。着用したアロハシャツは日本から持参した手持ちのもの。里帰り着衣となる。ハワイでは正装として扱われる便利なシャツである。程よく焼けた両腕からはワイキキの爽やかな微風を感じさせるオードトワレが香り立つ。名付けてTHE BREEZE OF WIKIKI(ワイキキのそよ風)。そんな幻想が両腕にまとわりついた。

 

ダイヤモンドヘッドを背景にワイキキビーチの突堤から夕陽を眺める人たち。夏の宵の絵のような風景だ。

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ノースショアまで ハワイにて 10

2024-09-06 | Weblog

オアフ島を周遊ドライブしよう!

知人の誘いに乗って、ワイキキ中心部からダイヤモンドヘッドを眺めつつ、島の東端へ到り、さらに北西に海岸沿いを走り、西側にあるノースショアまで向かうことにした。建物がいっぱいの街中から山々と海岸線と海が織りなすハワイの魅力そのものにどっぷりと浸かるドライブである。

天気良し。海の表情、最高。体調万全。好奇心、旺盛。車中での会話、笑いっぱなし。仕事でもない、趣味でもない、別次元の愉しみの世界へ向かって、ハワイの舗装路を快適に走っていく。さあ、未だ知らない世界を観に行こう。

 

景勝地を通るたびに車を降りて眺めを愉しむ。ハ、ワ、イ、の青い空と白い雲、群青の海原、濃い茶色の岩肌と極薄の様々な茶色などが混じった海岸がつくり出す色合いの妙を味わう。

 

駐車場の背景となっている山手を見上げる。ハワイが火山で出来上がった島だということを荒々しい山肌から感じ入る。

 

海岸線に迫った急峻な岩山沿いに道路が整備されている。左手に断崖、右手に海を眺めながら、車中での会話が弾む。青春時代のこと。学生時代の想い出。会社員時代の失敗事。人生、長く生きていると、いろいろあらぁな。そんな落ちだらけの会話をやり取りしていく。

 

島の最東端にあるマカプウビーチ。ワイキキビーチとは対極の、自然がつくり出した荒々しいままの海岸となっている。沖合の島はラビットアイランドと呼ばれているそうだ。形がウサギの顔やウサギが丸くなっている姿みたいだからというのが名称の由来とか。う~ん、そんな風には見えないんだがねぇ。

車はマカプウビーチから海岸線に沿って北西へ進んでいく。目指すはクアロア・ランチ・ハワイ。東京ドームの約450倍の広さがある牧場である。ジュラシックパークなど映画のロケ地として有名。ロケ地ツアーをはじめ、木と木の間に張り渡されたワイヤーロープを滑車で移動するジップラインツアーなどがある。乗馬ツアーもあるという知人の言葉に食いついた。馬の手綱さばきに少しばかり経験があるわたしが叫んだ。「よし、馬に乗ろう!」

 

クアロア・ランチ・ハワイに到着する。駐車場の背後にある奇岩の山が、健康的ではない、不気味な雰囲気を漂わせている。山ひとつ取っても、異界の感じが伝わってくる。

 

ごつごつとして、不健康そうで、不気味な色合いの緑色に覆われた山肌を観ていると、ゾンビや妖怪、悪霊などの表情が見えてくる。日本ではまず見られない奇岩てんこもりの風景である。真夏に背筋がヒヤリとする定番の怪談映画ならぬ、怪山が目の前に広がっている。ヒヤリと言うよりは、なにか気分が落ち着かない、不快な感情を呼び起こさせる山容である。肝心の乗馬だが、受付嬢に「いきなりですけど、乗馬できますか」と尋ねると、「2週間前から予約でいっぱいで無理ですね」とニッコリ笑顔で返答された。そうか、米国も夏休みで家族連れらが詰めかける時期だったことを忘れていた。想った通りにいかないことは人生に付き物。そうであれば、乗馬への未練を残さず、さっと引き揚げる。切り替えがめっちゃ速いのだ。

 

 

ノースショアへ行き着いた。ハレイワ・アリイ・ビーチ。ワイキキビーチの賑わいと比べると、閑散とした感じだが、のんびりとした雰囲気が漂っていて好感が持てた。サーファーの聖地だと言うので、サーフィンがある景色を期待していが、夏場は波がなくて「オフシーズン」とか。冬場がシーズンなんだそうだ。オフシーズンとは言うものの、海と浜辺を終日ぼんやりと眺めて過ごすのには打ってつけかも。しばし寛いだわたしたちは、ノースショアから東南方向へ進んでパールハーバー近くを通り、アラモアナ地区からワイキキまで戻った。来た! 観た! 想った! そんなオアフ島ぐるり一周の旅だった。

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アサイボウルとバナン ポケ丼に丸亀うどん ハワイにて 9

2024-09-04 | Weblog

郷に入れば郷にあるものを食す。旅の愉しみの1つに地元ならではの食べものがある。舌鼓を打った幾つかを紹介してみよう。いずれも知人らのお薦めの品々となる。

まずはアサイボウル。ダイヤモンドヘッドの麓にあるボカーツカフェというお店でお見合いとなった。アサイと聞けば、浅井という日本人の苗字を連想してしまうが、まったく関係ないようである。ブルーベリーに似た濃い紫色の果実の名前である。ポリフェノールたっぷりで健康にいいというのが売り。アサイをグラノーラの上に乗せて、スライスしたイチゴやバナナを添えてある。

 

話題のフルーツの盛り合わせを食べるという体験が魅力なのだろう。新鮮なフルーツの味わいが小腹を満たしてくれる。

お次はバナン。フランス語でバナナの意味だという。バナナだけを使ったソフトクリームである。砂糖や乳製品を使っていないのに、絶品の味わいとの評判だという。個人的にはジャージー種の濃厚味の牛乳を使ったソフトクリームが好きなのだが、さてと、バナンの味わいや、いかに。

丸い器の部分には団子状にしたものが幾つか入れ込まれ、その上によりよりの形状をしたソフトクリームが乗っかっている。ワイキキビーチに通じる細い路地にお店があり、買ってからビーチ寄りの日陰で海水浴客らを眺めながら味わってみた。バナナそのものが持つ濃厚な甘さに冷たさが加わった、常夏のハワイらしいスイーツである。

ポケモンではない。ポケ丼である。どんな丼なのか。一言で言えば、ハワイ版海鮮丼である。白米の上にマグロなど魚の切り身を乗せ、これに塩や海草、ナッツなどを加え、醤油などで味付けした料理。トッピングもいろいろあり、店員に勧められてアボガドをお願いした。

想像以上にいろんな具材がごちゃまぜに入っている。持ってけ、泥棒、ぶっかけ海鮮丼だあ。そんな勢いと雰囲気が漂っている。ハワイ版海鮮丼と紹介したものの、日本版海鮮丼の盛り付けの美しさ、口中に染み入る味わいの奥深さを知る者としての感想は、お国が違えば海鮮丼もこうも違ったものになるのか。そんなことをしみじみと感じた味付けでございました。

ホノルルの丸亀製麺のうどん店は行列のできる人気店ですよ。値段も日本より少しばかり割高程度で、リゾート客用のばか高い価格となる地元の食べ物からすれば安くて旨いと評判です。そんな話を聞いて、ある日の夕方に訪ねてみた。

いるわ、いるわ。並んでいる。並んでいる。白人も黒人もアジア人も行儀よく順番を待っている。割安で美味しいのであれば、行列に加わってでも食べようとなる。これは世界共通で、人種や国籍、年齢、性別は関係なし。シカゴから来たという大柄の白人男性4人組はうどんをはじめ、揚げ物などを食べまくっていた。欧米では食事の際、食べ物が入った器を手に持って汁をすすり呑むというのはマナー違反と聞くが、そんなことはおかまいなしに丼を両手で持って、一心にすすっていく白人男性を観た。いやあ、おいしそうに食べている。わたしも牛肉玉子うどんの大盛を食す。日本のお店と同じ味わいである。旨い! メイドインジャパンの食べ物は異国にあっても体と味覚に合うなあ。

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ダイヤモンドヘッドに登る ハワイにて 8

2024-09-02 | Weblog

ハワイへの旅。それは歴史と自然に出逢うことである。それを叶えるのが、パールハーバーを訪れることと、ダイヤモンドヘッドに登ること。標高232m。登山路は整備され初心者でも登りやすい山。ガイドブックにそう書いてある。現地居住の友人に声を掛け、家族ともども一緒に登ろうとなった。

野に遊ぶというのが小さい頃から好きだった。長じて自分の足と体力、技術と経験を活かしての山登りや山歩きが人生の友ともなった。ワイキキビーチから眺めるダイヤモンドヘッドの寡黙な佇まいに改めて惚れ込んだ。天気晴朗にして、波穏やかなり。わたしたちは早朝に麓へ出かけ、日の出を目指して登り始めることにした。

登頂する数日前、麓にあるカピオラニパークから眺めたダイヤモンドヘッド。この山容を眺めて想う。ワイキキビーチと一緒になった姿こそが、この岩山の魅力を際立たせるということを。地味な存在の岩山と、派手で輝いた存在のワイキキビーチとのマリアージュ。その成功例とも言えそうだ。

 

ワイキキビーチから観たダイヤモンドヘッドの後ろ側から登っていく。つづら折りの登山路を頂上目指して黙々と歩いて行く姿を仰ぎ見ることができる。

 

手すりがついた細い登り坂をゆっくりとした足取りで進んでいく。

 

急傾斜地の山腹を掘削して作った、長い階段が待ち受けている。大人も子供も一歩ずつ足元を踏みしめて上がっていく。低山とは言え、舐めてはいけません。

 

頂上に着く前に朝陽が登り始めた。ダイヤモンドヘッドからしか拝めない景色でもある。

 

頂上から来し方道を振り返る。世界一有名な低山には多くの人たちが訪れる。

 

頂上では360度の眺望を楽しめる。様々な言語が飛び交い、スマホのシャッターが押され続ける。

 

眼下に広がるハワイの青海原。エメラルドグリーンあり、ダークブルーありと表情豊かな海である。

 

ワイキキビーチ一帯やアラモアナ地区の街並みを遠望する。ビーチから眺めていた山の頂に立つ。この高揚感は月面に立つ境地に通じるものかもしれない。そこに山があるから登るのだ。天空に月が輝いているから赴くのだ。人が持つ好奇心と冒険心が頂上という高みへの歩みを導いてくれる。登頂したという達成感と、地上を山頂から見下ろすという感動が、登山者たちを待っている。

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ワイキキビーチを歩く ハワイにて 7

2024-08-31 | Weblog

世界各地のリゾート地の中で、ハワイを王様にしているのがワイキキビーチである。その魅力の源がビーチに立ってみると、よく分かる。ビーチが主役なのはもちろんだが、周りの景観をつくり上げている脇役たちが主役級ぞろいだからだ。

ビーチ沿いや近くに立ち並ぶリゾートホテル群、ブランド品をはじめ、衣食住に関わる種類豊富な店舗群、ビキニ姿で歩くことができる開放感あふれる通り、青い空に白い雲、緑のヤシの木立、極めつけはビーチから眺めることができるダイヤモンドヘッドの姿。「俺は、わたしは、今まさにワイキキにいるんだ。そこを歩いているんだ」。訪れた人たちはこんな多幸感に包まれた表情をしている。

早朝の人が少ない時間にワイキキビーチへ。砂浜も波打ち際も、波も沖合の風景も、すべてがワイキキという言葉に包まれて特別感が漂ってくる。波が押し寄せない砂地部分は想った以上に歩きにくい。砂の層が柔らかく、踏みしめた足元がおぼつかない。波打ち際のなだらかな砂地へ移り、歩く。こちらもやはり足元が沈んで歩きにくい。

靴を履いているから、足元を気にすることになる。素足になろう。波打ち際であろうと、波が押し寄せようと、へっちゃらだ。なにより足元に波が戯れるのがここちよい。ダイヤモンドヘッドを遠景に眺めながら歩いていく。濡れた砂地を踏みしめる感触は少年時代の海水浴を想い出す。暑さで熱を持った砂浜を飛び跳ねるようにして海辺へ向かったことなどだ。両親や兄弟との愉しかった夏の日々がワイキキで蘇ってくる。

沖合にはサーファーたちが波間に漂っている。散歩をする人、ジョギングする人、浜辺で沖合を眺めている人、ヨガレッスンをしているグループ。夫婦、若者同士、親子連れ、老人たちらがワイキキビーチで憩いのひと時を過ごしている。途中、ミストシャワーに遭ってビーチ沿いの大きな木の下で雨宿り。ビーチの王様はどんな人たちにも心地よさをもたらしてくれる。

リゾートホテルが立ち並んだ先にあるのがダイヤモンドヘッド。景観の良さを格上げする役目を果たしている。絵になるワイキキビーチの立役者である。

 

パイナップルが乗った砂山が浜辺につくられていた。誰だい、こんな粋なことをするのは。

 

砂浜に靴。正しいワイキキビーチの歩き方ではありません。これは街中を歩くスタイル。

 

素足で歩くのが正解。砂地の感触を直に味わえる。ただし早朝のみ。昼間はあちち、あちちと砂浜を飛び跳ね、小走りとなる。

 

波打ち際でワイキキの水泡に包まれる。これぞ足だけでなく、命の洗い清めというものだ。

 

早起きサーファーたちも元気いっぱいで波と戯れている。

 

ベンチに腰かけて穏やかに語り合う年配の男性2人組。海を眺めながら、ゆったりとした時間が流れるのを感じる。

 

ミストシャワーに遭って、雨宿りした木立。自然の中でぼんやりとして過ごすひと時が心地よい。空からも、木からも、地面からも、自然の恵みというものを感じてしまう。

 

ワイキキビーチというのは総称で、8つのビーチから成っている。全長約3㎞である。歩き始めたのは中央付近にあるホテル、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパの前にあるカハロア・ウルコウ・ビーチ。カタカナだらけの長ったらしい説明になるのは、世界有数のリゾート地、ワイキキならではの事として、ご容赦願いたい。すべてが「ワイキキですから」で説明が付き、納得せざるをえない土地柄なのです。

 

ワイキキビーチの東端の終点となる場所から木立が広がる緑地帯へ。多彩な海のブルーと、生き生きとした沿岸のグリーンの世界に浸りきる。

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ウォールアート@カカアコ ハワイにて 6

2024-08-29 | Weblog

カメハメハ大王像を観おわった後、順路を変えて徒歩でアラモアナショッピングセンターへ戻ることにした。目に入ってくる、さまざまな建物や風景を愉しみながら、ハワイの心地よい空気感を味わう。そうして、偶然ながら、ウォールアートで彩られた倉庫街に出くわした。カカアコ地区。後に知ったことだが、かなり有名な場所だったらしい。説明の言葉は不要とまでは言わないが、まずは、目にしたウォールアートをご覧あれ。

 

歩きながら、最初に目にした作品。平屋の表壁に思いっきり描きまくったなあ。そんな第一印象だった。

 

歩くにつれて、ウォールアートの作品街みたいな地域だと気づいてくる。ベロを出したり、前歯をむき出しにしたり、ダハハハハと笑っていたり。上手なのか、下手なのか。よく分からないながら、なんとなく愉しそうな、浮き浮きした気分になってくる。

 

倉庫街だった地域がハワイ・オアフ島の人気スポットに変容している。もはやアート作品の屋外展示場となっている。しかも倉庫は実際に使用されているものである。

 

漫画チックで、描き手自身が思いっきり愉しんでいるなあ。

 

ワオ! 声を上げて、作品を称賛してしまった。もう1回叫ぼう。ワオ!

 

 

1つの作品の中に多様な題材と表現を入れ込み、溶かし込んでいる。なんという才能の開花だろう。

 

さあ、どうだ! 海ガメだあ~。手前の乗用車にのしかかってくるような迫力がある。

 

手に持った果実―果汁がしたたり落ちている―に爬虫類がまとわりつこうとしている作品。女性の顔つきは健康的とは言い難いが、なにをしている方だろうか。裁判官やプールの監視人ではなさそうだ。

 

こちらの女性はパッパラパーに明るい方みたいだ。海蛇みたいな動物が手にした果実―前作同様、果汁がしたたっている―にまとわりついている。女性と果汁と海蛇。なにやら性的な味付けがしないでもない。

 

いくらでも作品を紹介できるが、きりがなくなってくる。とりあえず中締めの作品はこれにした。カウボーイハットを被った、なんとも艶めかしい表情のご婦人。紫色に彩られて、怪しげさを醸し出している。惚れられたら、馬乗りにされるなど、えらいことになりそうだ。さわらぬ美女にたたりなし。スタコラサッサ、早く立ち去ろう。

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カメハメハ大王を探して ハワイにて 5

2024-08-27 | Weblog

ハワイ・オアフ島観光の愉しみの1つにショッピングセンター巡りがある。ワイキキ地区にはインターナショナル・マーケットプレイスやロイヤル・ハワイアン・センター、アラモアナ地区にはアラモアナセンターが頭に浮かぶ。品揃え、飾り付け、オブジェなど、訪れた客をとりこにする仕組みがいっぱいだ。多種多様な店舗があり、見飽きることがない。

アラモアナセンターを訪れて、しばし店舗巡りをしてみる。陽ざしが強い割には日本のような多湿による心地悪さがないのが助かる。

 

センター内のフードコートでランチを何にしようかと思案する。ラーメン1杯、日本円に換算して3000円。ダイアモンドを出汁にして隠し味に使い、キャビアをトッピングしているのか! そんなギャグを飛ばしたいぐらいの、受け入れ難い価格である。円安(1ドル150円換算)、国際的な観光地ならではの元々の物価高に加え、コロナ禍後の値上がりが反映されているのだろうか。バカ高いラーメンを食べたことを土産話にする気はない。稲荷寿司と巻き寿司がそれぞれ3個入って、日本円で1000円ちょっとほど。品目と価格に納得して手に取る。日本で食べるのと同じ味わいで、おいしかった。なんでハワイで助六寿司なの? そんな突っ込みはなしよ。妥当な価格に満腹となる。

ワイキキ地区からトロリーバスに乗って、アラモアナショッピングセンターまでやって来たのには訳がある。歩いて2㎞ほどのところにカメハメハ大王の立像と米国にある唯一の宮殿となるイオラニ宮殿を訪れるためである。センター西側から少し北上し、後は西へ大通りを歩いて行けばたどり着くとの見立てである。歩く道すがらの風景を眺めながらの、テクテク観光だ。

車道沿いの広々とした歩道を進んでいく。前方に歩道内の清掃やゴミなどを回収する男性がいた。観光地ハワイの美しさを保っている。公務員なのか、行政から委託された民間業者なのか。あちこちで、こうした清掃などをする人たちを見かけた。心地よさには訳がある。

 

自転車を表したオブジェをいくつも見かけた。自転車走行可ということだろうか。シンプル イズ ベストな作品でもある。

 

メルセデスベンツ・ホノルル店を眺めながら歩いていく。どこにでもあるんだな、この名車のお店は。

 

メルセデスベンツのお店の先には、日本の名車の店があった。ベンツを意識し、対抗するために作られたレクサス。堂々と張り合っているところが頼もしい。近くにはBMWの店舗もあり、日独の名車が販売を競い合う地区ともなっていた。

地図を頭の中に入れ込んで、未見の目的地を目指す。わずか2㎞、たかが2㎞と言えども、かなり遠い道のりに想える。あの先に宮殿の建物が見えるはず。そんな想いを描いてたどり着くと、宮殿の姿はなし。かなり目的地に近づいているはずだが。そんなことを想いながら歩き続ける。さあ、着いたはず。あれっ、違う。こんなことを数回繰り返して、正解となる情景に行き当たる。

 

緑の芝生とヤシの樹木の庭園の中にイオラ二宮殿はあった。現代的な高層建物に囲まれた、こじんまりとした石造りの建物である。しばし、見入った後に、最終目的地でもあるカメハメハ大王の像へ。宮殿と対面するような形で像は立っているはずだから。

 

ハワイ8島を統一した最初の王であるカメハメハ。写真では過去に何度も観たことがあったが、こうして実物を前にすると、なにやら感慨がある。とりわけ、徒歩で探し巡りあったということで。

 

ハワイの夏の青空と白い雲が大王の前方に広がっていた。こんな風景に出逢えるから、旅はやめられない。

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大和 ミズーリ 特攻 マッカーサー ハワイにて 4

2024-08-25 | Weblog

パールハーバーには太平洋戦争の始まりと終わりを象徴する戦艦がある。前者は1941年12月7日、日本軍の真珠湾攻撃で沈没したアリゾナ。後者は1945年9月2日、東京湾の艦上で日本が降伏文書に調印したミズーリである。日本では昭和天皇が太平洋戦争終結を国民に伝える玉音放送があった8月15日が終戦の日となっているが、世界史的には9月2日の調印―わずか23分間で終わった―でもって第二次世界大戦が終結した日となっている。この日は米国にとって戦勝記念日である。

戦艦ミズーリは太平洋戦争後半の1945年に入り、2月の硫黄島上陸作戦や4月の沖縄上陸作戦に参加し、海上から砲撃を行った。南方から沖縄や日本本土を目指して攻め上がる米軍に対して、九州南部の鹿児島にある知覧や鹿屋の特攻基地から護衛機なしで特攻機が沖縄海域へ飛び立った。往きて還らずの捨て身の作戦。必勝ではなく、必死となる戦法。「悠久の大義に生きる」「七生報国」。父母や妻らへの想いを遺書に綴った特攻隊員。その無残で痛ましい最期を、米軍が撮影した写真や映像で日本人は戦後、知ることになる。散華という詩的な響きを木っ端みじんに撃ち崩す特攻の真実が伝わってくる。

太平洋戦争後、朝鮮戦争や湾岸戦争に出動したミズーリは1992年に退役し、1999年1月から記念館として一般公開されている。わたしはアリゾナ記念館を訪れた足でミズーリ記念館へ向かった。日本が降伏文書を交わした場所そのものを観るためであった。案内役で高齢の日本人ガイドが尋ねた。「大和とミズーリはどちらが大きいと想いますか」。世界最大級の戦艦大和との想いがあるため、わたしは即座に応じた。「大和!」。ガイドが答えを返した。「大和の全長263m、ミズーリ270.4mです」。両艦とも、戦法が大艦巨砲主義時代ならではの産物である。その後、戦法は航空機(爆撃機)主体主義へと主役が変わってくる。

米戦艦はアリゾナやミズーリ、オクラホマなど州名が付けられている。降伏文書の調印がなぜ、東京湾に停泊していたミズーリで行われたのだろうか。終戦まもなくで安全な調印場所が都内に確保できなかったのだろうか。こんな疑問もガイドが解説してくれた。「当時のトルーマン大統領の出身地がミズーリ州だったからですよ。出身地の名前が付いた戦艦上で第二次世界を終わらせた、ということです」

ガイドがミズーリの甲板や船内を案内する。そのハイライトの1つが降伏文書の調印式をした場所の解説であり、もう1つが神風特攻機がミズーリに突っ込み―右舷の一部が損傷した―、搭乗員2人のうち1人の遺体が上半身だけ甲板に特攻機の一部とともに転がっていたという話。水兵たちが遺体を消火ホースで海へ遺棄しようとしたところ、艦長が止めさせて、国のために戦った者として丁重に扱うとして水葬にしたという内容である。水葬に携わった水兵の立ち位置が甲板に記されている。水葬にされた特攻兵の名前も分かり、遺族から提供された当人の写真ともども表示板で英語と日本語で紹介されている。憎しみ合う敵同士であるが、死者となれば、その勇敢さに敬意を表する。そんな米国あるいは米海軍将官の寛大さをあえて強調する、日本人向けの美談にも想える。

 

戦艦ミズーリ記念館へ到る通路はたくさんの星条旗がはためいていた。

 

戦艦大和に勝るとも劣らない重厚長大の巨艦ミズーリ。大和は沖縄戦への水上特攻で無数の米軍機からの波状攻撃を受けて沈没爆発したが、ミズーリは大艦巨砲の戦艦として生き残り、退役まで任務を果たした。余生を戦争を語る記念館として過ごすことになった。2つの巨艦の運命が敗者と勝者の在り様を物語っている。

 

東京湾に停泊した戦艦ミズーリで行われた降伏文書調印式の様子。

 

連合国総司令部のマッカーサー元帥が調印するのを見守る、天皇と政府の代理としての重光葵外務大臣ら日本政府と軍部の代表ら。参列した主な人物それぞれに番号が振られ、写真下部に各人の名前が英語と日本語で書かれている。

 

甲板の丸い銘板と金色の円板はマッカーサーが椅子に座って降伏文書に署名した場所を示している。第2次世界大戦に終わりを告げた歴史的な場所でもある。

 

ミズーリに突っ込む特攻機を米軍が撮影した写真や、特攻兵の名前や水葬の様子などが艦上で紹介されている。

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アリゾナ記念館 ハワイにて 3

2024-08-24 | Weblog

米海軍の水兵が操縦するシャトルボートに乗って、5分。パールハーバーの中にあるアリゾナ記念館に到着した。歴史の教科書などで読んだり、真珠湾攻撃を伝える映像で観た世界へタイムスリップする。1941年12月7日の出来事が、負の遺産として海底に眠っている。戦艦アリゾナ。戦闘機が放った爆弾が艦のデッキを貫通し内部に入って爆発、沈没した。乗組員1177人が犠牲となり、海底に沈んだ艦と運命を共にした。戦後、追悼のための施設が艦の上に設置された。

シャトルボートから浮桟橋に移り、他の訪問者とともに白亜の記念館の中へ。周りの海を観ると、虹色の油模が水面に浮いている。話に聞いていた、あの日の沈没から現在に至るまで艦内から漏れ出しているという重油だった。ハワイの朝陽に照らされ、美しい虹色をした油膜に深い感慨を覚えた。

歩みを進めると、沈んだ艦の一部を見下ろして観ることができる一角があったり、砲台があった部分が海面に露出しているのを目にすることになる。最奥部には犠牲となった乗組員全員の名が刻まれた大理石の碑が立っている。1人ひとりにこの世に存在した証としての名前があり、それがあの日の朝、一瞬にしてこの世から不在となってしまった。不本意に命を無くすこと。戦争の実相がここにある。

国同士の話し合いによる解決が外交ならば、国同士の武力による決着が戦争となる。太平洋を挟んだ日本と米国は友好ではなく、戦火への道をたどり、兵士たちとその背後にいる家族ら国民を巻き込むことになった。石碑に対面して追悼の想いを捧げる。米国で平和への想いを改めて噛みしめる場である。

 

沈没した戦艦アリゾナに交差する形で建設されたアリゾナ記念館。その形状は十字架を想わせる。

 

各国から多くの人たちが太平洋戦争の始まりとなる歴史の現場に想いを深くする。

 

記念館のそばの海面には艦から漏れ出た重油が虹色となって浮かんでいる。

 

沈んだ艦の一部を観ることができる一角。あの日の歴史をそのままの形で目にすることになる。

 

石碑に刻まれた名前の多さに人々は沈黙し、追悼のひと時の中に入っていく。

 

歴史から学ぶ。広島、長崎、アウシュビッツ、そしてアリゾナ記念館がここに加わる。

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パールハーバー ハワイにて 2

2024-08-22 | Weblog

ハワイ・オアフ島にあるパールハーバーは日本と米国が戦火を交えるきっかけとなった場所である。日本語で真珠湾。美しい響きがする、穏やかな湾で83年前に起きた出来事が日本という国家と国民に悲惨な運命をもたらすことに。日本軍の暗号文、トラトラトラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)と、当時のルーズベルト大統領が米議会で述べたRemember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)が太平洋を戦場とすることを告げる言葉となった。

日本の戦後につながる原点となる場、パールハーバーをお盆を控えた8月の中旬に訪れた。わたしにとって、ハワイで最初に観るべき場所はワイキキビーチやダイヤモンドヘッド、アラモアナショッピングセンターではなく、真珠湾だった。帝国海軍が奇襲攻撃をした当時も現在も湾一帯は米軍基地内となり、入場に際しては名前の登録や携帯品などに厳しい制約を伴う。ツアー会社のガイドが同行できる範囲もごくごく限られた場所だけである。

基地内に入ると、湾沿いに芝生が広がる広い敷地があり、真珠湾攻撃を説明する表示板がいくつも並んでいる。ここは米国や米国人にとって、不覚と自覚を改めて考える場ともなっている。当時の米国は中国大陸に進軍していた帝国日本を東アジアで軍事面の脅威となる存在とみており、将来的に戦火を交える可能性も既に想定されていた。そのためにオアフ島の北端には飛行機の襲来に備えてレーダーが設置されていた。そのレーダーで多くの飛行機の機影を確認したものの、米軍機の飛行と誤認したことが不覚となり、湾内に停泊していた多くの戦艦が大打撃を受けることとなった。

真珠湾攻撃は日本軍の多数の戦闘機による第1波、第2波に加え、湾内に侵入した潜水艇による攻撃だった。奇襲に成功したものの、本来の攻撃目標だった米軍の空母が不在だったことや、第3波で破壊する予定だった燃料施設や艦船の修復施設を「既に成果があった」として残存させたまま、攻撃を中止した。このことが、甚大な被害にあった戦艦の修理を短期間で可能にし、米軍の反撃を早期に展開させることになった。

日本の奇襲で始まり、米国の逆襲で終わる太平洋戦争の発火点、パールハーバー。世界的なリゾート地・ハワイは戦争と平和を考える場でもある。

 

波静かで、穏やかな佇まいのパールハーバー。1941年12月7日(日本時間12月8日)の奇襲をきっかけに日米の総力戦が始まった。

 

日本軍の戦闘機はオアフ島の北側から侵入し、パールハーバーに向かって南下、停泊中の戦艦群を攻撃した。

 

第2波の戦闘機群も第1波と同じくオアフ島の北側から南下してパールハーバーへ向かった。

 

停泊していた戦艦の被災者の救助の模様や戦死した米兵の様子などが紹介されている。

 

トラトラトラの暗号へのお返しが、Remember Pearl Harborである。やられたら倍返しでやりかえす。戦争の常である。

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プロローグ ハワイにて 1

2024-08-20 | Weblog

この海の向こうには何がある? 好奇心が未知との遭遇へ人々を駆り出した。小さな島国・日本から海外へ。

いにしえには遣隋使、遣唐使として中国大陸へ渡り、江戸期には土佐・高知の漁師ジョン万次郎が難破後に救助されて米国で過ごし、明治期には先進の政治経済文化を学びに森鴎外や夏目漱石らの国費留学生たちが渡欧した。

富国強兵、殖産興業の果てに昭和期には東アジア及び東南アジア、南洋諸島で軍靴を闊歩させることもあった。

戦後は働いて働いて働きまくって高度経済成長を果たし、企業の海外進出と海外旅行が盛んとなる経済大国への道を開いた。

日本人にとっても、米国人にとっても、はたまた世界の人々にとっても、王道のリゾート地はどこか。

統計があるか、ないかは知らないが、常夏の楽園ハワイを筆頭にしても異論はなかろう。

海と山に恵まれた美しい自然、豊かさと幸せを感じさせる高級ホテル群、湿気を感じさせない爽やかな風。

バカンスとハネムーンに彩られたハワイ。海外旅行先としては締めの訪問地と考えていたハワイ。

そんな想いを繰り上げて、高温多湿の真夏の日本から避暑を兼ねてハワイ・オアフ島へ。

 

地方空港から羽田空港へ向かう機上から観た首都・東京の景色。画面左上の白い楕円形の建物は国立競技場である。建物だらけの狭い日本を表す光景でもある。

 

ハワイ諸島の中で訪問する人々が最も多いのがホノルルがあるオアフ島。そのなかでもワイキキは1番人気の場所だ。ビーチ沿いには世界標準の高級ホテル群が立ち並んでいる。こちらは上品な白で彩られたヴィクトリア様式のホテル、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート&スパ。いかにも世界的なリゾート地ならではの、長ったらしく、堂々として、自己顕示いっぱいのホテル名である。

 

ワイキキビーチ沿いにあるホテル内の景色。ヤシの樹々と青空と宿泊客用の長椅子やパラソルなどがあり、リゾート気分を満喫させてくれる。旅行会社の売り文句風に言えば、「憧れのワイキキライフあります!」となろうか。

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