おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

山本潤子、うん、やっぱりいい

2014-04-25 | Weblog
金曜の夜だ。大人の歌手の歌を聴こうじゃないか。そうだなあ、今宵は山本潤子くんでいこう。そうか、よくよく考えると、わたしより年上の先輩だった。呼び方を改めよう。今宵は山本潤子先生の歌を真摯な態度で拝聴いたしましょう。

私見だが、赤い鳥やハイファイセットのグループで歌っていた時代よりも、ボーカリストとなってからの歌声や歌い方が断然いい。グループ時代は歌が上手な人がまさしく上手に歌っているという感じだった。ところが、ボーカリストとなってから幾星霜、美声で上手なのは従来通りで当然だとして、声に円熟味が加わった。ワインが時を経て飲みどきを迎えるように、潤子先生の歌いっぷりも時を経て聴きどきの極みに至っているようだ。

年を経るにつれて歌手の声量や声質が落ちる例が多々あるが、潤子先生はますます声量や声質に艶が出ているし、歌い方も歌詞の一つひとつに想いが乗っている。40代、50代を経て、還暦を過ぎなければ達成できないものがある。それは人生の深みという経験だ。潤子先生の歌は、どんどん・ぱんぱん・どんぱんぱんみたいな祭り祝い歌的な幸福な歌は知る限りない。歌われるのは、秘めた恋心や寂寥、男女の別れ、異性への切ない気持ちなどばかりだ。青春の光ではなく、青春の影が歌の舞台となっている。

潤子先生の歌をもし聴く機会があるならば、ソロで歌っているのを聴くことをお勧めする。竹田の子守唄やフィーリング、卒業写真、翼をくださいは絶品としか言いようがない歌い方である。ギターを持ってクールな表情で歌っていくのがまたいい。まさに学校の先生然としている。科目はなんだろうか。音楽? 当たり前すぎ。現代国語? いいなあ、カフカの作品解説の授業を受けてみたい。体育? ちょっと違うような気がする。物理化学? 黒縁の眼鏡と白衣姿であればいいかも。美術? 当たらぬとも遠からず。 数学? 微分積分が好きになりそう。


潤子先生の歌はなぜいいのか。

歌詞がいいのか。それだけではない。

声がいいのか。それだけではない。

歌い方がいいのか。それだけではない。

容貌がいいのか。それだけではない。

髪型がいいのか。それだけはない。

何がいいのか。それは醸し出す官能と虚無、言い換えればエロスとニヒリズムの香り。

エロス? 年上の女性ならではの魅力。それは母性を感じさせる雰囲気。

ニヒリズム? 明るい虚無の漂い。山頂の上に広がる紺碧の空と流れる白い雲の世界。

微かに母乳の香りがするエロス。乳首を吸っていた男の子たちの琴線にあの声と歌い方が触れて共鳴するのだ。

青空のような明るいニヒリズム。青空の深さの中に透明な寂寥感が広がっている。


潤子先生のソロ以外にもいいのがあった。伊勢正三とデュエットしている歌、青い夏だ。伊勢の曲と歌詞も絶品だが、それを歌う潤子先生がまたいい。


歌詞のうち、お気に入りはここ。

♪醒めてくれないの 夢はいつの日も
  
青い夏 風が近づく ミカンの白い花
   
好きなのに 離ればなれを ずっと恨んであげる


「ずっと恨む」と潤子先生は言いながら、最後にもうひと言告げる。それはどんな言葉かって? まあ、自分で聴いてみなさいよ。きっと、あなたも潤子先生を好きになるから。


追記

潤子先生が5月6日の名古屋公演を最後に無期限の休養に入ることを知った。声の不調が理由で、元の調子を取り戻したら再び活動を始めるという。潤子先生、養生をされて、あの歌声をまた拝聴させてくださいね。



  






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日本みつばち 百花蜜

2014-04-20 | Weblog
キッチンの出窓を開けようとしたところ、窓枠に沿って設けたタイル張りの食器置きスペースに蜂が1匹、うずくまるようにして死んでいた。体長1センチほど。透明な両羽を広げ、両足をきちんと内側に折り曲げた格好だった。どこからか室内に入り潜んでいたのだろう。命をつなぐものを何日かかけて室内で探したものの見つからず、外の光を感じるキッチンの出窓付近で絶えたらしい。

蜜蜂であることは姿からすぐ分かった。日本蜜蜂か西洋蜜蜂のいずれかだ。祈るような形で伏せった体を手で摘み、食卓の上にある白い紙の上に乗せる。拡大鏡で眺め、ネットの蜜蜂情報を参考にしながら西洋蜜蜂だと同定する。屋外を飛行していた頃は、蜜を求めて花から花へと飛び回り成果の蜜を本隊がいる巣に持ち帰っていたろうが、或る日仕事に出たきり行方不明の働き蜂として本隊の司令部には記憶されたことだろう。

蜂蜜は小さい頃から好きな食品の1つだった。あの黄金色の液体を瓶からスプーンですくい上げて舐めるのは子ども時代の忘れ難い愉しみでもあった。蜂蜜以外にもいろんなものを舐めていた。雪印の粉末スキムミルク、珈琲に入れるクリープ、缶に入っていたコンデンスミルク。変わったところでは、昔量り売りをしていた頃のソース。生まれと育ちが長崎なので中華料理の皿うどんにかける金蝶ウスターソースは最上の部類だ。お使いに行った帰りに持参の瓶の口からちびちびと舐めていた。

蜂蜜の話に戻ろう。小さい時からずっと蜂蜜はキッチン食品の常連だった。現在、国内で流通している蜂蜜のほとんどが中国産である。ときおり、ニュージーランド産のハニーコム入り蜂蜜を見つけると、値段がふざけたような高価であっても手を出してしまう。あの蜜蝋の食感は1度覚えたら最後、生涯忘れることのない味わいの1つとして記憶されてしまうのだ。蜜目当てに蜂の巣を荒らす熊みたいな心境となる。ハ二ーコムと並んで蜂蜜好きなら1度は試してみたいのが、日本蜜蜂の百花蜜である。採取量の少なさから、「幻の」という形容詞をつけられることもある蜂蜜だ。

今回食するのは伊賀産の百花蜜。忍者の里でも知られる三重県伊賀の製造である。巣箱から採取したままの純度百%、加熱処理は一切なし。百花蜜は日本蜜蜂がいろんな花から集めた蜜だから味や香りも様々となる。製品の説明書の中に蜂蜜の結晶について書かれてある。「はちみつの成分は主にブドウ糖と果糖です。ブドウ糖が多いほど結晶しやすくなります。草花の蜜は主にブドウ糖で、樹木の蜜は果糖が多くなります。蓮華や菜の花などの蜜は結晶し、桜やアカシアなどの蜜は結晶しないということになります」。日本蜜蜂は草花や樹木の蜜を集めるため、ブドウ糖や果糖の成分の割合は様々となり、製品によって結晶するものと、そうでないものが出てくる。わが伊賀産の百花蜜は結晶していたのでブドウ糖が多めとなる。

個人的には結晶したものが好物である。なぜ結晶した蜂蜜が好きなのか。瓶の中にスプーンを差し入れて手ごたえを感じながら蜂蜜を掘り起こす感覚に歓びを感じるからである。スプーンですくうと流れ落ちて蜜の糸をつくる非結晶型は、どうも相性が今ひとつとなる。パンの上に垂らしても用心しないと自らの指や皿にたらーりと蜜が流れていく。手に付いたべたべたした感覚が好きではないのである。その点、結晶したものは垂れることもなく、手に付くこともほぼない。口の中に運んだとき、結晶のざらざら感と広がる甘味は絶品。このざらざら感は猫が指を舌で舐めたときのざらざら感に似ている。そう、猫の舌を想わせるのだ。

さっそく伊賀産百花蜜を食す。まずはスプーンにすくってひと舐め。濃い甘さではない。後味も淡泊な感じだ。焼いた食パンに塗って食べてみる。ざらざら感とそうでない部分の練れて軟膏のような滑りの良さがここちよい。喉の潤いも増しそうだ。ずば抜けたおいしさというものはないが、貴重さからくる満足感というものがある。食べ終えて部屋からテラスに出る。朝の柔らかい陽差しを浴びていると、ブーンという大きな蜂の羽音が迫って来た。熊蜂だ。頭の周辺を2、3回旋回して立ち去った。近づいて来たのは、体から蜜の香りが漂っていたからだろうか。飛び去ったのは、蜂の巣を荒らした直後で口元から蜜を垂らした熊にでも見えたからか。庭には蜜を求めて花から花へ西洋蜜蜂が飛び回っている。その光景を見つめるわたし。心情は蜂の巣荒らしをする獰猛な熊と同じである。「おいしい蜂蜜を食べたい」



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フォーク マンゴー ナイフ スプーン

2014-04-18 | Weblog
食卓の前に腰掛ける

メキシコ産クラウンマンゴーを載せた陶器の皿が目の前にある

カトラリーを並べていく

左端にフォーク、次いでマンゴーが載った皿、ナイフ、スプーンと整列させる

マンゴーは林檎の赤、梨の黄土色、温州蜜柑の熟れた色で彩られている

両手の平で椀の形をつくった中にマンゴーはすっぽりと納まる大きさだ

マンゴーは観念して皿の上に楕円形で横たわる

心中で挨拶をし一礼する

それでは、入ります

左手にフォーク、右手にナイフを持つ

フォークの先で楕円形のマンゴーの左端を抑える

地球儀に赤道を描くようにナイフで表面に切れ目を入れる

切れ目を1周させると、2周目はナイフの切っ先を深く入れ込んでいく

林檎や蜜柑だったら真っ2つになるが、マンゴーはくっついたままだ

念押しで3周目の切れ目をさらに深く入れ込む

芯部分はナイフの貫通を頑なに拒否している

ナイフの刃を押し込むが石か岩盤にぶち当たっている感触が返ってくる

3周分の切れ込みを入れた赤道に対し垂直となる縦線をナイフで入れ込む

これも1周、2周、3周分の切れ込みを入れるが、芯部分の手ごたえは断固拒否の構えだ

フォークとナイフを使って表皮部分を剥いでいく

鮭の皮を剥いでいるときと同じ感覚だ

表皮は思っている以上に厚みがある

桃や林檎よりは厚く、蜜柑よりは薄い

トロピカルイエローの艶めかしい果肉が剥き出しになってくる

魚を3枚に下ろすようにはうまくいかない

ナイフの刃をどろりと粘着性のある果肉に入れ込んでみる

マグロの身を切る要領のつもりで動かすが、果肉の抵抗は大きい

桃の果肉を切るように気持ちよく切りたいが、マンゴーはそうはさせてくれない

トロピカルフルーツということで天真爛漫で素直に切れる果実と連想していた

実際はまったく違っていて、なかなかの根性者だ

繊維質が多い果肉はいじけているのか、小出しにしか切れてくれない

フォークで突いて黄桃に似た果肉を頬張る

マンゴーの味だが、感極まって食卓を叩いたり、マイウーと雄叫びを上げるほどではない

期待したほどではないのは、こまぎれの果肉を食しているせいだろうと勝手に決め付ける

地面を掘り起こすユンボの機能を想わせるスプーンの出番だ

スプーンの先を果肉に食い込まして抉ってみる

山盛りの果肉を期待したが、それほどでもない

繊維質の果肉は思った以上に結束力が強い

芯部分が強い引力の源みたいになって果肉が離れない

フォーク、ナイフ、スプーンで果肉の塊を切り刻み、剥き取り、掘り起こしていく

焼き立ての牛ヒレ肉をシェフがフォークとナイフで見事な手さばきで切るようにはいかない

建物の解体現場みたいな粗っぽさが皿の上のマンゴーに阿鼻叫喚をもたらす

どろどろ、ぬめぬめの果肉を頬張るが、トロピカルにつながる高揚感や満足感はほぼゼロ

徹底抗戦の本丸である芯部分に噛り付いてみる

これは! 鯛の頭か? 硬い!

もうひと噛みする

これは! 亀の甲羅か? 硬い!

もうひと噛みする

これは! 途中で使うのを忘れて数年経ってこちこちになった石鹸か? 硬い!

芯部分の征服は諦める

剥いだ表皮が皿に上に散らばっている

裏側に果肉がくっ付いている

フォークで抑えてスプーンでこさぎ取っていく

果肉本体より、こちらの方がつまみ食いを想わせておいしい感じだ

マンゴーの果肉をきれいに切るのは、魚を捌くよりも難しい

マンゴーの表皮を剥ぎ、果肉を切るのは、なにかしら生物の解剖を想わせる

マンゴーをおいしく食べるコツはシェフに切ってもらって皿に盛り付けしてもらうこと

マンゴーはただ食べられるだけの果実ではなかった

果肉の繊維質を歯間にいくつも絡ませて不快感を置き土産にしていた

マンゴーを自分で捌いて食べるときは、食卓にデンタルフロスか妻楊枝を用意しておくこと






















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九龍城砦

2014-04-15 | Weblog
WSJことウォールストリートジャーナルのHP・日本版に目を通す愉しみの1つは、スライドショーで紹介される米国などの不動産である。セレブや富豪たちの豪邸の売り出し情報だ。金の力にものを言わせ、豪にして贅を尽くし、思いっきりしたい放題の邸宅がいくつも出てくる。身長がほぼ2メートル以下、頭が1個、手が2本、足が2本という人間の姿、体格からすれば、住家として部屋数が20や30も要るはずはないが、富豪たちはなんらかの理由をこしらえて床面積を増やしていくのである。金にあかせた虚栄なる彼らの城―末路は他人の手に渡ってしまうのだが―を穴居時代からの人類の1部が到達した私欲の極まった作品として、流し読みならぬ流し見の面白みを味わえる。

いつものように邸宅のスライドショーを見ようと思っていると、紙面の中に「記憶のなかの都市:20年後の九龍城砦」という見出しが目に入った。ああ、例の九龍城のことか。迷い込んだら、骨になってしか外に出ることはないというおどろおどろしい伝説があるスラム建築街という思いが浮かび上がった。かつて、わたしが中国大陸で見たかった構造物のうち、ただ1つ見ることができなかったのが香港の九龍城だった。見るというのは、現地に出向き、その構造物に触れ、中に入るという意味だ。探訪リストに上がっていたが、見果てぬ夢となってしまった。まさしく、20年前に九龍城は取り壊されてしまったのだ。そんな無念の思いが脳裏にあったのだろう。この見出しと前文に即反応してしまった。

「記憶のなかの都市:20年後の九龍城砦」の前文にはこう書かれている。

香港の九龍城砦は、かつて世界で最も人口密度の高い場所だった。無法地帯のようなこの場所には、あらゆる犯罪や商業活動そして希望が共存していた。すべての建物が撤去されてから20年の今年、当時の映像や住んでいた人々のインタビューを通じて九龍城砦の謎と魅力に迫るドキュメンタリーを、ウォールストリートジャーナルがお届けする。

さっそく動画をクリックする。そこは過去に雑誌の写真などで断片的に見て思い描いていた魔窟の世界が映し出されていた。法と正義と建前が支配する外の世界からすると、九龍城は麻薬、賭博、売春など裏社会のたまり場であり、穴居みたいな住居を縦に積み上げ、あるいは横に並べ、世界で稀に見る異様にして異常な人口密度の地域をつくりだした。その外観は蜂の巣や蟻塚がどんどん拡大、拡張していった風にも思えるし、狭く薄汚れて衛生的には見えない通路からは場末のすえた臭いが見ているだけでも感じられるほどだ。スライドショーに登場する米国の邸宅とは対極にある住まいだ。

住居や地域環境としてはお薦めできない九龍城ではあるが、この無秩序で非衛生、混沌は憎めないものがある。それは、ここまでコングロマリット的ではないが、かつての日本で目にしたことがある、なじみの光景だからだ。貧しく小さな住居が集まったスラム街、小汚い迷路や立ちんぼがいる歓楽街や飲み屋街、旧産炭地や港町などにあったひと際大きな和風建築の遊郭、廃墟ツアーで一躍有名になった軍艦島の高層アパート群……。今でこそ小奇麗な住宅団地が各地に誕生しているが、それ以前はあちこちの農地を潰して家が無秩序に建ち並び、新たな住民が入り込んで町をつくり広げていった。こうやって戦後を迎えた人たちは生き抜いてきたのだ。

九龍城の居住者たちもまた、様々な理由からこの地にやってきて生き抜かなければならなかった。狭い劣悪な住まいでもいい。非衛生的でも気にしない。いや、気にしたかもしれないが、それに慣れるしかない。ライフラインがなけりゃ自分で勝手に引いてくる。地の底を這ってでも生きていく。ここまで来ると、九龍城の住民の生きる逞しさは、泥沼に咲く蓮の花が持つ明るさ、魅力みたいなものに通じてくる。そう、憎めないのだ。

もし憎む者がいるとしたら、それは外の世界の主、すなわち国家である。その結果が20年前に起こった。九龍城がこの世から消えた。跡地は九龍城の歴史とかつての姿とは似ても似つかない美しい公園となった。憎むも憎めないもない、法と正義と建前、そして秩序が支配する場の1つと化した。わたしがこの地を訪れることは多分ないだろう。見果てぬ夢の一端を、WSJの動画を何度も見ることで、わたしはその地に立ち、そして念願叶って城内に潜入してしまったんだ。
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ウォルト・ディズニー展 夢の彼方もしくは彼方の夢

2014-04-12 | Weblog
生誕110年を記念したウォルト・ディズニー展が2012年4月18日の東京会場を手始めに京都、大阪、名古屋、札幌、福岡など日本各地をおよそ2年がかりで巡回し、2014年4月6日の長崎会場で幕を下ろした。腕白時代にテレビ番組ディズニーランドを観るのは愉しみの1つだった。こどもの好奇心を刺激し、関心を引き出し、世界の面白そうな出来事や動物の生態などに夢中になった記憶がある。番組の案内役が親戚のおじいちゃんみたいなウォルト・ディズニーだった。そんな親しみを感じていた小父さんに会ってみたくなり、某年某月某日、某会場に出向いたのだった。

会場の入り口にミッキーマウスのフィギアが出迎えていた。小学中学年くらいの大きさで来場したこどもや親子連れらがミッキーと相並んで記念撮影をしていた。そばに看板が立ててあり、写真撮影はここだけですの表示がしてある。わたしの最初の関心はミッキーとの同伴写真ではなく、ミッキーの左横の壁に掲げてあった、ウォルトの長女の挨拶文だった。長い文章だったが、入口からこういうのをじっくりと読んでいくのがわたしの性である。同伴者はさっさと会場の内に消えてしまっていた。ひとまずデジタルカメラで撮影しておこうと無音のシャッターを切ったところ、すかさず紺色の制服を着た女性が近寄って来た。「すみません。このミッキー以外は写真撮影は禁止です」と早速イエローカードの注意を受けた。

女性は会場内の監視スタッフだった。丁重に詫びて、カメラがダメならメモするしかないと即断。カバンからメモ帳とボールペンを出して挨拶文を筆記しだした。1行目を書き終えようとするかしないかの時点で、再び先ほどの女性が近寄って来た。「すみません。ボールペンの使用は禁止されています」。2枚目のイエローカードである。唖然とした表情をしたわたしの思いを察知して、追加の説明をしてくれた。「ボールペンのインクが飛び散る恐れがありますから」。インクが展示物にくっつくかもしれないという懸念からくる禁止事項だった。いろんな展示会をこれまで訪れたが、ボールペン使用禁止は初体験だった。女性はわたしの唖然を癒すように、HBの鉛筆を内ポケットから取り出して言った。「よろしければ、これをお使いください。展示会場を見終えた後に入口の受付にお返しいただければと思います」。さすがに世界のディズニー社である。著作物・展示物の管理の徹底さに感心してしまった。個人的にはHBより4Bを希望したかったが、スタッフの善意に素直に従う。

展示内容はウォルト・ディズ二ーの立志伝、すなわちアメリカンドリームを写真や映像、文章を使って時系列で表したものだった。漫画から動画のアニメの世界に目覚め、さらに優れたアニメーターを全米から集めて映画製作をするプロデューサー、企業経営者へと成長していく人生である。若き日のウォルトの言葉がある。「成功する秘訣は分かっている。ユニークな作品をつくることだ」。作品の品質と出来を追求する芸術家肌のウォルトに対し、金庫番の役を果たしたのが兄のロイ・ディズ二ーだ。銀行員出身ということもあろうが、いかに企業としての利益を確保するかに腐心した。さらにウォルトの成功に寄与した2人の人物がいる。妻のリリアン・ディズ二ーだ。家庭の安定が仕事の安定、意欲へとつながった。極めつけは天才アニメーターとされるアブ・アイワークス。ミッキーの絶妙な動きは彼の存在なくしてはなかった。アブとの出会いがなければ、ウォルトの着眼や発想は開花しなかったかもしれない。

山あり、谷ありの人生模様が強調されている。資金難、裏切り、アニメーターの引き抜き、倒産……。しかしながら諸々の艱難を乗り越えていくウォルト。もうスーパーマンの人生である。テレビ番組ディズニーランドで見たウォルト小父さんの小粋な鼻髭は若いころからのトレードマークのようだ。痩せぎすな体付きに、ハンサムだが線の細そうな顔立ちをした若者にとって、鼻髭は少しでも自らを大人びて見せるための必須アイテムのように見える。その鼻髭は若造の背伸びしたものから、功なり名を遂げ大成した人物にふさわしいものとなっていた。ナインオールドマンと呼ばれた最高のアニメーターたちが描くディズニーの世界は洗練、品格、美しさ、華麗の最高峰アニメとなり、その精神と品質は今日まで継承されている。

ミッキーやドナルドダックなどキャラクターグッズの展開もディズニー商法の特徴である。こどもが欲しがる物を買うのはお金を持った大人たちだった。こどもに夢を与えたい。それは親の夢でもある。こどもだけでなく、大人も楽しみたい。そんな思いがテーマパークの走りと言えるディズニーランドが生まれるきっかけでもあった。東京ディズ二ーランドは2回ほど訪れたことがあるが、大の大人も愉しい場だった。品質の追求と利益の確保。ロイとウォルトのディズ二ー兄弟の創作と経営の原理原則を東京ディズニーランドの盛況に見ることができる。現実を直視して展開できる能力が、数々の不遇を乗り越えて彼方の夢を実現してくれる。ミッキーやドナルドらディズニーの人気者だらけの会場を出て得た結論である。展示会で鉛筆を貸してくれるという面白い体験もまたディズ二ー展ならではの忘れ難いものとなった。
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時間よ、とまれ! 古都にて

2014-04-08 | Weblog
古都を歩こう。まずは市街地に広がる自然の中へ。その名は糺の森。


糺の森にある下鴨神社への参道。
ご神木は枯れてもご神木のまま、永遠に不滅です。



小川よ、どこから来て、どこへ行くのか。
聞きたいか。それじゃ答えよう。
空から来て、空へ戻るんだよ。ただそれだけだ。
何事も難しく考えないこと。




きみたちに教えられたよ。
森の中で青春を語ること。
森に囲まれて友と並んで記念写真に納まること。
そんな素晴らしいことが森の中にあることを。



緑あふれる糺の森を通る参道の先に下鴨神社の朱色の鳥居が見えてくる。
緑色と朱色。意図的な補色の組み合わせなのだろうか。



目が覚めるような朱塗りの下鴨神社楼門。
春うららを通り越して真夏のぎらぎらの世界だ。



鏡絵馬。美人になりますようにと願いを込めて女性たちが奉納する。
元がいいあなたは、もちろん奉納不要。



鴨長明の厭世感が漂う方丈庵。
3LDKでウォシュレット完備だったら方丈記は誕生しなかったはずなんだが。



世界遺産の森で日向ぼっこする猫。神々しさが漂う。
もしかして古代エジプトの女神バステトの降臨か?



南禅寺の三門。傾けて撮ってもどっしりとしている。
どんな撮り方でも動じることはない。



三門の上にて。欄干も周りの景色に負けず威風堂々としている。



奥丹にて。湯豆腐鍋を乗せる七輪。はんなりとした女将さんに朗読してもらいたい。



祇園商店街にて。宇治抹茶と豆乳でできたバームクーヘンと普段の生活で見ることがなくなったかんざし。創造と伝統は京都の文化的DNAだ。















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時間よ、とまれ! 湖国にて

2014-04-07 | Weblog
未知との遭遇についてデジタルカメラは記録をするだけである。人は記憶した上で読み解き、そして意味づけして表現する。あの日、あの時の時間よ、とまれ!


比叡山の山麓に向かう途中で下車した駅で京阪石坂線の列車を眺める。緑のツートンで落ち着いた色合いだ。



と思いきや、ど派手な車両が目の前を通過した。

元気にしてる~、春だよ~。 ― 素敵な空耳だ!




比叡山延暦寺の入り口。拍子抜けするほどに宗教的厳粛さはない。



何百年経っても信長の焼き討ちの記憶は消えない。備えあれば憂いなし。



胆力がみなぎる字体。じっと見ていると体が痺れるような迫力がある。



A good deed in a naughty world.  一隅を照らす





この店構えの風格にして、この暖簾の重み。入るしかない。



水上アパートではない。琵琶湖を周航するミシガン号である。



船上の会話。海にしか見えないだべ。んだ。琵琶海と呼ぶことにすんべ。んだ。



ミシミシ、ガンガン、ミシミシ、ガンガン。軽快な音をたてて外輪船は進む。



懸命に頑張る姿に沈黙のエールを送る。



比叡山を遠望しながら琵琶湖を周遊するミシガン号。和洋折衷の光景。



日本最大の湖・琵琶湖でゆったりと釣りをする。釣果はなくても気分は最高だ。










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湖国と古都の美味礼讃 逍遥する春 玖  

2014-04-03 | Weblog
旅路にしろ出張にしろ訪れた先がどこであれ、わたしたちは人に出会うと同時に食べものに巡り合う。自薦他薦の名物に触れ、好奇に誘われてそれらを味わう。それは旅先の愉しみでもある。隣り合う湖国と古都が名物とその味わいを競いあう。さあ、軍配を手に3番勝負に立ち会おう。


湖国の1番手:近江牛(大津プリンスホテル内レストラン・フランス料理「ボーセジュール」)

いきなり本命登板である。ロースで90グラム。差しもほどほどでいい。焼きはミディアムレア。神戸牛や松阪牛に遜色なし。全国区の味わいである。北海道から九州・沖縄までこの味に文句を付ける人はいないだろう。牛肉の旨味は人類の記憶遺産に登録していい。食べ過ぎるとコレステロールによる動脈硬化で天国に赴くことになるが、それもまた良しと思わせるほどの味覚である。


古都の1番手:湯豆腐(総本家ゆどうふ奥丹)

都びとは力んだりしない。湖国が近江牛で全身全霊、全力投球してきても同じ土俵には乗らない。湯豆腐あたりでまったりと受け止めつつ、柔よく剛を制すで食べる人を虜にする。創業350余年。寛永12年、将軍家光の頃より閑雅静寂の地、南禅寺のほとりでつくり続けてきたと自負する。湯豆腐1本を売りとしながらも、木の芽田楽や精進天婦羅、胡麻豆腐、とろろ汁などが脇を固める。この脇役が他地域では主役にしていいほどの旨さである。いずれも量は少ないと言うより、控え目だ。主人公の湯豆腐の引き立て役に徹している。昆布だしの湯の中でゆらりと揺れる豆腐が生き物のように見えてくる。口当たりの良さに、豆腐はここまで上品な食べ物になるのかと感心しきりである。ふくよかな京美人たる湯豆腐はどこまでも枯淡な味わいである。


湖国の2番手:手打ちそば(本家鶴㐂そば)

比叡山延暦寺の滋賀県側にある門前町・坂本に本店がある。創業290年に及ぶ伝統と技術を誇る。まずは店の栞で口上を聞いてみよう。「延暦寺は昔より宮様が座主として御座りになられた関係で、京都御所より度々御来賓がありましたが、山上の為食物も非常に不自由だったため、累代我祖先が蕎麦調製のため山上へ出仕しておりました。又、比叡山で断食の行を終えた修行僧達が弱った胃をならすためにそばを食したといわれています」。由緒、来歴、伝統に満ちた手打ちそばである。築120年という本店で天ざるとかやくご飯の定食を頂く。そば粉は特上の北海道産を使っている。つゆに付けてすする。つるつる、るん! う~ん、おいしかたい! 旨さに翻弄されて思わず出身地である九州弁が飛び出してしまう。「坂本名物 名代手打」の看板に偽りなしの味だ。


古都の2番手:しぼり豆 丹波黒大寿(あずき処 宝泉堂)

 
都びとは相手が勢いこんでも決して主導権を取らせない。料理転じていきなり和菓子という大胆な場面展開である。なにせ歌舞伎の京都四條南座があるから役者が上だよと言わんばかりだ。まずは店の口上を聞いてみようか。「北山の山々・鴨川・高野川など緑多い自然と、豊かな水脈に恵まれた、京・下鴨・洛北で、お菓子を作っております」。作っている環境や場所が他の菓子屋とは違うよという訳である。北山・鴨川・高野川の3つの言葉でワンツースリーパンチをお見舞いし、京・下鴨・洛北のひと塊でフィニッシュを決める。口上は続き、最高潮の自賛で締めくくる。「主な材料は、日本一といわれる丹波大納言・黒豆などを使用し、一粒ひとつぶに心をこめ、身体にやさしく安心していただける、そんな菓子作りを心がけています」。日本一の丹波大納言を使っている! そりゃ、うまいだろうね、となるもんだ。丹波黒大寿は丹波黒大豆をゆっくりと時間をかけて、ほんのりとした甘さに炊き上げて乾かしたという。1粒を召す。う~ん。2粒目を召す。うう~ん。3粒目を召す。ううう~ん。はんなりとした味わいは時間をかけてゆっくりと賞味しなくては。


湖国の3番手:三井寺力餅(三井寺力餅総本家)

こちらの口上も聞かねばなるまい。「明治二年の創業より、“味、美、彩”と手作りの粋を守り続けた力餅は、怪力で名高い弁慶にちなんで名付けられ、伝統ある大津の名物として賞賛を戴いております」。力餅の名は延暦寺の武蔵坊弁慶の武勇伝に由来する。大津・三井寺と延暦寺の諍いで三井寺に攻め入った弁慶が戦利品として霊鐘を分捕って比叡山まで引き摺りあげたという、ほんまかいなという内容である。弁慶の怪力の源が力餅だったかどうかが不明であるが、怪力=力持ちを力餅に置き換えたのかもしれない。由来はともかく、湖国としては弁慶の怪力伝説で京菓子をことごとくなぎ倒すしかない! 竹串に3個の小餅が貫かれている。製法は刷毛で小餅に蜜をかけた後、大豆、青大豆、抹茶の3種混合の薄緑色のきな粉をまぶす。さらに餅が埋もれて見えなくなるほどに薄緑色のきな粉がたっぷりと振り掛けてある。餅は柔らかく、甘さ控えめで1本、2本、3本とぺろりといける。素朴な味わいと話の種になる餅である。


古都の3番手:葛きり(鍵善良房)

江戸の享保年間からの創業。都びとは西暦で表記しません。京都の花街・祇園の一角で京菓子を作り続けている老舗である。口上を聞こう。「一般のお客さまを始め、茶人や僧侶の方々に菓子を供してきましたが、祇園という場所柄、お茶屋や料亭に出入りする文人墨客や旦那衆、さらには花街の女性たちにも広く好まれてまいりました」。世にお菓子屋多しと言えども、ここまで書き込める自信のある店はそれほどあるまい。葛きり目当てに行列のできるお店だ。作家の水上勉が葛きりを京の味の王者だと称揚する文章を栞として使っている。奈良・吉野の葛を使ってつくられ、絡める蜜は白と黒がある。注文の際に沖縄・波照間産の黒蜜を選ぶ。2段重ねの円筒形の器に入れられて恭しく運ばれてきた。蓋を取ると、上段に黒蜜、下段に氷を入れた冷水の中に透明な葛きりが潜むようにして沈んでいる。細く切られてあり、きしめんみたいな形。葛きりそのものに味は感じられず、黒蜜に絡めることでつるりとした感触に旨味が加わる。喉越しの心地よさと、黒蜜の引きこむような上品な甘さに言うことはもう何もない。


立会人からひと言:湖国と古都のどちらが勝ったとは言うまい。それが名物とつくり手に対する敬意であるから。

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南禅寺三門に登る 逍遥する春 捌

2014-04-02 | Weblog
三門は寺院の表玄関であり、表看板でもある。見るからに立派で堂々として風格を感じさせる三門が南禅寺の三門だ。高さにして22メートル。重要文化財の三門に登ることができるということは、三門が招待してくれているようなもんだ。「さあ、上からの景色を愉しみたまえ」。どでかく、真っ直ぐに伸びた支柱の上の世界に触れようじゃないか。「なぜ登るの?」という野暮な質問にはいつもこう答えている。「なぜ登らないの?」

バリアフリーといった発想、気遣いはこれっぽちもなかった時代の建造物だから、階段は極めて急である。急峻な山道に鎖場があるように、南禅寺三門の階段には握りやすい綱が手すりに沿って備えてある。階段と言うよりは梯子に近い感じである。木登り、石垣よじ登り、民家の屋根登り、丘登り、山登りなど両手両足を使っての上昇志向はわたしのDNAのようである。猿かゴリラか類人猿の遺伝子がどこかに紛れ込んでいるみたいだ。

トントントンと性急に登ったりはしない。1歩、1歩、1段、1段、ゆっくりと踏み板のきしみを味わいながら登っていく。登り始めの靴を脱ぐところから愉しみのストップウオッチの秒針は動き始めるのだ。何段ほど登ったろうか。意外なほどあっけなく三門の上へ登り上がる。黒っぽくて太めの欄干と外の景色が目に飛び込んでくる。東西南北を眺望できるように回廊が巡らしてあり、庇側に向かって少しばかり傾斜させてある。雨水が流れ落ちるような工夫だろうか。高所恐怖症の人には耐えられない仕掛けとなっている。

さて、さて、絶景かな、絶景かな。期待を持って京都市街の方に目を遣る。三門の前に広がる松林の緑の頂が視界を覆う。その遥か向こうに煙ったような感じで市街地の建物の先端部分みたいなものが見えるようである。これは絶景とは言い難い。大きな期待に対しては絶句であり、小さな期待としては「こんなものなのだろうね」。登る季節を間違えたかもしれない。春の桜満開の頃や、紅葉盛りの秋だったらならば、期待以上のものがあったのかもしれない。艶やかな季節にはいささか早かったのだ。

こんなときは頭を空にして回廊を巡ろうじゃないか。東西南北をぼんやりと眺めていく。そこからの景色よりは回廊の傾斜の感触の方が印象に残る。三門下に視線を送る。観光や参拝の人たちが三々五々歩いている。金髪がいる。黒髪がいる。人が歩く姿を上からまじまじと俯瞰する。2本足で重たい上半身を支えて、すたすたと歩き回っている。

木の欄干に手を当てる。風雪や酷暑、厳寒に耐え抜いてきた強靭さと同時に穏やかな感触がある。心が落ち着いて、いい気分だ。改めて三門からの絶景について考える。東西南北のどこを向いても、見えないはずだよ。三門そのものが絶景なのだから。わたし自身が絶景のど真ん中にいたんだ。三門の回廊に立ったわたしは境内にいる京都通の案内人を見つけて手を振った。相手は気付かない。歩く姿が軽やかだ。ああ、実にいい風景だ。
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下鴨神社 逍遥する春 質

2014-04-01 | Weblog
緑豊かな糺の森の中を南北に走る表参道を北へ歩き進むと、森が途切れて明るい空間が広がる。鳥居が目に入り、背後に神社があることを示している。下鴨神社は正式には賀茂御祖(かもみおや)神社と言う。京都市左京区下鴨泉川町59が所在地である。ちなみに郵便番号は606-0807。数字の並びに秘密めいたものはない。空間の明るさの度合いで言えば、糺の森が陰とすれば、下鴨神社は陽である。その極みは朱塗りの楼門となる。目立ち具合や鮮やかさはひと際なものがあり、大げさに言えば周囲にある社殿もろもろの存在がすっ飛んでしまうぐらいだ。屋根が重厚すぎて頭でっかちの門でなんだか落ち着かない。この第一印象が下鴨神社の最終的な印象ともなる。時を経て、こんな言葉で思い起こすことになるだろう。「たしか朱塗りの頭でっかちの門があった神社だったな」

楼門が派手な分、境内の他の社殿は色合い、大きさともに実に地味である。楼門意外、色合いなんかはっきりと思い起こせない。「木が経年変化した色だったかな」。こんな具合である。本殿は2つ並んでいる。西本殿は賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祀っている。古代の京都を拓き、京都の守護神である。東本殿は玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀り、縁結びや安産、子育ての神さまである。両殿とも国宝であるため近くで参拝はできない。少しばかり離れた場所から拝むことになる。近寄りがたいということで有難味も少しばかり離れ気味である。

境内がそれほど広くないために社殿がいくつも詰まっているような印象である。十二支のえとの守護神を祀る干支のお社、神さまの台所である大炊殿、舞殿、細殿、橋殿、参集殿、直会殿、神服殿、供御所、比良木社、みたらし社、古札所、印納社、三井社、葵生殿など、もうなにがどれ殿で、どれがなに殿なのかとなる次第。ちなみに葵生殿は結婚式場である。参拝予定者に言えることは、あちこちで賽銭を上げるためにポケットには小銭をたんまりと詰め込んでおくことだ。

 
境内の社殿巡りにひと区切りをつけて、派手な楼門を再びくぐって外へ出る。糺の森のはずれを歩いていると、河合神社に辿り着いた。下鴨神社の摂社である。鴨長明ゆかりの神社だ。下鴨神社が出している「下鴨神社あれこれ」という案内紙に3行ほどで簡単に触れている。「河合神社の神官にうまれた『方丈記』の著者である鴨長明は、さまざまな事情によりこの重職を継ぐことができませんでした。このことから強い厭世感を抱くようになり、やがて『方丈記』を書くにいたったといわれています」。境内には長明が晩年に過ごしたという4畳半の方丈庵が再現されて公開してある。組み立て式で移動可能の建物である。ほとんど屋台に近い。室内に囲炉裏がある。4畳半の中の囲炉裏。これだけで侘びしくなり、方丈記を書く動機ともなろう。こんな方丈庵に住み続けたら厭世感がぶり返し方丈記の続編、続々編、新編、新々編と何冊も上梓することになるだろう。

糺の森で歩き疲れることはなかったが、下鴨神社では陽ざしを浴び続けていたこともあって歩き疲れてしまった。河合神社境内の休息所でかりん美人水を注文する。下鴨神社で栽培している花梨を使っている。花梨水に蜂蜜かシロップを入れて少し甘くしてある。冷えているので喉越しがいい。長明よ、すまんな。今の気分は方丈記よりかりん美人水の方が最高なんだわ。


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