おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

川はいつも流れている A River Runs Restlessly

2024-06-02 | Weblog

清少の納言ちゃんの言に倣えば、「夏もあけぼの!」である。体にここちよい程合いの、ひんやりとした空気を感じながら、朝のウオーキングをしていると、せせらぎの音が聞こえてきた。小さな川の底を流れていく、水の音そのものが涼感をもたらしてくれる。

せせらぎの主は渓流っぽい風景ではあったが、実は人がこしらえた水路だった。それでも長年にわたり水路の役目を果たすことで、自然の中に溶け込んだ風情でもある。その水路の流れる先に目を遣ると……。

 

瑞穂の国の原風景とも言える水田が目に入ってきた。鏡のような水面は周りの景色―空や森や家―を映し出している。水辺はすべての生き物を引き付ける。それは命にとって必要なものだからであり、人もまた水がある風景にこころを和ませてくれるものを感じ入る。体の大半を占める水分が、同じ存在の水に自覚、無自覚を問わず反応するのだろうか。

 

歩きながら水田が広がる田園風景を眺める。そうして水路の源を観たくなった。命の水を水田にもたらしている大元を目指して坂道を上がっていく。

 

こちらの水田は水底から何かが浮き上がって水面に広がっている。料理の灰汁のようでもあり、お湯を注いだ直後のインスタントコーヒーの泡立ちのようでもある。観ようによってはクラフトビールの泡のようでもある。暑い日に冷えたビールを喉越しで味わい、唇の周りに泡が付くような吞みっぷりを連想した。

 

水路を辿った高台に水源としての大きな堤があった。こんもりとした自然林が姿を水面に落としている。明鏡止水。静かな朝の風景そのものを絵にすると、こんな感じになるのだろうか。牛蛙が1匹、ブオー、ブオーと無粋な大きな声で鳴いて、静けさを打ち破った。

 

堤の周りを歩きだしたわたしに、人の気配を察したのか、牛蛙は鳴くのを止めた。堤の一角で小さな流れ―滝と言うほどではない―を見つけた。その一角をスマホの写真で切り取ると、東山魁夷の風景画みたいな出来になっていた。納言で始まり、魁夷で締める「夏もあけぼの!」である。今日も、いい1日の始まりだ。

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