ヒジャーブとフェミニズム。そして、エジプト革命とCBS女性記者襲撃事件について/東本高志@大分

2011-02-20 10:17:24 | 世界
私は先にあるメーリングリストにエジプトのムバラク大統領弾劾デモに参加している女性たちをポートレート
した写真集を紹介しました。

■PHOTOS: Women of Egypt
http://www.globalpost.com/gallery/egypt/110131/photos-women-egypt-protests
上記の写真集にポートレートされている女性たちはNO.10の子どもを両手で抱きかかえる女性を除いて
全員ヒジャーブを被っていません(この写真集だけを見ると現在のエジプトの女性たちはヒジャーブを被ら
ないのが通常のように錯覚してしまいます)。

しかし、この点については、現代アラブ文学研究者の岡真理さんが「エジプト、タハリール広場と三代の独
裁者――革命の最前線、タハリール広場を中心にエジプトの近現代史をひもとく」(TUP通信 速報888号
2011-2-13)で次のような指摘をしています。
http://www.tup-bulletin.org/modules/contents/index.php?content_id=920

「30年前のエジプトで、ヒジャーブ(イスラーム式スカーフ)を被っている若い女性など、ほとんどいませんで
した。むしろ例外。ヒジャーブを被っている女子大生がいると、「ねえ、あなたはどうしてヒジャーブ被ってい
るの?」とわざわざ訊ねたものです。

ところが今、多くの高等教育を受けた若い女性たちがヒジャーブを被っています。かつて、マルキシズムが
社会正義の実現を目指す社会変革のためのイデオロギーであったとしたら、今、それはイスラームなので
す。若い女性たちがヒジャーブを被る、その理由は一つではありませんが、でも、この不正な社会に対する
一種のプロテストの意味もあるのです。

今回の革命で、ヒジャーブを被った若い女性たちもまた、前面で反ムバーラク、ムバーラク退陣を訴えまし
た。ヒジャーブをイスラームによる女性抑圧の象徴と見なし、ヒジャーブを被ったムスリム女性をイスラーム
の家父長制に虐げられる犠牲者であるかのように見なす者には、彼女たちがアラビア語で、あるいは英語
で積極的に発言する、行動する、そのアクティヴィズムが、不思議なものに映ったかもしれません。でも、
「ヒジャーブを被った女性たち<さえもが>」ではないのです。ある意味、「ヒジャーブを被った女性たち<だ
からこそ>」、明確な政治的主張をしているのです。」

フリージャーナリストの津山恵子さんは、ウォールストリートジャーナル日本版のコラムで「実は、エジプトで
デモが始まった初期、報道写真やテレビ映像に、女性がほとんど映っていないのが気になっていた。写真
が多いニューヨーク・タイムズも2月3日朝刊まで、ほとんど女性が映ったデモの写真がない」とレポートし
ていますが、あるいはヒジャーブを被った女性は被写体としては「絵(写真)になりにくい」というメディア側の
商業上の理由がその大きな原因のひとつだったかもしれません(そうだとすればなんとも馬鹿々々しいこと
です)。

■【津山恵子のアメリカ最新事情】エジプトでデモに女性が参加するということ(ウォールストリートジャーナ
ル日本版 2011年2月9日)
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_181344


メディア側の商業上の理由といえば、1月25日革命(エジプト革命)時のCBS女性記者襲撃事件について
米国ニュージャージー州在住の作家の冷泉彰彦さんがJMM([Japan Mail Media)に次のような記事を書い
ています。今日のフェミニズム問題の一端を考えるひとつの参考としてご紹介させていただこうと思います。

■CBS女性記者襲撃事件とアメリカ的フェニミズム(JMM 2011年2月19日)

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 エジプト革命のニュースは相変わらずアメリカでは関心が高く、ムバラク辞任後の
流動的な情勢も依然としてトップニュースになっています。その中で、一つ気になる
ニュースが全米を駆け巡り、消えていきました。それはCBSの女性記者ララ・ロー
ガンへの襲撃事件についてです。襲撃といえば、反政府運動が拡大する中で、2月3
日に突如「ムバラク派」と思われるグループが、反政府派への襲撃を試み、ラクダや
ら馬まで登場して軍隊が間に割って入るという事件がありました。この混乱の中で、
CNNの「AC」ことアンダーソン・クーパーが襲われたりしています。

 このローガン記者も同じ3日のタイミングで襲われているのですが、問題になった
事件はそれとは別です。事件は、ムバラク辞任のニュースに狂喜した群衆が街に押し
出した11日に起きました。ローガン記者は大勢のエジプト人男性に取り囲まれ、性
的な暴力を受けた上に激しく殴打されたというのです。

 この事件に至るまでの間にローガン記者には色々なことが起こっています。事実関
係としてはこうです。ローガン記者は2日の時点ではムスリム同胞団の拠点のひとつ
と言われているアレクサンドリアで取材をしています。その時の映像を私は見ている
のですが、やや混乱状態の中デモ隊への直接取材を行っていますが、取材の内容とし
てはこの欄でもお伝えしたように、「自分たちは経済を破壊するようなことはしない。
ムバラクに出ていってもらって国を変えたいだけ」というもので、文脈としては「ム
スリム同胞団の影響の強い地区でも宗教政治を志向するような声はない」という主旨、
逆を言えば「同胞団を危険視する必要はない」という内容のレポートでした。

 そのローガン記者は、翌日はカイロに戻って問題の「2月3日」の混乱状態の中、
殴打どころか拉致されてしまいます。直後に本人が語ったところでは銃を突きつけら
れて軍と思われるグループに連行されたが、やがて解放されたというのです。この時
点ではCBSは事態を重く見て、他のNBCやCBSのメインキャスター同様に「一
時的にカイロからアメリカへ脱出」させる措置を取っています。ローガン記者は一躍
「時の人」となり、翌週(2月7日の週)の前半にはニューヨークでTVの対談番組
に登場して「革命を遠くで指をくわえて見ているわけには行きません。一刻も早くカ
イロに戻らなくては」と述べていたそうです。

 実際に程なくしてローガン記者はカイロに戻って取材を続けました。その結果とし
て、11日のムバラク辞任のドラマに「間に合ってしまい」事件に巻き込まれたとい
うわけです。報道によれば暴力を受け、殴打されているローガン記者は、10人ほど
のエジプト軍兵士と女性たちのグループによって救出され、そのまま翌朝の飛行機で
アメリカに急送されました。病院で治療を受けたところ、回復は意外に早いというこ
とで、16日にニュースが発表になっています。

 ここまでお話した「経緯」はどこまで本当かは分かりません。受けた暴力の程度や
事件後の記者の症状などは、プライバシーに属する問題ですから、今後も100%明
らかにされることはないでしょうし、本稿でも関心を寄せるつもりはありません。ま
たムスリム同胞団の本拠と言われるアレクサンドリアでの取材で、ローガン記者が何
らかのトラブルがあってその後も付け狙われたという可能性、3日に一旦彼女を拉致
した兵士の素性、11日に今度は彼女を救った兵士の素性、何故か事件現場にいて彼
女の救出を助けた地元女性の正体なども良く分かりません。もしかしたら落ち着いた
ところで、ローガン記者本人が手記を出版するというようなことがあるかもしれませ
んが、仮にそうであっても内容が100%真実かどうかは分からないと思います。

 今日お話ししたいのは、2点です。それはモデル出身という目立つ外見のローガン
記者が、最終的には暴力事件に巻き込まれるような「危険」を冒してエジプト革命の
取材を続けたのはどうしてか、という疑問、もう一つは詳細はともかく「特定の女性
が性的な暴力を受けた」というプライバシーに関わるニュースがどうしてアメリカ社
会で報道されたのかという点です。

 まず二番目の問題ですが、まずこの異常なニュースが報道された背景にあるのは、
性的暴力の被害者は徹底的に救済・保護するという文化が確立しているということが
挙げられます。アメリカでも80年代前半ぐらいまでは、まだまだ被害者にも落ち度
があるとか、必死の抵抗がなければ何らかの合意に近いのではというような見解が残
っていました。ですが、ジョディ・フォスターとケリー・マクギリスの熱演で話題に
なった映画 "The Accused"(邦題は「告発の行方」)などに見られるように、この時
期からは女性をほぼ無条件で保護する権利が確定しています。判例というだけでなく、
社会的な価値観としても明らかです。

 更に、90年代になると女性シンガーソングライター・ブームの中で例えばトーリ
・エイモスとかフィオナ・アップルといったメジャーな歌手たちが、過去の性的暴力
被害を告白するという中で、被害者が名乗り出る文化が浸透して行ったように思いま
す。勿論、実名での告白を自動的に強制するとか、実名を晒すということは今でも厳
格に否定されていますが、本人の自由意志で過去の被害経験を告白することがメンタ
ルな問題解決に役立つのであれば、周囲はそれを受容しなくてはならないし、まして
嘲笑したり、疎遠な感じを持ったりすることは近親者であっても厳しく禁じられる、
そんな文化が確立しているのです。

 この事件が実名で報道されたのは勿論異例なのですが、一旦このニュースが出回っ
た後は、メジャーなTVニュースも取り上げて行ったわけで、その背景には「アメリ
カ社会は被害女性を公的にも私的にも守り切る文化が確立している」からという点が
あったと言って構わないと思います。ちなみに、この報道には妙なリアクションがあ
りました。NYU(ニューヨーク大学)司法安保研究センターのフェロー(研究員)
であったニール・ローセンという人物がツイッターでの暴言事件を起こして大学を解
雇されています。

 ローセンのツイートは「聖女に祭りあげるのもいいけど、アイツは戦争屋だからな」
「アイツみたいにヘンなことされた女がゴマンといるんだろう」(筆者意訳)という
ものです。勿論、これはこうした「被害者を守り切る」文化から見れば完全にアウト
で、特に二番目のものは即レッドカードものですが、このローセンの屈折したツイー
トの背景にあるのは、先に申し上げた第一の点に関係してくるように思います。それ
は、どうしてアメリカのメディアは「戦争報道」にわざわざ目立つ女性記者を送るの
かという問題です。

 勿論ローセンのツイートはとても擁護できるものではありませんが、確かにここ数
年、アメリカのメディアは戦争報道に目立つ女性を使いたがる傾向があります。TV
の女性記者で戦争報道のプロといえば、CNNで長年活躍したクリスチャン・アマン
ポーラ(現ABC)がいますが、彼女の場合はイラン系英国人として生まれた中で中
東問題などに深い理解をしているユニークな存在として活躍したわけで、女性の目立
つ特性を使ってということではないと思います。911の直後には、何人か女性戦争
記者が登場していますが、その多くも事件への個人的な思いからアフガンやイラクで
何が起きているかを伝えようという個人的情熱に駆られたものでした。

 ですが、ここ数年、確かに「目立つから」という特性を使って女性記者に戦争報道
をさせる傾向があるようです。ローガン記者はその代表例と言えなくもありません。
勿論、彼女の場合もイラク戦争ではブッシュ路線に不利な報道をし過ぎるとして「偏
向報道」という非難を浴びた「武勇伝」もあり、モデル出身だからといって容姿だけ
を売り物にしているわけではありません。ですが、ローセンのように「斜め」に見れ
ばその政治的ポジションも「出世のためのウケ狙い」というイメージにもなるわけで、
とにかく何らかの知的な関心と正義への情熱はあるにしても「女性の目立つ特性を使
って活躍しよう」という「勢い」そのものが不自然なものに見えるのだと思います。

 では、TV局サイドとしてはどうして「女性戦争記者」を使うのかというと、何と
いっても視聴率のためだと思います。アマンポーラなどの場合はともかく、現在では
ホンネとして、女性記者の方が「受ける」という心理が漠然と社会的に存在するから
です。これもかなり複雑で、女性視聴者にしてみれば「責任重大で困難な仕事を女性
が担っている姿」への好感ということがあり、男性視聴者も基本的に同じですが一部
の男性心理にしてみると、「戦場や混乱状態」から女性がレポートすることの「健気
さ」を好むとか、「勝気な行動をしている女性が時折見せるパーソナルな表情が好き
だ」などの心理があるわけです。そんな複雑なものではなく、無粋な男より女性のほ
うがスマートで格好良いという印象を男女ともに持っているとも言えるでしょう。

 確かにローガン記者はそうした「ニーズ」をうまく使ってキャリアを積んできたと
いう印象はあります。南アメリカ人として英国にわたり、最初はモデルをしていたの
が戦争報道で有名になり、離婚や再婚を報じられる中で芸能人扱いされる一方で、ア
メリカのCBSに職を得てからは、かなり積極的な取材姿勢が評価されて「ファンサ
イト」なども出来ているのです。

 単にアメリカの視聴者受けというだけでなく、政治的な背景もあるように思います。
ローガン記者を「突撃の急先鋒」として、エジプト革命のプロセスではアメリカから
多くの女性記者が現地入りしていますが、そのほとんどはエジプトということもあっ
て、ベールを使わずに、金髪や長い髪を振り乱してデモ隊の中に飛び込んでいます。
各局共にどうしてそうした演出になっているかというと、恐らく「この革命は市民の
自由化を求める革命であって、イスラムの復権を目指すものではない」という性格付
けをアメリカ世論へのメッセージとして送りたい、そのひとつの象徴として多くの女
性記者をデモ隊の渦中に送り込んだということは言えると思います。

 つまり「派手な白人の女性記者がデモの群衆の中に入っても、宗教的にそして文化
的に排除されない」ということが「これは宗教革命ではなく市民革命だ」ということ
を正にテレビ的に視覚で表現できるというわけです。この辺りが、冒頭の二つの疑問
のうちの一つ目に関わってくるのですが、こうした報道姿勢はアメリカ側としては終
始一貫していたように思います。

 先々週のこの欄でもお伝えしたように、アメリカの報道姿勢は「大変だ。エジプト
までが反米の原理主義になるかもしれない」というリアクションを排除して冷静さを
確保するということで一貫しています。例えば、ムバラク前大統領が「辞任しない」
と頑張っていたときには、サラ・ペイリンが「エジプト情勢に関してオバマがいちい
ち記者会見すると、みんなでその見解に従うのは異常」だと吠え立てて、「原理主義
拡大の動きに警戒を」と呼びかけていたのですが、これに対しては保守本流の大物政
治家であるリンゼイ・グラハム上院議員(共和)が「呆れた発言だ」と大統領を擁護
するなど、政界も超党派で冷静さを保っていたぐらいです。

 ちなみに、下手をすると反米センチメントの拡大もありそうな、イエメン、ヨルダ
ンのデモに関してはアメリカの報道は抑制気味、一方でリビアのデモは長年の仇敵カ
ダフィ政権の動揺への期待から扱いが大きくなっています。イランの民主化デモに関
しては、アメリカの世論も政界もデモ隊側を応援していますが、彼等を支援するがゆ
えに報道を自制しているような感じもあります。

 いずれにしても、今回のエジプト革命が「アメリカ人として応援できる」そして
「アメリカにとって有害ではない」市民革命の一種だということを強調する報道姿勢
は明らかにあると思います。また「何とか自分たちの理解の範囲にある」エジプトの
例にアメリカ世論の関心を引きつけておこうという気配もあり、それは、アメリカの
超党派の本流のホンネであると同時に、とにかくアメリカの保守派による過剰反応が
かえって現地での反米心理の拡大になってはいけないという相互性を意識してのこと
ということもあるように思います。

 ララ・ローガン記者が一度目の危険遭遇にも関わらず、自ら強く志願して現場に復
帰した、そして革命の瞬間に立会いつつ事件に巻き込まれたというストーリーの背景
には、そうしたアメリカの「文脈」があったと言って構わないでしょう。またローガ
ン記者の被害というプライベートなニュースが、一旦何者かが事件を暴露した後に大
手メディアでも報じられたのは「暴力被害にあった女性の権利は守り切る」という文
化が背景にはあるのだと思います。

 この二つの文脈は正にアメリカの「フェニミズム」の現状を反映しているように思
います。私はそこに個人的には普遍性も感じるのですが、同時に深刻な問題点も感じ
る者です。というのは、このようなフェニミズムは「過剰」であり、同時に「独善」
だという問題です。過剰というのは、例えば女性兵士の大量派兵という問題です。女
性が男性同等ならば、兵士として戦闘に参加するのも当然というのは、しかも大規模
で行われているというのはやはり過剰さがあります。そのことと「イスラム圏のデモ
隊の真ん中に女性記者を送りたがる」というのは同根という面もあるからです。更に
独善性が暴走すると、イラクのアブグレイブでの捕虜虐待に際して「ムスリムの敵兵
の自尊心を破壊するために、女性兵士によって拷問を行う」というようなダークな行
動にもなってしまいます。

 そこまで行かなくても、女性の権利拡大を押し付ける姿勢が余りに独善的なために、
かえって反発を招いてしまい、相手国での女性の人権が拡大しないという問題もある
ように思います。アメリカ流のフェニミズムを絶対的に押し付ける態度は、相手から
見れば自分への蔑視を含む尊大な姿勢に映るわけで、そうした心理が起きてしまうと、
逆効果になるわけです。日本もその一つのケースと見なすことができるかもしれませ
ん。

 一方で、エジプトの場合は、非常に微妙な問題が入っています。というのは完全に
世俗国家化しているトルコ、マレーシア、インドネシアなどを例外とするならば、エ
ジプト社会における女性の人権はイスラム圏では先進的なのです。その一方で、ムス
リム同胞団に代表される宗教保守派は、女性の人権拡大や西側文化の流入に反対して
いるという緊張関係があります。例えば、2001年頃に、アメリカの『フレンズ』
というTVコメディがエジプトで流行し、大問題になったのだという話をエジプトの
TVプロデューサーの講演で聞いたことがあります。『フレンズ』というのは、男3
人、女3人の6人組が恋愛関係になったりパートナーが変わったりしながら「グルー
プ交際」を続ける他愛ない話ですが、エジプトの保守派には十分に刺激的で賛否両論
で大変だったのだそうです。

 もしかしたら、ローガン記者はそうした「自由を欲するエジプト女性への連帯」の
気持ちを秘めてデモ隊に飛び込んだのかもしれませんし、またそうしたエジプトのフ
ェミニストたちが彼女を暴力事件の現場から救出したのかもしれません。それはとも
かく、今度は激しいデモはバーレーンに飛び火し、流血の惨事に発展しているという
報道もあります。オバマとして、アメリカとして、中東という地域に対して、更に本
質的な思考を迫る事態が来る可能性も否定できなくなりました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 
東本高志@大分
higashimoto.takashi@khaki.plala.or.jp
http://blogs.yahoo.co.jp/higashimototakashi


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