☆原発とめよう!九電本店前ひろば第1224日目報告☆から
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★ 西岡由香 さんから:
青柳さま
こんにちは。
脱原発と直接関係ないのですが、青柳さんに報告したくてメールさせていただきました。
この感動と衝撃をどう伝えたら良いのでしょう・・
一昨日、平戸に演奏会を聴きに行ってきました。
今も平戸におられる隠れキリシタンの方々が、「唄オラショ」といわれる祈り唄を、特別編成の合唱団が、その原曲であるグレゴリオ聖歌を、同時に歌うという初のこころみ。
これは行くしかない、と片道3時間半かけての一泊旅行でした。
1550年、ザビエルがキリスト教を伝えた平戸島では、多くの島民がキリシタンになり、特に隣の生月(いきつき)島では全島民が入信します。
禁教令下で領主が亡命したり、多くの殉教者をだしながら人々は潜伏して信仰を伝え続けました。
明治になり、ようやく禁教令の高札は撤去されます。
一人の宣教師もいない約270年の間に、キリスト教は神道や仏教が入り混じった土俗的なものに変容していましたが、生月ではカトリックに戻らず、先祖代々の信仰をそのまま受け継いでいる「隠れキリシタン」と呼ばれる人々が現存します。
「オラショ」と呼ばれるラテン語の祈りは、紙に書くと見つかったとき申し開きができないので全て口伝で伝えられました。
学べるのは「悲しみ節」と呼ばれる四旬節の46日間のあいだだけ。
覚えられなければ翌年に持ちこし。
べて唱えるのに40分かかるものだったそうです。
オラショには唄もありました。「らおだて」「なじょう」「ぐるりょーざ」と呼ばれるものです。
かつて音楽評論家の皆川達夫さんが生月を訪れたとき、この唄オラショに衝撃を受けたそうです。
「どこかに元の唄があるに違いない」。
執念をかけた皆川さんはヨーロッパを訪ね歩き、7年かかって「ぐるりょーざ」の原曲「オ グルリョーザ(はえある聖母よ)」をさがしあてました。
それは1500年代、イベリア半島のいち地方で歌われていた聖歌でした。
その後歌われなくなり、グレゴリオ聖歌集からも消えていた「失われた聖歌」だったのです。
おそらく、その地方出身の宣教師が450年前に生月の人々に伝えた歌が、生月の隠れキリシタンによって歌いつがれていたのでした。
驚いたローマのヴァチカンによって調査が行われ、その成果が確かに存在していたことが確認されました。
説明が長くなりましたが、一昨日、平戸でこの唄の指揮をしたのは、ひいおばあちゃんが生月出身という、女性指揮者の西本智美さん。
青い着物で正装した、生月の隠れキリシタンの男性5人が、歌う、というより吟じはじめました。
ぐるりよーざ どーみの いきせんさ すんでら しーでら
同時に始まった、合唱団のさざ波のような歌。
グロリオーザ ドミナ エクセルサ スーペラ シーデラ
仰天しました。
両者のメロディがほとんど同じだった・・!!
口伝で、暗記して、この繊細な中世ヨーロッパの聖歌を、450年こうして伝えつづけられるものなのか・・これが人の力か。これが人間の力なのか。
水をうったように静まり返った会場。私はこの日、奇蹟の証人になってしまいました。
この歌を口ずさんだ宣教師の名前も、歌も、ヨーロッパでは忘れられていたけれど、波濤を越えた島国の人々は、忘れなかった。
宣教師の敬慕の念とともに伝え続けた。
弾圧に耐え、やがて訪れる信仰の自由を待ち続けた人々の声が、重なり合うメロディの向こうから聞こえた気がしました。
「パードレ、わしら、守りぬきましたばい」。
よろしければ、下のマークをクリックして!
よろしければ、もう一回!
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青柳さま
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脱原発と直接関係ないのですが、青柳さんに報告したくてメールさせていただきました。
この感動と衝撃をどう伝えたら良いのでしょう・・
一昨日、平戸に演奏会を聴きに行ってきました。
今も平戸におられる隠れキリシタンの方々が、「唄オラショ」といわれる祈り唄を、特別編成の合唱団が、その原曲であるグレゴリオ聖歌を、同時に歌うという初のこころみ。
これは行くしかない、と片道3時間半かけての一泊旅行でした。
1550年、ザビエルがキリスト教を伝えた平戸島では、多くの島民がキリシタンになり、特に隣の生月(いきつき)島では全島民が入信します。
禁教令下で領主が亡命したり、多くの殉教者をだしながら人々は潜伏して信仰を伝え続けました。
明治になり、ようやく禁教令の高札は撤去されます。
一人の宣教師もいない約270年の間に、キリスト教は神道や仏教が入り混じった土俗的なものに変容していましたが、生月ではカトリックに戻らず、先祖代々の信仰をそのまま受け継いでいる「隠れキリシタン」と呼ばれる人々が現存します。
「オラショ」と呼ばれるラテン語の祈りは、紙に書くと見つかったとき申し開きができないので全て口伝で伝えられました。
学べるのは「悲しみ節」と呼ばれる四旬節の46日間のあいだだけ。
覚えられなければ翌年に持ちこし。
べて唱えるのに40分かかるものだったそうです。
オラショには唄もありました。「らおだて」「なじょう」「ぐるりょーざ」と呼ばれるものです。
かつて音楽評論家の皆川達夫さんが生月を訪れたとき、この唄オラショに衝撃を受けたそうです。
「どこかに元の唄があるに違いない」。
執念をかけた皆川さんはヨーロッパを訪ね歩き、7年かかって「ぐるりょーざ」の原曲「オ グルリョーザ(はえある聖母よ)」をさがしあてました。
それは1500年代、イベリア半島のいち地方で歌われていた聖歌でした。
その後歌われなくなり、グレゴリオ聖歌集からも消えていた「失われた聖歌」だったのです。
おそらく、その地方出身の宣教師が450年前に生月の人々に伝えた歌が、生月の隠れキリシタンによって歌いつがれていたのでした。
驚いたローマのヴァチカンによって調査が行われ、その成果が確かに存在していたことが確認されました。
説明が長くなりましたが、一昨日、平戸でこの唄の指揮をしたのは、ひいおばあちゃんが生月出身という、女性指揮者の西本智美さん。
青い着物で正装した、生月の隠れキリシタンの男性5人が、歌う、というより吟じはじめました。
ぐるりよーざ どーみの いきせんさ すんでら しーでら
同時に始まった、合唱団のさざ波のような歌。
グロリオーザ ドミナ エクセルサ スーペラ シーデラ
仰天しました。
両者のメロディがほとんど同じだった・・!!
口伝で、暗記して、この繊細な中世ヨーロッパの聖歌を、450年こうして伝えつづけられるものなのか・・これが人の力か。これが人間の力なのか。
水をうったように静まり返った会場。私はこの日、奇蹟の証人になってしまいました。
この歌を口ずさんだ宣教師の名前も、歌も、ヨーロッパでは忘れられていたけれど、波濤を越えた島国の人々は、忘れなかった。
宣教師の敬慕の念とともに伝え続けた。
弾圧に耐え、やがて訪れる信仰の自由を待ち続けた人々の声が、重なり合うメロディの向こうから聞こえた気がしました。
「パードレ、わしら、守りぬきましたばい」。
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