福島 「原発震災」 の意味を問う~錯綜する天災と人災・木村 朗 /NPJ通信 から

2011-09-23 19:37:47 | 社会
「時代の奔流を見据えて──危機の時代の平和学」
木村 朗 (きむら あきら、鹿児島大学教員、平和学専攻)

第三五回


福島 「原発震災」 の意味を問う
~錯綜する天災と人災(その四 中)
  はじめに
  8月29日の代表選挙で海江田万里経済産業相ら他の4人の候補を破って民主党新代表に選出された野田佳彦財務相(54)が 30日の衆参両院の本会議で第95代首相に指名されて、菅直人政権に代わる新しい政権が発足することになりました。この新政権の大震災・原発事故への対策がどのようなものになるのかは現時点ではまだ不透明ですが、野田首相自身のこれまでの政治姿勢や新閣僚の顔ぶれを見ても、残念ですがあまり期待できそうにないというのが率直な感想です。

  さて、福島第一原発事故をめぐっては、未だに収拾の目処もつかない状況が続いているばかりでなく、新たな放射能汚染の拡大の実態が次々と明らかになってきています。そうした中でも、特に注目されるのが、原発事故の発生当日に、緊急冷却装置が人為的に停止されていた!、という驚愕の事実です。川内博史、原口一博両衆議院議員の粘り強い調査の結果によれば、「事故発生当日、福島第一原発の緊急冷却装置が人為的に3度にわたって止められていた」 といいます(「ダイヤモンド・オンライン:週刊上杉隆」、および 上杉隆ニュースの深層8/23 「ざまあみやがれい!」、 110824 鳩山由紀夫前首相主催勉強会 「上杉隆氏」 を参照)。

  しかし、政府も、東電もこの信じられないような事実を認める一方で、なぜ、そのような愚かな犯罪的行為をしたのかという最も重要な問題については理由をいまだに明らかにしていません。フリージャーナリストの上杉隆さん(自由報道協会暫定代表)が、もしこれが本当ならば 「政府によるテロだ」 と言及しているように、本当に見過ごすことの出来ない重大な問題です。いずれにしてもこの問題は、原発事故の原因が津波ではなく地震であったのではないかという問題とともに、徹底的に調査される必要があると思います。

  今回の論評では、前回に引き続き、原発と原爆の関連性を取り上げ、この問題を別の視点から検討します。

※スペイン在住の童子丸開さんからの追加情報によれば、「緊急冷却装置が3度にわたって人為的に止められていた」 というのは、ECCSというよりは、正確には 「緊急冷却系の最後の砦である非常用復水器( I C)」 であったそうです(吉田所長 「大きな失敗」・・・復水器停止知らず 『読売新聞』 2011年9月8日付、「ブログ人」 を参照)。

4.原発(被曝)と原爆(被爆)の関係性を問う
―人類は核(原子力)と共存できるのか

(2) 外部被曝と内部被曝の区別と関連
-放射能汚染・被害の共通する恐ろしさ
  原発と原爆のもう一つの共通点は、放射能汚染・被害の恐ろしさです。今回の福島第一原発事故によって放出された放射能は、セシウム137(半減期が約30年)が、広島原爆の約168.5倍、ヨウ素131(半減期約8日)が、広島原爆約 2・5個分、ストロンチウム90(半減期が約28年)が、広島原爆約 2・4個分、とも言われています(下記の 『東京新聞』 Web版2011年8月25日 07時08分を参照)。
  この試算値は川内博史衆院科学技術・イノベーション推進特別委員長が8月9日の同委員会で 「広島型原爆の何発分かを政府として正確に出してほしい」 と要求していたリストに掲載されていたもので、このうちストロンチウム90は内部被曝の原因となるとされており、特に注目されます。(これに関連して、IAEA(国際原子力機関)に提出する報告書の一部で、福島第一原発事故から3月16日までに放出された放射性物質の試算値を保安院が6月6日の記者会見の資料として出していたにもかかわらず、大量の資料の中に埋もれていたため気づかれずに9月なってようやく明らかになったという見逃せない事実経過があります。この点については、「報じられなかったプトニウム 『大量放出』 の事実」 『週刊現代』 2011年9月10日号を参照)。

≪「政府が、東京電力福島第一原発の1~3号機事故と、1945年の広島への原爆投下で、それぞれ大気中に飛散した放射性物質の核種ごとの試算値をまとめ、衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会に提出していたことが分かった。半減期が約30年と長く、食品や土壌への深刻な 汚染を引き起こすセシウム137の放出量を単純比較すると、福島第一原発からの放出量は広島原爆168・5個分に相当する。福島第一原発事故は今年6月の国際原子力機関(IAEA)閣僚会議に対する日本政府報告書、広島原爆については 「原子放射線の影響に関する国連科学委員会2000年報告」 を基に試算されている。セシウム137の放出量は、福島第一原発1~3号機が1万5000テラベクレル(テラは1兆)、 広島原爆が89テラベクレル。このほかの主な核種では、福島事故で大量に飛散したヨウ素131(半減期約8日)は、 福島が16万テラベクレル、広島が6万3000テラベクレルで、福島は広島原爆約 2・5個分。半減期が約28年と長く、内部被ばくの原因となるストロンチウム90が、福島が 140テラベクレル、 広島が58テラベクレルで、広島原爆約2・4個分となる。」≫

  ここで注意する必要があるのが、放射能障害(放射線被曝による障害)には大きく分けて外部被曝による急性障害(火傷、出血、痙攣、脱毛、目の水晶体混濁、意識混濁、白血球減少、永久不妊など)と、内部被曝による晩発性障害(ガン・白血病、白内障、胎児の障害、寿命短縮、遺伝障害など)の二種類がありますが、放射性物質の危険性を語る場合、前者(外部被曝による急性障害)のみが強調され、後者(内部被曝による晩発性被害)が無視される傾向があるということです。

  日本政府は、福島第一原発事故が起きるまで ICRP(国際放射線防護委員会)の勧告に準拠して、職業人(原発労働者など原子力関係の仕事に就いている人)については50ミリシーベルトmSv/年(ただし、緊急時には100ミリシーベルトmSv/年)、一般人は1ミリシーベルトmSv/年と定めていました( ICRPは1990年に職業人は20mSv/年、100mSv/5年と勧告)。ところが、2011年3月11日に起きた福島第一原発の事故に際し、この限界線量(許容量)の値が、原発労働者が250ミリシーベルトmSv/年に引き上げられたばかりでなく、子どもについても何と一挙に20ミリシーベルトmSv/年に引き上げられました。しかし、このような限界線量の設定は明らかに異常であり、現地の母親たちが子どもたちの被曝を避けるために必死で政府にその撤回を訴える根本的理由もここにあります。

  現在までの福島原発事故による被曝線量では、実際には放射性物質による内部被曝の影響が外部被曝よりもはるかに深刻であり、急性障害(急性放射線症状)よりも晩発性障害に重点をおいた対応が求められています。素粒子物理学者で広島原爆の被曝者でもある沢田昭二さん(名古屋大学名誉教授)は、放射性降下物による内部被曝の過小評価が、ICRP(国際放射線防護委員会)の内部被曝の軽視と今回の福島原発事故における内部被曝影響の軽視につながっていることを指摘するとともに、「放射線に被曝しても、癌あるいは悪性新生物、甲状腺機能低下症などの晩発性障害の大部分や遺伝的影響は必ずしも発現するとは限らない。しかし、被曝線量が増えれば一般的に発症率・発現率が大きくなる。このような障害を確率的影響という。
  晩発性障害は一旦発症すれば、重篤度は被曝線量によらない。」、「低線量被曝まで被曝線量に比例するとして、 100万人が10ミリシーベルトの被曝をすると10年間で悪性新生物によって死亡する人が138人増えることになる。晩発性障害に対しても個人差が大きく分布しており、抵抗力が弱いとされている人や若年層の場合には100ミリシーベルトの被曝は要注意である。ところが、政府は専門家の意見を聞いて急性症状の白血球減少症状が起こらないから、原発作業員の被曝線量許容限度を250ミリシーベルトに引き上げた。しかし、しきい値論に立っての判断は危険で、作業員に被曝影響が出ても、しきい値以下だから放射線影響ではないと切り捨てる可能性がある」 と語っています(沢田昭二 「放射線による内部被曝─福島原発事故に関連して」 カナダ在住の乗松聡子さんが運営するサイト Peace Philosophy Centre を参照)。

  また、内部被曝を専門的に診療データのもとに語る唯一の医師と言われる肥田舜太郎さん(94歳)は、「問題は外部被曝以上に内部被曝です。放射線が体内に入った場合は、広島・長崎の被ばく者が66年間味わってきたものが同じように出る可能性は高いと思います。個人差がありますが、内部被曝はたとえ年間1ミリシーベルト以下でも、影響を及ぼす可能性があります。広島・長崎から推測すると、半年から1年でだんだん目に付き、2、3年のうちにははっきり出てくるのではないでしょうか。」、「福島県では県民の健康調査や、ホールボディカウンターによる内部被曝検査も始まっているようですが、期待できません。
  ホールボディカウンターでわかるのはガンマ線だけ。ところが、僕らが診て患者さんが一番苦しんでいたのはアルファ線とベータ線の被害なのです。健康調査の結果も、山下俊一長崎大学教授をはじめ、メンバーをみれば結論は明らかです 『放射線の健康への影響、被害などない』 とされるに違いありません。米国の医学界が 『内部被曝、微量な放射線は害がない』 としてそれを世界にだしていますから」 ときわめて重要な指摘を行っています(「肥田舜太郎さん・医師に聞く 事実を曲げることはできない」 『週刊金曜日』 2011年9月2日号を参照)。

  また、肥田医師との共著(『内部被曝の脅威-原爆から劣化ウラン弾まで』 ちくま新書、2005年)を出されている、ドキュメンタリー作家・映像監督の鎌仲ひとみさんは、最新の著書(飯田哲也氏との共著 『今こそ、エレルギーシフト』 岩波ブックレットNo.810、 2011年5月27日発行)のなかで、「日本は唯一の被爆国といいながら、原爆後の放射性降下物を吸い込み内部被曝をした被曝者の健康被害を過小評価し、その被害を日本政府は否定し続けています。原爆による被爆と認定されたのは今、生きていらっしゃる被曝者のわずか 0.8パーセントという数字をみても、フクシマ後の経過が思いやられます。」 (同著、12頁)、「福島県の健康アドバイザーとなった長崎大学の山下俊一教授がNHK番組や福島県内のあちこちで講演をして 『年間20ミリシーベルトでの子どもは大丈夫』 とか 『100ミリシーベルトでも安全です』 と発言して回っている。これは実はとんでもない発言なのですが、政府がこれを認めているので福島の多くの方々が信じている状況です。
  これまで一般人の被曝年間許容量が1ミリシーベルトだったのに、いきなり20ミリシーベルトになって良い理由などどこにもない。最も過小評価されている ICRPの直線モデルを使って計算しても1万人に19人多くがんで亡くなる人が増えています。 15歳以下の子どもは大人の6~10倍感受性が強いので、19にその倍数を掛けてみると被害の大きさが見えてくるはずです」 (同著、13頁)と同様な指摘をされています。

  ここで、肥田医師や鎌仲さんが指摘されている日本政府や米国の姿勢・対応を考えてみます。日本政府は、福島原発事故の発生以来、外部被曝(体外被曝)による急性障害(急性放射線症)のみを重視し、内部被曝(体内被曝)による晩発性障害を軽視あるいは無視する姿勢・対応を一貫して取ってきました。「福島原発事故による被曝で亡くなった人はいない」、「放射線被曝量は直ちに人体に悪影響を与えるレベルのものではない」、「100ミリシーベルト以下の量の被曝ではまったく問題はありません」 といった政府・保安院、東電関係者、御用学者・御用ジャーナリストたちが繰り返し用いた言葉(言い回し)には、そうした内部被曝の影響を過小評価する姿勢が顕著にあらわれています。こうした政府の姿勢は、広島・長崎の被爆者に対する対応、すなわち残留放射能による低線量被曝によって深刻な放射線障害を引き起こされる可能性を無視し、内部被曝による重大な影響を直視しようとしなかった姿勢とも共通しています。

  矢ヶ崎克馬さん(琉球大学名誉教授)は、放射性物質がただ漏れしているのに政府が 「安全」 を連呼するのは内部被曝を過小評価する ICRP(国際放射線防護委員会)の基準に依拠しているからであり、その基準が広島・長崎の被曝者たちを 「モルモット扱い」 したと悪評の高い原爆傷害調査委員会(ABCC:Atomic Bomb Casualty Commission、のちの放射線影響研究所)の調査を基にして作られたものであることを指摘しています。また、ICRPは米国の原子力委員会(AEC:Atomic Energy Commission)の影響下にあるNCRP(合衆国放射線防護委員会)とほぼ同じ陣容で設置され、様々な測定や統計処理のごまかしによって内部被曝を無いものにしてきたことを明らかにしています。そして、「内部被曝を無いものにすることによって、市民の被曝を前提とした原発の推進が可能になりました。核兵器使用が米国による第一の核戦略なら、原発推進は2番目の核戦略です」 と鋭い指摘を行っています(矢ヶ崎克馬 「内部被曝の驚異を低く見積もるな 米国の核戦略が被害を隠した」 『週刊金曜日』 2011年4月8日号、「ヒロシマ・ナガサキ隠された『内部被曝』」 『週刊朝日』 2011年7月1日号、および 『隠された被曝』 新日本出版社、2010年7月、を参照)。

  また同様の指摘をしているのが、広島平和研究所の高橋博子さん(広島市立大学講師)です。機密解除された米公文書で1940~50年代の米核戦略史を闇の部分を含めて解き明かした優れた著作 『封印されたヒロシマ・ナガサキ―米核実験と民間防衛計画』 凱風社、2008年2月発行、日本平和学会の平和研究奨励賞を受賞)を持つ高橋さんは、「1950年に初会合が開かれた ICRPは、合衆国放射線防護委員会(NCRP)議長のL・S・テイラーが中心となってなって組織された。NCRPは46年に発足。広島・長崎の原爆を開発したマンハッタン計画で、プルトニウムを人体へ注射するなどの放射能人体実験にも携わった海軍大佐スタッフ・ウォーレン(同計画の医学部長)らが執行委員となっていた。つまり ICRPは、米国の核戦略の強い影響力を受けて発足したといえる。」、「そうした組織の基準が、国際的だとして福島県内の子どもたちに適用されているのだ。広島・長崎から66年、ICRPの背後にある米国の核戦略は、原爆の威力は強調しつつ、その残虐性・非人間性は巧みな手段で隠蔽する、という考え方が貫かれてきた」 と述べ、核兵器による放射線の人体への影響がいかに人為的に過小評価されてきたのか、を明らかにするとともに、「このような、人間よりも原発を守るシステムが優先される国策・社会のあり方そのものが、いま問われている」 とその人為的な基準が原発事故の放射線被害にもそのまま適用されつつある現状に強い警鐘を鳴らしています(高橋博子 「公文書で判明した米核戦略の深層」 『週刊朝日』 2011年9月2日号を参照)。
  また、「日本が ICRPをほぼ唯一の国際的な基準として導入してきたのは、原発推進政策のためです。広島・長崎、核実験やチェルノブイリ原発事故からの教訓に学ぼうとするなら、ECRP(欧州放射線リスク委員会:より厳しい基準を設定している-評者)の勧告を重視するべきです。政府は内部被曝を軽視して広島・長崎の被爆者たちを切り捨ててきたことを反省し、内部被曝の実態研究に取り組むべきです」 と具体的に重要な政策提言を行っていることも注目されます(伊藤孝司 「命を蝕む被曝基準」 『週刊金曜日』 2011年6月3日号を参照)。

  そして、ここまで述べてきた外部被曝と内部被曝、あるいはヒロシマ・ナガサキ(原爆投下、核攻撃)の被爆者とフクシマ(原発事故)の被曝者、という共通の核被害・放射能被害をあらわすものが、「グローバルヒバクシャ(世界の被ばく者)」 という言葉・視点です。この見方は、簡潔に言えば広島の前にも長崎の後にもヒバクシャ(被ばく者)は存在していたし、いまも存在しているのだという考え方です。

  私の言葉でいえば、「ヒバクシャ」 をいわゆる 「ヒロシマ・ナガサキ」 の原爆犠牲者に限定するのではなく、より広い視点から核被害者を把握していこうとするもので、「グローバルヒバクシャ」 とは、ウラン鉱山での採掘作業に狩り出された労働者や核(原爆)開発・実験に動員された労働者(その多くは 「先住民」 たちであった!)・科学者・兵士(核戦争状況下での戦闘能力を試された 「アトミック・ソルジャー」)、そして核(原爆)開発・実験に巻き込まれた周辺住民・漁民(マーシャル諸島やネバダ、セミパラチンスクなどに住んでいた人々や偶然に実験海域に通りかかって被害を受けた日本のマグロ漁船・第五福竜丸の乗員も)はもとより、核・原子力の 「平和利用(より正しくは 「産業・商業利用」)である原子力発電所・原子力関連施設で働く人々とその風下地域住民など、いわゆる放射線 「被曝」 を受けた核被害者たちを含めた概念です。
  この中には特殊な事例としてマンハッタン計画の一環として行われた 「人体実験」 の対象とされた民間人(その多くがマイノリティーで、重病患者や受刑者などが含まれていた)や、チェルノブイリ・スリーマイル島や東海村などでの原発事故に遭遇した多くの人々も当然含まれます。また、より広義の意味では、劣化ウラン兵器や枯れ葉剤の使用によって被害を受けた人々も 「グローバルヒバクシャ」 の中に位置づけることができるでしょう。
  そして、劣化ウラン兵器と枯れ葉剤が大戦中のマンハッタン計画との関連の中で研究・開発されたばかりでなく、その当初の使用対象が日本であったという事実も注目されます(評者とピーター・カズニック先生との共著/乗松聡子訳 『広島・長崎への原爆投下再考-日米の視点』 法律文化社、2010年11月、38~39頁を参照)。

  また、こうした見方は、特に日本では、先ほどの高橋博子さんと米核実験場とされたマーシャル諸島のヒバク問題に取り組んでいる竹峰誠一郎さん(当時は早稲田大学博士課程在学中の大学院生、現在は三重大学講師)のお二人が 「グローバルヒバクシャ研究会」 を立ち上げ、日本平和学会にも 「グローバルヒバクシャ分科会」 を創設したことによって、徐々に知られ始めたという経緯があります。グローバルヒバクシャ研究会の編集した著作には、グローバルヒバクシャ研究会/編 『いまに問うヒバクシャと戦後補償』 (凱風社、2006年10月)、およびグローバルヒバクシャ研究会(編集)/前田哲男監修 『隠されたヒバクシャ―検証=裁きなきビキニ水爆被災』 (凱風社、2005年6月)の2冊がありますが、いずれも新しい貴重な視点・問題意識で隠された核・原爆と被爆・被曝の歴史を明らかにしている作品だと思います。
  また、高橋博子さんとともにグローバルヒバクシャ研究会の共同代表を務める竹峰誠一郎さんは、日本が 「唯一の被爆国」 であるという自己規定を相対化し、核被災者(原爆だけでなく、原発を含めたあらゆる核関連施設による放射線障害を受けた人々も含む)や核開発の現場とされた地域への眼差しをもって核問題に迫る実践への願いを 「グローバルヒバクシャ」 という言葉に込めて研究会を設立したという熱い想いを語っているのが注目されます(竹峰誠一郎 「『グローバルヒバクシャ』-そのことばに込めた想い」 季刊 『軍縮地球市民』 2006年10月発行、を参照)。

  最後に、この 「グローバルヒバクシャ」 という視点とも関連がありますが、核爆弾が初めて使われた第二次世界大戦後、放射線被曝によって命を奪われた人の数は、少なくとも 117万人(内部被曝を軽視する ICRPの基準による試算)、最大では6500万人(内部被曝を重視するECRP・欧州放射線リスク委員会の基準による試算)とも言われています(前掲・矢ヶ崎克馬 「内部被曝の驚異を低く見積もるな 米国の核戦略が被害を隠した」 および 「ヒロシマ・ナガサキ隠された 『内部被曝』」 を参照)。どちらも恐るべき数字ですが、「内部被曝」 を考慮に入れるか否かでなんと55倍以上の違いが出ています。どちらがより信憑性があるかはいうまでもないでしょう。

  福島原発に近い南相馬市で調査や除染作業をしている、児玉龍彦さん(東京大学東京大学先端科学技術研究センター教授、アイソトープ総合センター長)の7月27日の国会(衆議院・厚生労働委員会)での 「放射線の健康への影響」 についての参考人説明( 「2011.07.27 国の原発対応に満身の怒り - 児玉龍彦」、および 「児玉龍彦氏の、国の内部被曝対応への批判と提言が凄すぎる!(書き起こし)」、児玉龍彦著 『内部被曝の真実』 幻冬舎新書、 2011年9月を参照)が全国的な注目を集めたように、放射線の障害防止には個々の濃度ではなく全体的な総量こそが問題となるのであり、直ちに汚染除去に全力を注ぐとともに、妊婦や子どもたちの集団疎開を政府や自治体レベルで早急にすべきだと思います。
  2011年9月19日(東京での脱原発大集会への連帯の意を込めて)
【次回の(その四 下)に続く】
http://www.news-pj.net/npj/kimura/035.html


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