ニッポンとコリア 百年の明日 埋まらぬ溝(1)/文化財 今こそ返して 「友好の目玉」韓国世論期待

2010-07-30 16:55:15 | 社会
5月16日朝、韓国南東部の古都・慶州のホテル。
16年余り前、細川護煕首相が日本の植民地支配の時代に触れ、金泳三大統領に「加害者として深く陳謝したい」と
語りかけたのと同じ部屋で、柳明桓外交通商相が岡田克也外相と向き合った。
「今年は韓日強制併合100年という難しい年だ。だからこそ、韓日関係をより強化する良い機会にしたい」。こう切り出した柳外相は、さらに続けた。
「朝鮮王室儀軌などの返還を求める声が国内にある」
日本による韓国併合から100年の今年、日本に流出した文化財の返還問題を何とか進展させたいとの意思表示だった。
儀軌は、15~19世紀に朝鮮王朝の祭礼や行事の作法などを記した儀典書だ。
1922年、植民地支配をつかさどった朝鮮総督府によって宮内省(現・宮内庁)に移されたとされる。
柳外相が、儀軌を文化財返還問題の象徴として持ち出したのは、「世論の求めがはっきりしているからだ」と韓国政府
当局者は語る。
4年前から市民団体が返還運動を始め、韓国の国会も2006年12月に返還要求決議を採択した。
ただ、文化財返還をめぐり日韓両国は、65年の国交正常化に伴って「文化財及び文化協力に関する協定」を
結び、日本が朝鮮半島由来の国有文化財約1300点を韓国側に引き渡している。
これを根拠に「法的に決着した」とする日本の主張を韓国側も無視はできず、柳外相が08年4月の日韓外相会談で
初めて儀軌の返還に触れて以来、必ず国内の「世論」を伝えるという形をとってきた。
併合100年を文化財の返還で飾るという案が、韓国政府内で浮上したのは昨年のことだという。
国内世論への配慮はもちろん、実現すれば、節目の年に両国の友好関係を印象づけることができる。
儀軌のほかに「目玉」として挙がったのは、朝鮮王朝ゆかりの遺物で宮内庁が所蔵する医学や軍の歴史などを
紹介した「帝室図書」と、歴代王が受けた講義の資料「経筵」だ。
韓国政府関係者は「朝鮮総督府が持ち出し、宮内庁が所蔵する朝鮮王朝時代の遺産という点で儀軌と
共通点がある」と語る。
返還の希望は、非公式に日本政府にも伝えられた。
日本の外務省も、宮内庁との間で儀軌などの返還が可能かどうか非公式な検討には入っている。
日本政府内にも日韓首脳会談の機会を利用し、「友好の目玉」として実現を目指すべきだという声がある。
ただ、日本側には「際限ない要求になっては困る」(政府関係者)との懸念も根強い。
「今回限り」「宮内庁所蔵品限り」など一定の約束を取り付けたいが、「将来も世論が求めれば応じないわけには
いかない」とする韓国側との間の溝は埋まらない。
岡田外相も慶州で「韓国内の期待は十分理解している」と答えるにとどまった。

「あった所に」訴え続け

痛いほどの日差しが照りつけた今月23日、儀軌の返還運動に取り組む韓国の僧侶、慧門さん(37)が東京・永田町に
姿を見せた。
併合100年を機に、韓国への速やかな返還を求める菅直人首相と仙谷由人宮房長官あての陳情書を提出するためだ。
その1週間前、日本政府が8月の併合100年に合わせて首相談話の発表を検討していることが報じられた。
韓国でも大きく伝えられた報道を見て「返還の機は熟した」と感じた。
日本統治時代に郵便配達人が使った帽子や制服、印鑑、ワラジ。
「これが文化財と言えるのか。他に返還すべきものはないのか」。
慧門さんは05年に、日本が65年の協定などに従って返還した文化財の目録を見てがくぜんとした。
日本は58年に返還した物品と合わせ、この時までに国が保有する1432品目の美術品や考古学資料、図書などを
韓国に返還したが、日本政府は「国際法上の根拠がない」として私有財産の返還には協力しなかった。
韓国側が当時、返還を請求していた4479品目には遠く及ばず、儀軌のように当時は所在が確認されずに返還され
なかった国有文化財もあった。
慧門さんが返還運動に身を投じた直後の06年7月、朝鮮王朝の業績を記録した「朝鮮王朝実録」47冊が
東京大からソウル大に寄贈され、そこで儀軌の存在が明らかになる。
2カ月後、儀軌の返還を求める委員会を組織して奔走を始めた。
パリの国連教育科学文化機関(ユネスコ)本部を訪れ、問題の重要性を訴えた。
韓国の国会議員に返還を求める決議を根回しし、日本の外務省などにも足を運んだ。
政府が正式な返還要求に踏み切れないなか、韓国政府関係者は「彼なくして、返還運動は成り立たないだろう」と話す。
実際、慧門さんのような民間主体の働きかけで、政府レベルとは別に返還が実現した文化財も少なくない。
90年代以降、日本から朝鮮半島に戻った流出文化財は確認されただけで17件約2500点にのぼり、日韓の友好に
役立ってきた。
ソウル大に寄贈された朝鮮王朝実録は、直後に韓国政府によって国宝に指定された。
李相燦・ソウル大教授は「日本にも韓国に戻るのが正しいと考えてくれる人々がいる。韓日関係は相当に希望が
持てる」と話す。
ただ、韓国国立文化財研究所によると、日本に流出した朝鮮半島由来の文化財は確認されただけで6万1409点。
個人蔵も含めれば30万点以上とも言われ「解決」への道のりは遠い。
それでも慧門さんはあきらめない。
「仏教には『還至本処』という言葉がある。文化財を本来あった場所に戻すことは、良心を取り戻すことにつながるのです」

仏にも要請交渉難航

韓国が流出文化財の返還を求めている相手は、日本だけではない。
韓国政府は今春、フランス国立図書館が所蔵する朝鮮王朝の王立図書館「外奎章閣」の所蔵図書の永久貸与を
仏政府に申し入れた。
1866年に仏艦隊が黄海沖の江華島を攻撃した際に持ち去った文化財が注目を集めるのには理由がある。
1993年9月に訪韓した当時のミッテラン大統領が、返還を約束した経緯があるからだ。
だが実際には返還されず、韓国の市民団体が返還訴訟を起こしたが、仏行政裁判所が「仏の国有財産」との
判断を出したこともあり、韓国政府は「永久貸与」の要請に切り替えた。
しかし、交渉は難航している。
韓国は4月にカイロで開かれた「文化財保護と返還のための国際会議」で、この外奎章閣図書と、日本の宮内庁が
所蔵する朝鮮王室図書の返還を強く訴えた。
この会議は米中印ロなど20力国以上の代表が出席した初の「略奪文化財サミット」。
国際社会の関心は確実に高まっているが、所蔵する国と返還を求める国との意見の食い違いは、依然として大きい。
(牧野愛博)

韓国の文化財 日本の250カ所に 国立博物館・神社など所蔵
【ソウル目牧野愛博】
朝鮮半島から流出した文化財が、日本の大学や寺社など計250カ所で所蔵されていることが韓国国立文化財
研究所の調べで分かった。韓国政府関係者が明らかにした。
韓国側は、流出の経緯を詳しく調べて返還への道筋を探りたい考えだが、費用の問題などから調査は進んでいない。
同研究所は今年1月、日本に流出した朝鮮半島由来の文化財は計6万1409点にのぼると発表したが、所蔵先の
内訳が明らかになるのは初めて。
宮内庁のほか東京や京都の国立博物館、国立公文書館内閣文庫、東京大、早稲田大など国公立を含めた
大規模施設が57カ所。
東京の増上寺や京都の知恩院といった寺社などが145カ所、個人所有が48人。
多くは書籍類や仏像、陶磁器などだ。
日本政府は1965年に韓国と文化財・文化協力協定を結んだ際、朝鮮半島由来の国有文化財約1300点を
韓国側に引き渡し、「法的な問題は決着した」との立場だが、国有の所蔵物の中には協定締結時に日本側が
所在を十分に把握していなかった文化財が含まれている可能性がある。
また韓国政府内には、日本の植民地支配の時代に正当な理由なく流出したことが証明された場合には、日本側の
自主的な返還を迫るべきだとの声がある。
韓国政府は、宮内庁が所蔵する朝鮮王朝の儀典書「朝鮮王室儀軌」や同王朝の歴代王が受けた講義資料
「経筵」などは、当時の朝鮮総督府が日本に持ち込んだと判断。
4月にカイロで開かれた「文化財保護と返還のための国際会議」でも「宮内庁所蔵の朝鮮王室図書は不法に
持ち出された」と主張した。
ただ、同研究所の調査は基礎学術資料の収集目的で実施されており、流出の経緯はほとんど解明されていない。
日韓の専門家からは、日本による韓国併合から今年で100年になるのを機に、流出の経緯を調べる学術交流
会議の設置を求める声が出ている。

*2010.7.28朝日新聞

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