ネット検索市場再編の動きと、「大手紙」連携の過去/JCJふらっしゅ

2008-02-03 20:15:44 | ジャーナリズム
米マイクロソフトが米ヤフーに、買収を提案した。ネット検索市場の主導権を握る
グーグルに迫るための橋頭堡したいということなのだろう。マイクロソフトは市場価
格を上回る446億ドル(約4兆7500億円)を提示したという。「独禁法上の問
題がなければ、買収が成立する可能性は高い」(日本経済新聞)と報じられている。

 日本経済新聞の社説は、「米では昨年、新聞や放送など既存メディアの再編が相次
いだが、成長分野のネット企業にも再編の波がやってきたといえる」と解説している。

 マイクロソフトのビル・ゲイツ会長は08年7月で第一線から退くと表明している。
社説は<新しい「ウィンドウズ・ビスタ」で収益が上がっているうちに、ネット市場
でも主導権を握れるよう、組織改革への戦略投資をしておく狙いがあるようだ>と、
今回の買収話の背景を指摘している。

 マイクロソフト、グーグル、ヤフーといったネット検索市場の攻防・再編の動きが、
世界のメディアやジャーナリズムのありようににどのように関係するか、影響してく
るのか。日本でも放送局の買収や提携をめぐる動きが野球チームの再編問題やライブ
ドア問題などへと波及したことはまだ記憶に新しい。

「新聞や放送など既存メディアの再編」というテーマが身近に迫る中、日本の大手メ
ディアも将来の生き残りにむけた動きを加速させている。政治・財界のNHKをめぐ
る動きにも「メディアの再編」問題が視野に含まれているのは明らかだ。

「メディアの再編」が、資本と市場をめぐる論理で貫徹され再編ていくのか、市民と
メディアの観点で再生されていくのか。本質にはその攻防が横たわっている。

 1月31日、「日経・朝日・読売インターネット事業組合」が、3社共同のニュー
スサイト「あらたにす」運営を始めた。
「3社の主要な記事や社説の読み比べができるなど、各社が単独では実現できないサ
ービスを提供する」サイトで、「学者や文化人など多様な分野の著名人が読者の視点
で新聞記事を取り上げて評論・解説するコンテンツも提供する」という。

 マイクロソフトの検索サイト「MSN」でのニュース配信が、毎日新聞から産経新
聞に代わり、毎日新聞は新たに「毎日jp」を立ち上げ、各紙社説を読み比べる「社説
ウオッチング」コーナーを設置したり、ヤフーなど他の検索サイトとの連携を強める
とした動きもあった。

 それに先立ち、共同通信は「47NEWS」(47都道府県52新聞社のニュース
と共同通信ニュースを束ねた総合サイト)を開設している。

 日経、朝日、読売3社のインターネット事業組合の長田公平理事長(日本経済新聞
デジタルメディア社長)は、「ニュース発信者である新聞社が力を合わせて新たな価
値を提供したい」と述べている。

 今春をめどに各種コンテンツや機能を強化するという。3社が力を合わせてどのよ
うな「新たな価値」を生み出すのか。

 また各社の狙いの置き所や力の入れ具合はどうなのか。「新たな価値」よりも、こ
ちらのほうに関心がいってしまうのは、3社の連携は「新たな大手紙」をアピールし
ようとするものであり、かつ、それがいまどのような意味を持つというのか、首を傾
げざるをえないからである。

 たとえば日本の新聞市場において部数が最大であると読売新聞の渡辺氏が中国でア
ピールした、という話を耳にしても、それをアピールしてどのような対応を引き出せ
るのかは、およそ見当がつく。少なくとも想像を越えるインパクトを与え、想像を絶
する反応を引き出すようには思えない。

 日本が新聞大国であることは一義的には歓迎したいが、新聞離れも起きているとさ
れる。世界でも巨大な部数を持ち、それを保持し続けようとすることが新聞にとって
どのような意味をもつのか。

 やたらに大きな部数をもつ全国紙がある日本という国において、「若者の新聞離れ」
が起きているといっても、だれにとってどんな問題をもつと認識される「新聞離れ」
なのかを考えると、「若者の新聞離れ」という現象よりも、それを加速させるような
別の問題がありやしないか、というほうに危険信号が点る。

 インターネットという際限のない海上で、一次情報の発信母体として新聞社の果た
す役割は大きい。ブログなどでも新聞情報をベースにした情報発信が大きなウエート
を占めている。それを根拠というか、大手なので売り物にして、3新聞共同のニュー
スサイトを立ち上げたというわけだが、逆に3紙に限定されたサイトの利用価値がど
こまで認知されるか、興味もわく。


■「大手紙」連携の過去


 今年は北京オリンピックの年。1988年のソウル以来、20年ぶりのアジアでの
夏季オリンピックとなる。オリンピックといえば、最強のメディアはテレビだ。ゆえ
にテレビに押される新聞全体の競争も激化する。

 1964年の(昭和39)東京オリンピックは、それ以前のミッチーブームと受像
機の低廉化で許認可制のもとにあるテレビが飛躍的に普及し始めていた状況をさらに
促進し、テレビのカラー化と番組のバラエティ化を進める基盤をつくり、新聞を速報
から「詳報」化へと誘うことになる。

 東京オリンピックを前に、日本経済新聞と読売新聞は九州での印刷発行を開始(日
経=8月から福岡、読売=9月下旬から北九州市小倉)への進出をはかっている。

 テレビという新しい情報伝達ツールの登場で、新聞はなおいっそう広告スペースの
拡大、増ページ化と地方進出、大規模な設備投資という戦略をとり、それが金融資本
への依存を深め、金利負担が経営を圧迫する結果を招いていく。

 新聞社の「生き残り」を掲げた掟「過当競争」は、新聞企業の自立基盤を著しく弱
体化させ、それはひいては新聞ジャーナリズムの自由と自律を脅かすことにつながっ
た。掟なき拡販競争は、「アサ・ヨミ戦争」へと引き継がれ、それが激化するなか
1976年12月、読売新聞が発行部数で朝日新聞を抜く。

 テレビ番組のバラエティ化は、ワイド番組と報道番組の融合を促し、定時のニュー
ス枠をめぐる攻防へと発展、ニュース番組とワイド番組の棲み分けを促進しながら、
インターネットの時代を迎える中で、新聞・通信は放送番組内での政治家の発言も
「ニュース」として取り上げるようになる。

 1995年以降本格化したインターネットの普及とニュースのボーダーレス化は、
社会に情報洪水の情況をもたらしながら、メディアと政治の接近・癒着を進行させ、
政治にパフォーマンスを要求するようになる。

 政治家の言動のパフォーマンス化と政治の劣化が同時進行で進むなかで、自公連立
小泉-安倍政権が誕生、日本の政治は国際的な視野とセンスを失い、日本国憲法を踏
み外すようになる。

 政治家の劣化が明確に日本政治の脱線・劣悪化として具体化していく2001年4
月の小泉政権以降、国民の手でそれに具体的に歯止めがかかったのは07年7月末の
参院選であった。国民の明確な審判をうけた安倍首相はそれでもさらに2ヶ月政権に
居座るという優柔不断、政治音痴ぶりをみせた。政治は、その任に堪え得ない、資格
を有し得ない人でも、その座席に一度腰をおろせば「全能感」に浸され、勘違いをお
こしてしまうのだろう。

 火事場に消防士が派遣され、メディアがそれを追い報道する。その仕組みにどこか
で狂いが生じ、火事場に放火魔が送り込まれるような時代となっている。その放火魔
が消防士であったり記者であったりする。さらに、放火を繰り返すようになる動機が、
担うべき消火や報道という「仕事」そのものに起因していたりする。

 何らかのショックがきっかけとなり、現場と職場環境と情報環境の認識が混乱する。
社会的な使命、役割の遂行に必要不可欠な職業意識がゆがめられた人が、現場に立つ
ようになる。そこに自己保身、自己正当化、社会的な認知・賞賛を求めてやまないゆ
がんだ「全能感」を希求する欲望が持ち込まれれば、大小の差はあれ社会システムは
即座に破綻する。

 高度情報社会が提供する利便性や双方向性など価値の一方で、暗闇も増幅する。価
値観の多様化が進む一方で、狂信的な原理主義が台頭し、また優柔不断な風見鶏が腰
をふらつかせる。確たるものを希求してやまない心情は、不確実であることを社会シ
ステムに織り込んでいない社会や集団の脆弱性をそのまま露呈する。風当たりが強け
れば強いほど風見鶏が増え、「原理主義」とそして「全能感」への希求が高まる。

 絶対多数、絶対権力へのこだわりである。
 そこへの可能性を保持することが安心感につながる。つながることが安心をもたら
してくれる。メディアや政党が、絶対多数、絶対権力へのこだわりを最優先させよう
とするとき、経営トップであれまだ経験の乏しい若手であれ、「風見鶏」「原理主義」
「全能感」という現実からの逃走を用意するルートに逃げ込もうとする人間が登場し
ておかしくない。蔓延する危惧さえある。

 メディアの興亡に視座をおいてふりかえれば、メディア企業の生き残りと勢力争い
は、メディアの送り手・ジャーナストの「質」を左右・劣化させ、ひいては読者のメ
ディアへの期待を低下させ、日本の情報・言論環境総体においてメディアの企業の論
理が優先されるなかで、政治も政治家も劣化させ、国家的な打撃をあたえてきたとい
えるだろう。

 1923年(大正12)9月1日の関東大震災が、新聞界に大打撃を与えたことも
よく知られている。
 東京日日新聞、報知新聞、都新聞以外のすべての新聞社が罹災、新聞システムは混
乱して安売り合戦へと突入した。そのなかで、24年、東京朝日と東京日日(ともに
大阪系)が新聞取次行組合、新聞定価売即行会の結成などで協定を結んで連携、大震
災の打撃で定価販売が困難になっている東京各紙にもそれを強要することで、東京の
新聞市場での主導権を確保した。

 28年には主導権を握る朝日・毎日東西4紙が、活字変更による1面13段制への
採用で広告の実質値上げを敢行して、新聞広告市場におけるシェア拡大を実現して体
力を増強した。朝日・毎日両紙は大阪と東京を拠点に一県一版制をとって全国紙体制
の構築を急ぎ、35年には名古屋、北九州にも「本社」を設置した。関東大震災を契
機に、新聞界大再編に動いた人々がいて、その後の暗黒の時代へと突入していったこ
とはいうまでもない。
 
 また1952年9月には朝日新聞、毎日新聞、読売新聞三紙が「共同通信」を脱退
するという動きがあった。背景に大手三紙と地方紙・中小紙との利害対立が指摘され
た。大手三紙は「共同通信」を弱体化させることで、間接的に地方紙・中小紙に打撃
を与えることになる。

 大きな背景として、朝鮮戦争勃発(50年)、テレビ放送というニューメディアの
スタート(電波三法制定=50年、電波監理委員会廃止:放送の国家管理へ逆戻り=
52年)、新聞用紙統制撤廃(51年)・朝夕刊ワンセット制実施、そして52年の
サンフランシスコ講和条約発効、(旧)日米安保条約署名などがあった。

 第二次世界大戦の敗戦から朝鮮戦争勃発にいたる米ソ冷戦時代の入り口において、
日本のメディアと政治は米国の許容する範囲内での「民主主義」の時代をむかえ、そ
の後、それを社会構造化させていくことになる。その端緒において、全国紙を志向す
る大手新聞企業グループは、通信社と地方紙・中小紙の弱体化とをはかったのである。

 以上のように、コミュニケーション関連産業が劇的な変革の波にさらわれる事態を
むかえたとき、時の「大手」は連携して「地方・中小」を抑圧して生き残りを模索し、
続いて大手同士のつぶしあいへと突入してきた。そして「風見鶏」性と、「原理主義」
性と、「全能感」性をいかんなく発揮しようとする。

 現在の大手紙のうちのどこに、どのような性格を見出すかはそれぞれの判断による
だろうが、例の「大連立」騒ぎの仕掛け人とも自称する大手紙の会長兼主筆の方が、
それらをすべて体現しているのではないかと、との感想を抱く人も多いのかもしれな
い。

 あたかも新聞の勃興期における大新聞(おおしんぶん)への回帰を模索するかのよ
うに、政党と新聞の融合を地で行こうとする姿は、時代錯誤であるだけではない。新
聞のジャーナリズム性を打ち捨て、事業としての新聞のみに奔走する姿は、新聞界が
その時代その時代に歩んだ大波に翻弄される姿とオーバーラップさえする。

 新聞が大きいだけで記事のリアリティを喪失し存在感を薄めていく姿は、かつて大
新聞の時代に政府広報として御用新聞をあいつとめて衰退した新聞社の姿ともダブっ
てみえる。そのような新聞人と、それに共感したり、共鳴したりして追従する新聞人
はどの程度存在するのだろうか。

 あるいは読者はどうなのだろうか。公共放送であるNHKの将来は、まさしく内部
からの改革に期待が高まるところであるが、民放の内部改革もまた待ったなしであろ
う。いわんや読売新聞においてをや、だ。

 インターネットや携帯電話という新たな大波をうけて、メディアは存在価値と存在
感のリニューアルを余儀なくされているが、朝日・日経・読売の「あらたにす」の効
能は、インターネットという際限のない大海においてどこまで示すことができるのか。

 三紙限定で比較させるショールームが、巨大な情報提供ボックスのなかでどこまで
存在感を示せるのか、存在価値をアピールできるのか。またそこからどれだけ「大手」
連携グループとして実利に結びつけられるのか。どの社がどのようなプラス効果を手
にし、どの社がどのようなマイナスをこうむるのか―。

 過去の新聞大手の連携と競合の歴史をふりかえりつつ考えながらも、あまり大きな
手ごたえは見出せそうにない。ためしに「実験」なのかどうか、そこに何を狙うのか
も各社各様に別れるのだろう。紙の消費を伴わない以上、リスクが際限なく膨れ上が
ることもない。

 積み上げた部数は大きいにしても、合併でも志向しない限り大手紙の連携ほどもろ
いものもない。新聞という「製品」がもつ許容部数という概念に、それぞれがどこま
で到達したかにもよるが、分岐点に立たされる「巨大紙」が直面するジレンマのほど
が透けて見えるような気もする。

 新聞を読み比べることを習慣化するための初心者のサイトとしては意味を持つかも
しれない。棚に陳列されたアイテムの幅と深さを論じるには、あまりに狭く浅すぎる
ように感じるのは私だけではないだろう。

 インターネットの提供する情報大陸に必要とされる新聞社発の情報とは、報道・論
評ともに量も必要だが、切り口と質が伴わなければその量も価値を見出しにくい。新
聞のポータルの役割がすっかり定着している放送番組でも、3紙だけを限定して取り
上げることにはリスクが伴う。

 インターネットでは、利用するブラウザしだいで、一度に10でも20でも社説サ
イトでも、ニュースサイトでもタブで表示できる時代である。まして記事の読み比べ
ということでは、検索サイトでは新聞社も通信社も放送局もない。新聞を比較して読
むことを習慣にしている人のなかで、最初に3紙だけを読み比べようする人がどの程
度存在するだろうか。新聞社のネット上での取り組み、じっくりと注視していきたい。


ネット市場の主導権狙うマイクロソフト(2/3・日本経済新聞社説)
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/index20080202AS1K0200102022008.html
MS・ヤフー IT業界を揺さぶる買収提案(2月3日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20080202-OYT1T00733.htm

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  代表 小鷲順造 http://junzo.seesaa.net/




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