日本は東北アジアのイスラエルになろうというのか/韓国・ハンギョレ新聞

2006-07-19 22:29:33 | 世界
軍事大国化によって「新日本の栄光」を為そうという夢を持った保守的右派、そしてその期に乗じて企業の売上げを増大させる欲望を持った米国の軍産複合体が腕を取り合って推進してきた日本の再武装という巨大なプロジェクトが、北韓のミサイル発射を契機に顔を出したわけだ

日本は東北アジアのイスラエルになろうというのか  【ハンギョレ新聞】 06,7,14



内と外/日本の対北先制攻撃論

北韓のミサイル発射試験があって4日後の7月9日、全世界はもう一つのミサイル試験発射情報を聞いた。

インドがアグニ-3ミサイル(最大射程距離4,000㎞)をベンガル湾上空の大気圏に打ち上げたというニュースだった。アグニ-3ミサイルの発射試験は、今年5月にブッシュ米大統領がインドに行った際に結んだ米・印の核協力条約後、初めてのミサイル試験だ。

細かく見れば種類は異なるが、インドや北韓が同じくミサイルを打った。ところが、インドに対しては特別な話は無く、北韓にのみ喧しい。結局は親米なのか反米なのかの二分法が問題だ。世の中を知らない子どもの目にも真実は見える。裸の王様の寓話のように、国際政治の指導者達は自由平和や民主主義という虚飾的な論理の衣を掛けている格好だ。

戦争と軍事関連分野の世界的シンクタンクであるストックホルム国際平和研究所(SIPRI)が最近発刊した<2006年軍備・軍縮・国際安保年鑑>は、親米国家であるインド、パキスタン、イスラエルの3国に対してかなり批判的だ。これらの3ヶ国は核拡散禁止条約(NPT)体制にも加入しないまま、米国という後ろ盾を信じて核弾頭の数字を増やしていくのは勿論、これらを載せる射程距離が更に長いミサイルを開発中だ。

そうだ。21世紀唯一の覇権国家である米国が青い信号を灯してくれれば、ミサイルであれ核兵器であれ何時でも試験発射を行うことができる。インドやパキスタン、そしてイスラエルがここに該当する。そうではなく北韓やイランのように「悪の枢軸」だと赤い信号を灯せば? どの様なミサイル-核兵器実験も、地域の安定、更に全世界の平和を脅かす行為だという悪口の受け皿となる。

北韓がミサイルを打ち上げた時(7月5日未明)米国はまだ7月4日だった。独立記念日を迎えて夜の花火の準備をしていた中、北のミサイル発射情報を聞いた。世界的な影響力を有するワシントンの頭脳集団である戦略国際問題研究所(CSIS)の看板級研究者のアンソニー・コズモンは、北韓のミサイル発射のすぐ後に出した情勢分析文でこの様に提示した。

『北韓は明らかに7月4日にミサイルを発射することが、米国を怒らせ、米国に挑戦することだと良く知ってその日を選んだ。合わせて、世界に向かってミサイル実験を止めろと言う米国の要求に脅威を感じないという事実を見せようとして7月4日をミサイル発射日に選んだ。』

北韓がミサイルを打ち上げた後、関連の利害当局者らが見せた反応は多様だった。その中で日本は、集団ヒステリーに近いのではないかという思いになるほど興奮状態だった。国連安保理に北韓を制裁する決議案を押し立てて、北韓に対する先制攻撃論まで展開している。北韓のミサイルが日本を狙っているのが明らかなだけに、その脅威をまず除去しなければならないという論理だ。

既存の米日同盟によれば、日本は防御中心で米国は攻撃を担う役割分担になっている。日本の平和憲法の枠の中で、日本の自衛隊は攻撃ではない防衛が目的だ。所謂「専守防衛」の概念の下でだ。日本の右派的指導者の考えは、この期に先制攻撃論を既成事実にして「海外での武力行使」を禁止している今の平和憲法を作り直すという意気込みだ。

では、何によって攻撃するということなのか。日本の自衛隊には大陸間弾道弾(ICBM)は勿論、戦略爆撃機と攻撃型航空母艦は無い。射程距離が1,600㎞のトマホークの様な長距離巡航ミサイルも持ち得ていない。北韓先制攻撃論には巨大な陰謀が隠されている。軍事大国化によって「新日本の栄光」を為そうという夢を持った保守的右派、そしてその期に乗じて企業の売上げを増大させる欲望を持った米国の軍産複合体が腕を取り合って推進してきた日本の再武装という巨大なプロジェクトが、北韓のミサイル発射を契機に顔を出したわけだ。



インドのミサイル発射には「青信号」

日本の再武装を夢の譫言の様に唱えてきた日本の保守的右派指導者達、彼らと利害を同じくする米国軍需産業、これら二つの集団は北韓のミサイル波動を密やかに喜んでいる様子だ。彼らは恐らく北韓の金正日(国防)委員長に感謝状でも贈りたい心境であろう。その期に日本のミサイル防衛網(MD)構築は急水流に乗る展望だ。

北韓のミサイル発射、その後に続いた日本の北韓先制攻撃論を見つめながら、一つの類似した姿が現れる様になった。日本が中東のイスラエルに似通おうとする姿が浮き上がった。周辺を海のように取り巻いたイスラム国家の中で一つの島のように浮いているイスラエルは、イスラム国家が大量破壊兵器(WMD)を開発できないよう極度に神経を使ってきた。その良い例が1981年6月7日にイスラエルのベギン首相の命令で為されたイラクのオシラク原子炉攻撃だ。

1970年代にサダム・フセインはフランス政府を説得し、フランスの核開発モデルに従ってバクダッド南部のアル・トゥエセ地域にトゥワイタ核開発センターを建てた。その核心施設が40メガワット規模のオシラク原子炉だった。イスラエルは、フセインが核を持とうとするのを放置してはならないと判断した。

1981年のイスラエルによる空襲当時、サダム・フセインはイラン-イラク戦争(1980~88年)に夢中だった。軍のレーダーを逃れて低い高度で1,100㎞を飛んできたイスラエルのF-15、F-16戦闘機の奇襲攻撃に、イラクの対空砲は1発もまともに撃てなかった。わずか80秒のみで数十億ドルをかけて建設したオシラク原子炉が破壊された。

イラク現地の取材時、バクダッド市の南方校外に位置するオシラクの空襲現場に行ってみた。そこを守っていた米軍は外部人の出入りを妨げた。イラクの住民は、『(米国によるイラク侵攻の名分の一つであった)サダム・フセインの大量破壊兵器を探し出せず、苛ついた残りの米軍があそこで藁くずでも見つけようとあんなことしているのか』と舌を出した。



ある日、北を攻撃とのニュースを聞くかも

イスラエルのイラク空襲から25年後の現在、核開発の動きを取り巻いてイスラエルのイラン空襲説が出てきている。

米国ブッシュ政権の強行派達は、機会ある毎にそれとなくイスラエルによるイラン空襲説を流してきた。チェイニー副大統領はインタビューで、『イランが核兵器の開発を推進するならば、イスラエルが黙って見てはいないだろう』とイスラエルの空襲を仄めかした。

これに合わせるかのように、イスラエルの対外情報機関モサドのダガン局長は、イスラエル議会の外交国防委員会に出席して次の様に述べた。『国際原子力機構(IAEA)をはじめとした国際社会がイランの核開発を防ごうという積極的な努力を傾けないでいる。だったら、我々イスラエルが一定の役割を担うことができる。』

モサドの局長が語る「役割」というのは、チェイニー副大統領が言うようなイスラエルの空襲を意味する。イスラエルは現在、イランの核開発計画が「引き返すことができない」(point of no-return)に及んでいると考え
る。モサドはイランが独自にウラン濃縮中だと判断する。

是非を問うてみれば、イスラエルは米国のダブルスタンダードにおかげで核保有国になった国だ。ネゲブ砂漠の真ん中にディモナ原子力発電所を作り、少なくとも200発と推定される核兵器を有している。2004年の夏、そのネゲブ砂漠に行ってみたところ、四方を二重の鉄条網で取り囲み、警備の厳重さは計り知れなかった。日本も今40t余りのプルトニウムを保有している。米国の了解の下に青森県六ヶ所村に再処理施設工場も備えた。日本の極右派達は、『我々が米国の視線を窺って核兵器を製造できない理由はない』との危険な考えをする。

その様なイスラエルと日本も、隣国が安保力の強化次元から核や長距離ミサイルを開発するのを理解できない。他人の核開発はダメで自らは良いというのは、『他人がすればスキャンダルで、自分がすればロマンス』だと言い張るのと同じだ。我々はある日の朝、イスラエルがイランを空襲したというニュースと合わせて、日本が北韓を先制攻撃した驚くべきニュースを聞くようになるかも知れない。二つの攻撃が同時に行われる確立は低いが、その場合、全世界は局地戦ではなく第3次世界大戦に陥るのではないかと心配される。

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グローバル・アイ:朝鮮半島と東西両ドイツ 分断国家特有の民族意識=西川恵
 最近、ソウルから帰国した元特派員から面白い話を聞いた。

 韓国人のある世代には、北朝鮮に対する根強いあこがれがあるのだという。30代後半から40代半ばの、大学生の時に民主化闘争に参加した世代で、「戦後、韓国は米国の庇護(ひご)下に置かれ、いまでは米国の植民地のようになってしまった。それに対し、北朝鮮は自力更生でやってきた。北朝鮮こそあるべき民族の姿」という思いだという。

 韓国の盧武鉉(ノムヒョン)政権の若手側近たちの多くがこの世代である。同政権が進める対北融和政策の、いわば民族左派路線は、こうした北朝鮮に対する親近感、あこがれによっても裏打ちされているのだろう。

 元ソウル特派員の話を聞いて私の頭に浮かんだのは、世界的に知られた旧東独の作家、故シュテファン・ハイム氏(01年没)のことだ。第二次大戦中、ナチズムを逃れて米国に亡命した同氏は、戦後、帰るべき国として西独ではなく、東独を選択した。その理由は、西独は米国の植民地に見えたからだという。

 東独はよきワイマールの精神を受け継ぎ、ナチズムと断絶した新しい実験国家として出発した。ナチズムの残滓(ざんし)を引きずり、米帝国主義の下にある西独に、ドイツ国家の正統性はない--同氏のこうした考えが特別でなかったことは、戦後、多くのドイツ知識人、芸術家が東独にはせ参じた事実でもわかる。

 その後、東独国内では希望が幻滅に変わり、同氏は体制の批判派になったが、それでも東独にとどまった。「ベルリンの壁」が崩壊して4カ月後(90年3月)に行われた東独初の自由選挙で、「西独の東独併合による早期統一」を主張した右派政党が圧勝した時、同氏は「東独は歴史の端書きにしか記録をとどめないことになった」と論評し、国の消滅を嘆いた。

 東西両独と朝鮮半島の状況は異なるが、私はハイム氏や韓国の人の考え方に、分断国家に共通する傾向を感じる。それは分断された国家のいずれに正統性があるかを自問自答し、その際、米国が小さくない(多分に屈折した)役割を演じていること。そしてもう一点、「民族」というものがいつも意識にある。これは日本人にはない感覚だ。

 韓国を「北の抑圧実態をどう思うのだ」と外から批判はできる。ただ引き裂かれた者同士の同胞意識と対抗意識の、複雑な感情を押さえなければ、対北融和姿勢は理解できない。

 恐らく韓国のこの姿勢は一時的なものでないだろう。西側の価値を共有しながらも、民族感情という振れ幅の大きい不透明因子が、今後その外交政策に、より大きな影響をおよぼすと思われる。(専門編集委員)

毎日新聞 2006年7月15日 東京朝刊


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