都教委よ、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、何を誤解させる、というのか?/増田都子さん(追記あり)

2013-01-29 11:01:04 | 社会
21日(月)は中野アソシエ近現代史講座の日でしたが、早朝、島根の実家の父が急死したため急きょ中止とし、ご迷惑をおかけしました。19日に帰宅したばかりでしたので、喪服を取りに帰ったようなものでした。

 でも、91歳で、大嫌いだった病院にも行かず、慣れ親しんだ自宅の畳の上で、寝ているうちに、御坊様によれば「お浄土に往生された」ようですので、これで良かったのかなと思います。私にできる限りの面倒は見ましたので悔いはありません・・・と書きつつ「もっと優しくしてやればよかったかな」という思いもチラッと心をよぎりますけど・・・

 さて、初七日を終えて帰宅しますと、都教委に所属する「全体の奉仕者」のはずの公務員たちの底なし沼の劣化を証明する報道があり、月末恒例「都教委糾弾」ビラまきの材料には事欠かずに済んだことが、何とも残念です。

 31日(木)、都庁第二庁舎前で8:00~9:00、以下の内容で件名ビラまきを行います。厳寒のみぎり、恐縮ですが、ご協力いただける方はご参加ください!

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<都教委よ、「関東大震災時の朝鮮人虐殺」は、何を誤解させる、というのか?>

★都教委は、判断力も道徳心もコンプライアンス精神も、欠落していないか?

 新聞報道によれば、都教委は、問題の多い現行副読本(当組合ビラで、マッカーサー証言の誤用など、何度も指摘)「江戸から東京へ」を、さらに改悪するそうです。

 「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」に関する記述を、2012年度版「数多くの朝鮮人が虐殺された」から、13年度版は「『朝鮮人の尊い命が奪われました』と記されている」に。
  

「都教委高等学校教育指導課が、副読本の『誤解を招く表現』を再検討。朝鮮人虐殺の記述変更について、担当者は『いろいろな説があり、殺害方法がすべて虐殺と我々には判断できない。(虐殺の)言葉から残虐なイメージも喚起する』としている。副読本を監修した専門家には相談しなかったという。」(朝日 1月25日付)

 「都教委高等学校教育指導課の担当者」には、判断力・道徳心が欠落していませんか? 「我々には判断できない」のであれば、まず、「副読本を監修した専門家に」「相談し」たらどうでしょう? 『朝鮮人の尊い命』を奪った、虐殺ではない「殺害方法」とは何でしょう? 朝鮮人であることを理由に、罪のない老若男女無差別に殺すことを「虐殺」と表現すると、どう「誤解を招く」というのでしょう?

 埼玉県本庄警察署の巡査だった新井さんの証言を聞きましょう!(「日朝協会埼玉連合会『埼玉県内における関東大震災朝鮮人虐殺事件資料』1963年」)

「惨劇の模様はとても口では云いあらわせない。日本人の残虐さを思い知らされたような気がした。子供も沢山いたが、子供達は並べられ、親の見ている前で首をはねられ、その後、親達をはりつけにしていた。生きている朝鮮人の腕をのこぎりでひいている奴もいた。それも途中までやっちゃあ、今度は他の朝鮮人をやるという状態で、その残酷さは見るに耐えなかった。」(この証言は長いのですが、字数の関係でごく少々の紹介です)

          =========================

 都教委は、当組合の増田都子委員長の個人情報を右翼都議に漏えいして「違法行為」と裁判所に断罪されながら・・・他にも「日の丸・君が代」処分等で数々の違法行為が確定)・・・なお、一切の謝罪を拒否するなど、コンプライアンス精神も欠落しています。

☆都教委は、「歴史偽造」扶桑社教科書批判を教えたことを「公務員不適格」とする、
             増田都子教諭(当時・千代田区立九段中教諭)に対する不当免職を撤回せよ!

  「公務員不適格」は判断力・道徳心・コンプライアンス精神の欠落した都教委の方だ!?

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都教委の「修正」と称する「改悪」詳細は以下にあります。

「教科書『江戸から東京へ』の内容の一部修正について     平成25年1月24日  教育庁」
 
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/20n1o400.htm
PDFデータ
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf

なお、都教委が「朝鮮人が尊い生命を奪われました。」という部分だけを抽出した、この碑の全文は以下です。

1923年9月発生した関東大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。

 私たちは、震災50周年をむかえ、朝鮮人犠牲者を心から追悼します。

 この事件の真実を識ることは不幸な歴史をくりかえさず、民族差別を無くし、人権を尊重し、善隣友好と平和の大道を拓く礎となると信じます。
思想、信条の相違を越えて、この碑の建設に寄せられた日本人の誠意と献身が、日本と朝鮮両民族の永遠の親善の力となることを期待します。
1973年9月
 関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会


せめて、「あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。」と記載すべきでしょう。

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Mさんからのコメントについて

> 増田さん、「誰によって殺されたのか」を明示するか、しないかは決定的だと思うのですが。
>
 そのとおりです! 
この点については、山田昭次先生が『関東大震災時の朝鮮人虐殺 - その国家責任と民衆責任』(2003年 創始社)の第1章「関東大震災時朝鮮人虐殺事件をめぐる私たちの精神状況を探る ― 朝鮮人虐殺事件関係の墓碑、追悼碑を手がかりとして―」に詳細に論じられています。

 山田先生の著書から結論を言えば、2003年までに日本人が建立した碑には「誰が殺したか?」という「虐殺主体」が書かれているものは無いのです。
日本人と朝鮮人共同の碑にも書かれていないのです。
先生によれば「周辺の自治体の協力で建立されたので、朝鮮人も本心を抑えて譲らざるを得なかったのであろう」ということです。

 私は日本人の一人として、被害者のほうにそんな「謙譲」をさせたことに対し「恥の上塗りの上塗り」を感じざるを得ませんが、都教委の所業は「恥の上塗りの上塗りに、更に恥の上塗り」をすることで、穴があったら入りたくなります。

 ただ、2009年9月、市民団体の「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し慰霊する会」が建立した碑に初めて「日本の軍隊、民衆が」と虐殺主体が明記されましたので、チョコッとだけ、痛む良心をなだめるのですけども・・・こどもだまし(ハァ~)・・・
http://www.maroon.dti.ne.jp/housenka/


 それで、問題の『江戸から東京へ』に記載されている都立横網町公園(墨田区 東京都慰霊堂があります)内の追悼碑について、山田先生は以下のように書かれています。

「碑文には『大震災の混乱のなかで、あやまった策動と流言蜚語のため6千余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われました。』と記され、国家の策動が朝鮮人虐殺の大きな原因であることを暗示している。
 この追悼碑を建立した関東大震災朝鮮人犠牲者追悼行事実行委員会は、なぜ、国家の策動と明記しなかったのか。
この横網町公園を管理する東京都がそれを抑えたのか?
 いずれにしても虐殺主体を明記することは極めて困難なことが示されている。」

> それとも、本文を読めば分かるようになっているのですか?  「尊い生命が奪われました」という表現では済まされない、と思うのですが、、、、。
>
PDFデータ
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf

で、ご確認いただければ明瞭になると思いますが、もちろん、本文には、修正前でも一切、朝鮮人「虐殺」について書かれていません。
ただ、修正前の現行版には追悼碑の写真と「「数多くの朝鮮人が虐殺された」という文章があったわけですが、都教委は、13年版ではそれさえも消去してしまったんです。

 でも、教員がまともなら、新井巡査の証言などの諸資料を用意したうえで、「『尊い生命が奪われました』ということは『尊い生命』を『奪』ったヒトがいたんだよね? 
どういう人が、『朝鮮人の尊い命』を奪ったんだろう? 
どうして『朝鮮人』なんだろう? 
『尊い命』を奪われたのは『朝鮮人』だけだったんだろうか?」
と、発問していくことによって、生徒たちに考えさせ、生徒たちが自力で『あやまった国家の策動』を見抜き、国家の策動と結託したマスコミのデマに踊らされ、殺人者になりがらもほとんど反省することの無かった日本人民衆について、ショックを受け、より深く考えることができるようになっていく、と思う・・・のですけど・・・


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教科書『江戸から東京へ』の内容の一部修正について

平成25年1月24日
教育庁

 東京都教育委員会では、日本人としての自覚を高めるため、高校生に日本史を継続して学ばせることが重要であるという考え方に基づき、平成24年度から都立高等学校において日本史を必修化しました。
 また、東京都独自の日本史科目『江戸から東京へ』で使用する教科書を作成し、平成23年度及び平成24年度に都立高等学校に入学した全ての生徒に配布しました。
 このたび、平成25年度の新入生に配布する教科書を発行するに当たり、内容の一部修正を行うこととしましたのでお知らせします。

問い合わせ先
教育庁指導部高等学校教育指導課
 電話 03-5320-6845

〔別紙〕

教科書『江戸から東京へ』の内容の一部修正について

修正1 新たな内容の追加と地図の修正 1箇所

 領土をめぐる問題についての内容を追加するとともに、地図を修正した。(61ページ)
•尖閣諸島と竹島が我が国の領土となった経緯を本文に追加
•コラムを「領土をめぐる問題」についての内容に差し替え
•地図「領土の画定」の表題を「明治初期の近隣諸国との外交と領土の画定」と改めるとともに、沖縄と台湾との間の国境線を西寄りに修正

修正2 その他の修正 2箇所

 明治天皇の写真を肖像画に差し替えた。(53ページ)
 関東大震災の史跡のコラムの文言を修正した。(105ページ)

※参考 修正データ(PDF形式:1.46MB)
http://www.metro.tokyo.jp/INET/OSHIRASE/2013/01/DATA/20n1o400.pdf

現行

修正後


東京都教委、高校日本史副読本「江戸から東京へ」関東大震災・朝鮮人虐殺記述を修正へ

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9 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-01-29 13:59:58
>都教委は、「歴史偽造」扶桑社教科書批判を教えたことを「公務員不適格」とする、増田都子教諭(当時・千代田区立九段中教諭)に対する不当免職を撤回せよ!


潔く諦めな! 狂師w
返信する
Unknown (角田)
2013-01-29 19:37:28
関東大震災ではデマによって在日朝鮮人や千葉に行商にきていた香川の被差別民が虐殺されました。

現在は左翼のデマによって被災地を初めとする東北が苦しめられてます。
「汚染された瓦礫をもってくるな!被災地で処理しろ!」と罵倒し続け、東北は左翼から汚物扱いされております。
ここのブログ主も大阪で焼却する予定の瓦礫を“福島の瓦礫”とデマを流していました。

自分達の電力のゴミは東北の青森に丸投げしておきながら、自分達は被災地の瓦礫は受け入れないという傲慢な態度。
これは東北人差別です。
左翼は蝦夷をどれだけ差別したら気が済むんだ?
返信する
Unknown (saudummer)
2013-01-30 20:10:01
ブサヨクから人権を奪え!!!!
反日野郎に社会的制裁を加えろ!!!!!
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-31 11:57:24
このセンセイは教職に復帰したがっているようだけど、現場の教師達が嫌がるだろうなぁ。
問題起こしそうだし・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-31 11:57:41
このセンセイは教職に復帰したがっているようだけど、現場の教師達が嫌がるだろうなぁ。
問題起こしそうだし・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2013-01-31 11:58:27
この人は教職に復帰したがっているようだけど、現場の教師達が嫌がるだろうなぁ。
問題起こしそうだし・・・
返信する
Unknown (Unknown)
2013-02-01 11:04:09
朝鮮人が災害に乗じて放火しまくってた状況とかは無視か??
返信する
Unknown (Unknown)
2013-02-01 15:57:13
慰安婦の件と同じように、
朝鮮人が虐殺されたというのは、
朝鮮人達の捏造ではないですか?
戦後、朝鮮人が暴行略奪などをしたという
歴史があるように、震災も同じ状況だったのでは?と思われます。
実際は、暴行略奪がひどい為の自衛的なものだったのではないかと思われるのですが。
返信する
精神科医 (宮地達夫)
2013-02-03 18:18:23
日本の東京都教育委員会が高校の歴史教科書で、関東大震災の時に朝鮮人を虐殺したという表現を 削除する事にして公憤を呼ぶ中、『朝鮮人虐殺事件』の当時に撮影されたと推定される写真が公開された。 記録写真研究者である啓明(ケミョン)大学校・東山(トンサン)医療院のチョン・ソンギル名誉博物館長は 3日、関東大震災の時に虐殺された朝鮮人犠牲者の様子を撮ったと思われる写真を聯合ニュースに公開
した。 写真上部には、『大正十二年九月一日』と日付がはっきりと書かれている。 大正は嘉仁(よしひと)日王の年号で、大正12年9月1日は関東大震災が起きた1923年9月1日だ。嘉仁 日王は 1912年(大正1年)から1926年(大正 15年)まで在位した。 今回公開された写真には、悽惨だった当時の状況が生々しく写っている。 ある写真の中には数十体の死体が羅列されていて、死体の下着が脱がされている。死体の横には男性 たちが竹槍または鉄串だと見られる長い棒を持って立っている。 チョン・ソンギル名誉博物館長は、「犬が死んでも碑石を建てるほど葬礼を重視する日本人が、自国の 人であれば死んだ人の遺体から下着を脱がせただろうか」と反問しながら、「女性の死体だけを選んで 下着を脱がせ、また一度恥をかかせるのは虐殺をしのぐ蛮行の極致」と憤慨した。 チョン名誉博物館長は、「竹槍、鉄串と見える長い棒を持っている男性たちは、(関東大震災当時、朝鮮人
虐殺を行った)日本の自警団と推定される」と話した。
また他の写真には、腐敗した死体が幾重にも重なっている場面が写っている。 3~4年前に日本でこの写真を入手したチョン名誉博物館長は、「写真を見て驚愕を禁じえなかった」とし、 「女性たちの下着が脱がされているなど残酷で恥辱なことから公開を控えたが、今度日本の教科書に 虐殺という表現を無くす事にしたというメディアの報道を見て、歴史を正しく知らせるために公開を決意
した」と話した。 彼は、「恥かしい恥辱的な歴史だが、虐殺で犠牲になった6千人余りに至る朝鮮人の魂を我々が守ら なければならない」とし、「写真などの立証資料を提示して、過去に日本人たちが起こした蛮行を躊躇
せずに告発しなければならない」と強調した。 先立って朝日新聞の報道によれば、東京都教育委員会は自らが発行する高校日本史の副教材、
『江戸から東京へ』に記述された「関東大震災時に朝鮮人が虐殺された」という文章を、来年からは
「(関東大震災朝鮮人犠牲者追悼の)碑石には、“大震災の混乱のなか朝鮮人の尊い命が奪われた”
と書かれている」に変更することにした。

ソース:NAVER/ソウル=聯合ニュース(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=001&aid=0006073739



(写真)
http://imgnews.naver.net/image/001/2013/02/03/PYH2013020111390001300_P2_59_20130203092203.jpg

東京都教育委員会は、虐殺という表現が「誤解を招くことがあり表現を変える事にした」と明らかに
したと伝えられた。

しかし、東京都教育委員会のこのような決定は、日本国内でも批判を受けている。

朝日新聞では、日本政府の中央防災会議が2008年、関東大震災関連報告書でデマによる殺傷事件
の対象は朝鮮人が一番多かったとし、『虐殺という表現に当たる事例が多かった』と認めていると指摘
した。 立教大学の山田昭次名誉教授も、「残酷な事実を直視して反省しなければ歴史から学ぶことはでき
ない」とし、「教育現場で真実を正確に伝えなければならない」と力説した。 日本政府は1923年9月1日、M7.9の関東大震災が発生すると混乱した民心を抑えるため、「朝鮮人が 井戸に毒を入れた」というデマを流した。これに興奮した日本人が在日朝鮮人2千600~6千600人余り
を虐殺した。 http://jacklog.doorblog.jp/archives/23784307.html
http://imgnews.naver.net/image/001/2013/02/03/PYH2013020111410001300_P2_59_20130203092203.jpg
又「一方で横浜市の鶴見警察署長・大川常吉は、保護下にある朝鮮人等300人の奪取を防ぐために、1000人の群衆に対峙して「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」と群衆を追い返した。さらに「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」と言って一升ビンの水を飲み干したとされる。また、軍も多くの朝鮮人を保護した。当時横須賀鎮守府・野間口兼雄長官の副官だった草鹿龍之介大尉(後の第一航空艦隊参謀長)は「朝鮮人が漁船で大挙押し寄せ、赤旗を振り、井戸に毒薬を入れる等のデマに惑わされず、海軍陸戦隊の実弾使用申請や、在郷軍人の武器放出要求に対し断固として許可を出さなかった。横須賀鎮守府は戒厳司令部の命により朝鮮人避難所となり、身の危険を感じた朝鮮人が続々と避難している殺害された人数は複数の記録、報告書などから研究者の間で議論が分かれており、当時の政府(司法省)の調査では233人、吉野作造の調査では2613人余[22]、最も犠牲者を多く見積もる立場からは6661人(上海の大韓民国臨時政府の機関紙「独立新聞」社長の金承学の調査)と幅が見られる。内務省警保局調査(「大正12年9月1日以後ニ於ケル警戒措置一斑」)では、朝鮮人死亡231人・重軽傷43名、中国人3人、朝鮮人と誤解され殺害された日本人59名、重軽傷43名であったまた警察は、朝鮮人や中国人などを襲撃した日本人を逮捕している。殺人・殺人未遂・傷害致死・傷害の4つの罪名で起訴された日本人は362名に及んだ。しかし、そのほとんどが執行猶予となり、福田村事件では実刑となった者も皇太子(のちの昭和天皇。当時は摂政)結婚で恩赦になった“自警団”が本格的に取り締まられるようになるのは10月、解散が命じられるようになるのは11月のことである。政府はこうした混乱の拡大を防ぐため、朝鮮人が起こした事件の報道を一定期間禁止した10月21日に差し止めが解除されると翌10月22日から震災当時の朝鮮人による事件が報道されるようになった。10月21日の時点では、すでに取り調べが終わり起訴された朝鮮人による事件は十数件に上り、その他に治安警察法違反・窃盗・横領で起訴された朝鮮人が23人いた」 ウィキペディアから

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