石原都知事が産経新聞で「新しい移民法」が必要との「持論」展開

2008-04-16 21:53:04 | 社会
城大学教授 近藤 敦

伴わぬ多文化共生策
求められる都自らの実践

 石原慎太郎都知事が産経新聞(08年3月22日付「日本よ」)で「新しい移民法」が必要との「持論」を展開した。近い将来の人口減少に備え、厳密な審査と言う前提付きながら、アジアの近隣諸国から大幅に移民を迎え入れる体制の整備を呼びかけたものだ。EUでの成功事例を挙げ、日本で大学を卒業した移民には永住権を与えよとも具体的に主張している。不法入国外国人を「三国人」と呼ばわりし、東京の治安悪化の元凶呼ばわりしてきた石原知事とは思えない。移民受け入れ反対派による単一民族国家論についても「間違った歴史認識」と明快だ。石原氏の提言について、外国人の人権問題に詳しい名城大学の近藤敦教授が寄稿した。

 石原都知事が、「移民」受け入れの提案をしていることは、昔からよく目にした。しかし、「民族交流」の重要性を説くのであれば、「民族的DNAを表示するような犯罪」という表現で特定の外国人を差別する記事などで、差別を助長し、煽動したことは大きな失敗であろう。

 移民政策というのは、入管政策と統合政策の2つがあり、日本では、統合政策のことを多文化共生政策と呼びつつある。

 06年に総務省が「地域における多文化共生推進プラン」を策定し、多くの自治体が多文化共生計画や指針をつくりつつある。もっとも、多文化共生施策は、自治体レベルの政策にすぎず、国レベルでの体系的な政策はまだない。統合という日本語は、同化に近い意味で受けとられる場合があり、日本では「共生」と呼ぶ方が適当であり、男女の共生などと区別する上で、外国人ないし民族的少数者との共生の意味で「多文化共生」という言葉が使われるようになっている。

 石原都知事が、成功していると評価するEU諸国の移民政策は、入管政策だけでなく、統合政策も重要な要素である。各国における統合政策の指標を比較し、ベストプラクティスに対して現実の政策がどの程度到達しているかを数量評価する最近の共同調査がある。

 EU以外の出身の正規滞在外国人に対する統合政策という対象の限定はあるものの、比較対象国は、EU25カ国に加え、カナダ、ノルウェー、スイスを含む28カ国である。総合評価が最高のスウェーデン(88%)から最低のラトビア(30%)まで、必ずしもどの国も成功しているわけではないが、6つの主要な調査項目(政治参加、労働市場参加、家族呼び寄せ、永住権、国籍取得、差別禁止法制)の指標は参考になる。

 日本の多文化共生政策の現状をこうした指標に照らした場合、どのような評価になるのかは興味深い。

参政権未認知 国際的に後進

 政治参加では、外国人の政党加入は認められ、一部の自治体では外国人の住民投票や諮問的会議もみられるが、選挙権が認められていない点は低い評価となる。

 在留資格ごとに職種が制限され、出身国の資格が公正に評価されない労働市場参加は、非常に低い評価であろう。家族呼び寄せの体系的な枠組みがなく、日本人の配偶者等、永住者の配偶者等、定住者告示、家族滞在などを勘案しながら評価する必要があるが、家族滞在の場合の権利保障は相対的に低い評価になる。

 永住権の取得の居住要件が原則10年であり、帰化による国籍取得の5年よりも長いのは日本の特異な点であり、低い評価になる。生地主義の要素に乏しく、二重国籍を原則として認めない国籍法も低い評価になる。差別禁止法がない点は非常に低い評価となろう。

 石原都知事は、「移民法」に直接関わりはなかろうが、日本の大学を卒業した外国人への永住権を提案しており、一定の統合政策の必要性を認識しているようである。しかし、都知事在任中に、「外国人都民会議」を廃止し、政治参加の門戸を閉ざしたり、永住者の都の管理職公務員への門戸を閉ざしたままにしたり、差別禁止条例の制定などおよそ意に介さぬ言動スタイルを貫いているように思われる。

移民政策学会の誕生に期待

 東京都の教育、生活支援などの多文化共生に関する取り組みも、全国の自治体平均よりも低い水準にあるというNPOの昨年の調査結果もある。

 日本の移民政策が入管政策と多文化共生政策の体系だった内容において発展することに資するべく、今年の5月17日に東洋大学(白山キャンパス)で移民政策学会の設立大会を予定している。多様な分野の研究者や実践者からなる多くの会員の参加と、協力により、移民政策を議論する日本ではじめての学会の誕生を今から楽しみにしている。

■□
プロフィール

 近藤 敦(こんどうあつし)。名城大学法学部教授。法学博士。憲法担当。議院内閣制の研究から外国人の人権の研究を経て移民政策・多文化共生政策の研究に取り組んでいる。著書に『「外国人」の参政権‥デニズンシップの比較研究』(明石書店、96年)、『政権交代と議院内閣制』(法律文化社、97年)、『外国人の人権と市民権』(明石書店、01年)、『新版 外国人参政権と国籍』(明石書店、01年)、『Q&A外国人参政権問題の基礎知識』(明石書店、01年)など。

(2008.4.16 民団新聞)
http://mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?page=1&subpage=149&corner=8
------------------------------

【日本よ】石原慎太郎 新しい移民法を
2008.3.20 03:50
 過日、新しい裁判員制度についての理解を求められ法務大臣の訪問を受けたが、随行してきた法務省の若い官僚たちに移民法を改正すべく専門家として積極的に考えたらどうかと建言したら、筋違いのことをいわれたような相手の無反応に驚かされた。まあ考えてみればそれは、移民の有効性に関心のある他の役所や政治家からの要望なくして法務省独自の意向ではままならぬことかも知れないが、今日この時代に法律専門の官庁にその備えが全く無さそうというのも心もとない話だ。

 日本の人口の減少は大分以前から知れていたことなのに、現在この事態になっても移民政策について根本的な議論が見られぬというのはおかしい、というより政治家たちの時代認識の欠如、危機感の欠如というよりない。

 私は議員時代から大幅に移民を迎え入れる体制を法律的にも整備すべきだといってきたが、仲間内での反応は極めて乏しい、というより顰蹙(ひんしゅく)さえ買ったものだった。反対論の根拠は、日本は日本人という単一民族で形成されている国家であって、そこへ多くの異民族を迎え入れると国家社会のアイデンティティを損なうことになると。

 しかし、日本の国民が単一民族から成っているなどというのは基本的に間違った歴史認識で、我々の民族的ルーツは実は東西南北あちこちにあるのだ。日本の国土に昔から住んでいたのはアイヌの人々と沖縄人であって、両者はほとんど同一の民族だが他の日本人の多くはシナ大陸や朝鮮半島から渡来した。昔の皇室の一部もそうだった。それは三種の神器の様式が証している。それどころか、他のルーツははるか西のインドやモンゴルといった西域、あるいは南のポリネシア、メラネシアにまで及んでいる。沖縄やトカラ列島に伝わるアカマタ、クロマタ、ボゼといった祭りの秘神の様式はそれを如実に証している。

 アメリカは一時合「衆」国とも呼称されたが、日本はまさにアメリカをしのいで古い合衆国なのだ。特に徳川時代の長きに及ぶ鎖国の結果、限られた国民の間で徹底した混血が行われ、大脳生理学が証す通り、異民族間の混血による大脳生理としての独特の酵素の活発な働きで優秀な人材が輩出し、「元禄」に象徴される文化の成熟をみた。ちなみに近世にあって上水道を備えた都市は世界では江戸だけだったし、世界で初めて相場や先物買いといった抽象経済を始めたのも大阪の米相場をあやつった商人たち、微分積分という高等数学を考えついたのも、ライプニッツやニュートンにはるかに先んじて江戸の数学者、関孝和だった。

 故にも人口の減少が国運の衰微を予感させている今、労働力の確保や福祉のための要員の欠如の補填(ほてん)のためだけではなしに、時間的物理的に狭小となった現代の世界の中で我々が新しい繁栄を志すなら、間近な周囲の、かつての民族的ルーツの国々から大幅に新しい日本人要員を迎え入れるべきに違いない。

                   ◇

 EUはすでに同じ試みを展開し成功の道をたどっている。民族的に歴然と異なるトルコ人移民との摩擦に悩むドイツのような例もあるが、かつての共産圏東ヨーロッパからの移民に関しては、一時的な労働力の偏在現象もありはしたが結果として地ならしされ東西ヨーロッパの新しい成熟の基盤が出来つつある。

 そうした民族交流の文明原理を踏まえれば、日本が新しい移民法によってアジアの近隣諸国に大きく門戸を開くことでアジアの発展成熟に拍車をかけることになるにも違いない。著しい人口減少によってさまざまな問題を抱える日本の国家社会にとって、かつての民族的ルーツであった国々から、新たな同胞を迎え入れることで我々が失うものはありはしまい。それに比べて、現行のかたくなな閉鎖主義を維持することで、我々が現に何を失いつつあるかを考えなおしたらいい。

 今日の文明手段は密入国を容易にし日本社会への不法入国は後をたたない。加えて奇妙な人権主義に依(よ)る制度は、不法に入国した後の外国人とてもなお自分が外国人であるという証明をしてもらいたいと名乗って出れば、行政機関の出先は正式なパスポートの有無は確かめずに「外国人証明書」なるものを発行せざるを得なく、彼らの不法滞在を容易にしている。それでもなお正規の就労を望まぬ手合いは容易に犯罪要員となり、かつて無かった新しいパターンの犯罪が都会では増加している。

 都会の専修学校で日本語を習いに来日している若い中国人相手の中国語新聞の広告欄をみたら、「探偵募集」とあった。日本語を習っている最中の若者が探偵の手伝いがどう出来るのだろうかと質(ただ)したら、探偵仕事とは一晩数万円の報酬による泥棒の見張りだそうな。

 入国管理の杜撰(ずさん)さは新しい社会混乱を育(はぐく)みつつあるが、実はその根底には日本独自の奇妙な閉鎖性がある。ならば法律的に大幅な門戸開放を行い、その施行には厳密な審査を行う方が結果として優秀な新しい同胞の獲得造成に繋(つな)がるのではなかろうか。

 新しい移民法に直接関わりはなかろうが、併せて、例えば日本の大学を正規に卒業した外国人には永住権をあたえるとか、人材に対しては国を開くといった姿勢なくして、一体我々は我々だけでこの国をこのまま維持発展させることが出来るのだろうかということを、そろそろ本気で考える時と思われる。そのためにはまず、この国のそもそもの遠い生い立ちについて民族学的な正しい認識を持ち直す必要があろうに。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080320/trd0803200354002-n1.htm


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。