三権の長がそろって両手を上げ、声を合わせた「天皇陛下万歳」。沖縄県副知事の「弁明」

2013-04-29 11:08:22 | 沖縄
4・28政府式典:突然の「天皇陛下万歳」/沖縄タイムス
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48644
【東京】壇上の安倍晋三首相ら三権の長がそろって両手を上げ、声を合わせた。「天皇陛下万歳」。
28日に開かれた「主権回復の日」の政府式典。
天皇皇后両陛下が式典終了後に退場する際、出席者から突然声が上がり、出席した国会議員や政府関係者約390人の一部も同調。
天皇陛下は壇上で一瞬立ち止まった。

 式典に対して憲法改正への足がかりとする疑念の声が上がる中、政府が式典で強調した「未来志向」ではなく、戦前の光景に重なるような場面もあった。

 仲井真弘多知事に代わって参加した高良倉吉副知事は万歳をしなかった。
「突然でびっくりした。あの場面でそうする必要はなかったかなと。ただ、積極的にしなかったわけではなく、反応できなかった」と終了後、報道陣に話した。


 約40分の政府式典は、安倍首相の独り舞台の様相でもあった。
首相は舞台上に掲げられた大きな日の丸をバックに、約10分と最も多く時間を割いた。
衆参両院議長、最高裁判所長官はそれぞれ3分。両陛下のお言葉はなく、残りは児童合唱団の歌声だけだった。

 首相は式辞で「沖縄の辛苦にただ深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と強調し、沖縄戦や過重な基地負担に苦しんできた県民に一定の配慮を示した。

 しかし、直後に米軍のトモダチ作戦を持ち出し、「熾烈(しれつ)に戦った者同士が心の通い合う関係になった例は古来、稀(まれ)だ」と2月の日米首脳会談で語った「完全な日米同盟」をアピールするような文言を続けた。

 一方、児童合唱団が歌声を披露する場面でも不可解な空気が漂った。出席者に向かって舞台上で歌うのではなく、出席者と同じ舞台下から、天皇皇后両陛下や首相などが並ぶ舞台上に向かって「翼をください」などの歌を合唱した。


高良副知事、首相式辞に一定評価
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48635
 【東京】政府式典に欠席した仲井真弘多知事の代理で出席した高良倉吉副知事は28日の式典後、記者団に対し、安倍晋三首相の式辞に「沖縄戦や米軍統治時代の大変苦難な歴史、今に続く米軍基地問題など県民が訴えてきた問題を踏み込んで言葉にしていた」とし、「県民が経験した実態と異なる点はたくさんあるが、比較的に沖縄の問題に向き合っているという印象を受けた。式辞を聞いた範囲では納得、理解できた」と一定の評価を示した。

 宜野湾市で開かれている式典に抗議する大会については「県民にさまざまな意見や思いがある。その現実を無視して、沖縄問題や基地問題は語れない。抗議する意味の大会が開かれていることに理解を示したい」と述べた。

 政府式典自体には、「今回の開催で、沖縄や奄美、小笠原の問題が、異なる戦後史として存在していることが強調された。そのことが安倍首相や日本のリーダーに伝わり、お祝いではなく、厳粛な空気の中で沖縄問題を言及する状況になった」と語った。

4・28沖縄大会:「天国の友にどう説明
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48640
祖父が父に手を掛けた 中村座間味村議長「集団自決」初めて告白
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205995-storytopic-1.html

4・28式典 1万人抗議「沖縄 捨て石のまま」
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48628
沖縄切り捨て再び 1万人が式典抗議
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205980-storytopic-1.html



4・28沖縄大会:参加首長ら政権に憤り
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48633
東門美津子沖縄市長は「米国に従属的な政府の姿勢のどこに主権があるのか。沖縄が長年置かれた状況を政府が分かっていないという怒りがある」と指摘。「県民の声が届いていないという思いを多くの県民が抱いている。若い人たちも参加しており、語り継ぐことが必要」と話した。

 石嶺傳實読谷村長は「沖縄を切り離した歴史の事実を踏まえれば4・28が『主権回復』とはいえないはずだ」と憤り、事件事故のたびに問題となる日米地位協定に触れ「むしろ沖縄に主権は無いに等しい」と指摘した。

 野国昌春北谷町長は「こういう日にあえて式典をするのは、屈辱以外のなにものでもない」とする一方、「集会は沖縄の気持ちを一顧だにしない政府に対する怒りを、強く感じた。特に青年団の頑張りに力を感じた」と期待も込めた。

 島袋義久大宜味村長は「政府主催の式典は全くがってぃんならん。沖縄が分離され、基地の恒久化につながった日だ。政府は沖縄の声を抑えられると思っているのでは」と憤った。

 上間明西原町長は「太平洋戦争で捨て石にされて地上戦を体験し戦後は講和条約で切り捨てられ、復帰後も米軍基地の重圧にあえいでいる。沖縄は今も主権が回復されていない」と、政府の対応を批判した。

 比嘉正豊中城村副村長は「米軍基地が今日でも集中するのが沖縄、特に中部だ。沖縄の現状をもっと政府は理解してほしい」と述べた。

 與那嶺幸人今帰仁村長は「主催者発表で1万人超が集まり、沖縄の心はまだ息づいていることが実感できた。屈辱の日に記念式典を開くのは言語道断だが、全国民で沖縄問題を考える4・28にしようとの青年団のあいさつは評価したい」と語った。

 松本哲治浦添市長は「4・28は、われわれのように屈辱の日を覚えていない若い世代だけでなく、昔の世代にさまざまな思いを想起させる日だと今日の大会に参加してみてあらためて感じた」と話した。

名護市長 政府へ「ならん」
 稲嶺進名護市長は28日、4・28沖縄大会に参加し「今日また県民を切り離す式典が行われている。とても許せることではない」と政府の対応を批判し、「ならんしぇーならん(駄目なことは駄目)、しーびちやしーびち(やるべきことはやる)。われわれは心を一つに頑張ろう」と方言を交えて参加者に呼び掛けた。
 政府が主権回復したとするサンフランシスコ講和条約をめぐり「日米安保条約と、それに基づく日米地位協定とセットだ。地位協定で県民の人権がないがしろにされている中、何が主権回復だ」と一刀両断。「政治に携わる者は、歴史に学ばずして日本のビジョンなど立てられるはずもない」と指摘した。
 大会後、稲嶺市長は方言を交えて呼び掛けたことについて「『がってぃんならん』という気持ちは日本語ではうまく表現できない」と記者団に説明。
 安倍晋三首相が政府式典で「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をすべきだ」と述べたことに関し、「取って付けたようなものだ。基地問題でもそうだが、言っていることとやっていることの落差が大きすぎる。言葉ではなく態度で示してほしい」とした。

沖縄タイムス社説[「4・28」抗議大会]新しい風が吹き始めた
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2013-04-29_48631

祝賀と抗議の溝 許されない新たな屈辱 沖縄の辛苦なくす主権を/琉球新報社説
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-205977-storytopic-11.html
「万歳」と「がってぃんならん(絶対に許されない)」。東京と沖縄の対照的な唱和を通し、「主権回復」と「屈辱」の埋め難い落差がくっきり浮かんだ。
 沖縄や小笠原、奄美大島を米国の統治下に差し出した上で、日本が主権を回復した日である4月28日を事実上祝う政府主催式典が東京で開かれた。61年ぶりである。
 天皇陛下の退席時に、一部の出席者が「天皇陛下、万歳」と叫ぶと、安倍晋三首相ら多くが呼応した。憲法改正や国防軍創設をにらむ首相が強行した式典に対し、「天皇の政治利用」との批判がくすぶる中、思慮を欠いた振る舞いが飛び出した。

空虚な首相式辞

 安倍首相が盛んに言及してきた「沖縄への配慮」は、共有されずじまいだったのだろう。主権者である国民より、国家を重んじる安倍政権の性格が式典に反映した。
 首相は「沖縄が経てきた辛苦に深く思いを寄せる努力をなすべきだ」と呼び掛けたが、沖縄の反発に押された後付けの式辞は、説得力が乏しく、空虚さが漂った。
 首相は、沖縄が求める本土への負担分散などには一切言及しなかった。普天間飛行場の県内移設やオスプレイの強行配備など、一層の基地負担を押し付けられている沖縄の現在進行形の「辛苦」をどう和らげるのか。
 基地問題で日米合意に何の疑問も感じない思考停止状態では、問題が解決するはずがない。沖縄の現実に目を背けたまま、「主権回復」を口にすべきではない。
 一方、政府の式典に抗議するため、宜野湾市で開かれた「屈辱の日」沖縄大会には、幅広い年代の1万人超(主催者発表)が押し寄せ、熱気が渦巻いた。
 「黙っていては認めたことになる」(稲嶺進名護市長)など、登壇者の発言は危機感がみなぎっていた。安倍政権への抗議にとどまらず、沖縄の自己決定権と不可分の「真の主権」を国民の手に取り戻す決意に満ちていた。
 中頭地区青年団協議会は3日間、未明まで議論を尽くし参加を決めた。金城薫会長は4・28が「屈辱の日」と呼ばれていることを知らなかったと告白した上で「沖縄だけでなく、国民一丸となって解決を模索する一歩にしたい」と訴え、ひときわ大きな拍手を浴びた。
 沖縄の大会で見えたのは、自らが置かれた不条理をはねのける意思を共有し、果敢に異議を唱える主権者としてのあるべき姿だ。

非対称際立つ日米

 沖縄の中止要求を押し切った政府式典は、沖縄社会が基地過重負担の源流と正面から向き合う機運を高め、多くの県民が戦後史への認識を深めた。政府は、米兵事件・事故の被害が後を絶たない積年の怒りを内包する沖縄の「虎の尾」を踏んだと言えよう。
 普天間飛行場の県内移設容認に転じた自民党の県選出国会議員などを通し、沖縄の民意の分断を図る動きがあるが、この時期に「主権」の在り方に深く向き合った沖縄社会の強さは増した。政府は「がってぃんならん」に込められた民意を受け止めるべきだ。
 仲井真弘多知事に代わって式典に出席した高良倉吉副知事は首相の式辞に対し、「県民の経験と異なる点はあるが、沖縄の問題に向き合った発言は理解できた」と述べたが、物分かりが良すぎるイメージを与えてしまう危うさを禁じ得ない。主権をめぐる沖縄との認識の断絶をどうただすのか、明確に注文すべきだった。
 沖縄に大部分の負担を負わせた「日米同盟」のイメージは両国で異なる。米国は日本を保護下にあると見せ掛けつつ、独立国としての対米交渉能力を弱める仕組みを維持してきた。沖縄を犠牲にした安保体制に安住したまま、日本は主要政策の大半で米国に異を唱(とな)えない。非対称性が大きすぎる。
 真の主権回復に向けた道筋は、沖縄の民意を反映した、基地負担の大幅軽減を米国に正面から突き付けることなしには切り開けまい。

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沖縄県民の屈辱も痛みも日本国民の屈辱・痛みではないのか/連帯・共同21 星英雄 2013年4月28日
http://rentai21.com/?p=889#more-889

 4月28日は、安倍晋三政権の「主権回復」式典に反対・抗議する集会が全国あちこちで開かれたようだ。
東京では少なくとも6つの集会があったという。

 その1つ、〈沖縄を切り捨て対米従属を固定化した4・28は「主権回復の日」か!?その偽りを告発する〉集会では、山田朗・明治大学教授が「主権回復の日」の虚構性を訴えた。主権回復の根拠とされているサンフランシスコ講和条約によって、沖縄・奄美・小笠原では米軍による、千島ではソ連軍による軍事占領が継続された。

 同時に発効した日米安保条約で、米占領軍は在日米軍として居座り、日米行政協定で占領軍の特権は維持されたなど、事実上、占領の継続を容認した日といえる。
尖閣諸島、千島列島など領土問題の発端もサンフランシスコ条約が作り出し、いまそのことで、排外主義に流されてはいけないと訴えた。

 日本ジャーナリスト会議の丸山重威氏は、サンフランシスコ条約の調印、発効当日の朝日新聞には沖縄のことは一言もなかった、そして今日も、基地・沖縄の問題は沖縄だけの問題、原発は福島の問題として済ませていいのかと、マスコミ報道のあり方を批判した。

 4・28は「屈辱の日」だと怒る沖縄では、本土による構造的差別の解消をつよく求めている。
普天間米軍基地の辺野古移設に県民の90%、41全市町村長と各議会の議長が反対。
オール沖縄が反対しているにもかかわらず、安倍政権は辺野古移設を強行しようとしている。それは差別以外のなにものでもないと。

 集会で、米倉外昭・新聞労連副委員長(琉球新報記者)が重い問いかけをした。
米倉氏は生まれは本州。沖縄に住んで26年目。「沖縄に住んでいる日本人として自分は何ものなのだろうか。沖縄にとって自分はなにものかということをずっと考えてきた」と話し始めた。

 そして、個人的な意見として一つの問題提起をしたいとこういった。
「自分は沖縄に対して差別する側、加害者、植民者、であるという認識にいたっている。
日本人と沖縄人、日本と沖縄を分けて考えることに異論、違和感を持つ方がたくさんいらっしゃるのも確かだ。

 ただ、民主主義の制度として考えた場合、歴史的な経過も含めてある地域に特定の被害、負担が集中していて、その地域ではやめてくれという圧倒的な民意が示されているのに、全体としては少数であるがゆえに、ふみにじられているのが今の状況だ」

 「こうした状況が構造的差別だ。結果としてそれが変えられていないという意味において、ヤマトンチューとして変えられていない責任を逃れられないと考えている。
自分が日本人であるというアイデンティティーをもっているなら、沖縄にとって自分は加害者、植民者ではないか、ということを考えてみてほしい」

 この問いにこたえることは容易ではないかもしれない。しかし、正面から受け止めなくてはならないと思う。


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本土マスコミから

「侮辱塗り重ねられた日」 サハリン残留韓国人

 政府主催の式典では、以前は「日本人」であることを求められたのに、1952年のサンフランシスコ講和条約の発効で一転「外国人」にされ、見捨てられた人たちの存在は無視された。旧植民地の朝鮮・台湾出身の人たちだ。
 日本名を押しつけられ、皇民化教育を受けながら異郷の地に置き去りにされたり、「日本人」として戦争に駆り出されたのに恩給などの手当を受けられなかったりした。
 「私たちには『侮辱』を塗り重ねられた日でしかない」。ロシア・サハリン(樺太)で暮らす趙応奎(チョウンギュ)さん(79)は「サハリン残留韓国人」の一人だ。
 1937年、植民地だった朝鮮半島から母と渡ってきた。当時3歳。国民学校では、日本人と一緒に軍人勅諭をそらんじた。だが、45年の敗戦後、サハリンを旧ソ連軍が占領。46年以降、日本人は次々に帰国したが、半島出身者は置き去りにされた。
 52年4月28日。趙さんは無国籍状態になった。条約の発効に合わせて、日本政府が「旧植民地出身者は日本国籍を失う」と定めたからだ。旧ソ連の役場からは「無国籍身分証明書」と書かれた書類が届いた。
 趙さんはやむなく、大学に入学する55年に旧ソ連国籍を取った。韓国への帰国事業も90年代に始まったが、2万5千人余のサハリン残留韓国人が帰国を果たせていない。
 趙さんは言う。「なぜこの地で生き続けなければならなかったのか、自分でも分からなくなる時がある。この情けない思いが日本の人たちにわかるだろうか」
 サハリン残留韓国人がつくる団体は、生活支援や強制的に預けさせられた貯金の清算を日本政府に求めているが、実現していない。


被爆国 賠償放棄の日

元広島市長の平岡敬さん(85)は、政府が対米関係を意識して核廃絶に積極的に取り組んでこなかった歴史と重ね合わせ、「主権回復の日」への違和感を隠さない。
「いまだに米国に原爆投下を過ちと認めさせられず、核の傘に依存し続ける『半独立』の被爆国が、主権回復を無邪気に祝っている場合なのか」
52年のサンフランシスコ講和条約で、日本は米国など連合国への賠償請求権を放棄した。条約発効の3年後、広島や長崎の被爆者5人が「原爆裁判」と呼ばれる訴訟を起こした。
原告らは、原爆投下という「人類に対する罪」が問われないまま、国が請求権を放棄したのは不当だと主張。
家族を失った苦痛や自らの後遺症への償いを求めたものだった。
原告側の主任弁護人を務めた故松井康浩さん(08年死去)の長男・活さん(59)は、父の思いを語る。
「講和条約は原爆を投下した米国の罪を不問にし、被爆者を切り捨てた。父が生きていたら、4月28日を祝うことなど許さなかっただろう」
63年の東京地裁判決は賠償請求を退けたが、「原爆投下は国際法違反の戦闘行為」と判断した。
ただ、平岡さんは指摘する。
「政府が米国に遠慮し、もの言わぬ姿勢は変わらなかった」

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異議あり! 4.28「主権回復の日」 日本「主権回復の日」記念式典へ抗議!  集会とデモ


4.29 反「昭和の日」行動 新宿デモ


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会場に響き渡る「天皇陛下万歳」に送られ天皇皇后は退出し、海江田万里は感極まって号泣した かな
4.28屈辱の日・沖縄タイムス社説[「4・28」政府式典]沖縄の主権回復を問え ほか


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