「原発ゼロノミクス」再論―原発をなくす反資本主義の理念/Gさんの政経問答ブログ から(追記あり)

2013-04-15 21:44:25 | 社会
http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-2c7a.html
先日、「『原発ゼロノミクス』キャンペーンは、反原発運動をどこに導くのか?」という文章を掲載しました。
それに対しいくつか賛否のレスポンスをいただきましたので、再び論じる次第です。
論点は
①飯田哲也さんの「2050年にエネルギー消費50%減」というシナリオは本当に革新的なのか
②エネルギー消費とGDPはパラレルな関係にあり、GDPは50%低下することになるが、それでも「成長」を論ずることができるのか
③資本主義の「鬼っ子」である原発をなくすためには、成長を拒否し、世界の人々と連帯していく必要があるのではないか・・・というもの

「原発の問題は、資本主義、社会主義という体制問題以前に、人類の生存にかかわる問題であり、原発をなくすためには、場合によっては、資本主義者や資本の力をも利用する必要がある」――。
「生産財の単なる『更新』だけでは、人間生活の発展や福祉の増進もできません。それ(拡大再生産―筆者)は・・・あらゆる社会に必要な、宇野弘蔵いうところの『経済原則』です」――。
私は先日、「『原発ゼロノミクス』キャンペーンは、反原発運動をどこに導くのか?」(注1)という文章をBlogに掲載した。
何人かの方からレスポンスがあったが、これはKさんのご意見である(注2)。
原発の問題は、もちろん体制問題ではない。
なぜなら、
①アメリカとソ連はそれぞれスリーマイルとチェルノブイリで原発事故を起こし、
②90年前後に社会主義圏は崩壊して「体制問題」は消失し、
③かつ科学主義・生産力主義という点で両者は同根だったからだ。
だが資本主義は科学主義・生産力主義とともに生き残り、その新自由主義的な経済とイデオロギーは世界を覆っている。
これに寄りそうような形での脱原発運動が本当に原発をなくすことができるのか――ということが私の論点であった。
後者のご意見については、「成長の呪縛」が「経済原則」にまで高められていることに少々驚きを禁じえなかった。

飯田哲也『エネルギー進化論』と、イリイチ『エネルギーと公正』

飯田哲也は『エネルギー進化論』で、「エネルギーシフト」のシナリオを描いている(上図、P213)。
2020年までに消費エネルギーは80%まで下げる、50年までには半減――というのがその戦略だ。
ところでこの80%や50%は、日本のエネルギー消費の歴史においてどの時点に位置するのか。
答えは2007年比で、80%がバブル崩壊直前の89年、50%が高度成長まっ盛りで、公害被害がピークに達した69~70年に相当する(注3)。
70年の大阪万博は「人類の進歩と調和」をうたい、開会式では敦賀原発稼働のスイッチが押された。
エネルギー消費50%削減のシナリオは確かにインパクトはあるが、70年レベルまで戻ること自体がはたして革新的なのか、大いに議論されてしかるべきだろう。
すでにこの頃、国連は成長の持続可能性に疑義を呈し(「持続可能な成長」論)、ローマクラブは『成長の限界』というレポートを出していた(注4)。
そして70年代は、成長そのものを問い直す議論が広く展開された一時期であった。

イリイチは74年の論文「エネルギーと公正」(注5)でこう書いている。
「大量のエネルギーは必然的に自然環境を破壊するが、まったく等しく社会的な諸関係をも退廃させる」(P13)、と。
彼は交通(注6)を例にとり、「アメリカは、その総エネルギー量の45%を乗物に費やし」、「典型的なアメリカの男性は自分の車に対して1年に1,600時間以上をさいている」(P22~27)、という。
1,600時間の意味は、運転や駐車のための時間、購入費用や保険・税金などを賄う労働時間の総計だ。
そして走行距離をこの時間で割れば平均時速は5マイル足らずである。
反面、車の高速化または一般に「モーター化された乗物」は、「万人に対して距離をうみだし、ごく少数の人びとのためにのみその距離を縮める」(P35)という。
例えば高速道路を利用する富裕層が郊外に脱出し、中心街がスラム化して貧民の自律的移動が困難になるシカゴの町だ。
車の購入を強制し、高速道路による町の寸断と渋滞で人々の自然な移動力を抑制する産業の支配を、イリイチは「根本的独占」(P45)と呼ぶ。
彼の主張は、「産業生産物はどんなものでも、1人あたりの量が一定の限度をこえると、欲求の充足に対して根本的独占を発揮する」(P46)、ということだ。
原因は、「産業(が)・・・欲求をあらたに創りだし、形成する能力を備えている」(P47)からである。
その打破のためには、「乗り物の最適速度が・・・一般人の手で決定される」(P53)必要がある、という主張だ。
彼は「成熟した技術の世界に通じる道が2つある」(P65)として、①富からの解放の道、②依存からの解放の道――をあげるが、それは単に人々の選択や決断に任されている。
このロジックの弱さは、1つに産業の欲求創出・形成能力への批判の未展開にある(注7)。
そして2つに、いわば使用価値の生産と交換価値の生産との「調和」というモチーフを持っているからだ。
「交通全体は非常に異なる2種の生産形態の所産である。両者は、その自律的な生産が産業製品の侵入から保護された場合にかぎって、相互に調和して補強しあう」(P44)という主張には、「資本による問題解決」(P51)に期待する側面も見える。
とはいえイリイチがすでに70年代において、成長の放棄のみならず資本主義的領域の圧縮を説いていたことは銘記すべきだろう。
70年レベルのエネルギー消費量にもどると言うなら、私たちは70年代の「初心」に帰らなければならない。

●保守的で、かつ資本家をだましきれない飯田シナリオ

エネルギー消費量50%削減というシナリオは、更に2つのおかしな点を含んでいる。
第1は、1人当たりエネルギー消費量という見方がないことである。
厚労省は3月27日、「日本の地域別将来推計人口」(注8)を発表した。
2010年基準で40年の人口は83.8%にまで減少するが、その2次曲線的な趨勢を延長すれば、50年には75%(1億2,800万に対し9,600万)程度が見込まれる。
1人当りエネルギー消費が2010年同等だとしても、何もしないで25%削減が達成されるのだ。
実質GDP当たりエネルギー消費は、74年からの30年で37%削減されてきたが(注3)、これからの37年であと25%は十分に達成されるだろう。
飯田哲也のように省エネ・節電を50%見込むというなら、自然の力をかりて産み出されるべきエネルギーは2010年比で、100×0.75(人口減)×0.5(省エネ・節電)=37.5(%)で済むはずだ【下図】。
先のイリイチの考え方を取り入れるなら、この値はもっと下げられるべきだろう。
人口の問題を無視し、資本主義による「欲求の創出・形成」を批判する観点が希薄な結果、目標値が保守的にすぎるのである。

第2にエネルギー消費量50%削減シナリオは、3月27日の「原発ゼロノミクス」シンポジウムのスローガン「脱原発は経済成長のチャンス」と矛盾する。
一般にGDPとエネルギー消費量は比例すると言われ、実際に80年代以降、両者はほぼ重なる(注3)。
だとすれば飯田のシナリオが意味することはGDPの半減である(人口減も加味すれば、ほぼ3分の1)。
また自然エネルギーへの転換の初期投資は大きいかもしれないが、それは日本資本主義としては、廃棄される原発や化石燃料の発電設備を置きかえる「更新」投資という意味しか持たない。
そこで電力というアウトプットは変わらず、新しい商品やサービスが産み出されるわけでもない。
自然エネルギー分野に進出する一部の資本家は別として、他の資本家には「脱原発は経済成長のチャンス」というスローガンは空疎に聞こえるだろう。
従って、それでも、なぜ、あえて「脱原発は経済成長のチャンス」と主張するのかが問題なのである。
Kさんは「原発ゼロノミクス」キャンペーンの背景を、こう説明してくれた。
「先の総選挙における、脱原発派の敗北と、それを7月の参院選で繰り返したら、再稼働攻勢や本格的な原発推進政策の復活につながるとの危機感から始まった」。「『脱原発は経済にマイナス』という嘘を暴き、脱原発こそが経済的にも私たちの生活を守るのだということをわかりやすく訴え、彼らを脱原発の投票行為に結び付ける必要がある」(注2)、と。
だが「アベノミクス」のバブル政策に対し、「原発ゼロノミクス」というもう1つのバブルをぶつけてどうしようというのだろうか。
資本主義の偽りの繁栄と、新自由主義的なイデオロギーの蔓延を、左右から促進するという構図である。
むしろ資本主義の成長神話の終焉、そして成長が終わった瞬間に資本主義の「歴史的使命」は終わるということを訴えなければならない。
それゆえにこそ原発輸出がもくろまれ、アジアや世界に資本が進出して搾取と収奪が拡大することに、私たちは反対しなければならないと思う。
自然エネルギーへの転換は、資本主義の「権化」である原発をなくし、世界の人々と連帯して環境を守り、つつましくても平和で健康な生活を営むという「理念」を正面に立てて、街頭や広場で闘いとられるものであろう。

●成長の呪縛からの解放、原発も資本主義もなくす闘い

最後にKさんの「『拡大再生産』自体を否定すべきではない」という主張について触れよう。
このような考え方は、資本主義の誕生・拡大と軌を一にする科学主義・生産力主義の肥大化に関連している。
ソ連では「電力+ソビエト=共産主義」といった認識があった。
日本の革命運動の創生期も同じだ。
1920~30年代に講座派と労農派の「日本資本主義論争」があったが、両派ともヨーロッパ経済史の段階論を下敷きに、日本の後進性、従って日本資本主義の発展・成長を展望するものであった。
もちろん革命の現実性と共産主義の物質的な基盤は、資本主義が達成する高い生産力によるが、私たちにはその発展・成長の構図の批判が必要であろう。

私はこのかんローザ・ルクセンブルグの『資本蓄積論』をたびたび参照し、「蓄積による利潤の拡大というその『規定的動機』が失われる時、500年の生産力拡大の歴史的使命が終わる」などと主張してきた(注9)。
それは資本主義の自動崩壊説ではない。成長率「0」またはマイナスの歴史的段階において、成長の余禄(トリクルダウン)を仲間内で奪い合い、「福祉」や「安全・安心」イデオロギーを通して国家の管理支配に組み込まれていくような、関係と運動のあり方を問い直す必要を提起している。
なぜなら資本主義は、もはや「成長」も、「福祉」も、「安全・安心」も提供できないからである。
一方、国家間と国家内の格差をかけると、世界の人々の生活の格差はおそらく数1,000倍に達する。
それは「福祉」や「援助」などによる再分配の問題とは、もはや言えない。
そこで簡単な計算をしてみよう。
2011年段階で世界の総人口は69.1億人、GDPはおよそ7,000兆円(注9)、日本の給与生活者の平均年収は409万円(注10)だ。
GDPを人口で割れば1人当たり101万円であり、4人家族とすればちょうど日本の平均的な労働者のレベルに合致するのである。
これは「99%」による「1%」の収奪が行われれば、グローバルで「つつましくても平和で健康な生活」を営むことができるということを意味する。
逆に、日本の私たちが更なる成長を求めるのは、世界の人々を収奪する側に立つことを意味するかもしれない。
原発は資本主義の「鬼っ子」であった。
全ての原発をなくしていくためには、私たちは資本の成長を拒否し、グローバルな反資本主義の連帯を勝ち取るという「理念」を共有しなければならない。


全文・表・注は、PDFファイルをクリックしてお読みください
 「130415.pdf」をダウンロード

http://yo3only.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-2c7a.html

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CML
紅林進さんから

今は、私も時間がないので、岩下さんが出された論点の内、②の「エネルギー消費とGDPはパラレルな関係にあり、GDPは50%低下することになるが、それでも「成長」を論ずることができるのか?」についてのみ、「エネルギー消費とGDPはパラレルな関係にあ」るという、政府や原子力村の連中が、原発の必要性、原発を稼動させないと、経済成長ができなくなる、雇用も危うくなるというウソが、まかり通っているので、その謬論を暴くため(「原発ゼロノミクスス」キャンペーンはそのためでもある)にも、私も多少関わった、以下の報告書の経済成長とエネルギー消費、電力消費は、パラレルな関係あるのではなく、これからは、省エネ技術の向上や産業構造の転換により、経済成長をしても、必ずしも、エネルギー消費、電力消費は増えるのではなく、日本はその点で、ドイツなどの諸外国に著しく立ち遅れていることがわかると思います。

下記報告書の該当部分をご参照ください。

私も参加しています「エネルギーシナリオ市民評価パネル」(略称:エネパネ)は、昨年5月30日(水)、報告書『エネルギー・環境のシナリオの論点~持続可能なエネルギー社会の実現のために ~』を発表しました。
https://kikonetwork.sakura.ne.jp/enepane/report20120530.pdf

GDPの伸びとエネルギー消費、電力消費の関係については、その報告書本文14~46ページの下記をご覧ください。

図表は貼り付けられないので、省略しますが、特に下記の2つは、報告書の方の図をご確認ください。

図I-2-1 GDP と一次エネルギー供給の関係(出典:IEA エネルギー統計)
図I-2-3 GDP と電力消費量の推移(出典:IEA エネルギー統計)

(以下、報告書『エネルギー・環境のシナリオの論点』より関係部分のみ抜粋)


2.経済とエネルギーの将来の見通し

2.1 世界的な経済とエネルギーの関係の変化

20 世紀は、GDP の増加とエネルギーの増加が比例する経済社会構造が主流であった。
しかし、最近では、産業構造の転換(エネルギー多消費製造業から付加価値の高い製造業へ、サービス業へ)や省エネ対策の実施によって変化し、GDP当たりのエネルギー消費量は減る傾向にある。
一方、日本では石油ショック後に改善したGDP当たりエネルギー消費量は、1990 年以降になって横ばい傾向となっている(図I-2-1)。

GDP 当たりのCO2 排出量は、先進国では経済のサービス化、すなわち産業構造の転換によって自然に減る指標だが、図I-2-2 のように、1990 年以降の改善率を比較すると日本とイタリアはとりわけ低い。
これは、省エネ・CO2削減が進まなかったことと低い経済成長率のためである(図I-2-2)。

日本は石油ショックで大きな努力をしたため、1990 年以降はもはや省エネの余地がないという話が聞かれるが、1973~1990 年までの改善率を比較すると、日本は欧米と比較して特に高い削減を実現したわけではないこともわかる。

GDP と電力消費の関係では、電力化(エネルギーに占める電気の割合が増加)の傾向、産業構造転換や省電力対策の3つにより、早い国では1990 年以降GDPあたり電力消費量が減ってきた。
日本は、2000 年以降になって、フランスやギリシャなどとともに減る傾向に転じたが、全体の中ではかなり遅い(図I-2-3)。

すでにGDP と温室効果ガスの関係では、日本やイタリアのようにGDP 成長の小さい国はGDPと温室効果ガスとの乖離が小さいが、ドイツのような「ものづくり」の国でも、温室効果ガス排出量を減らしながら、日本よりもGDP の増えた国が西欧には多い(図I-2-4)17。


※なお報告書全文は下記サイトからダウンロードできます。
https://kikonetwork.sakura.ne.jp/enepane/report20120530.pdf

この報告書を基に、『原発も温暖化もない未来を創る』(平田仁子編著、コモンズ)という書籍にもなり、市販されています。

同様の内容のものは、やはり私もメンバーの一員として作成に関わった、eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)・市民委員会が、2011年12月8日(木)に発表した、「脱原発・エネルギーシフトの基本方針~福島原発事故の反省と新しいエネルギー政策の実現に向けて~」でも述べられており、<エネルギー大量消費社会からの脱却>、<分散型エネルギー社会の構築>を提唱しています。

eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)・市民委員会
「脱原発・エネルギーシフトの基本方針」(2011年12月8日(木)発表)
http://e-shift.org/wp/wp-content/uploads/2011/12/111208AlternativeBasicPolicy.pdf

なお「エネルギーシナリオ市民評価パネル」(略称:エネパネ)の報告書『エネルギー・環境のシナリオの論点』も、eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)・市民委員会の「脱原発・エネルギーシフトの基本方針」(2011年12月8日(木)発表)も、私もそのメンバーの一員として作成には関わりましたが、すべて私の意見が反映されるわけではなく、部分的には、私と見解を異にすることもあることは付言しておきます。

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CML
岩下さん(=Gさん)から

紅林さんから、「エネルギー消費とGDPはパラレルな関係にあり、GDPは50%低下することになるが、それでも「成長」を論ずることができるのか?」――という点に関しご意見をいただきました。ありがとうございました。

以下、ご回答します。
①「エネルギー消費とGDPはパラレルな関係」という点は、一般に承認されていること
 であるとともに、『日本のエネルギー2010』(資源エネルギー庁)で示されている現実です

②だとすればエネルギー消費の半減はGDPの半減を意味し、「脱原発は経済成長のチャンス」という主張のおかしさを指摘しています

③「省エネ技術や産業構造の転換」により、エネルギー消費は半減してもGDPは増やせるといったご主張のようですが、以下の点を再考なさってください。
 1)GDPが±「0」としても、エネルギー効率の倍増が必要です(私は2050年までで25%の効率化は容易だろうと述べましたが、効率倍増の技術的根拠は怪しそうです)
 2)一方「飯田シナリオ」は、50年までの人口減の趨勢を考慮すれば、25%の省エネ・節電しか考えていません
 3)また「産業構造の転換」は第3次産業化、事務労働化などを想定されているのでしょうが、それは製造業の海外移転、国内の労働の管理業務化、多消費型の生活を意味します。
  原発輸出も一種の「産業構造の転換」ですので、安易にこの言葉は使えません
 4)「分散型エネルギー社会の構築」といったことを本気でお考えなら、それはGNP成長論と矛盾するのではないでしょうか(自家生産~消費ならGNPカウントは「0」です)

④なお、eシフトの報告類は読んでいます。
成長と原発の関係を論じ始めたのは昨年11月からのことですが、それは「Ⅲ、エネルギー・環境のシナリオの論点」などにおける成長志向に危惧を感じたからでした

----------------

CML
紅林進さんから

①先にも述べましたように、「『エネルギー消費とGDPはパラレルな関係』という点は、一般に承認されていること」では全くありません。
それは日本の現実ではあっても、世界の現実ではありません。
それは、日本の産業界が、省エネ努力、エネルギー効率の向上を怠ってきたからであり、その違いは同じ工業国である、ドイツなどと比較してみればわかることです。
(先に紹介した表をご覧ください。)

③私は、経済の本来の「成長」を考えるとき、GDPでは考えていません。
GDPは市場経済的なものさしであり、労働実体を反映していません。
商品経済化、売買されなければ、社会的に有益な労働であっても、GDPにカウントされません。
岩下さんの言われるように、「自家生産~消費ならGNPカウントは「0」です」。
反対に、社会に有害なもの(その最たる物が、人を殺す道具である兵器生産)、無用なものであっても、売れさえすれば、GDPを押し上げます。
まさに投機やバブルがそうであり、「アベノミクス」とか称して、バブルをあおっても、GDPは増加します。
従って、GDPは、一定のカッコつきの「指標」ではあっても、それにとらわれることは危険です。
私は経済の一定の成長は必要だと思っていますが、「GNP成長論」や「GDP成長論」を唱えたことはありません。

なお私自身は、「成長」と言った場合、量的拡大のみで捉えてはいません。
より重要なのはその質であり、中身です。
人間労働の苦痛を減らし、人々の生活を公平に豊かに充実させるものでなければなりません。
その物的条件を整えるのが経済です。

資本主義的な「利潤の極大化」を求める「成長至上主義」にも、量的拡大のみを求める旧ソ連型の「生産力主義」にも反対です。

私はその意味で、「成長の限界」論や「脱成長論」にも一定の意義を見出していますが、人類にとっては物的生産(現代においては、ソフトの技術や人的サービス業務も含むが)の進化(深化)・成長は必要と考えます。

原子力に代表されるような「重厚長大」型の産業(それには巨大資本の独占と権力の集中が伴う)から、再生可能エネルギー(自然エネルギー)を基盤とする、地域分散型の経済・社会システムに変えて行くことが必要であると、私は考えます。
私自身は、自然エネルギーであっても、ソフトバンクの孫さんらのメガソーラーやメガ風車には反対です。
(原子力よりはましなので、それを一刻も早くなくすためには、過渡的には一定の協力は必要と思っていますが。)
そうではなくて、デンマークやドイツで多く行われている、地域住民による運営、市民事業や、協同組合による運営が望ましいと思っており、それは市民自治を育むことになると思っています。

   紅林進

-------------

CML
岩下さん(=Gさん)から

「人それぞれの『原発ゼロノミクス』があってよい」ということは、まったくその通りですね。
私も太陽光発電パネルを買おうかと考えましたが、お金がないのと、ベランダで洗濯物が干せなくなる(これも自然エネルギー利用ですね)のであきらめました。
ただ、一連の議論は、「人それぞれの『原発ゼロノミクス』」を問題にしたのではなく、運動としてのその性格を考えようとしたものです。
また議論が「人それぞれ」的に拡散しないよう、飯田さんたちの”書かれた”主張を題材にしました。
その点では、「脱原発で経済成長」というスローガンの見直しを検討なさるのは、とても結構なことだと思います。
「経済再生」が変更案としてあがっているようですが、私の意見では「脱原発で新しい経済」がまだしもかな・・・と。
なぜなら、脱原発は脱資本主義がないと難しいと思うからです。

①については、「日本の産業界が、省エネ努力、エネルギー効率の向上を怠ってきた」

 ということは知っています。その促進を迫ることは必要ですよね。
 それとは別に、私は日本の現実をベースに論じています。なぜなら飯田さんたちは
 日本の「脱原発で経済成長」を論じており、その批判が必要だからです
③については、「GDPでは考えていません」と言われても、すれ違ってしまいますよね。

 なぜなら紅林さんの信条は別にして、資本主義の成長とGDPとは背中合わせの概念
 だからです。資本主義の成長とは別の「成長」を論ずるためには、その前提として
 成長概念そのものを原理的に(・・・「何々ではない」というだけではなく)論ずることが
 必要なのではないでしょうか

*ところで②が抜けて③に飛んでいますが、何かご主張が別にありましたか?
******************

関連
★原発ゼロノミクスのウェブサイトより「十万人の賛同」にご参加ください!
http://zeronomics.wordpress.com
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
 4/16 原発ゼロノミクスキャンペーン・シンポジウム
 原発ゼロノミクス~脱原発のコストと経済性~
 http://e-shift.org/?p=2609
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*

脱原発こそ経済成長のチャンスとする「原発ゼロノミクス」。
具体的実現方法をディスカッションします。 ”株価を上げインフレにすれば
生活はよくなる”というアベノミクスより、日本の足かせとなっている原発依
存を脱し、市場の価値転換にそった新しい経済や、省エネ、自然エネルギー
などの、地域に根ざした多様な産業を振興により、より抜本的な日本経済
の活性化、健全化を目指しましょう!

【日時】 4月16日(火) 18:00~19:30

【会場】 衆議院第一議員会館・大会議室
(17時30分より会館入り口にて入館証を配布します)
国会周辺図http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kokkaimap.htm

【内容】
・原発の本当のコスト  大島堅一氏
・対談:脱原発で変える経営と地域  吉原毅氏 ×大島堅一氏

●大島賢一氏 (立命館大学国際関係学部教授)
原子力発電のコスト計算などを研究する経済学者。福島第一原子力発電所
事故後、総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員や内閣官房国家
戦略室エネルギー・環境会議コスト等検証委員会委員、大阪府市エネルギー
戦略会議委員を務める。著書に『原発のコスト―エネルギー転換への視点』
(第12回大佛次郎論壇賞受賞) 、 『原発はやっぱり割に合わない』ほか。

●吉原毅氏 (城南信用金庫理事長)
原子力撤廃を主張し、太陽光発電などによるクリーンエネルギーの導入を
推進している。経営理念は「人を大切にする、思いやりを大切にする」「原発
に頼らない安心できる社会へ」。2012年にシンクタンク「城南総合研究所」を
設立し、名誉所長には「原発の即時廃止」を訴える故・加藤寛氏(慶応義塾
大学名誉教授)が就いた。著書に『城南信用金庫の「脱原発」宣言』ほか。

【資料代】 500円 ※どなたでも参加できます。

【申込】 こちらからお申し込みください。 http://p.tl/Dnao

【主催】 原発ゼロノミクスキャンペーン、
eシフト(脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会)

【問合せ】 eシフト事務局(FoEJapan内)
Tel: 03-6907-7217 Fax: 03-6907-7219

★原発ゼロノミクスのウェブサイトより「十万人の賛同」にご参加ください!
http://zeronomics.wordpress.com

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再稼働とMOX輸送撤回の抗議と要求書 (京都生協の働く仲間の会)
2013-04-15 23:35:29
私たちは次のように取り組んでいます。よろしく賛同をお願いします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日本政府recruit1-kyoto@pco.mod.go.jp(安倍晋三首相)様
関西電力FX((075)612-1697)様、京都市(門川大作市長)FX075-212-2902様
大阪市Fax06-6202-6950(橋下徹市長)様、神戸市Fax:078-333-3314(矢田立郎市長)様

再稼働とMOX輸送撤回の抗議と要求書

2013年4月15日京都生協の働く仲間の会(伏見東郵便局私書箱26号)

電話09011446818メールアドレスkeizirou.hushimi@gmail.com

日本政府・安倍晋三首相、関西電力、関西電力の大株主である京都市・門川大作市長、大阪市・橋下徹市長、神戸市・矢田立郎市長に対して強く要求する。MOXの運搬、日本・関西・福井への搬入を絶対にやめよ!猛毒のプルトニウムのバラマキなど、絶対に認められない。必ず再稼働とMOX輸送撤回する事を要求する。22日までに回答する事を求める。

関西電力は3月21日、プルトニウムを燃料として使うプルサーマルを導入した高浜原発3号機(福井県高浜町)向けのプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料が、フランスから日本に輸送されると発表した。そして、ついに関電は、重大発表を行った。

「<MOX燃料>数日中に仏から、輸送船出港へ 関電発表・・毎日新聞 4月13日」と。


(1)高浜原発3号機MOX燃料を輸送 福島事故後は初。こんなことは認められない。

(2)MOX燃料とは、プルトニウム・ウラン混合酸化物であり、猛毒のプルトニウムを含む。とんでもない。京大助教の小出氏は、「プルトニウムは、人類が遭遇した物質のうちの最悪の猛毒物質と言われるほどの猛毒物質ですので、それを燃料に使うということはもちろん本当はやってはいけない。」「『マイクログラムというのは100万分の1なのです。ですからもう手のひらに乗っけても感じない、こんなものを計れる天秤はほとんどの皆さんのうちにはないし大学にも殆ど無いというぐらいの、それくらいのほんの少量でももし吸い込むような事になれば、肺がんで死んでしまうという、』100万分の1グラムを吸い込んだら人間1人が肺がん死するほどの猛毒物質です。」と述べている。

もとより、原発は必ず、プルトニウムを産む。そのプルトニウムを更に原発の燃料に使うというのだ。これがMOX燃料であり、プルサーマル計画だ。今回このMOX燃料を、安倍政権と関西電力は、日本・関西に、福井の高速増殖炉もんじゅのために、運搬、搬入しようという。絶対に反対だ。既に、次のような抗議声明が出ている。

「抗議声明

関西電力は、高浜3号用MOX燃料の輸送を中止せよ!

 関西電力は本日(3月21日)、福島原発事故によって延期されていた高浜3号機用MOX燃料をフランスから輸送すると発表した。輸送開始は4月上旬頃の見込みである。私たちは以下の理由からこれに強く抗議する。

1.福島原発事故は、事故の原因も未だ明らかになっていない。さらに最近の使用済み燃料プールの冷却不能に端的に示されたように、危機的な状況は続いている。

2.高浜3号機の再稼働の目途は全くたっていない。このような中でMOX輸送を開始することは、高浜3号機のプルサーマル実施のための地ならしを意図するものに他ならない。原発の再稼働に関する新基準は策定中であり、再稼働の申請は、7月の新法施行後になる。防潮堤の完成が再稼働申請の前提であると、3月19日の原子力規制委員会が確認された。高浜3号機の防潮堤完成予定は2015年3月であり、それまでは再稼働の申請さえできない。再稼働できるとは決まっていない。まさに使い道のないMOX燃料の輸送である。

3.福島原発事故後の民意は脱原発である。プルトニウム利用などもっての他だ。国の政策としてもプルサーマルを含むプルトニウム利用政策について何も議論されていない。使用済みMOX燃料の処分の方法にいたっては何も決まっていない。核のゴミ問題を一層泥沼に引きづり込むものである。

4.日本のプルトニウム輸送に対して、これまで70カ国以上にものぼる国から抗議声明や輸送船の近海通過拒否等の強い抗議が示されてきた。日本政府と電力会社は、これらに対して、一度も誠実な対応を示したことはない。輸送ルート諸国から事前了解を得ることもせず、核輸送の安全性を確認するための環境アセスメント等も行っていない。危険で傲慢なプルトニウム輸送をまた繰り返そうとしている。

5.報道によれば、今回のMOX輸送について関電は、フランス・アレバ社からの強い要請があったと述べている。アレバ社の業績は悪化しており、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)の格付けではジャンクボンド一歩手前に当たるBBB-にまで低下している。今回の輸送は、アレバ社のいいなりになって、アレバ社救済を最優先にしたものである。このような状況でのMOX輸送の発表は、福島原発事故の被災者の気持ちを踏みにじるものであり、福井と関西の人々の安全を脅かすものだ。MOX輸送計画を撤回するよう強く求める。       2013年3月21日

グリーン・アクション info@greenaction-japan.org

美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会) mihama@jca.apc.org」と。

(3)

私たちは、上記抗議声明を心から支持する。安倍政権は、福島原発爆発被曝で福島の子供ら40万人への重大な被曝を強要し、見殺しにしている。更に甲状腺がん多発問題を産みながら、避難の権利を認めない。非道だ。その上で原発再稼働、MOX燃料搬入を行うなど、絶対に認められない。安倍政権、関西電力に抗議する。又、関西電力の大株主である京都市門川市長、大阪市橋下市長、神戸市矢田市長に対して、関西電力に、必ず再稼働とMOX輸送撤回する事を要求する事を求める。・・・・・・・・・・・・・・・・・


私たちは、この抗議と要求書を安倍首相、関西電力、京都市長、大阪市長、神戸市長に提出しました。是非ご賛同下さい。お名前、肩書き(京都市民などでも全くかまいません)、ご住所をお願いします。また、お名前と肩書は、要求書に連名させて下さい。安倍政権に突きつけます。また、その点、京都などで配布するビラなどで公表させてください。よろしくお願いします。なお、この署名は、他の目的のためには、絶対に使いません。以上。

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