眞悟の時事通信から
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=849
六十一年前の昨日、四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効して我が国は「被占領状態」から脱して「主権を回復」した。
そして、「主権回復」を祝う式典が二つ行われ、二つに出席した。
まず、午前十一時から憲政記念館で、天皇皇后両陛下のご臨席のもとに、政府主催の式典
「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」
が行われた。
これは我が国の国体を具現化した簡素にして厳粛な式典であった。式次第は以下の通り。四十五分間であった。
天皇皇后両陛下御臨席
開会の辞 式典副委員長 麻 生 太 郎
国歌斉唱
式 辞 式典委員長 安 倍 晋 三
挨 拶 衆議院議長 伊 吹 文 明
参議院議長 平 田 健 二
最高裁判所長官 竹 崎 博 允
合 唱 杉並児童合唱団
閉会の辞 式典副委員長 菅 義 偉
天皇皇后両陛下御退席
以上の通り、天皇皇后両陛下の御臨席のもとで、立法、司法、行政の三権の長が式辞を述べ挨拶をする、
それだけ。
安倍晋三総理の式辞は、昭和天皇の御製を述べ、敗戦から主権回復までの先輩諸氏の苦難に立ち向かう雄々しさと労苦を偲ぶ心のこもったものであった。
一同は感動した。
杉並児童合唱団の子ども達は、心にしみる澄んだ声だった。涙が流れたと述懐した議員もいた。
合唱団が歌った歌は四曲で、まず、昭和三十年代、四十年代、五十年代に国民によく歌われた歌三曲、「手のひらを太陽に」、「翼をください」、「BELIEVE」。最後の四曲目は、東日本大震災の被災地そして避難所で歌われた歌一曲。その題は「あすという日が」。
そして、天皇皇后両陛下の御退席で終了した。
午後からの主権回復を祝う会は、民間主宰で日比谷公会堂で行われた。
私は、他の場所での講演を終えて午後三時過ぎに公会堂に入った。
そこは、熱心な聴衆でほぼ満席であった。
入場してしばらくすると、前日の二十七日に同じ日比谷公会堂で「拉致被害者救出集会」を主宰した拉致被害者を救う会の西岡力さんが登壇し、
「主権の回復を祝うのもいいが、北朝鮮が拉致した同胞を救出できない主権国家でいいのか」という、まさにその通りの趣旨の話をした。
その後に登壇した、自民党の女性議員は、ニューキャスター的上手さで、長々と自己宣伝をした。
それを聞いていて私は、やはり、ドカンとやらなあかん、と思って登壇した。しゃべった要旨は次の通り。
(1)、まず、総理は本日よりロシアとアラブ諸国を歴訪するが、二月にロシアのプーチン大統領が、北方領土に関して「引き分け提案」をしてから日本側が浮き上がっている。
よって、主権回復のサンフランシスコ講和条約前にソビエトロシアは、何をしたかをお伝えしておく。
サンフランシスコ講和条約の交渉時、ソビエトのグロムイコ外相がサンフランシスコに乗り込んできて修正案を提示した。
それは、第一に「日本は南樺太と千島列島に対するソビエトの主権を認めること」というものであった。
しかし、アメリカらはこのソビエトの修正案を否決して、ソビエト欠席の上で、我が国と講和条約を締結したのである。
従って、我が国は、全千島と南樺太の主権を未だ放棄しておらず、まずその返還を、堂々とロシアに主張できる立場にある。
(2)、主権回復を祝う日ができたら嬉しいだけでは、ダメだ。
主権が回復する前には、主権が奪われていたのだ。
従って、その奪われていたものを取り戻さなければダメではないか。
それを取り戻さずに「祝う日」を祝っていてどうする。
では、「奪われたもの」は何か。
それは、「軍隊」ではないか。
そして、「軍隊」を動かす「天皇大権」ではないか。
(3)、さらに、大日本帝国憲法を奪われた。
皇室典範を奪われた。
そして、民族の記憶である「祝日」を奪われた。
皇室典範は「法律」ではないのだ。
万世一系百二十五代の天皇家の「家憲」なのだ。
新嘗祭、明治節、これらの日は何処にいった。奪われたままだ。勤労感謝の日、文化の日など、訳がわからんではないか。それらは新嘗祭であり明治天皇のお誕生日つまり明治の日だ。
主権回復とは、奪われたこれらのものを回復することである。
概略以上の通り話したが、その冒頭、付け加えたコメントは、「自民党に拍手していた聴衆の皆さん、主権回復を祝う日を無邪気に祝っているだけでは平穏だが、私は、これから、その主観回復とは具体的に何を回復することなのかをしゃべる。
そうすれば、奪われたそれを回復しようとするならば、自民党は公明党と連立を組んでおれなくなるであろう。
しかし、それを断固として回復しなければならない。日本維新の会とはその為に生まれたのだ。」
なお、午前中に実施された政府主催の記念式典には、生活第一の党と社民党と共産党が欠席し、沖縄県知事も欠席した。
理由は、天皇の政治利用だから、そして沖縄県知事は、この日は沖縄が本土から取り残された屈辱の日だからというもの。
つべこべ言わず、一言で言っておく。
こいつらは頭がおかしいだけだ。
生活第一、社民共産の欠席で式典会場は清々したと思う。
社民・共産は、もともと日本の政党ではなく、コミンテルン日本支部と分派。
もっとも、民主党の過半数もそうである。
生活第一もうさんくささでは負けない。
思い出されよ、四年前、支那の習金平に箔を付けるために、 中国共産党の走狗となって、まさに無理を押し通し、天皇陛下を無礼無道に政治利用して習金平との会見を実現させた者の党が、何を言うか。
また、沖縄県知事は、マインドは日本人ではないのだろう。
彼は、既に中国共産党を喜ばせ、沖縄と沖縄県民を辱める存在である。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=849
*********************
杉並児童合唱団によって 天皇とその忠臣どもにささげられた「翼をください」に、西村眞悟センセは深く感動されたようである。
*我らが青春の名曲は、こうして換骨奪胎され簒奪されたわけではありますが・・・
占領憲法の桎梏から解き放たれ、自由に陸海空をはばたく国防軍を持ち、それを動かす「天皇大権」を取り戻したいセンセにとって、そりゃあ感涙ものでしたでしょう。
紅潮する天皇明仁の表情 頭を上げることのなかった皇后美智子の心中いかばかりであったかなどと センセは思っておられたでありましょうね。陛下の議員でありますもの。
そして まだご存じないのかも知れないが、センセがおそらく、とんでもない大声で唱和されたに違いない「天皇陛下万歳」が 政府インターネットTV映像から 音声カットと言う姑息な手段で「修正」されていることを知ったら、どんなにか失望されるでありましょうね。
それにしても「日本維新の会とはその為に生まれたのだ」という宣言は まことに正鵠を得た表現でありますね。せんせ。
歴史修正主義者安倍晋三がやってのけた あらたな「修正」。政府インターネットTV
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六十一年前の昨日、四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効して我が国は「被占領状態」から脱して「主権を回復」した。
そして、「主権回復」を祝う式典が二つ行われ、二つに出席した。
まず、午前十一時から憲政記念館で、天皇皇后両陛下のご臨席のもとに、政府主催の式典
「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」
が行われた。
これは我が国の国体を具現化した簡素にして厳粛な式典であった。式次第は以下の通り。四十五分間であった。
天皇皇后両陛下御臨席
開会の辞 式典副委員長 麻 生 太 郎
国歌斉唱
式 辞 式典委員長 安 倍 晋 三
挨 拶 衆議院議長 伊 吹 文 明
参議院議長 平 田 健 二
最高裁判所長官 竹 崎 博 允
合 唱 杉並児童合唱団
閉会の辞 式典副委員長 菅 義 偉
天皇皇后両陛下御退席
以上の通り、天皇皇后両陛下の御臨席のもとで、立法、司法、行政の三権の長が式辞を述べ挨拶をする、
それだけ。
安倍晋三総理の式辞は、昭和天皇の御製を述べ、敗戦から主権回復までの先輩諸氏の苦難に立ち向かう雄々しさと労苦を偲ぶ心のこもったものであった。
一同は感動した。
杉並児童合唱団の子ども達は、心にしみる澄んだ声だった。涙が流れたと述懐した議員もいた。
合唱団が歌った歌は四曲で、まず、昭和三十年代、四十年代、五十年代に国民によく歌われた歌三曲、「手のひらを太陽に」、「翼をください」、「BELIEVE」。最後の四曲目は、東日本大震災の被災地そして避難所で歌われた歌一曲。その題は「あすという日が」。
そして、天皇皇后両陛下の御退席で終了した。
午後からの主権回復を祝う会は、民間主宰で日比谷公会堂で行われた。
私は、他の場所での講演を終えて午後三時過ぎに公会堂に入った。
そこは、熱心な聴衆でほぼ満席であった。
入場してしばらくすると、前日の二十七日に同じ日比谷公会堂で「拉致被害者救出集会」を主宰した拉致被害者を救う会の西岡力さんが登壇し、
「主権の回復を祝うのもいいが、北朝鮮が拉致した同胞を救出できない主権国家でいいのか」という、まさにその通りの趣旨の話をした。
その後に登壇した、自民党の女性議員は、ニューキャスター的上手さで、長々と自己宣伝をした。
それを聞いていて私は、やはり、ドカンとやらなあかん、と思って登壇した。しゃべった要旨は次の通り。
(1)、まず、総理は本日よりロシアとアラブ諸国を歴訪するが、二月にロシアのプーチン大統領が、北方領土に関して「引き分け提案」をしてから日本側が浮き上がっている。
よって、主権回復のサンフランシスコ講和条約前にソビエトロシアは、何をしたかをお伝えしておく。
サンフランシスコ講和条約の交渉時、ソビエトのグロムイコ外相がサンフランシスコに乗り込んできて修正案を提示した。
それは、第一に「日本は南樺太と千島列島に対するソビエトの主権を認めること」というものであった。
しかし、アメリカらはこのソビエトの修正案を否決して、ソビエト欠席の上で、我が国と講和条約を締結したのである。
従って、我が国は、全千島と南樺太の主権を未だ放棄しておらず、まずその返還を、堂々とロシアに主張できる立場にある。
(2)、主権回復を祝う日ができたら嬉しいだけでは、ダメだ。
主権が回復する前には、主権が奪われていたのだ。
従って、その奪われていたものを取り戻さなければダメではないか。
それを取り戻さずに「祝う日」を祝っていてどうする。
では、「奪われたもの」は何か。
それは、「軍隊」ではないか。
そして、「軍隊」を動かす「天皇大権」ではないか。
(3)、さらに、大日本帝国憲法を奪われた。
皇室典範を奪われた。
そして、民族の記憶である「祝日」を奪われた。
皇室典範は「法律」ではないのだ。
万世一系百二十五代の天皇家の「家憲」なのだ。
新嘗祭、明治節、これらの日は何処にいった。奪われたままだ。勤労感謝の日、文化の日など、訳がわからんではないか。それらは新嘗祭であり明治天皇のお誕生日つまり明治の日だ。
主権回復とは、奪われたこれらのものを回復することである。
概略以上の通り話したが、その冒頭、付け加えたコメントは、「自民党に拍手していた聴衆の皆さん、主権回復を祝う日を無邪気に祝っているだけでは平穏だが、私は、これから、その主観回復とは具体的に何を回復することなのかをしゃべる。
そうすれば、奪われたそれを回復しようとするならば、自民党は公明党と連立を組んでおれなくなるであろう。
しかし、それを断固として回復しなければならない。日本維新の会とはその為に生まれたのだ。」
なお、午前中に実施された政府主催の記念式典には、生活第一の党と社民党と共産党が欠席し、沖縄県知事も欠席した。
理由は、天皇の政治利用だから、そして沖縄県知事は、この日は沖縄が本土から取り残された屈辱の日だからというもの。
つべこべ言わず、一言で言っておく。
こいつらは頭がおかしいだけだ。
生活第一、社民共産の欠席で式典会場は清々したと思う。
社民・共産は、もともと日本の政党ではなく、コミンテルン日本支部と分派。
もっとも、民主党の過半数もそうである。
生活第一もうさんくささでは負けない。
思い出されよ、四年前、支那の習金平に箔を付けるために、 中国共産党の走狗となって、まさに無理を押し通し、天皇陛下を無礼無道に政治利用して習金平との会見を実現させた者の党が、何を言うか。
また、沖縄県知事は、マインドは日本人ではないのだろう。
彼は、既に中国共産党を喜ばせ、沖縄と沖縄県民を辱める存在である。
http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=849
*********************
杉並児童合唱団によって 天皇とその忠臣どもにささげられた「翼をください」に、西村眞悟センセは深く感動されたようである。
*我らが青春の名曲は、こうして換骨奪胎され簒奪されたわけではありますが・・・
占領憲法の桎梏から解き放たれ、自由に陸海空をはばたく国防軍を持ち、それを動かす「天皇大権」を取り戻したいセンセにとって、そりゃあ感涙ものでしたでしょう。
紅潮する天皇明仁の表情 頭を上げることのなかった皇后美智子の心中いかばかりであったかなどと センセは思っておられたでありましょうね。陛下の議員でありますもの。
そして まだご存じないのかも知れないが、センセがおそらく、とんでもない大声で唱和されたに違いない「天皇陛下万歳」が 政府インターネットTV映像から 音声カットと言う姑息な手段で「修正」されていることを知ったら、どんなにか失望されるでありましょうね。
それにしても「日本維新の会とはその為に生まれたのだ」という宣言は まことに正鵠を得た表現でありますね。せんせ。
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だけど、世界を見渡すと、小なり大なり似たキモいものがあるので、感覚が麻痺しそう。