イスラエルとの関係が深い「キリストの幕屋」について/坂井貴司

2009-01-04 08:50:27 | 世界
「新しい歴史教科書を作る会」や北朝鮮拉致被害者「救う会」を支持す
る組織の中に、「キリストの幕屋」という宗教団体があります。
 
 「生命の光」という名のパンフレットが、バス停などに吊されているのを見た
ことがあるでしょう。「キリストの幕屋」の機関誌です。
 
 キリストの幕屋
 http://www.makuya.or.jp/index.htm
 
 キリスト教を自称し、旧約・新約聖書を教典としながら、日の丸を掲げ、靖国
神社に参拝し、日本精神の高揚と大和魂の復興を目指す右翼的な宗教組織です。
そして日本人とユダヤ人は同じ先祖を持つという日ユ同祖論を説いています。
 
 前述の通り、「キリストの幕屋」は「新しい歴史教科書を作る会」や北朝鮮拉
致被害者「救う会」を積極的に支持しています。
 
 「キリストの幕屋」とはどんな集団?」
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-03-29/ftp20080329faq12_01_0.html
 
2008年3月29日(土)「しんぶん赤旗」より

 そして、イエス・キリストが生まれた聖地にある国だから、という理由で、イ
スラエルを無条件に支持しています。

 1967年の第3次中東戦争では、イスラエル救援委員会を組織し、イスラエ
ルへ多くの物資を送りました。1973年の第4次中東戦争では、東京で大規模
なイスラエル支持デモを行いました。
 
 手島郁郎先生とイスラエル
 http://www.makuya.or.jp/makuya/history/index.htm
  
 「キリストの幕屋」は日本における親シオニスト、親イスラエルのロビー組織
です。当然、東京の在日イスラエル大使館へ頻繁に出入りしています。また、イ
スラエルへ巡礼団を送っています。イスラエルを讃える集会もよく開催していま
す。
 
 この事から、「キリストの幕屋」はパレスチナ民衆の敵と言えます。
  
 集票力と集金力で政界に大きな影響力を与えているのアメリカの聖書根本主義
勢力が、イスラエルを支持していることは知られています。アメリカとは比べも
のにならないほど小さな組織とはいえ、日本でも同じような組織があります。そ
れが、「新しい歴史教科書を作る会」や北朝鮮拉致被害者「救う会」と深いつな
がりがあるとすれば、看過できない問題ではないでしょうか。
 
 在日イスラエル大使館は、「日本とイスラエルの友好を深める活動をしていま
す」と言いますけれど、このような問題のある組織と友好を深めているのも事実
です。
 
 なお、私はノーム・チョムスキーを含むすべてのユダヤ人を悪と見なす反ユダ
ヤ主義と、イスラエルがパレスチナ人民衆に対してやっていることへの糾弾は厳
然と区別しなければならないと思っています。「イスラエルがパレスチナ人に対
してやっていることは犯罪だ」と声を上げるユダヤ人は大勢います。

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関連・シオニズムについて 
シオニズムを提唱したハンガリー生まれのテオドール・ヘルツル(1860年
~1904年)は、ユダヤ人は生まれた国に同化すべきであるという考えを持つ
典型的な同化ユダヤ人でした。彼は「ユダヤ教を信じるオーストリア人」という
意識を持っていました。それが大きく揺らいだのが、フランスのドレフュス事件
(1894年)でした。ヘルツルと同様にフランスに同化したユダヤ人であった
軍人ドレフュスが、ドイツに軍事機密を売ったとして逮捕された事件です。当初
からえん罪であると指摘されました。しかし、「ドレフュスはユダヤ人だからド
イツに軍事機密を売ったのは間違いない!ユダヤ人は皆売国奴だ」とする叫ぶ反
ユダヤ主義勢力に押されて、ドレフュスは有罪とされ、投獄されました。それを
ヘルツルは新聞記者として取材し、反ユダヤ主義の根強さを思い知らされました。
ユダヤ人に対する憎しみを目の当たりにしたヘルツルは
 
 「いくらユダヤ人が同化に努力してもヨーロッパは受け入れてくれない。ユダ
ヤ人国家を作るしかない解決の道はない」
 
と考え、シオニズムを提唱し、ユダヤ人国家建設に奔走しました。当初これを支
持するユダヤ人はあまりいませんでした。非現実的だと多くが思ったからです。
しかし、ドレフュス事件以後、現在のポーランドやバルト三国、ウクライナ、ベ
ラルーシ、モルドバ、ロシア西部で発生したポグロム(ユダヤ人迫害)や帝政ロ
シア政府のユダヤ人抑圧政策、貧困、偽書「シオンの議定書」に代表される反ユ
ダヤ主義の高まりを受けて、シオニズムに賛同するユダヤ人は増加しました。ユ
ダヤ人国家の場所は紆余曲折を経て、「約束の土地」パレスチナと定められ、多
くのユダヤ人がここに移住を始めました。
 それから先は周知の通り、パレスチナ人との衝突、戦争です。パレスチナ人が
ナクバ(破局)と呼ぶイスラエル建国へとつながっていきました。
 
 私はKさんが言われた通り、シオニズムを単純に批判することはできないと
思います。ヨーロッパのユダヤ人たちは同化に大変なエネルギーを注ぎ、なんと
かして自分が住む国の一員として受け入れられようとしました。キリスト教に改
宗した詩人ハイネはその例です。しかし、ヨーロッパのキリスト教徒社会はユダ
ヤ人の努力を受け入れませんでした。ナチスドイツによるユダヤ人大虐殺(ショ
アー、ホロコースト)がその返事でした。
 
 もう、ユダヤ人国家建設しか解決の道はない、と多くのユダヤ人が考えたのは
当然です。
 
 しかし、だからと言って、ヨーロッパから遠く離れた場所に住むパレスチナ人
が、犠牲になっていいのでしょうか。
 
 「言語に絶する迫害を受けてきたユダヤ人の苦しみをなくすためにはユダヤ人
国家を建設しなければならない。そのためあなた達パレスチナ人は犠牲になって
もらう。だからここから出て行け!」
 
と言えますか?
 
 「なぜヨーロッパのユダヤ人問題解決のために、我々パレスチナ人が犠牲を払
わなければならないのか?理不尽だ!」
 
と思うのは当然でしょう。

 イスラエル建国以後、世界中に離散したパレスチナ人は、かつてのユダヤ人同
様、言語に絶する迫害を受けてきました。
 
 1982年9月、レバノンのパレスチナ人難民キャンプを包囲したキリスト教
徒民兵は、イスラエル軍の支援を受けて、「テロリスト掃討」の名の下、パレス
チナ人1800人以上を虐殺しました。サブラ・シャティーラの虐殺事件です。
(これをスクープしたのが広河隆一氏でした)小学生だった当時の私は大きな衝
撃を受けました。
 
 湾岸戦争終結直後のクウェートでは、「フセインを支持した」と言われて多く
のパレスチナ人が殺され、追放されました。フセイン政権崩壊後、イラクでは
「パレスチナ人はフセインの手先だ!」と殺害や追放が行われました。
 
 パレスチナ人難民は厄介者として白い目で見られ、多くの国々が受け入れを拒
否しています。行き場がありません。そんな状況に置かれたら、石の一つぐらい
投げたくなるでしょう。「自爆テロ」も単純には批判できないと思います。
 
 私は、ユダヤ人はパレスチナから全員出て行くべきだとは思ってはいません。
そんなことは不可能だからです。どんなに不満があって隣人として共存するしか
ない解決の道はないと思っています。

私は東京のイスラエル大使館前へ行って、「ガザ空爆を今すぐやめろ」と叫び
たい気持ちです。


坂井貴司
福岡県
E-Mail:donko@ac.csf.ne.jp
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パレスチナ/イスラエルにおける二民族共存の挫折の歴史
http://palestine-heiwa.org/note2/200810021429.htm

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-08-05 10:08:30
現場へ行ってこい!
返信する
相変わらず、右翼の野次は意味不明。 (右翼よりは、現場を知ってるに決まってる。)
2009-08-05 17:45:00
言うに事欠いて何を言うやら。
要するに、旧満州のもっとキツイ奴が今のパレスチナ・イスラエル関係。
この例えでも、まだ意味側から無いか知れないが、それは理解力の問題だから。
返信する

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