パレスチナ・ジェノサイドを考えるために(3)/前田 朗

2009-02-12 17:32:24 | 世界
ジェノサイドの定義

 国連は一九四六年から一九四八年にかけてジェノサイド条約を準備しました。
一九四八年一二月に条約ができ上がりましたが、その議論の過程で、文化ジェノ
サイドについては、犯罪の成立要件を明示することは難しいと考えられたため、
ジェノサイド概念は主に物理的ジェノサイドと生物学的ジェノサイドを中心に整
理されました。レムキンのジェノサイド概念とはやや異なることになります。
ジェノサイド条約第二条はジェノサイドを次のように定義しています。

国民、民族、種族または宗教集団の全部または一部を破壊する意図をもって、次
に掲げる行為を行なうこと

a 集団の構成員を殺害すること

b 集団の構成員に対して、重大な身体的または精神的な害悪を加えること

c 集団の全部または一部についてその身体の破壊をもたらすことを意図した集
団生活の条件をことさらに押し付けること

d 集団内の出生を妨げることを意図した措置を課すこと

e 集団の子どもを他の集団に強制的に移転すること

 以上の五類型がジェノサイドと決まりました。注意してほしいのは、ジェノサ
イドは「集団殺害」ではないということです。従来、集団殺害という訳語が用い
られてきましたし、私もこの訳語を使うことがあります。しかし、ジェノサイド
は、殺害以外に、心身の害悪を加えることや、子どもを強制移転することなども
含みます。一九四八年の定義が、一九九八年の国際刑事裁判所規程にも引き継が
れたので、今も同じ定義が採用されています。国際法におけるジェノサイドの定
義は確定したと言えます。

戦争犯罪やジェノサイドを裁くために設立された国際刑事裁判所の締約国会議に
おいて承認された『犯罪の成立要素』は、例えば、aの「殺害によるジェノサイ
ド」について次のように示しています。b~eについては省略します。

第六条a 殺害によるジェノサイド

1 実行者が、一人または複数の人を殺した。

2 その一人または複数の人が、特定の国民、民族、種族または宗教集団に属し
ていた。

3 実行者が、その国民、民族、種族または宗教集団をそれ自体として全部また
は一部を破壊することを意図した。

4 実行行為が、その集団に対して向けられた明らかに同様の行為のパターンの
文脈で行なわれた。または、その行為が、それ自体、そうした破壊をもたらしう
るものであった。

 さらに、ジェノサイド条約第三条は、処罰すべき行為を次のように明示してい
ます。

a ジェノサイド

b ジェノサイドの共同謀議

c ジェノサイドの直接かつ公然たる教唆

d ジェノサイドの未遂

e ジェノサイドの共犯

 ジェノサイドそのものが五つの行為類型からなっているのに加えて、共同謀
議、教唆、未遂、共犯も処罰されるべきだというのです。まず、「ジェノサイド
の直接かつ公然たる教唆」とあるのに注意してください。

 教唆とは、他人をそそのかして犯罪を実行させることです。一般には、ひそか
に教唆することも含まれますが、ジェノサイドの教唆は「直接かつ公然たる教
唆」に限られます。そそのかしたことで、相手が初めて特定の犯罪を実行するこ
とを決意することが必要です。もともと犯罪を行うつもりだった人にそそのかし
ても教唆にはなりません。それは従犯(幇助犯)です。実際には教唆と幇助が同
時並行的に行われることがあります。いずれにせよ、教唆か幇助を行えば犯罪です。

 次にeに「共犯」とあります。「共犯」には教唆や従犯が含まれるので、cの
「直接かつ公然たる教唆」と重複するように見えます。

コリアン・ジェノサイド

 以上のジェノサイド概念に照らして、コリアン・ジェノサイドについて考えて
いきましょう。私の見解では、コリアン・ジェノサイドを考えるには、少なくと
も、①植民地朝鮮におけるジェノサイド、②関東大震災ジェノサイド、③第二次大
戦後における在日朝鮮人弾圧、をそれぞれ検討する必要があります。しかし、こ
こでは関東大震災ジェノサイドに限定して話を進めます。

 第一に、ジェノサイドは、実行者が「特別の意図」をもって客観的行為を行っ
たことが必要です。特別の意図とは「国民、民族、種族または宗教集団を全部ま
たは一部を破壊する意図」です。これは通常の犯罪のメンズ・レア(主観的要
素)とは異なります。通常の犯罪のメンズ・レアは、「事実」を知っていたこと
です。殺人罪であれば、「自分が生きている人を殺そうとしていると知りなが
ら、その人を殺すための行為をしようと決意する」ことです。ジェノサイドで
は、「事実」を知っていたことに加えて、「特別の意図」を持っていたことを必
要とします。「破壊」は身体的物理的破壊を意味しています。文化ジェノサイド
を除外する含意をもっているからです。

関東大震災朝鮮人虐殺時に、朝鮮人集団、在日朝鮮人集団の全部または一部を破
壊する意図があったか否かが問題になります。鈴木という日本人が、日頃から個
人的に恨みを持っていた李という朝鮮人を殺しても、ジェノサイドではなく、殺
人罪です。鈴木が、朝鮮人一般を憎んで、朝鮮人迫害のさなかに、李が朝鮮人で
あるが故に、李を殺せば、ジェノサイドです。

 ルワンダにおけるツチ虐殺を裁いたアカイェス事件ICTR一審判決は、特別
の意図とは「実行者が、訴追された犯罪を引き起こす明白な意図をもっていた」
ことを要するとしています。実行者は特別の意図を持って客観的行為を行った場
合にだけ責任を問われます。ICTRとはルワンダにおけるツチ虐殺を裁くため
につくられたルワンダ国際刑事裁判所です。

 それでは、実行者が「そんな意図はなかった」と言い張れば、ジェノサイドが
成立しないのでしょうか。

クリスティン・バイロンの論文「ジェノサイドの罪」(ドミニク・マッゴルリッ
ク、ピーター・ローウェ、エリック・ドネリー編集『常設国際刑事裁判所--法
律問題と政策問題』)は、「破壊する意図は被告人の行為から推認できるか」と
問いを立てています。多くの学者の論文でも、国際法廷であるICTRや
ICTY(旧ユーゴスラヴィア国際法廷)の判決でも、この問いには肯定の答え
が出されてきました。実行者の自白がなければ特別の意図を認定できないことに
なってしまっては、ジェノサイドはほとんど成立しないことになってしまうから
です。とはいえ、検察官が被告人に特別の意図があったことを合理的な疑いを超
えて立証しなければならないので、こうした意図が推論できるのは補強証拠が十
分に存在する場合だけということになります。

少し複雑な話になってきましたが、自分が、どのような状況でどのような位置に
あって何をしようとしているのかを知りながら、特定の集団の一員を殺す決意を
したとすれば「特別の意図」があったと認定できることになります。

関東大震災時の日本内務省や、殺人実行にかかわった日本人の中に、朝鮮人に対
する差別を基礎とした、迫害、排除、破壊の意図があったことを確認すること
は、客観的証拠、状況証拠によって可能となるはずです。補強証拠は十分といえ
るでしょう。

 第二に、「集団の構成員を殺害すること」について見ておきましょう。特定の
集団の構成員を、その構成員であると認識し、集団の全部または一部を破壊する
ことを意図して殺害することです。多数の構成員を殺害したことを必要としませ
ん。ジェノサイドがしばしば「集団虐殺・大量虐殺」と訳されるために誤解され
がちですが、個人の刑事責任としての犯罪の成立要件としては、一人殺せば足り
ます。実際に一人の殺害でジェノサイドの認定が行なわれることはまれでしょう
が、多数の犯行者によるジェノサイドが行なわれている状況で、同じ意図をもっ
て一人殺害すれば、理論的にはジェノサイドが成立します。

 関東大震災朝鮮人虐殺は、非常に広範囲にわたって実行されました。それぞれ
の実行犯には全体状況がどうなっていたかの認識が十分になかったかもしれませ
ん。相互の連絡があったわけでもないでしょう。しかし、「朝鮮人が井戸に毒を
入れた」などのデマ宣伝が上から組織的に行われたことによって、互いに知り合
いでもない多くの人々が、類似の状況で類似の社会心理を持たされ、朝鮮人に対
する迫害行為に出ることになったのです。わざわざ朝鮮人を探して、朝鮮人であ
るという理由だけで殺しました。一人ひとりの実行犯が「殺害によるジェノサイ
ド」を犯したと考えられます。

 第三に、ジェノサイドの直接かつ公然の教唆です。石田貞さん、山田昭次さ
ん、梓澤和幸さん、三人のご報告が既に十分明らかにしたように、「朝鮮人が井
戸に毒を入れた」の類のデマ宣伝は、内務省から県へ、県から市町村へ、市町村
から自警団へと伝達されたのです。大震災で混乱し、騒然としている状況におい
て、デマ宣伝が果たした役割は非常に大きなものがありました。人々を恐怖に陥
しいれ、反朝鮮人感情を爆発させ、結果として各地で朝鮮人虐殺が発生したのです。

 以上のことから、次の帰結を導くことができます。①関東大震災朝鮮人虐殺
は、上からのデマ宣伝によって、つまり「直接かつ公然たる教唆」によって、組
織的意図的に惹き起こされたジェノサイドです。デマ宣伝に加担した者には、
ジェノサイドの直接かつ公然の教唆という犯罪が成立します。②虐殺に手を染め
た実行犯のそれぞれにジェノサイドの犯罪が成立します。殺害によるジェノサイ
ドです。ジェノサイドは未遂や共犯も処罰されるべき犯罪です。③ジェノサイド
の教唆と、ジェノサイドは、ともに、個人ではなく、組織としての日本政府の犯
罪が中核にあります。個人によるジェノサイドも犯罪ですから見逃せませんが、
最大の犯罪者は日本政府です。

ジェノサイドは終わったか

 関東大震災は一九二三年の出来事です。八五年の歳月が流れました。それでは
関東大震災ジェノサイドは終わったのでしょうか。

関東大震災ジェノサイドの真相解明はなされたでしょうか。それどころか、日本
政府は事実を隠蔽し、真相解明を妨げてきました。被害者への謝罪も補償もして
いません。形だけ自警団メンバーの裁判を行いましたが、真の責任者を明らかに
していません。裁きも不十分で事実認定は歪曲され、量刑も著しく軽いものでし
た。それどころか、愛国心ゆえの犯行だったなどと弁解をしています。責任者処
罰がなされたとはとても言えません。ですから、再発防止の努力もなされていま
せん。民間ではさまざまな努力が積み重ねられてきましたが、日本政府はサボ
タージュあるのみです。

関東大震災ジェノサイドは、何一つ終わっていないのです。しかも、冒頭に見た
ように、石原都知事は差別の煽動を公然と行っています。日本政府は石原発言を
擁護しています。

事実を認めず、隠蔽し、石原都知事発言のように逆転した発言を続けることは、
次の不安と危険を呼び覚まします。ドイツにおいてユダヤ人虐殺を否定する「ア
ウシュヴィッツの嘘」発言が新たなユダヤ人差別であり、犯罪とされていること
はよく知られています。エクスター大学のキャロライン・フォーネットの著作
『破壊犯罪とジェノサイドの法』(アシュゲート出版)は、実際にジェノサイド
があった事実を否定する「ジェノサイドの否定」について論じています。「否定
は、犯罪実行者にとって防御機制となります。防御はすべてのジェノサイドにお
いて現に用いられています。言い換えると、ジェノサイドの否定は今やおきまり
となっているのです」。フォーネットは、ジェノサイドの否定が次のジェノサイ
ドの教唆につながる恐れを指摘し、ジェノサイドの否定が被害者に対する精神的
加害となると指摘しています。

終わっていないのは関東大震災だけではありません。コリアン・ジェノサイドは
終わっていません。朝鮮半島に対する植民地支配、朝鮮人差別、数々の弾圧と虐
殺の真相は解明されず、責任も明らかにされていません。

戦前だけではありません。例えば、阪神教育闘争事件とは何だったのでしょう
か。阪神教育闘争事件は、一九四八年に起きた単発の事件として理解することは
できません。朝鮮植民地支配の残滓であり、朝鮮人差別の繰り返しです。その後
の朝鮮人弾圧と差別の予告でもありました。

いまもなお続く朝鮮人差別と歴史の偽造も指摘しておかなければなりません。朝
鮮半島をめぐる政治的緊張のたびに、日本社会では「チマ・チョゴリ事件」に象
徴される差別と犯罪が繰り返されています。社会で時たま起きる事件ではありま
せん。日本政府が再発防止の努力を行わず、それどころか、最近の滋賀朝鮮学校
事件を始めとする朝鮮総連関連施設弾圧事件のように、日本政府こそが率先して
朝鮮人差別の犯罪を行っているのです。

世界史の中で考えよう

 関東大震災朝鮮人虐殺をジェノサイドとして理解することは、事件を世界史の
中で考えることです。

レムキンがジェノサイド概念を構築したとき、念頭にあったのは一九一五年のア
ルメニア・ジェノサイドと、一九三〇年代からのナチス・ドイツによるユダヤ人
虐殺でした。レムキンは、なぜ一九二三年の関東大震災に言及していないので
しょうか。――知らなかったからです。国際社会でコリアン・ジェノサイドは語ら
れていません。

今日でも世界各地でジェノサイド、人道に対する罪が繰り返されています。規模
や原因はさまざまですが、世界各地で悲劇が続いています。歴史を振り返れば、
スターリンの大粛正、日本軍の三光政策・無人区政策、ヒロシマ・ナガサキへの
原爆投下、朝鮮戦争における国連軍の犯罪、ベトナム戦争・北爆・枯葉剤作戦、
カンボジアのポルポト派による大虐殺、旧ユーゴスラヴィアの「民族浄化」、ル
ワンダのツチ虐殺、東ティモール独立をめぐる内戦による虐殺、スーダンのダル
フール・ジェノサイド、そしてアフガニスタンとイラクで続いている戦争におけ
る膨大な民間人被害――コリアン・ジェノサイドは、これらと同じ文脈で語られな
ければなりません。

 歴史のはざまで数々の悲劇が起きてきました。この悲劇は自然災害ではありま
せん。人為的な犯罪は防ぐことができます。ジェノサイドをいかにして防ぐの
か。そのための議論はいまだに十分になされていないのではないでしょうか。石
田貞、山田昭次、梓澤和幸報告が突きつけているのは、コリアン・ジェノサイド
にきっちり決着をつけて、二度と起きないようにする課題です。八五年も昔の物
語ではなく、今なお私たちが向き会わなければならない未決の課題なのです。


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4 コメント

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Unknown (Unknown)
2009-05-18 22:46:37
1989年6月4日の北京大虐殺が抜けてますよ。
返信する
Unknown (Unknown)
2009-05-18 22:51:08
1948年4月3日の済州島四・三大虐殺もでした。
返信する
Unknown (Unknown)
2009-05-18 23:05:45
上記の二つより、ジェノサイドの国民、民族、種族または宗教集団の全部または一部を破壊するという定義では、チベットジェノサイドがありますね。

1949年:中華人民共和国設立後の中国共産党政府による侵略、支配確立に対するチベット人による抵抗。
1950年:中国人民解放軍がチベットを制圧、全域を自国に併合。
1955年:十七ヶ条協定における「改革は強要しない」地域から除外されたチベット北半部(アムド地方、カム地方東部)における社会主義改造の開始
1956年:チベット北半部における抗中蜂起。
同年、人民解放軍による鎮圧。十七ヶ条協定協定の枠組みのもと、ガンデンポタンの統治下で平穏をたもっていたチベット南半部(西蔵)に、アムド地方、カム地方からの難民や、敗北したゲリラ兵が流入。
同年、チベット高原北半部出身者による統一抗中ゲリラ組織チュシ・ガンドゥク結成、チベット南半部で、ゲリラ活動を展開。
1957年からは東西冷戦構造に組み込まれ、アメリカ合衆国CIAからの訓練や資金、武器の供給を受けるようになる。
中華人民共和国政府、ガンデンポタンにチュシ・ガンドゥクの鎮圧を「命令」。
1959年:中華人民共和国政府、ガンデンポタンに首相ルカンワの解任要求。
1959年:ラサ駐屯の中華人民共和国機関、ダライ・ラマ14世を「観劇に招待」。
1959年:3月ダライ・ラマ14世が中華人民共和国に拉致されることをおそれたラサ市民がノルブリンカ宮を包囲(1959年のチベット蜂起)。ラサ駐屯の中国人民解放軍、市民に解散を要求、さもなくば砲撃すると通告。
ダライ・ラマ14世、ガンデンポタン、チベットを脱出。
中華人民共和国国務院、「西蔵地方政府の廃止」を通告。
ダライ・ラマ14世、インドへの国境越えの直前、チベット臨時政府の樹立を宣言。
返信する
極右は抑えた筆致の中にも論理破綻。 (上記二つは「人種」に無関係で相当せず。)
2009-05-19 16:11:11
しかし、よくも他国の闇を無神経に手を突っ込んで引っ掻き回す、極右らしい無神経さをコメント欄に晒せるな…、今更ながらにアキレる。
特に済州島事件!小説「火山島」に描かれる様な、今尚生存者の癒える事無き傷跡が血を流し続けている事件に、どうしてソコ迄無神経で居られるのか?
正気ではない。
特に、38度線を最初に引いたのが関東軍である事を思えば。
ソウ言えば、バチカンが徳川氏の弾圧によるキリスト教徒殉教に行った、最近の列聖にも右翼勢力は注意すら払わなかったな…。
如何に歴史観を持たず、浮遊しては日米安保に都合イイと信じる事実のみ抓み食いする、インチキ自虐史観の持ち主かヨク解ろうと言うものだ。
見事にチベット云々に関しても、米英の干渉が抜け落ちており、片手落ちである点が極右自身の立場を物語っている。
売国の犬として、例えばニュー山王ホテルに招待されて喜びの余り有頂天で(今も日本に治外法権の土地が米国軍基地以外にあると)自虐暴露した、論説委員だかがそんなに羨ましいか?
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