NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」(07年2月10日放送)/岩崎貞明(放送レポート編集長) 

2013-04-18 11:51:54 | 憲法
07年2月10日放送 NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」

放送レポート編集長 岩崎 貞明

 日本国憲法施行60年を迎え、一方で憲法改正が声高に叫ばれるようになってきたこの時期に、日本国憲法の出自を丁寧に明らかにしながらその歴史的意味を問い直す好 番組が放送された。
現行の日本国憲法はアメリカの押し付けだ、という定説は改憲派の論拠のひとつになっている。
たしかに、GHQ草案をベースに現在の日本国憲法の原案(大日本帝国憲法の改正案)が日本政府によって作られたことは歴史的事実ではあるが、番組はそのGHQ草案の1ヶ月以上前にすでに日本の民間人による独自の憲法草案が存在し、その草案が逆にGHQ草案にも影響を与えた可能性を指摘した。

 それは有識者7人が1945年11月に結成した「憲法研究会」による草案で、主権在民や平和主義、表現の自由、男女平等などをうたっていた。
7人の顔ぶれは高野岩三郎、森戸辰男、杉森孝次郎、馬場恒吾、鈴木安蔵、室伏高信、岩淵辰雄という、当時の進歩的な学者、評論家、ジャーナリストらで、いずれも戦時中は治安維持法違反などで逮捕・収監され、または職場から追放されるなど、塗炭の苦しみを味わった人々だ。

 敗戦後、GHQの指導により日本政府も「憲法問題調査委員会」(松本烝治委員長)を設置するが、日本政府にはもとより帝国憲法を改正する意図は毛頭なかった。
とくに天皇の権限を縮小もしくは削除するような改定はおよそ慮外のことだったようだ。
その一方、この「憲法研究会」のメンバーは、天皇制廃止も議論の俎上に載せながら、天皇の統治権を廃止し、「国家的儀礼を司る」という、現在の象徴天皇制に近い制度を打ち出していく。

番組は、このような憲法草案が生まれた背景を掘り下げるために、研究会のメンバーで唯一の憲法学者だった鈴木安蔵にスポットを当てる。
鈴木は戦前から帝国憲法の 歴史的研究を手がけ、大正デモクラシー期の思想家、吉野作造の示唆などを受けて明治期 の自由民権運動に目をむけ、帝国憲法制定当時の議論の中から高知出身の植木枝盛による 「日本憲法」を再発見する。
そこにはすでに「主権は日本全民に属す」 と、国民主権の 思想が打ち出されていた。

 番組はスタジオで古関彰一・獨協大学教授が、森田美由紀アナウンサーを聞き手に解説する。
古関教授がもっとも強調した点は、いまの日本国憲法の精神が自由民権運動の伝統とつながっていること

 さらにその源流はアメリカ独立宣言やフランス人権宣言にあり、民主主義、自由と平等という普遍的な価値観の系譜にあることだった。
 GHQはこの憲法草案を入手してすぐに英訳し、その内容がすぐれて民主的で「受け入れられる」ものであることを確認する。
その後、マッカーサーノートが出され、GHQ民政局が徹夜を重ねて日本国憲法のGHQ草案を作ったというのが歴史の流れだ。

 番組は最後に、研究会のメンバーだった森戸辰男が国会議員となり、政府が提出し た帝国憲法改正案に対して「生存権」を盛り込む修正案を示し、その修正などを可決して成立したエピソードを紹介する。
ここでも、日本国憲法がアメリカのいいなりに作られたのではなく、日本人の智恵が織り込まれていることが指摘され、さらにこの森戸修正がかつてのドイツのワイマール憲法を踏まえたものであったことも紹介される。

 日本国憲法が、歴史的・国際的な「正統性」のもとに生まれた、人類の英知の結晶とも言うべき存在であることが強く印象付けられる番組だ。
再現映像なども交えて当 時の議論のようすを丁寧に描写しながら、全体として抑制の効いた控えめな演出の番組だから、「人類の普遍的価値を体現した日本国憲法が、一時の政治的な思惑で安易に改変されていいのか」という番組制作者の叫びが聞こえてくるようだ、と評しては言い過ぎかもしれない。
しかし、この番組が指摘する事実を踏まえずして、憲法改正論議は成り立たないと言いたくなるほど、深い内容をもった番組だったと評価した
い。(了)
http://www.masrescue9.jp/tv/iwasaki/back_no/iwasaki12.html

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自由民権派の憲法草案(私擬憲法)
日本国憲法の誕生・国立国会図書館
制定過程
における各種草案の要点・衆院憲法調査会

憲法制定過程とその問題点・参院憲法審査会
自民党改正草案Q&A

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元連合国最高司令官総司令部(GHQ)民政局スタッフの発言概要から
http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/houkokusyo/houkoku/03_01_01.html
○ベアテ・シロタ・ゴードン氏
 (元連合国最高司令官総司令部民政局調査専門官)

 人権に関する草案作成は、22歳だった私を含めて3人。図書館に行って、いろいろな国の憲法を参考に集めた。私は日本の女性にはどんな権利が必要か考え、各国の憲法を参考にしながら、女性の権利を起草した。私は戦争前に10年間、日本に住んでいて、女性に全く権利がない実態をよく知っていた。

 当時は女性の権利が全然なかったので、配偶者の選択から、妊婦が国から補助される権利まで全部、具体的に憲法に詳しく書き込みたかった。草案作成を指揮していたケーディス大佐(民政局次長)らは、私の草案の女性の権利には賛成したが、社会福祉の点については「そういう詳しいものは憲法に合わない。民法に書くべきだ」と言い、両性の平等などに関する24条などを残した。交渉過程において、日本政府は「女性の権利は日本の文化に合わない」と主張し大騒ぎになった。私は通訳を務め日本側からも好意を得ていたので、ケーディス大佐が「シロタが女性の権利を心から望んでいるので、それを可能にしよう」と言い、日本側も私が書いたことを知りびっくりしたものの、「ケーディスの言うとおりにしよう」と言って、24条が歴史に残った。

 日本国憲法は米国の憲法よりもよいものである。自分が持っているよりもよいものを「押し付ける」ことはないから、日本国民に押し付けられたとは言えない。日本における進歩的男性や少数の目覚めた女性は、国民の権利を記した憲法を望んでいた。日本は他国から文字、宗教、その他の文化を取り入れ自分のものとすることで発展してきた。ほかの国から輸入した憲法でも、いい憲法なら守るべきだ。

 憲法を考えるに当たっては、女性の声を聞いてほしい。日本の女性の大勢が、現行憲法は日本に適していると思っている。日本は憲法のおかげで経済が進歩し、テクノロジー、教育などを発展させ、世界で重要なパワーとなった。この憲法は世界のモデルと言えるからこれまで改正されていない。人権については憲法改正ではなく、法律改正で対応できる。


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