上野千鶴子さん講師拒否について東京都へ抗議

2006-01-24 08:33:07 | 教育
今回の拒否の一因として、同教授がその講演において「ジェンダー・フリ-という言葉を使うかも」という危惧があった故だとされている。ひとりの学者/知識人がその専門的知見において、その著書または講演のなかでいかなる用語を用いるかは、学問・思想・言論の自由によって保証されている。学問・思想・言論の自由は、民主主義社会の根幹であり、なんぴともこれを冒すことはできない。

【「東京都の人権意識を考える市民集会」実行委員会の公開質問状】

東京都新宿区西新宿二丁目8番1号第二庁舎27階
教育庁 生涯学習スポーツ部主任社会教育主事(副参事)
江上 真一様
東京都新宿区西新宿二丁目8番1号
東京都教育庁 教育長
中村 正彦様


 拝啓

 2005年12月15日、都庁において「人権教育推進のための調査研究事業」の件について、私達「東京都の人権意識を考える市民集会」名で、抗議文、ならびに、公開質問状を提出いたしました。その後、公開質問状に対しての回答を頂いておりません。

 つきましては、2006年1月末日までに、文書で回答頂きたく再度お願い申し上げます。

 以上、内容証明、配達証明付きの郵便でお届けします。

             
公 開 質 問 状


1、 事業計画について

○  「当事者主権」の講演を企画したのに、上野さんの講演内容を想像して、ジェンダーフリーに触れるとしたのはなぜか。

○  準備会が提案した事業計画案は要綱に沿って作成したが、どの部分に逸脱があったか。

2、 講師(上野千鶴子氏)に関して

○  東京都は、上野さんは講師としてふさわしくない、一定の立場に立った講演内容になると伝えてきた。上野さんは、ジェンダーフリーという用語の使用はしないという立場に立っている。一定の立場とは何を示すのか、またその他にふさわしくないとした東京都の根拠と理由を示せ。

○  同じく一定の立場と判断される人は誰か。

3、 講師選定委員会について

○  2年前から発足した講師選定委員会が、発足に至った経緯、委員会のメンバーを知りたいので、会則を示せ。

○  東京都の事業を行う場合、講師選定委員会にかけるかどうかは、どう判断し、誰が決定するのか。今まで、講師選定委員会で、検討された講師は誰か。可否とされた氏名とその理由を示せ。

4、 委託事業について

○  国からは要綱以外に、講師選定など、条件や、ルールを示されているのか。

○  今回の経緯についてはどのように報告しているのか。

5、 行政手続きについて

○  委託できない理由について、文書で示されないのは、経緯や、決定が市民に明らかにならない。文書でのやり取りの重要性をどの様に認識しているのか。

○  8月17日付け、国分寺市教育委員会生涯学習推進課からの事務連絡の中で、「両者協議の上」とあるが、東京都と国分寺市はどの様な協議をしたのか。


2005年12月15日
「東京都の人権意識を考える市民集会」
実行委員会

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【抗議文】
東京都知事         石原慎太郎 殿
東京都教育委員会 教育長  中村 正彦 殿
東京都教育委員会 各位



抗 議 文

上野千鶴子東大教授の国分寺市「人権に関する講座」講師の拒否について、
これを「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害として抗議する


1 言論の自由の侵害について

 報道によれば、今回の拒否の一因として、同教授がその講演において「ジェンダー・フリ-という言葉を使うかも」という危惧があった故だとされている。ひとりの学者/知識人がその専門的知見において、その著書または講演のなかでいかなる用語を用いるかは、学問・思想・言論の自由によって保証されている。学問・思想・言論の自由は、民主主義社会の根幹であり、なんぴともこれを冒すことはできない。

 まして、その講演が開催され、実際に発話されたのではないにもかかわらず、その用語が発せられるだろうという“憶測”によって、前もってその言論を封じたということは、戦前の「弁士中止」にまさる暴挙であり、民主憲法下の官庁にあるまじき行為である。

 このような愚挙がまかり通れば、今後、同様の“憶測”、”偏見 ”に基づいて、官憲の気に入らぬ学者/知識人の言論が政治権力によって封殺される惧れが強くなる。日本が戦前に辿ったこの道を行くことをだれが望むであろうか。それが日本の社会に住むひとびとの幸福な未来を描くと、誰が思うであろうか。

2 学問と思想の自由の侵害について

 ジェンダー理論は国際的に認知された思想・知見・学問である。現在欧米及びアジアの主要大学において、ジェンダー理論の講座を置かない大学はなく、社会科学、文化科学の諸分野でジェンダー理論を用いずに最新の研究を開拓することは困難である。

 いっぽうでは、それは1975年、第一回世界女性会議以降、世界のいたるところで太古から実行されてきたあらゆる種類の女性への差別を撤廃し、人間同士の間の平等を実現するという国際的な行動と連動し、その理論的な基盤を提供してきた。学問と社会的改良とは両輪となって人類の進歩に貢献してきたし、これからもそうである。

 しかしながら、「ジェンダー理論」は、同時期に国際的に認知された「ポストコロニアル理論」と同様に、3~40年の歴史しかもっていない。したがって日本の人々のあいだにその用語および理論への理解が定着するにはまだまだ時間がかかるであろう。

 しかし、それは喧伝されているように「日本の伝統に反する」「外国製の」思想ではない。なぜならば、すでに明治時代からわれわれの先輩たちは、女性もまた参政権を得るために、また女性としての自立権を得るために血のにじむ努力をしてきたからである。この人々は新憲法によってその権利を保証されるまでは、弾圧と沈黙を強いられてきた。いまだに、在日朝鮮人をはじめとする外国籍市民は、参政権すら得ていない。日本の、また世界のひとびとが平等な権利を獲得するための、長い旅程の半ばにわれわれはいる。

 そのようなわれわれ自身の知見と努力の歴史の上に、国際的な運動のうねりと学問の進歩によって、われわれは国際的な用語としての「ジェンダー」とその問題を解明し、解決することをめざすジェンダー理論を獲得したのである。思えば、日本社会に生きるわれわれは、常に有用な智恵を世界に学び、これを自己のうちに内在する問題と融和させ、独自のものとして実践してきたのではなかったか。そこにこそ日本の社会の進歩があった。女性学・ジェンダー研究者は、今まさにそのために研鑽、努力している。その教えをうけた無数の学生、教育現場で実践する教師、地域で活動する社会人は、グローバルな運動の広範な基盤をなしている。上野氏はその先駆的なひとりである。今回の事件についてわれわれは強い危惧の念を覚えている。先人の尊い努力によってようやくに獲得できた思想、学問、行動の自由の息の根を止めさせてはならない。

3 ジェンダーへの無理解について

 ジェンダーは、もっとも簡潔に「性別に関わる差別と権力関係」と定義することができる。したがって「ジェンダー・フリー」という観念は、「性別に関わる差別と権力関係」による、「社会的、身体的、精神的束縛から自由になること」という意味に理解される。

 したがって、それは「女らしさ」や「男らしさ」という個人の性格や人格にまで介入するものではない。まして、喧伝されているように、「男らしさ」や「女らしさ」を「否定」し、人間を「中性化」するものでは断じてない。人格は個人の権利であり、人間にとっての自由そのものである。そしてまさにそのゆえに、「女らしさ」や「男らしさ」は、外から押付けられてはならないものである。

 しかしながら、これまで慣習的な性差別が「男らしさ」「女らしさ」の名のもとに行われてきたことも事実である。ジェンダー理論は、まさしく、そうした自然らしさのかげに隠れた権力関係のメカニズムを明らかにし、外から押し付けられた規範から、すべての人を解放することをめざすものである。

 「すべての人間が、差別されず、平等に、自分らしく生きること」に異議を唱える者はいないだろう。ジェンダー理論はそれを実現することを目指す。その目的を共有できるのであれば、目的を達成するためにはどうすべきかについて、社会のみなが、行政をもふくめて自由に論議し、理解を深めあうべきである。

 それにもかかわらず、東京都は、議論を深めあうどころか、一面的に「ジェンダー・フリー」という「ことば」を諸悪の根源として悪魔化し、ジェンダー・フリー教育への無理解と誤解をもとに、まさに学問としてのジェンダー理論の研究および研究者を弾圧したのである。このことが学問と思想の自由に与える脅威は甚大である。

 以上の理由をもって、われわれは東京都知事、教育庁に抗議し、これを公開する。

     2006年1月23日



呼びかけ人  若桑みどり(イメージ&ジェンダー研究会・ジェンダー史学会・美術史学会・歴史学研究会)
 米田佐代子(総合女性史研究会代表)
 井上輝子(和光大学)
 細谷実(倫理学会・ジェンダー史学会・関東学院大学)
  加藤秀一(明治学院大学)
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人権講座:上野教授の講師を拒否 都教育庁が思い過ごし
 東京都国分寺市が、都の委託で計画していた人権学習の講座で、上野千鶴子・東大大学院教授(社会学)を講師に招こうとしたところ、都教育庁が「ジェンダー・フリーに対する都の見解に合わない」と委託を拒否していたことが分かった。都は一昨年8月、「ジェンダー・フリー」の用語や概念を使わない方針を打ち出したが、上野教授は「私はむしろジェンダー・フリーの用語を使うことは避けている。都の委託拒否は見識不足だ」と批判している。

 講座は文部科学省が昨年度から始めた「人権教育推進のための調査研究事業」の一環。同省の委託を受けた都道府県教委が、区市町村教委に再委託している。

 国分寺市は昨年3月、都に概要の内諾を得たうえで、市民を交えた準備会をつくり、高齢者福祉や子育てなどを題材に計12回の連続講座を企画した。上野教授には、人権意識をテーマに初回の基調講演を依頼しようと同7月、市が都に講師料の相談をした。しかし都が難色を示し、事実上、講師の変更を迫られたという。

 このため同市は同8月、委託の申請を取り下げ、講座そのものも中止となった。

 都教育庁生涯学習スポーツ部は「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」と説明する。また、一昨年8月、都教委は「(ジェンダー・フリーは)男らしさや女らしさをすべて否定する意味で用いられていることがある」として、「男女平等教育を推進する上で使用しないこと」との見解をまとめていた。

 一方、女性学とは社会や学問のあり方を女性の視点でとらえ直す研究分野だ。上野教授は「学問的な見地から、私は『ジェンダー・フリー』という言葉の使用は避けている。また『女性学の権威だから』という理由だとすれば、女性学を『偏った学問』と判定したことになり許せない」と憤る。

 同市や開催準備に加わってきた市民らは「講演のテーマはジェンダー・フリーではなく、人権問題だった。人権を学ぶ機会なのに都の意に沿う内容しか認められないのはおかしい」と反発している。【五味香織】

 ◇ジェンダー・フリー◇

 社会的・文化的な性差「ジェンダー」をなくす意味で用いられる和製英語。90年代半ば以降、「男らしさ、女らしさ」を押しつけないジェンダー・フリーの考えが広まり、自治体などが男女共同参画に取り組む際に使われてきた。特に決まった定義がないため、体育の着替えを男女同室で行うなど、行き過ぎた男女の同一化の動きにもつながっている。猪口邦子・男女共同参画担当相は、混乱や誤解が生じているとの判断で今年度中に定義を明確にする方針。

毎日新聞 2006年1月10日 15時00分
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【信濃毎日新聞「月曜評論」2006.01. 上野千鶴子(熊本日日新聞にも掲載)】
  
(タイトル)ジェンダー・フリーをめぐって

 東京都知事とけんかを始めた。

 正確にいうと、売られたけんかを買っただけで、こちらから売ったわけではない。毎日新聞(2006年1月10日付け)に「ジェンダー・フリー問題:都『女性学の権威』、上野千鶴子さんの講演を拒否/用語など使うかも…『見解合わない』理由に拒否--国分寺市委託」の記事が掲載されたので、知っている人もいるかもしれない。主催側の市民団体の方たちから、都の委託事業で国分寺市が主催する人権講座に、「当事者主権」のテーマで講演してほしいという依頼を受け、それが都の介入によって取り消しになった経過説明を受けていた。だが、都の説明文書があるわけではなく、もっぱら伝聞情報ばかりなので、反論のしようがない。毎日新聞の記者が、都の東京都教育庁生涯学習スポーツ部社会教育課長に取材して、発言を記事にしてくれた。それでようやく言質がとれた。

 それによれば「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」とある。私は女性学の「権威」と呼ばれることは歓迎しないが、女性学の研究者ではある。都の見解では、「女性学研究者」すなわち「ジェンダー・フリー」の使用者、という解釈が成り立つ。わたしに依頼のあった講座は、人権講座で、タイトルにも内容にも「ジェンダー・フリー」は使われていないのに、「可能性がある」だけで判断するのだから、おそれいる。世の中には、「ジェンダー学」を名のる研究者も多く、それらの人々はましてや「ジェンダー・フリー」を使う可能性が高い。そうなると、女性学・ジェンダー研究の関係者は、すべて東京都の社会教育事業から排除されることになる。

 わたしは石原都政以前には都の社会教育事業に協力してきた実績があるし、現在でも他の自治体からは教育委員会や男女共同参画事業の講演者に招聘されているのだから、都にとってだけ、とくべつの「危険人物」ということなのだろうか?

 看過するわけにいかないので、公開質問状を、石原慎太郎東京都知事、東京都教育委員会、国分寺市、国分寺市教育委員会等に1月13日付けの内容証明郵便で送った。意思決定のプロセスを明らかにし、責任が誰にあるのかを問うことと、上野が講師として不適切であるとの判断の根拠を示すように求めたものである。回答の〆切は1月末日。

 こういうやりとり、おそらく石原知事は「余は関知せず」というだろう。都庁の役人が、都知事の意向を忖度してやったことと思うが、この時期に都の生涯学習スポーツ部社会教育課長という職にたまたま就いていた人物は、自分がどんな地雷を踏んだかに気がついていないだろう。この役人も、おそらく石原都政前には別な判断をしていただろうし、石原政権が交替すればまたまた変身するかもしれない。すまじきものは宮仕え。ご苦労さんとは思うが、ことは上野個人の処遇に関わらない。ゆきすぎた「ジェンダーフリー・バッシング」には徹底的に反論しなくてはならない。

 公開質問状は主要メディアにも同時に送付した。現在までのところ、毎日とNHKは報道、朝日と時事通信からは取材、外国人記者クラブからもコンタクトがあった。本欄の読者の方たちは、このエッセイで初めて知ることになるだろうか。今後の帰趨を見守ってもらいたい。


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関連サイト
http://www.cablenet.ne.jp/~mming/against_GFB.html

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http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/cc75aceccbc7c402b76d255b7302a0e2

http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/b2143c8e87a8c2e72af1af5fcc9908a2


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2 コメント

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訳者の視点⑦疎外感 (松尾の蛙)
2006-01-24 09:39:03
その歴史の、貴重なる過程の足跡。

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『"gender free" は英語のサイトでも 検索例がたくさんあるようです。』 (補足)
2006-04-20 18:13:34
googleなどで "gender free" で検索すると、たくさんの検索例が出てくる様ですよ。



 例.



 http://a4esl.org/q/h/dt/genderfree.html

  Gender-Free Language  ( gender-free 言語について )



  policeman -> police officer or constable



  mailman -> letter carrier or postal worker



  spokesman -> spolesperson



  actress -> actor



  manpower -> workforce, personnel, workers, human resources



  housewife -> homemaker



  など

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