1997年の映画『フェイス/オフ』でジョン・トラボルタは、敵であるニコラス・ケイジの相棒に接触するために、ケイジの顔を自分に移植した。先月末、この映画の世界が医学的に現実のものとなった。フランスの医師チームが、犬にかまれて顔の一部を失った女性に対し、世界で初めて部分的な顔面移植手術を行なったのだ。
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051209302.html
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051212307.html
1997年の映画『フェイス/オフ』でジョン・トラボルタは、敵であるニコラス・ケイジの相棒に接触するために、ケイジの顔を自分に移植した。先月末、この映画の世界が医学的に現実のものとなった。フランスの医師チームが、犬にかまれて顔の一部を失った女性に対し、世界で初めて部分的な顔面移植手術を行なったのだ。
時宜を得た展開だ。というのも、今や新しい顔面認識技術が、われわれを監視下に置こうとしているためだ。顔面認識技術を用いた監視は、われわれの気付かないうちに、至る所で行なわれ、永続的で検索も可能にし、しかもコストが安くすむ。この技術の有効性がさらに向上すれば、新しい顔を持つことが外見のプライバシーを保つ唯一の方法になるかもしれない。
米ライヤ社という新しい会社がある注目に値する最先端の技術を発表している。同社は最近、一般の人々を対象とした顔面認識サービスのベータ版を開始した。
このサービスは、現在使用されているマルチメディア検索技術を基礎としている。途方もない量の情報が氾濫している昨今、優れた検索ツールなしに欲しい情報を探し出すのは不可能だ。だが、これまでは、写真、ビデオ、音声などのマルチメディア・ファイルを検索する非常に効率的な方法はなかった。オンライン写真共有サイト『Flickr』(フリッカー)などが使用している現在の一般的な方法は、ユーザーに写真ごとにタグを付けてもらい、そうしたタグのテキスト検索を行なうというものだ。
ライヤ社のサービスもメタタグに頼っているが、顔面認識ソフトウェアを使ってそれらを自動的に作成している。サービスに契約したユーザーは写真をアップロードし、同社のソフトウェアに写っているのが誰なのかを教える。同じ人物が写っている複数の写真に対して認識用アルゴリズムを繰り返し実行することで、おしまいには、ソフトウェアは同じ顔が写った他の画像を識別できるようになる。ひとたび学習すると、ソフトウェアはメタタグを自動的に作成し、ユーザーは自分や他のユーザーの写真を検索できるようになる。
現在このサービスで検索可能なのは、ライヤ社のサーバーにアップロードされた写真だけだ。だが、この技術がインターネット上で展開されるようになれば、Flickr、『トライブ・ネット』や『フレンドスター』といったウェブ上の写真を、写真の所有者や写された人が特定されるのを望もうが望まなかろうが検索できるようになるだろう。興味深いのはここからだ。
『マイスペース』を検索した母親たちが、友達の家で勉強しているはずの時にパーティーに参加している自分の子供の写真を見つけるかもしれない。保険会社がバンジージャンプをしている顧客の写真を探し出し、この命知らずな顧客の保険料を値上げするかもしれない。私の予想では、付き合う相手を探している男女が恋人の品定めをする際に欠かせないものになると思う。
アナログ時代には、外出先で誰かにばったり出くわし、その人がその時のあなたの行動を覚えていて、詮索好きな人に教えてしまうといった可能性は常にあった。一方、デジタル世界では、カメラ、ウェブカム、携帯電話などで自分の写真が撮られているかどうかも気付かない。そうした画像は永久に保存され、いつか自分の知らないうちに、見知らぬ人に、ほとんどあるいはまったく無料で検索されるのだ。
かつては公共の場であっても、名前を伏せておきさえすれば一定のプライバシーは確保できた。だが、顔面認識技術はそれをますます困難にする。
また、技術自体は素晴らしいが、顔面認識技術だけでは確実にテロリストを識別することはできない点に注目すべきだ。米政府が入手可能な製品をテストしたある独自調査によると、群集の中から個人を選び出す目的においては、現在の顔面認識技術は信頼できないという。
テロリストを識別するには、99.9%完全な技術でも統計的に見ると役に立たない。飛行機の塔乗客1000万人のうち平均して1人がテロリストだとすれば、そのソフトウェアは本物のテロリスト1人につき1000件の誤警報を出す。「狼少年が1000人に増えたようなものだ」と、セキュリティー専門家のブルース・シュナイアー氏は説明する。
とはいえ、ライヤ社のサービスは、休暇中に撮った写真から祖母を見つけ出すには十分な能力を持つソフトウェアを使っている。また、祖母を見つけるのに失敗しても、テロリストを誤認するほどの問題にはならない。つまり、同社のソフトウェアがあなたの顔の特徴を学習し、地元のゲイバー、ファーストフードの店、政治的な抗議活動の場などにいるあなたを見つけ出すチャンスはいくらでもあるのだ。
ユーザーのプライバシーに関する懸念に対して、ライヤ社は辛らつな答えを用意している。もし自分の写真にインデックスを付けられるのが嫌ならば、誰にもあなたの写真を掲載されないようにしなさい、というわけだ。言うは易し、行なうは難し。また、同社はプライバシーに与える意味合いにおいて、写真を見られることと身元を特定されることは同じだと誤解している。実際は同じではないのだ。
もし誰かが私が写っている写真を掲載すれば、写真を見る人々には私の顔が見える。だが、私が誰なのかはほとんど判らないはずだ。一方、写真に私の名前のタグが付されていたとすれば、私の容姿を気に入った見知らぬ人が私についてさらに知ることが可能だ。私を雇用するかどうかを検討中の人が、私に関する詳しい情報を探しており、私の名前を検索して私の写真を見つけ出すこともできる。
アナログ世界におけるプライバシーの原則は、デジタル世界では意味をなさない。見られることと追跡されることの関係についてのかつて存在した前提は、もはや通用しない。われわれはこうした事実を直視しなければならない。さもないと、大局を見失ってしまうだろう。
ほとんどの人々にとって、顔面移植手術は極端すぎる。だが、それほど費用をかけずに、至る所で継続的に検索が可能になる事態により、写真を撮られることの意味が永久に変わってくるだろう。市民として、そして政策立案者としてのわれわれの反応も、バランスの取れたものでなければならない。検索は素晴らしいものだ。問題は見つけ出されることにある。
ジェニファー・グラニックは、スタンフォード大学ロースクール『インターネット社会センター』に所属し、サイバー法セミナーを担当している。
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051209302.html
http://hotwired.goo.ne.jp/news/technology/story/20051212307.html
1997年の映画『フェイス/オフ』でジョン・トラボルタは、敵であるニコラス・ケイジの相棒に接触するために、ケイジの顔を自分に移植した。先月末、この映画の世界が医学的に現実のものとなった。フランスの医師チームが、犬にかまれて顔の一部を失った女性に対し、世界で初めて部分的な顔面移植手術を行なったのだ。
時宜を得た展開だ。というのも、今や新しい顔面認識技術が、われわれを監視下に置こうとしているためだ。顔面認識技術を用いた監視は、われわれの気付かないうちに、至る所で行なわれ、永続的で検索も可能にし、しかもコストが安くすむ。この技術の有効性がさらに向上すれば、新しい顔を持つことが外見のプライバシーを保つ唯一の方法になるかもしれない。
米ライヤ社という新しい会社がある注目に値する最先端の技術を発表している。同社は最近、一般の人々を対象とした顔面認識サービスのベータ版を開始した。
このサービスは、現在使用されているマルチメディア検索技術を基礎としている。途方もない量の情報が氾濫している昨今、優れた検索ツールなしに欲しい情報を探し出すのは不可能だ。だが、これまでは、写真、ビデオ、音声などのマルチメディア・ファイルを検索する非常に効率的な方法はなかった。オンライン写真共有サイト『Flickr』(フリッカー)などが使用している現在の一般的な方法は、ユーザーに写真ごとにタグを付けてもらい、そうしたタグのテキスト検索を行なうというものだ。
ライヤ社のサービスもメタタグに頼っているが、顔面認識ソフトウェアを使ってそれらを自動的に作成している。サービスに契約したユーザーは写真をアップロードし、同社のソフトウェアに写っているのが誰なのかを教える。同じ人物が写っている複数の写真に対して認識用アルゴリズムを繰り返し実行することで、おしまいには、ソフトウェアは同じ顔が写った他の画像を識別できるようになる。ひとたび学習すると、ソフトウェアはメタタグを自動的に作成し、ユーザーは自分や他のユーザーの写真を検索できるようになる。
現在このサービスで検索可能なのは、ライヤ社のサーバーにアップロードされた写真だけだ。だが、この技術がインターネット上で展開されるようになれば、Flickr、『トライブ・ネット』や『フレンドスター』といったウェブ上の写真を、写真の所有者や写された人が特定されるのを望もうが望まなかろうが検索できるようになるだろう。興味深いのはここからだ。
『マイスペース』を検索した母親たちが、友達の家で勉強しているはずの時にパーティーに参加している自分の子供の写真を見つけるかもしれない。保険会社がバンジージャンプをしている顧客の写真を探し出し、この命知らずな顧客の保険料を値上げするかもしれない。私の予想では、付き合う相手を探している男女が恋人の品定めをする際に欠かせないものになると思う。
アナログ時代には、外出先で誰かにばったり出くわし、その人がその時のあなたの行動を覚えていて、詮索好きな人に教えてしまうといった可能性は常にあった。一方、デジタル世界では、カメラ、ウェブカム、携帯電話などで自分の写真が撮られているかどうかも気付かない。そうした画像は永久に保存され、いつか自分の知らないうちに、見知らぬ人に、ほとんどあるいはまったく無料で検索されるのだ。
かつては公共の場であっても、名前を伏せておきさえすれば一定のプライバシーは確保できた。だが、顔面認識技術はそれをますます困難にする。
また、技術自体は素晴らしいが、顔面認識技術だけでは確実にテロリストを識別することはできない点に注目すべきだ。米政府が入手可能な製品をテストしたある独自調査によると、群集の中から個人を選び出す目的においては、現在の顔面認識技術は信頼できないという。
テロリストを識別するには、99.9%完全な技術でも統計的に見ると役に立たない。飛行機の塔乗客1000万人のうち平均して1人がテロリストだとすれば、そのソフトウェアは本物のテロリスト1人につき1000件の誤警報を出す。「狼少年が1000人に増えたようなものだ」と、セキュリティー専門家のブルース・シュナイアー氏は説明する。
とはいえ、ライヤ社のサービスは、休暇中に撮った写真から祖母を見つけ出すには十分な能力を持つソフトウェアを使っている。また、祖母を見つけるのに失敗しても、テロリストを誤認するほどの問題にはならない。つまり、同社のソフトウェアがあなたの顔の特徴を学習し、地元のゲイバー、ファーストフードの店、政治的な抗議活動の場などにいるあなたを見つけ出すチャンスはいくらでもあるのだ。
ユーザーのプライバシーに関する懸念に対して、ライヤ社は辛らつな答えを用意している。もし自分の写真にインデックスを付けられるのが嫌ならば、誰にもあなたの写真を掲載されないようにしなさい、というわけだ。言うは易し、行なうは難し。また、同社はプライバシーに与える意味合いにおいて、写真を見られることと身元を特定されることは同じだと誤解している。実際は同じではないのだ。
もし誰かが私が写っている写真を掲載すれば、写真を見る人々には私の顔が見える。だが、私が誰なのかはほとんど判らないはずだ。一方、写真に私の名前のタグが付されていたとすれば、私の容姿を気に入った見知らぬ人が私についてさらに知ることが可能だ。私を雇用するかどうかを検討中の人が、私に関する詳しい情報を探しており、私の名前を検索して私の写真を見つけ出すこともできる。
アナログ世界におけるプライバシーの原則は、デジタル世界では意味をなさない。見られることと追跡されることの関係についてのかつて存在した前提は、もはや通用しない。われわれはこうした事実を直視しなければならない。さもないと、大局を見失ってしまうだろう。
ほとんどの人々にとって、顔面移植手術は極端すぎる。だが、それほど費用をかけずに、至る所で継続的に検索が可能になる事態により、写真を撮られることの意味が永久に変わってくるだろう。市民として、そして政策立案者としてのわれわれの反応も、バランスの取れたものでなければならない。検索は素晴らしいものだ。問題は見つけ出されることにある。
ジェニファー・グラニックは、スタンフォード大学ロースクール『インターネット社会センター』に所属し、サイバー法セミナーを担当している。