経産省前テントひろば 411日目 テント日誌 10/24-25

2012-10-27 11:05:07 | 社会
<テント日誌 10/24(水)  経産前省テントひろば 410日目> 
       若松監督の通夜と告別式に出掛けた
超個人的感慨と評論 という日誌

 「いつの間に咲いて散ったか彼岸花」。なんて下手な一句をひねっているうちにぶると寒さを感じてしまう時候になっている。テントも一段と寒くなった。秋の長雨に降り込められての不寝番はもう冬だと思うほどだ。
 泊りだったが、若松孝二監督の通夜があって出掛けた。少し縁もあってその逝去を悼みでかけた。『実録連合赤軍』以来、特にこれはと思う作品を出しこれからの作品の構想も次々と練っていたと伝えられさぞ無念だったのではと思う。
過去の作品によって巨匠として遇されている監督や作家ではなく、この歳で大輪の花を咲かせているのは驚きだった。また、若松監督でなければ撮れない映画もあるわけで、本当に惜しい気がする。
 これからの作品として「原発事故」のことが構想されていることも聞いており、秘かに期待していたから残念である。どんな原発の映画を撮るのか想像するだけでわくわくするのに悔しい。
 遺影はほほ笑みを浮かべた如何にも若松監督らしいもので、なかなかいいものだった。これは昨年5月伊豆大島で撮ったものと伝えられる。そう言えば彼は中上健次の『千年の愉楽』を撮っている《来年3月公開予定》。その中上の葬儀では都はるみの『涙の連絡船』がバックの歌だった。中上が好んで歌ったはるみ演歌だが、中上の歌で流れていた。二人とも伊豆大島には縁があったのか(?)来年公開のこの作品は楽しみである。
 若松監督と近いところで話したのは『実録連合赤軍』の試写会とその後の打ち上げパーティだったように思う。この連合赤軍事件は今年も40周年を迎えたが未だに謎めいたところが残る。事実の経緯は分かってきているが、心的《精神的》領域でのことは謎がある。それは一向に明らかにはならない。その辺のことはその会の席でも述べた。
 親鸞は「殺したくても一人も殺せないのに、殺したくなくても千人でも殺してしまうことがある」と述べている。何故だろうか。殺人は個々の意志的行為に違いないのだが、その個人の意志に機縁が関与しているからだ。この機縁は意志を超えたものと見られるが、人間の行為は意志と結び付いているなら、機縁も意志であり、この機縁は個々の意志に加わり、個々に意志を構成している共同意志(歴史的意志)である。それが個人の意志を左右するのだ。
 それならばこの共同意志はどのように個人にやってきて意志となるのか。あるいは個人はそれをどのように自己の意志にするのか。個人の意志を超えた意志として個人にやってきて個人の意志になるのはどのようにしてか。無意識というような概念は分かりやすいが、それでは明瞭ではない。
 多分、無意識も含めて連合赤軍事件は共同意志が諸個人の意志を支配した。個人はそれに掴まえられ操られたのであって、事件の中にあった諸個人は意志したというより意志させられたというべきではないのか。
 この機縁、あるいは機縁の構造はどのようにして個人の意志になり《個人をつかまえ》、意志させたのか。この構造は事件を振り返る時、反省的に対象的になる時ですら解明しにくいものだ。若松監督の『実録連合赤軍』がそれをどこまで明らかにしているか、それはいろいろと評価の分かれるところだろう。
 だが、彼が連合赤軍の解釈ではなく、事実として描こうとしたのはこの辺がよく分かっていたためである、と思える。これは『キャタピラ』についても言えることだと思う。この機縁の構造が個人の意志に成ることには、個人がつかまえられると語ったことだが、向こうから個人にやってくる、あるいはそれが個人をつかまえることである。
 それならば個人の意志が共同意志になるために、共同意志(つまりは機縁の構造)をつかまえることは可能か。それはどのようにあるのか。歴史の流れをつかむということでもいいがそれはどのように可能か。
 政治的運動は個人の意志の集合という側面から共同意志を形成しようということ確かだ。例えば脱原発という個人の意志を集め、それを共同意志《国民的意志》にし、それによって脱原発を実現しようとする。この側面は歴史がそこに参与する個人の集合であることで確かなことだ。
 しかし、それは半分の事実であってそれだけでは共同意志の形成にならないのではないか。共同意志には機縁の構造が流れており、それをつかまえなければ個人の意志は共同意志になりえない。このことを私たちは理論的にはともかく。経験的にはわかっている。
 テントひろばや官邸前行動の持続のなかでもこのことは考え考えしていることだ。それは「やってみること」のなかからのみ視えてくるのかということも含めてである。過去の事件だってこの構造はつかまえがたいのに実践的にというか、前に進んでいる場合には共同意志のありかは見えにくい。
 政治的ビジョンや構想は共同意志の媒介物、表現物であるが、それは「言ってみるだけ、立ててみるだけ」ということを免れ得ないのではないか(?) また。そこに政治行為における行動の重要性もでてくる。
 通夜からテントに戻り、朝は告別式出掛けまたテントに戻るという一日だった。テントの日誌としてはちょうとそれてしまった。が、こんなことをテントの中で話し込んでもいた。
    (M/O)

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<テント日誌 10/25(木) ――経産省前テントひろば 411日目>
        公表された放射能拡散予測図の衝撃
        「福島原発事故と女たち――出会いをつなぐ」

10月25日(木) 曇り
  もう半月後となった、「再稼働阻止全国ネットワーク」結成集会に向けた準備の討論と作業のために、たんぽぽ舎に出向いて行った。その場で話題となったのはやはり、規制委が公表した福島級の事故が起きたら―の全国16原発の放射能拡散予測であった。
  昨日の夕刊、そして今日の朝刊で地図の図面入で大々的に報じられていた。3・11を経験しているだけに、大変生々しい。それに30km圏外も放射能高線量となる地域が4つもある。本来なら原発を造る前に住民に見せるべきものであり、それを「絶対安全」といって見せずに原発を進めてきたのだと、新聞も指摘している。そしてこの公表された予測図が、各地の原発近隣地域の人々に大きな衝撃を与え、原発と暮らす不安をあらためて思い起こさせていると報じている。
 防災計画といってもそれは困難を極める。大飯では幹線道路が渋滞となりそこに高濃度の放射性物質が降り注ぎ、柏崎では避難ルートの道路は雪が積もり通行止めになり、東通では避難路が原発のそばを通るという。東海村の村上村長は「避難計画もたてられない原発は廃炉にするしかない」と訴えている。
  実際、「原子力過酷事故の防災は無理である。巨大な放射能放出と戦える生物はいない。武器はない。一番の防災は超危険物をやめることだ。もとから断つことだ。原発を廃炉にすることである。これが唯一、安心の道である。」とたんぽぽ舎の柳田さんは強調する。
  ここへきて、30km圏内の自治体で電力会社に安全協定の締結を求める要求が広がっているそうだ。それぞれの市町村の生殺与奪を決めるような再稼働が、自分たちの意思を無視して頭越しになされるのは許せない、というのは当然の思いだ。この広がりは電力会社を包囲し、再稼働をできないように追い込んでいくだろう。それは「再稼働阻止全国ネットワーク」の課題とつながっていく。
 大飯原発を止め、再稼働を許さず、原発全廃へと進めていくこと、今回の公表予測図ははからずも、あらためて私たちにそれを迫っている。
 先日、金曜行動の日にテントの前で近藤和子さんから「福島原発事故と女たち――出会いをつなぐ」という本をいただいた。近藤さんはグリーナムの女たちと深い関わりを持ちながら日本に紹介され、30年間、六ヶ所や祝島等、反原発運動に関わってこられた方だそうだ。6・30ー7・1大飯現地行動にもバスでご一緒した。
  近藤和子さんと大橋由香子さんが編集して、福島のたくさんの女性たちが3・11体験を綴っている。テントをはじめ、様々な行動で顔見知りになっている方も多く、それだけに身近に感じられ、3・11体験の生々しさ、原発災害の恐ろしさ、転々と避難していく苦労、その中で新たに起ちあがっていく怒りと思い、出会いと人々への眼差し、等々が語られて、3・11の実感、生の言葉が伝わってくる。
  とくに宇野さんの避難と障がいについて語られていた一節、そして武藤類子さんのお母さんの十三子さんの、戦中から戦後へと波乱の中を生き抜いてきた果の3・11という、本当に淡々と歴史を感じさせてくれる一文には、じっくりした感銘が湧いてくる。大橋さんの論考には、とくにフェミニズムと障がいをめぐるところで深く考えさせられる。
 本は第2テントでも扱っているそうで、ご一読ください。
           ( Y・T )

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10月24日(水) 監視テント大阪

  いよいよ、瓦礫焼却阻止、橋下市長更迭のための、監視テント大阪も、二週間経過しようとしています。
日本第二の大都市の大阪府、その市庁舎南面に建てたテント、初発4張から、今、14張となりました。東北大震災、福島原発第一事故に罹災した瓦礫の焼却処理を、この大経済圏で決行することは、大なり小なり、ヒバクのおそれのないところが、日本列島から消滅することになるという危機意識と不安の増大を、橋下が消し去ろうとしている。結局、放射能安全神話の復興です。
  そうした力の政治に冒された在特会が、テントの掃除を買って出るという告知が、在特会「カレンダー」に出、監視テントは緊急支援をツイッターその他で訴えました。当日、予告一時間前に、100人ほど、結局、130人を超える支援者が集合し、在特会は、ビデオ撮影屋ひとり潜入させることしかできず、4時には、会らしい行動は、無いに等しいことで、お集まりいただいた方々も拍子抜けする惨めな「掃除」作業の体たらく。
  夜、ワゴンで乗り付け、本番は28日だからなと悔し紛れの捨て台詞を吐いて立ち去りました。本質的な時代の危機を、チンピラの喧嘩沙汰に、解消しようとするこの情けない連中との闘いに消耗しているわけにはいきません。今後、テント日誌にて、実況ご報告致しますので、川崎さんの救援ともども、ご支援のほど、よろしくお願いします。
              (Q記)



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