スマホはちょっと脇に置き、正月くらいは古めの本を読んでみよう。
『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫・上下)は永井荷風が1917(大正六)年から59(昭和三十四)年まで戦争を挟んだ40年以上にわたって書き続けた日記である、
<日まさに午後にならぬとする時、天地忽(たちまち)鳴動す>とは23(大正十二)年9月1日、関東大震災の日の日記。
とはいえ、世間に背を向け、ひとり隠遁に近い生活をおくった荷風である。記述の多くは個人的な関心事だ。
26(大正十五)年1月1日の日記はこんな感じ。<街燈の光のあかるさに、裏町の児女夜を日につぎて羽根つくなり。軒に燈火の薄暗がりしわれら幼時の正月にくらべて、世のさまの変わりたるは、これにても思い知らるるなり>
この頃はまだ大正モダニズム文化の時代。平和な正月の風景が、ここには活写されている。
だが、前年の25(大正十四)年には普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が公布され、日本は軍国主義への道を徐々に歩みはじめていた。
二・二六事件の10日あまり前に荷風は記した。<日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり>(36年2月14日)。さらに5年後、41(昭和十六)年1月1日になると<始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変し…>
<軍人政府の専横>により、ほんの数カ月で一変した世の中。荷風の不安は的中し、この年には治安維持法が全面改定され、12月、日本は太平洋戦争に突入した。
昨年1年を振り返り、昭和戦前期に似ていないか?思った人は少なくないだろう。
昨年12月、安倍自民党は重要な案件をバタバタと実行に移した。日本版NSCを創設し、特定秘密保護法を成立させ、武器輸出三原則を有名無実化し、沖縄県知事に辺野古の埋め立てを容認させた。首相の靖国参拝で近隣諸国を刺激し、防衛計画の大綱や中期防衛力整備計画で露骨な軍備増強策を打ち出した。
安全保障方面だけではない。新エネルギー計画では原発回帰にかじを切り、改正生活保護法で受給のハードルを上げ、介護保険制度や労働者派遣法の見直しで福祉や雇用の切り捨てにも意欲を燃やしている。
無体なことが次々に起こりすぎて、もう頭がパンクしそう!でも、そうなんだよね。軍国主義的な政策と国民生活を圧迫する法案の策定は必ずワンセットなのだ。
荷風の1月1日の日記は、戦争突入後、<人民の従順驚くべく悲しむべし>(42年)、<この夜空襲なし>(45年)という風に続くが、41年の元日には荷風らしからぬ決意が述べられている。<心の自由空間の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり>
45(昭和二十)年1月1日、後に作家になる別の青年はこう書いた。
<振袖にかっこ下駄の愛らしき少女いずこへ消えたりや。凄涼の街頭、ただ音をたててひるがえるは戸毎の国旗のみ>(山田風太郎『戦中派不戦日記』角川文庫)
そんなに昔の話ではない。平和な正月の光景を町から消すのなんか簡単なのだ。(文芸評論家)
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よろしければ、もう一回!
『摘録 断腸亭日乗』(岩波文庫・上下)は永井荷風が1917(大正六)年から59(昭和三十四)年まで戦争を挟んだ40年以上にわたって書き続けた日記である、
<日まさに午後にならぬとする時、天地忽(たちまち)鳴動す>とは23(大正十二)年9月1日、関東大震災の日の日記。
とはいえ、世間に背を向け、ひとり隠遁に近い生活をおくった荷風である。記述の多くは個人的な関心事だ。
26(大正十五)年1月1日の日記はこんな感じ。<街燈の光のあかるさに、裏町の児女夜を日につぎて羽根つくなり。軒に燈火の薄暗がりしわれら幼時の正月にくらべて、世のさまの変わりたるは、これにても思い知らるるなり>
この頃はまだ大正モダニズム文化の時代。平和な正月の風景が、ここには活写されている。
だが、前年の25(大正十四)年には普通選挙法と抱き合わせで治安維持法が公布され、日本は軍国主義への道を徐々に歩みはじめていた。
二・二六事件の10日あまり前に荷風は記した。<日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚なき事の三事なり>(36年2月14日)。さらに5年後、41(昭和十六)年1月1日になると<始は物好きにてなせし事なれど去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変し…>
<軍人政府の専横>により、ほんの数カ月で一変した世の中。荷風の不安は的中し、この年には治安維持法が全面改定され、12月、日本は太平洋戦争に突入した。
昨年1年を振り返り、昭和戦前期に似ていないか?思った人は少なくないだろう。
昨年12月、安倍自民党は重要な案件をバタバタと実行に移した。日本版NSCを創設し、特定秘密保護法を成立させ、武器輸出三原則を有名無実化し、沖縄県知事に辺野古の埋め立てを容認させた。首相の靖国参拝で近隣諸国を刺激し、防衛計画の大綱や中期防衛力整備計画で露骨な軍備増強策を打ち出した。
安全保障方面だけではない。新エネルギー計画では原発回帰にかじを切り、改正生活保護法で受給のハードルを上げ、介護保険制度や労働者派遣法の見直しで福祉や雇用の切り捨てにも意欲を燃やしている。
無体なことが次々に起こりすぎて、もう頭がパンクしそう!でも、そうなんだよね。軍国主義的な政策と国民生活を圧迫する法案の策定は必ずワンセットなのだ。
荷風の1月1日の日記は、戦争突入後、<人民の従順驚くべく悲しむべし>(42年)、<この夜空襲なし>(45年)という風に続くが、41年の元日には荷風らしからぬ決意が述べられている。<心の自由空間の自由のみはいかに暴悪なる政府の権力とてもこれを束縛すること能はず。人の命のあるかぎり自由は滅びざるなり>
45(昭和二十)年1月1日、後に作家になる別の青年はこう書いた。
<振袖にかっこ下駄の愛らしき少女いずこへ消えたりや。凄涼の街頭、ただ音をたててひるがえるは戸毎の国旗のみ>(山田風太郎『戦中派不戦日記』角川文庫)
そんなに昔の話ではない。平和な正月の光景を町から消すのなんか簡単なのだ。(文芸評論家)
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