弓削達(ゆげとおる)・東京大学名誉教授ら50人が国などに損害賠償を求めていた住民基本台帳ネットワーク差し止め訴訟で、東京地裁民事50部の菅野雅之裁判長は7月26日、原告の請求を棄却した。
住基ネットはプライバシー権を侵害する憲法違反の政策だとする主張はすべて否定され、多少の危険は憲法も認める「公共の福祉」の範囲内とされた。
判断の妥当性はおいても、不可解な点がある。法廷で読み上げられた判決要旨が原告の主張を門前払いしたのに対し、全文ではそれなりに受け入れられていて、国側を疑う姿勢も示していたのだ。
奇妙な齟齬(そご)はなぜ生じたのか。判決後の報告集会で、原告側の渡辺千古弁護士が口にしていた裏話。
「結審の直前、裁判長が交代されてしまって。前任の方には4年近くも審理を続けていただいたのでしたが、この春、突然」
判決の全文と要旨とでは書き手が違っていた? 定期異動の季節でもあったので、その理由を軽々には決めつけられない。とはいえ不自然な人事ではあった。
前任の奥田隆文裁判長はこの案件に熱心だった。一度は結審させていた弁論を、北海道斜里町の住基ネット情報が町職員のパソコンを通じてネット上に流出した事件が明るみに出るや、事情が変わったのだからとする原告側の申し入れに応じて再開させた一幕もあった。
実を言うと、私が個人で提起した東京地裁民事第25部での訴訟でも同じようなことがあった。まじめに取り組んでいた綿引万里子裁判長が今年3月に転勤し、後任の瀧澤泉裁判長は、これまでの審理の何もかもを無視してくれた。
あってはならないことだが、行政権力を勝たせるための裁判官人事がまかり通っているのだとしたら、この国では三権分立は成立していないことになる。
第50部の原告側弁護団は報告集会の席上、それでも懸命に判決全文の意義を強調した。法律家らしい反応だったが、「支援する会」の共同代表、伊藤成彦・中央大学名誉教授(社会思想史)はこう締めた。
「この判決は、どこまでも国家を上、国民を下と見なす発想でとらえています。日本国憲法ではなく、自民党の新憲法草案が言うところの“公の秩序”を先取りしているのが怖いのです」
同感。これでは住基ネットが国民総背番号制度としての本性をむき出してくるのは時間の問題。
マスコミが批判しないのも怖い。
▼斎藤貴男(さいとう・たかお) 1958年生まれ。早大卒。イギリス・バーミンガム大学で修士号(国際学MA)取得。日本工業新聞、プレジデント、週刊文春の記者などを経てフリーに。「機会不平等」「『非国民』のすすめ」「安心のファシズム」など著書多数。
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