イラク戦争の秘密報告書、ホワイトハウスの楽観主義を論じる ボブ・ウッドワード/アラビアニュース

2006-10-05 08:25:45 | イラク
ワシントン・ポスト紙スタッフ・ライター ボブ・ウッドワード 10/01/06「ワシントン・ポスト」
-- --
2006年5月22日、ブッシュ大統領はシカゴで演説を行い、彼特有の楽観的な予想を述べた。「今から何年か後、イラクにおける挙国一致政府の成立は、自由という物語中の決定的瞬間であったと人々は回顧するでしょう。自由が中東でしっかりとした足場を確保し、テロ勢力が長い退却への歩みを始めた瞬間として」

二日後、統合参謀本部の諜報部は、大統領の予想とは矛盾する秘密の諜報上の評価をホワイトハウスに回覧した。

「長い退却」どころではなく、2007年はより激化すると報告書は予想していた。「現状レベルの暴力を来年中も維持し、更には増強するだけの資源と能力を反対勢力とテロリストは持ち続けている。」


評価に含まれていたグラフは、2003年5月から2006年5月の間の攻撃数を数えていた。グラフにはいくつか目立つ急減があったが、現在の米軍主導の多国籍軍とイラク当局に対する攻撃の回数は、月に3,500回を超えてるという多さであった。[7月のこの数値は4,500を超える。] 評価には、原油生産、電力の送達と政治的進
展についての悲観的な報告も含まれていた。

5月26日、ペンタゴンは、統合参謀本部の秘密評価とは矛盾する、法律で義務づけられている機密でない報告を議会に公表した。議会に送られた公式報告にはこうあった。「引き続く暴力行動に対するアピールと意欲は 20
07年始めには衰えはじめよう。」

ホワイトハウスとペンタゴンがイラクの状況について知っていたことと、彼らが公に言っていたことの間には大きな違いがあった。しかし不一致は驚くべきことではなかった。メモや、報告書や内部の討論で、ブッシュ政権の高官達は、占領初期からイラクに平和と安定をもたらすアメリカ合衆国の能力に関する懸念を表明していたのだ。

[大統領による一連の楽天的な演説の後の、イラク戦争はテロリストを採用する為の主な現場になっているという先週の国家諜報予測の結論部分の発表も、似たような対照を示していた。]

2003年6月18日、ジェイ・ガーナーはイラクで戦後計画局の長としての短い勤務の報告をするため、ドナルド・H・ラムズフェルド国防長官に会いに出かけた。侵略攻勢の間と戦争初期、退役陸軍中将のガーナーは、彼らのチームをイラクに入れるべく苦闘していた。彼がイラク到着して二日後、ラムズフェルドが電話をかけてきて、テロに関する61歳の専門家で、ヘンリー・A・キッシンジャーの弟子であるL・ポール「ジェリー」ブレマーが、大統領特使としてやって来て、事実上ガーナーと交代するのだと言った。

「我々は三つの悲劇的判断をしてしまいました。」ガーナーはラムズフェルドに言った。

「本当か?」とラムズフェルドが尋ねた。

「三つの恐ろしい過ちです」ガーナーは言った。

彼はブレマーが到着した時に署名した最初の二つの命令を引用した。最初の一つは、サダム・フセインのバース党の5万人もの党員を政府の職務に就くことを禁じるもので、二つ目はイラク軍の解隊だ。今や何十万人ものまとまりのない、無職の、武装したイラク人が動き回っているのだ。

第三は、ガーナー言った。アメリカ合衆国がこの国を短期間で治めるのに協力的だった臨時イラク人指導者集団を、ブレマーはあっさりと解任してしまったことだ。「ジェリー・ブレマーは、イラク人に対する政府の顔にはなれません。イラク国民向けに、イラク人の顔が必要です。」

ガーナー最後に言っておきたいことを言った。「まだ今なら改めるのに間に合います。まだ方向転換する時間はあります。」

ラムズフェルドはガーナーをしばし断固とした目つきでにらんだ。「ああ」ラムズフェルドは言った。「何もできることは無いと思うがな、事ここに至っては。」

ラムズフェルドは私が負けたのだと感じた。ラムズフェルドは私が負けたのだと感じたなと、ガーナーは思った。彼は私が全く間違っていると思っているのだ。ガーナーは負け惜しみを言っていると思われたくはなかったが、事実は事実だ。「すべて元に戻すことが可能です」ガーナーはもう一度言った。

「我々はやり直しはしない」ラムズフェルドはきっぱりと言った。

その日遅く、ガーナーはラムズフェルドとホワイト・ハウスに行った。だがブッシュとの会見では、彼は失敗については何も触れなかった。その代わりに、バグダッドに居た時の話しをして大統領を喜ばせた。

昨年12月のインタビュー時、ガーナーに、大統領に自分の懸念について話しをしなかったことを後悔していないかどうか尋ねた。

「ええ、あの時を再び生きる瞬間があるかどうかわかりませんし、私が同じ事をするかどうか分かりませんね。しかし、私がそうしていれば。率直に言って、まあ、言っても差し支えはなかったのですが、思うにはドアは閉じられていたのですよ。つまり、私がその閉じられたドアを開けるためにできることなど何もなかったのです。それに、大統領チェニーやコンドリーサ・ライスやラムズフェルドの居る前で私がそれを言えば、大統領は連中を見て、連中はあきれた表情をして、大統領はこう考えるでしょう。「おい、何でこいつをもっと早く首にしなかったんだ?」」

「彼らはこうなるのが分かっていなかったのです」ガーナーは付け加えた。「軍が言っていたように、連中は『後には引き下がれないような肩入れをしていたのです。』」

何が戦略か?

2003年秋と2004年の冬、国家安全保障会議のメンバーは、イラクで増強しつつある反対勢力に対抗するアメリカ陸軍の能力について次第に心配するようになった。

イラク担当の国家安全保障会議幹部ロバート・D・ブラックウイルは、イラク訪問から戻って、イラクに派遣されている不十分な兵員数と彼が見なすものを、深く懸念していた。彼はライスと彼女の副官スティーブン・J・ハドリーに、国家安全保障会議は軍事点検をする必要があると語った。

「もし我々に軍事戦略があるとしても、私にはそれがなにか分からないのです」ハドリーは言った。「困った事に、連中には何か戦略があって、それを私たちには話してくれないのか、それとも何も戦略がないのかが、私には分からないのです。」

ライスが自分の権威がラムズフェルドや軍隊にまでは及ばないということをはっきり言っていたので、ブラックウイルはそうした問題を彼女に強制することはなかった。それでも、大統領はなぜ軍に食ってかからなかったのだろうかとブラックウイルは考えた。ジョン・P・アビザイドに対して、秘密が保たれたビデオ・ブリーフィングのどれかの最後に、「ジョン、木曜日にまたブリーフィングをやろう。一時間半かけても、君から是非とも聞きたいのは、勝利に向けた君の軍事戦略だよ。」と大統領はなぜ尋ねなかったのだろう。

ブッシュ再選後、ハドリーが、ライスにかわって国家安全保障顧問になった。ハドリーは第一期から諸問題の評価を行った。

「政策策定の評点はBマイナスだ」彼は2005年2月5日、同僚に言った。「政策実行の評点はDマイナスだ。」

ライスは自分の考えで、旧友のフィリップ・ゼリコウを雇い、即座にイラクに派遣した。誰か本当に信頼できる人物かの完全で詳細な現地調査報告書が必要だったのだ。ゼリコウは、どこにでも自由に行き、何でも質問できる許可を得ていた。

2005年2月10日、ライスが国務長官になってから二週間後、ゼリコウはライスに行間をあけずにびっしりタイプした15ページの秘密メモを提出した。「現時点でイラクは絶えざる暴力と革命的な政治上の変化によって危険にさらされた破綻国家のままだ」ゼリコウは書いていた。

反対勢力は「軍事的に食い止められてはいる」ものの「極めて活発で」、イラクの民間人に「非常に不安な」感覚を与えているとゼリコウは述べた。

アメリカ将官は要塞化したグリーン・ゾーン内に閉じこめられているように見えた。「多国籍軍将校の機動力は極めて限定されており、生産的な政府活動は束縛されている。」

バグダッド中心の対応をゼリコウは批判して、述べていた。「バグダッドでは確かに戦争に負けているかも知れないが、バグダッド郊外の都市や村でのみ戦争は勝利できる。」

要するに、明確に述べられた、包括的で、統合された政策が無いために、アメリカ合衆国の努力が損なわれていると彼は述べた。

キッシンジャーの授業

ブッシュのイラク政策に対して、強力な、ほとんど目には見えない影響力を持っていたのは元国務長官キッシンジャーだった。

「私がこの職務上、話をする外部の人々の中では」チェニー副大統領は2005年の夏に私に語った。「私はおそらく誰よりもヘンリー・キッシンジャーと話しをしている。彼はほど月に一度くらいやってきて、スクーター[彼の当時の主席補佐官、I. ルイス・リビー] と私は彼と一緒に話したものだ。」

大統領も私的にキッシンジャーとは2ヶ月おきに会い、キッシンジャーは、海外問題に関して、ブッシュの最も常連で頻繁な外部アドバイザーとなった。

キッシンジャーは対イラク戦の至る所に、不安定さを感じており、次第にベトナム戦争というプリズムを通してこれを見るようになっていた。キッシンジャーにとって、ベトナムの最も重要な教訓は「最後まで我慢する」ということだった。

彼の書き物、演説や私的コメントで、キッシンジャーは1972年にアメリカ合衆国は本質的に戦争に勝っていたが、国民と議会の覚悟がしっかりしていなかったが為に負けたのだと主張していた。

2005年8月12日「出口戦略の教訓」という題名のワシントン・ポストのコラムで、キッシンジャーは書いた。「反対勢力に対する勝利こそが唯一意味ある出口戦略だ」

キッシンジャーは、ホワイト・ハウスで、ブッシュ、チェニーとハドリーに直接メッセージを伝えた。

勝利こそが目標でなければならない、彼は皆に語った。同じことを繰り返してはならない。一歩たりとも譲ってはならない、さもないと、マスコミ、議会と困難を避けるというアメリカの文化に押し返されてしまう。

イラクにおける最終的な結果はベトナムのそれよりもっと重要だとも彼は主張した。イラクにおける過激なイスラム教、あるいはタリバン型政府は、中東と他地域の主要諸国の内的安定性を損なうモデルだ。

キッシンジャーは、ベトナムの場合、アメリカ政府は、時間も、焦点も、国内において、政策を整えるエネルギーも支持もなかったのだとライスに語った。それがトランプで作った家のようにもろく崩壊した理由だ。ブッシュ政権は、イラクにおいても、国内においても、きちんと政治を行うべきだと彼は主張した。部分的な軍隊を撤退には、それなりの危険性がある。どの部隊であるにせよ撤退という発想をすること自体、決して勝利とは言えない出口案への契機になってしまう、と。

2005年9月始め大統領の演説原稿作成者マイケル・ガーソンとの会見では、キッシンジャーはより明快だった。ブッシュは、アメリカ軍を撤退させるという圧力に抵抗する必要があると言ったのだ。キッシンジャーは唯一意味ある出口戦略は勝利だ、という自分の格言を繰り返した。

「大統領が、兵力削減を目玉として演説するわけにはいくまい」キッシンジャーは言った。「兵力を削減したいのはわかる」しかし兵力削減が目的であってはならない。「そこは強調すべき点ではないのだ。」

論点を強調するため、彼はガーソンにリチャード・M・ニクソン大統領に書いた1969年9月10日付けのメモの写しを渡した。

「アメリカ軍の撤退はアメリカ国民にとって塩味ピーナツのようなものになってしまう。より多くのアメリカ軍が帰国すればするほど、もっと多くの帰国が要求されてしまう」と彼は書いた。

キッシンジャーは書いていた。アメリカ国民が迅速な決断を求めているので、戦闘を南ベトナム軍にまかせるという「ベトナム化」政策は、戦争を終わらせる圧力を増す可能性がある 。軍の撤退は敵を元
気づけるだけだ。「ますます、駐留している兵士の士気を維持することは困難になろうし、まして彼らの母親の士気は言うに及ぶまい。」

ガーソンの会見の二ヶ月後、政権は35ページの「イラク勝利の為の国家戦略」を発行した。キッシンジャーの脚本そのままだった。唯一意味ある出口戦略は勝利だ。

ベトナムのこだま

中央軍司令官アビザイドの古い陸軍仲間達の何人かの心にも、ベトナムがあった。イラクがゆっくりとベトナムに転換してゆくことを彼らは懸念していたのだ-- 時期尚早に段階的縮小されるか、勝
てない戦争になるか。

退役将軍ウエイン・A・ダウニングとアメリカ・オンラインの創業者ジェームス・V・キムジーを含む何人かが、2005年にカタール、ドーハの、更にイラクのアビザイドの司令部を訪れた。

アビザイドは、戦争は今やイラク人とどうするかという問題になったという立場だった。アメリカはイラク人の信頼を勝ち得なければならない。アメリカ陸軍はできるだけのことはやった。アメリカ軍の存在をできるだけ目立たなくすることが極めて重要だ、と彼は主張した。依然として占領の顔、アメリカ軍がパトロールし、ドアを蹴破り、イラク人女性を見つめて、イラク人男性を激怒させていた。

「我々は [罵詈省略] 撤退すべきだ。」彼は言った。

アビザイドの旧友達は志願兵で成り立つ軍の末路は、もう一つのベトナムか、何かベトナムに似たものになってしまうのではないかと深く憂慮した。勝つための戦略は何だ?と旧友は彼に迫った。

「それは私の仕事ではない。」アビザイドは答えた。

違う、それは君の仕事の一部だ、と皆が主張した。

違う、とアビザイドは言った。戦略をはっきりと述べるのは、別の人の仕事だ。


誰の?

「大統領とコンディ・ライスだ。ラムズフェルドはもはや全く威信がないから」と彼は言った。

3月、軍事委員会において証言するためにアビザイドはワシントンにいた。彼は、イラクの状況を、慎重ではあるが、楽天的に説明した。

後に彼は、レイバーン・ハウス・オフィス・ビルのジョン・P・マーサ議員に会いにでかけた。ペンシルバニア州選出の民主党議員マーサは、イラクのアメリカ軍の「出来るだけ実行可能な日時に」「配置換え(海外の軍隊を本土の基地に戻すことを意味する軍事用語)」することを要求する決議を議会に提案していた。

「イラクにおける戦争は宣伝通りには進んでいない」マーサは言った。「幻想に包まれた、欠陥のある政策だ」

下院議員事務所の漆黒木製丸テーブル前に座り、最初からイラクに深くかかわり、今でも担当している、制服を着た軍司令官アビザイドは、率直に話したいと言った。マーサによると、アビザイドは強調する為に手を掲げ、親指と人差し指をお互いに四分の一インチ離して言った。「我々の立場は、こんなに違っています。」

フラストレーションと辞職

同じ月、ホワイトハウスの主席補佐官アンドリュー・H・カード・Jr.は、ブッシュに辞表を提出して、政権を離れる用意をしていた。自分が未完の仕事から離れるという認識と混じった安堵の念をカードは感じていた。

「とにかくイラク、イラク、イラクだ。」カードは自分の後釜ヨシュア・B・ボルトンに言った。「次が、経済だ。」

カードの大きな懸念の一つは、イラクがベトナムと比較されることだった。三月、ワシントンのベトナム復員軍人記念碑には58,249人の名前があった。ブッシュに対するキッシンジャーの私的批判の一つは、ブッシュが、差し迫る決断の欠点を検討するような、仕組みも、気持ちも持っていない事だった。行動の代替策が検討されることは滅多になかった。

カードが思い出せる限り「他にやりようはあるのだろうか?」という話題で、時折、非公式で理論的な議論は行われていた。だがイラクに駐留する以外の代替案を検討する正式な会議は一度も開かれなかった。彼が知る限り、ベトナム時代後であればあり得たような、チェニー、ライス、ハドリー、ラムズフェルド、CIA、カード自身あるいは誰かが「代替案を検討してみよう」と言ったという、発言者の名を記したメモは皆無だった。

カードはペンタゴンとイラクの将軍達のせいだとしている。もしも彼らが身を挺して大統領に対し「戦争する意味はありません」あるいは「任務は完遂できません」と進言していれば「私はこれ以上の犠牲を要求するつもりはない。」と大統領は言ったに違いないとカードは確信している。

カードは、大統領職を規定するブッシュの公的人格には二つの否定的な局面があることを見据えられるだけのリアリストだった。無能と傲慢だ。カードはブッシュが無能だとは思わなかったし、ブッシュの主席補佐官として、自分こそが無能な人物かも知れないという事実に直面せざるを得なかった。しかも彼は大統領が傲慢だとは考えていなかった。

だが政権を売り込む際、ブッシュは傲慢と思われていた。カードとしてはその見方は偏っていると思えたが、そう見られていたのだ。

彼は辞任しようとしている。そして、戦後のトラブルに最も責任を負うべきだと彼が考えている人物、去るべき人物ラムズフェルドは居残った。

本レポートには、ビル・マーフィーJr.とクリスティーン・パースモアが協力している。

http://www.albasrah.net/ar_articles_2006/1006/dijla_021006.htm

元記事は下記。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/09/30/AR2006093000293.html

キッシンジャー「出口戦略の教訓」
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/11/AR2005081101756.html

ジョン・P・マーサ議員略歴
http://projects.washingtonpost.com/congress/members/m001120/
---------
goose さんの労訳です。ボブ・ウッドワードは数々の暴露本を書いている著名ジャーナリスト。

【アラビア・ニュース】  齊藤力二朗  会員以外の転載希望者は個メールで受付
http://groups.yahoo.co.jp/group/arabianews/
ジャンル:
その他
コメント (1)   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 【 PUBLICITY 】 1473 :安倍... | トップ | チャベス:ホワイト・ハウス... »
最近の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おやおや (何を今更。)
2006-10-05 15:32:23
結局、誰が残ろうと同じだろ!

軍産石油複合体の害を直視し、定期的に戦争しなければ持たない経済機構にメスを入れるのでなければ。

言っとくが、国外で何をしても平気な「固定化した」富裕層や特権階級は、国内で自分達と同等とは考え得ない惨めな貧乏人に対しても人間扱いはしない。

次はイランか?ベネズエラか?北朝鮮か?その手の「刺激」と国内での搾取が延々続くばかりだ。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。